常駐先で、ORACLEデータベースの管理やってます。ORACLE Platinum10g、データベーススペシャリスト保有してます。データベースの話をメインにしたいです

【小説 エンジニアの事故記録】第三十九話 鬼教官

»

 月曜日、22時30分。

 幸一郎は英雄になる予定だった。
 そして、渚沙に惚れられるはずだった。
 小山はかつてこう言っていた。

「この試練を乗り越えれば、彼女はお前を見直すだろう」と。

 だが、その期待は打ち砕かれた。
 幸一郎は往生際が悪いと思いながらも、売上履歴以外のテーブルも確認してみた。
 だが無情にも、どのテーブルも結果は0件であった。

(どういうことだ!?)

 幸一郎は極度の緊張のせいで、体が硬くなっているのを感じた。
 汗っかきでもないのに腋の下が汗でしっとりして来た。
 ワイシャツに汗ジミが出来ている。

(バックアップからリストアしたはずなのにデータは消去されたままだ。
つまりバックアップからリストアされていない......?
いや、おかしい。
ちゃんとバックアップからリストアするシェルを実行したじゃないか)

 幸一郎はあまりの出来事に頭の中が混乱した。
 思考がほつれた糸の様に絡まり合い、いつまで経ってもほどけない。

「大竹君。確認OKだろ? そろそろ業務の動作確認と行こうか」

 吉田課長は固まったままの幸一郎にそう促した。

「は、はい。ですが、あのうぅ......」

 幸一郎の声は震えていた。
 何かに頼りたいと思い、思わず隣にいる渚沙を見た。
 彼女はスマホ片手に誰かと話しているようだ。

「どうした?」

 さすがに幸一郎の異変に気付いたのか、吉田課長は眉根を寄せ硬い声で問い掛けて来た。

「バックアップから戻ってい無いみたいなんですぅ......」
「ええ!?」

 渚沙以外の者が、一斉に幸一郎の方を振り向いた。

「どういうことですか? さっきバックアップから戻してたじゃないですか? あれは何だったんですか? もう一度よく確認してよ!」

 富永がヒステリックに吉田課長を怒鳴りつけた。
 そうすることで、暗に幸一郎にもプレッシャーを掛けているのが分かる。
 お客に急かされた吉田課長はウオーターフォール式に幸一郎を叱責した。

「どういうことだ!? どうして戻ってないか説明してくれないか!」

 幸一郎は皆に状況を説明した。
 どういうわけかバックアップからリストアしてもデータが復旧していないこと。
 その理由が分からないということ。
 話を聴いたメンバーは酷く落胆した。
 いつしか彼らから弛緩した雰囲気は消え去っていた。
 喜びの絶頂から、一気に絶望の底に叩き落された気分なのだろう。
 その落差に幸一郎はいたたまれなくなった。
 だが、どうしたらいいか分からない。
 こうして手をこまねいている間にも時間は過ぎて行く。
 業務サービスの停止は企業にとって大きな損失だ。
 それは幸一郎とて分かっている。
 否、現場業務を経験したことの無い幸一郎が「分かっている」なんて思うこと自体がおこがましい。
 それほど、現場は酷い目に合っているはずだ。
 幸一郎もヒリヒリしているが、現場もそれ以上にヒリついている。

「大竹君」
「は......はひぃ......」
「さっき、石川さんと電話で話したんだけど、私たち......福井さんがデータを消した後に取得されたバックアップでリストアしたんじゃないかな?」
「え?」
「石川さんが言うには、データベースの日次バックアップ処理って毎晩21時に動いてるんだって」

 渚沙はそう言うと手近にある裏紙を引き寄せ、白紙の部分に以下のような図を描いた。

bk裏紙.jpg

 ①20時30分
  福井の誤操作で、本番データベースのデータが消えた。
 ②21時
  日次バックアップ処理が動き出した。
  業務データが削除された状態で、バックアップは取得された。
 ③22時
  そうとは知らず、幸一郎は『②で取得されたバックアップ』でリストアを行った。

(どうりで早かったわけだ......)

 これで幸一郎はリストア時間の異常な早さに納得出来た。
 ほとんど空っぽのデータベースからリストアするなんて数分で終わる。
 そんな高速リストアを目の前にしても、バックアップがおかしいことに気付かない自分は救いようのない大馬鹿だと思った。

「ということは......今存在するバックアップはもう役立たずってことか......」

 吉田課長は呻くように言った。

「え? それって、つまりもうデータは戻せないってこと!?」

 今までの話を頭を抱えて聴いていた富永が、顔を真っ赤にして訊いて来た。

「い、いや、そういう訳では......何か方法があるんだろ? 大竹君」
「は......はい! 訊いてみます」

 幸一郎は自分への追及を逸らすため、咄嗟に石川に電話を掛けた。
 幾らかけ直しても彼女には繋がらない。
 だが、五回目のトライでやっと繋がった。

<お前か! さっきから石川に電話してきておるのは! 石川は今、大事な修行中じゃ! もう二度と掛けて来るんじゃないぞ!>

 やっと繋がったと思ったら、男の声がした。
 その塩辛い胴間声は、幸一郎の鼓膜を通して脳をビリビリと揺らした。
 まるで鬼が金棒を振り回して叫び散らしているかのようだ。
 石川は教官であるこの男にスマホを奪い取られたのだろう。
 それにしても一体どんな研修を受けているのだろうか。

「おい! 福井! 元はと言えばお前の不注意でデータが飛んだんだろう! 作業前にデータをエクスポートするとかしてないのか? 何とか業務の方で戻せそうなバックアップは無いのか?」

 吉田課長は怒りの矛先を、事故を起こした当事者である福井に向けた。

「そんなものあるわけないですよ! だいたい開発専用の端末が本番に繋がるなんて思うはずないじゃないですか! こんな端末をほったらかしにしてたのが悪いんですよ」

 福井は自分の非を認めることは、自分が責任を取らされることになると思ったのだろう。
 猛烈にプロジェクトのやり方を批判することで、矛先を逸らそうとしていた。
 普段仲がいい二人が無様に罵り合いを始めた。

「あなたたち不甲斐ないと思わないんですか? プロでしょ? プロなら直して見せてくださいよ」

 醜く言い争っていた二人は、声のする方を振り向いた。
 そこには口をへの字に曲げた富永が呆れた様子で立っていた。
 事故発生からすでに2時間が経っていた。
 事態は一向に進んではいなかった。
 色々やった挙句、単に振出しに戻っただけだった。
 事故当初の方がまだ希望があった。
 打つ手が無くなった今は絶望しかない。
 それでも、皆、他に策が無いか話し合うが見つけることが出来ない。
 幸一郎も何とか戻す方法を考えては見たが、やはり元となるデータが無いため八方塞がりだ。
 石川に何度も電話しているが、鬼教官に捕まっているのか繋がらない。
 どの顔にも疲労が張り付いていた。
 その時、誰かのスマホから着信音が聴こえて来た。

「はい。あ、部長」

 吉田課長が電話で楠木部長と話しているようだ。
 電話を切ると富永の方を向き、こう言った。

「ちょっと、うちの部長が来てるんで四階のA会議室まで来てくれませんか? それと、西川部長も来ているそうです」
「うちの部長が......」

 富永はそう言うと、吉田課長の後に付いてサーバ室を出て行った。


「皆、すまん! バンド練習に遅れたくなかったばっかりに、よく確認せず急いで作業しようとしたのがいけなかったんだ!」

 福井がここに来て初めてメンバー全員に頭を下げた。
 目尻にはキラリと光るものが見えた。

「福井さん、頭を上げてください。確かにデータが消えたのはとんでもないことだけど、いつか誰かが、今日のあなたになっていた可能性があるんです」

 渚沙にそう言われた福井は泣くのを隠すように、腕で涙をぬぐった。

「でも、これからどうするんでしょうね。データがもう戻らないとなると、やっぱ損害賠償とかになるんですかね」

 室井が心配そうに言った。
 恐らく、会議室では今、そういった会話がされているのだろう。

「うぷっ」

 幸一郎は極度の緊張とプレッシャーから、急に吐き気に襲われた。

「大丈夫?」

 渚沙が幸一郎の背中をさすってくれた。

「す、すいません、ちょっとトイレ......」

 ふらつく足取りで幸一郎はサーバ室を出ると、トイレに向かった。


---------------------------------------------------------------

「大竹さん」

 幸一郎は返事をしなかった。
 個室の扉の向こうから毛利が声を掛けて来た。

「そろそろ諦めたらどうですか?」

 個室に引きこもった幸一郎は黙ったままだ。

「今なら赤江課長がデータベースエンジニアを連れてすぐに復旧してくれます。これが最後のチャンスですよ」

 幸一郎は思わずその誘いに縋りたくなった。
 だが、寸でのところで「ギブアップ」と口から漏れそうになるのを抑え込んだ。
 毛利の言葉に何か違和感を感じたのだ。

「あなたにはもうそれしかないんですよ。今ならまだ秘密はバラしません」

 幸一郎は思った。
 バックアップが使い物にならないのに毛利たちはどうやって復旧させようというのだろうか。
 いくら技術力があったとしても、元が無ければどうしようもないでは無いか。
 その疑問こそが、幸一郎の違和感の元になっていた。

(もしかして......あるのかも)

 幸一郎は勢いをつけて個室の扉を開けた。
 毛利は突然飛び出してきた幸一郎に意表を突かれたのか、口を開けたまま動けないでいる。
 むんずと毛利の襟首を掴み、タイル壁に押し付けた。

「バックアップはどこだ!?」
「へ......?」

 無抵抗なはずの幸一郎が、突然襲い掛かって来た。
 それが余程恐ろしいのだろう。
 毛利は先ほどの余裕はどこへやら、口をパクパク「あわあわ」言っている。

「バックアップが無いのに、何でお前らは復旧出来る何て言えるんだ!? それはつまり、どこかに使えるバックアップがあるってことだろ?」

 毛利は何か言おうとしているが、幸一郎の力が強すぎて首が閉まり口がきけないでいる。
 それに気づいた幸一郎は少し力を緩めた。

「な......何するんですか! 人呼びますよ!」

 泣きそうな顔で、恐怖のせいか裏返った声を上げた。
 地頭は良いが、物理的な攻撃には打たれ弱いらしい。

「どこだバックアップは?」
「私に暴力を振るっていいんですか? あなたは弱みを握られてるんですよ」

 幸一郎はこの期に及んで、そんなの小さなことだと思うようになっていた。

(許せねぇ......)

 あれほど仲が良かった吉田課長と福井が不毛な罵り合いをしている姿を思い出した。
 小山が一生懸命に事故を防ぐために色々と工夫している姿を思い出した。
 渚沙が毎日遅くまでプログラムを作り、石川が苦労してデータベースを管理している姿を思い出した。
 欲望や権力ために、身勝手に事故を誘発させた赤江課長と毛利、その仲間たちに無性に腹が立った。

「僕のことをバラすならバラせばいい。だが、お前らのやったこともいずれは証拠を掴んで、いつかバラしてやるからな!」

 こいつらを、セコい自分ごと消してしまいたいと思った。
 毛利は幸一郎の余りの迫力に気圧されて、今にも泣き出しそうだ。
 幸一郎は毛利から手を離した。

「僕の邪魔すんじゃねえ!」

 叫ぶと同時に、左腕を引き絞り右の正拳突きを繰り出した。
 右の拳は毛利の左頬を掠め、その横にあるタイル壁を直撃した。
 バキィッと音を立てて二、三枚のタイルにひびが入った。

「ひぃぃ......」

 毛利は恐怖の余り、壁に背を付けたままずるずると床に尻もちをついた。

「言えよ。どこだ?」

 同じ目線になるべく幸一郎はしゃがみ込み、毛利の顔を覗き込んで凄んだ。
 もうどうにでもなれというやけっぱちを起こしていた。
 どうせ戻ることも出来ないのなら前に進むしかない。
 小山が言っていたように英雄になれば全てがチャラになるかもしれないが、失敗すれば過去の自分の過ちがバラされる。
 でも、それはそれで仕方ないことだと思った。
 むしろ全て知れ渡ったほうが気が楽だとも思った。
 かばってくれた小山には悪いが。

「え......えと......」

 毛利が口を割ろうとしたとき、幸一郎のスマホが振動した。

<大竹君。ごめん>
「石川さん! 大丈夫なんですか!?」
<うん。何とかね。今、電波状況のいいところまで逃げて来たから>

 石川はあの鬼教官からスマホを奪い返して研修所から逃げ出したのだろうか。

<水谷さんから聴いたんだけど、バックアップがダメだったんでしょ?>
「はい。代わりのバックアップが無いか探しているところです」
<うん......そうなるよね......>

 どうも石川の歯切れが悪い。

「もう一つバックアップがあるんですよね? それがどこにあるか教えてください」
<教えてもいいけど、一つだけ言っておくわ>

 幸一郎はやけに慎重な石川に、不吉なものを感じた。

<そのバックアップはデータポンプで取得した、ただのダンプファイルなの>
「ええ?」
<本当に何かあった時のために、小山君から言われて毎日20時から取得してる物なの>
「このバックアップって、吉田課長も他のメンバーも知らないんですか?」
<そう。本当にヤバいことが起きた時の隠し玉>

 幸一郎は不思議に思った。

(石川さんと小山しか知らないバックアップの存在を、なんで赤江課長達が知っているんだ?
誰かがこの情報を外に漏らしたとしか思えない)

 そう言えば、小山はかつて赤江課長のスパイだった。

(もしかして......小山が『ダンプ』の存在や『魔の端末』のことを赤江課長に漏らしていたとしたら......だけど、何で今更......)
<もしもし......大竹君。出来る?>
「あっ、はい!」

 考え込んでしまっていた幸一郎は、石川の声で我に返った。

「今はこれしか方法が無いし、やるしかない。やってみせます」

 一瞬、間があった後、

<大竹君。だいぶDBAらしくなったね>

 彼女の声が電波を通して、幸一郎の耳に優しく響いた。

つづく

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する