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【小説 エンジニアの事故記録】第三十話 壊れたものは戻せません

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「あ」

 小山は手を叩いた。

「もう一つ訊きたいことがあるって言ってたな。なんだよ?」
「あ、ああ......」

 ここで話すことじゃないと思った幸一郎は、小山をドリンクコーナーに誘った。


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「お前、その......昨日、ここで、そ、そその......」
「なんだ?」

 幸一郎は震えていた。
 昨日、あれだけ大声で渚沙を責めることが出来たのは、やはり酒の力があったからだろうか。
 しらふだと、事実を確認することが辛い。

「き......き......」
「なんだ?」

 小山は缶コーヒーを飲みながら、幸一郎をじっと見た。
 次に何を言おうとしているか待っているようだ。
 幸一郎は顔を真っ赤にして震え続けている。
 雪の日に、外に放り出された子犬のように。
 初めて告白しようとしている無垢な乙女のように。

「きすしてただろ」

 思い切って言った。

「キス?」

 目を丸くしてオウム返しした小山に、幸一郎は無言でうなずいた。

「昨日、お前、ドリンクコーナーで水谷さんと、その......」
「してねえよ!」

 小山はぴしゃりと言った。

「嘘だ! 二人がこうなってるのを見たんだ」

ks.jpg

 幸一郎は自分の手帳に、へたくそな絵を描いて説明した。

「あのな、お前の角度からは抱き合って見えたかもしれんが、職場でそんなことするわけないだろ。常識考えろ」
「じゃ、なにやってたんだ?」
「蚊に刺されたから、絆創膏貼ってくれって言われたんだよ」

 小山がその時の様子を身振り手振りで説明した。
 嘘を付いている様子はない。
 そう言えば、渚沙の左のこめかみには絆創膏が貼ってあった。

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「ちょっと、そこじゃないよ」
「あっ、こっちか?」
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ks2.jpg

 あの会話はそういうことだったのかと、幸一郎は合点がいった。

「何か人の気配がすると思ったらお前が覗いてたのか。このスケベが!」
「そっちこそ紛らわしいことしてんじゃねえ!」

 スケベ呼ばわりされた幸一郎は反論した。
 それを小山は大声で笑い飛ばした。
 幸一郎もつられて笑ってしまった。

「安心しろ。お前に黙って彼女と付き合わないよ」
「お......おう」

 二人の間に沈黙が流れた。
 幸一郎はこの後、小山が何を言おうとしているか何となく予想が出来た。
 それを遮るように、こう言った。

「僕の早合点で、水谷さんに嫌われちゃったよ」

 幸一郎は昨晩の出来事を話した。
 右頬が腫れている理由は、渚沙の掌打を受けたからということ。
 吉田派に投票買収されそうになったこと。

「ダサいな」
「うるさいな!」

 幸一郎は頬を撫でた。
 昨日、渚沙から殴られた感触がまだ残っている。

「お前、しょうがねえなあ。俺がチャンスいっぱい作ってやってるのに、嫌われてどうすんだよ」

 小山が呆れたような顔をして言った。

「まあ、お前が水谷さんと付き合ってないって分かったから、これからは名誉挽回とばかりに頑張るよ」

 そうは言ってみたが、もう修復は不可能では無いかと思った。
 データベースならバックアップから戻すことも出来るが、一度壊れた人間関係は戻せない場合がほとんどだ。
 小山はそんな幸一郎をじっと見てこう言った。

「大竹」
「ん?」
「いや、何でも無い......」

 話の流れと小山の醸し出す雰囲気から「渚沙と付き合いたい」とか言い出すかと思われたが、そうでもないらしい。
 いや、幸一郎に配慮して言おうとして止めたのだ。
 小山はまだ何か言いたそうだが、それをグッとこらえているようにも見える。

「そろそろ職場に戻らなきゃな」

 小山はそう呟くと、ドリンクコーナーから出て行った。
 幸一郎も後に付いて行く。

「きゃ!」

 角を曲がったところで小山が誰かとぶつかりそうになった。
 相手は渚沙だった。
 彼女は小山とその後ろにいる幸一郎を交互に見ながら、何かを言おうとして止めた。

「よう!」
「さっき研修の時、会ったじゃん」

 小山に挨拶された渚沙は照れ隠しなのか、口を尖らせてそう言った。
 親し気なやり取りを見せられた幸一郎は、一人取り残されたような気分になった。
 そんな幸一郎を渚沙は眉根を寄せ複雑な表情でチラっと見た。

「あ、あの......水谷さん昨日は......」

 幸一郎は小山の横に並び、昨晩の失態を謝ろうとした。
 だが、渚沙は目をつむり、苦しげな表情で首を横に振った。
 一瞬、自分の謝罪を拒否されたのかと思った幸一郎は困惑した。

(やはり、もう駄目なのか)

 落胆しかけたその時、二人の間に立って様子を見ていた小山がこう言った。

「水谷、お前も悪いんだぞ」

 その言葉に後押しされたのか、渚沙は唇を噛み締め悔しそうな顔をしつつも頭を下げた。

「私の方こそ、ごめん」

 確かにそう言ったよな、と幸一郎は自分の耳を疑った。
 彼女は頭を下げたままだ。

「こいつの気持ちもわかってやれよ」

 幸一郎を親指で指し示しながら、渚沙に対して諭すようにそう言った。
 そう言われた渚沙の表情を確認したかったが、彼女は頭を下げたままだ。

「トイレ!」

 顔を伏せたまま渚沙は駆け込んで行った。
 バタンと個室の扉が閉まる音がした。
 嗚咽のようなものが微かに聴こえて来たような気がした。

「小山......」
「大丈夫だ。昨日のことは」

 それで全て分かった。
 小山は昨日の幸一郎の失態を水に流すように、渚沙に言ってくれたのだ。

(くっ......お前、すっげえいい奴じゃん......!)

 幸一郎は涙が出そうになった。
 目の前にいる男は幸一郎に借りを返すために、自分が好きな女を譲ろうとしているのだ。
 だが、渚沙のあの態度と今聴こえた泣き声から、幸一郎を許すのは彼女にとって不本意なことだったのだろう。
 何より、小山から幸一郎を許すように言われたことが彼女にとっては、とても辛いことなのだ。
 目に涙を浮かべている幸一郎を見た小山は、こう言った。

「お前の好きにしろよ」

 小山が選挙のことを言っているのが分かった。
 幸一郎が「どうしたいのか」で決めろと言っている。
 それはすなわち、幸一郎が吉田課長に投票してもいいということだ。

「いいのか?」
「ああ、お前がどうしたいかで決めろよ。義理立てなんかやめろ」

 恩や義理で幸一郎に加勢している小山自身が、自分のことになると、それはするなと言って来た。

「情とか恩とかそんなものを背負って、仕事したくないからな」

 このリーダーの元で仕事をしたいと思える方に投票しろと小山が言っているような気がした。
 そう思った幸一郎は、いつまでも小山の情に甘えている自分が嫌になった。
 そして、この男こそがリーダーになるべきなのでは無いかと思った。

「もしもの時は、水谷のことよろしく頼んだぞ」

 小山は爽やかな笑顔でそう言った。
 それはトイレの個室にいる渚沙にも聴こえたかもしれない。
 

 幸一郎としては、プロジェクトがこのままの体制であってほしい。
 誰もが一時の感情に流されて、自分にとって都合の悪い人間を排除しようとしているだけだ。
 本心は皆、小山か吉田課長のどちらかが抜けた後の状態が上手く行くなんて思っていないはずだ。
 幸一郎はそう考えた時、今の状況で自分がどう動けばいいか考えた。


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 幸一郎が所属するニッポーシステムズの太田社長は、月一回、給与明細を社員一人一人に渡すためにそれぞれの派遣先まで出向いている。

「大竹、今月分」
「ありがとうございます」

 明細が入った封筒を手にした幸一郎に、太田社長はこう問い掛けた。

「調子はどうだ?」
「それが......」

 社長としては、明細を渡すというのは表向きの理由で、実際は社員の様子を見るために会いに行っているのだ。
 月一回、社員全員が集まる機会もあるが、社長としては一人一人の顔を見て話をしたいという考えがあるようだ。

「太田社長、楠木部長と友達なんですよね」
「そうだけど。どうしたんだ? いきなり」
「実は色々と込み入った話があって......」

 二人は職場が入っているビルのエントランスで立ち話していた。
 太田社長は薄くなった頭髪をかき上げ、周囲を見回した。

「ここじゃまずそうだな......場所移すか?」
「はい」

 幸一郎は楠木部長にリーダー選挙の中止をお願いしようと考えていた。
 楠木部長に面識はあるが、直接そう言ったことを頼める間柄では無いと思った。
 どうすればいいか考えている時、楠木部長のこの言葉を思い出した。

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「確か太田社長のところですよね。彼とは大学も一緒だし同年代だからよく飲みに行くんですよ」
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 うちの社長と楠木部長がどの程度仲が良いかは、この言葉だけでは分からない。
 が、二人は同じ大学で同期の仲だ。
 その付き合いが今も続いている。
 一緒に飲みに行くほどなので、そこそこ仲はいいのだろう。


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 職場の近くにある半地下の喫茶店「ルーベンス」で、二人は向かい合っていた。
 幸一郎の前に座っているギョロ目で腹の出た達磨のようなオヤジが、本当の雇い主である太田社長だ。
 幸一郎はこの社長が経営している会社に正社員として所属し、プログラマーとしてブロンズ情報システムに派遣されている身分だ。
 こういった働き方はIT業界では割と当たり前で、普段は派遣先でそこの仕事をし、自分の会社には会議の時しか戻らないという人も多い。
 大きな会社が仕事を受注し、それを小さな会社に振り分けるという業務の回し方は、建設業界に似ているところがある。
 幸一郎を職人とするなら、大きなビルを作っている作業現場に日々通い、現場監督である吉田課長や小山の指示の下、土嚢を運び、コンクリートを敷き、足場を作っているということになる。
 あくまでプログラマーの幸一郎は、オフィスでプログラムを組みそれをテストしている。

「で、話って何だ?」

 太田社長がコーヒーを啜り、問い掛けた。

「実は......」

 幸一郎は話しても問題ない範囲で(あくまで自己で判断した範囲)、今のプロジェクトの状況を話した。
 対立しているリーダークラスの二人のプロパーがいて、そのどちらかをリーダーに選ばなければいけない。
 幸一郎としては今のままの体制がチームにとって良いはずだと考えている。
 だから、リーダー選挙自体の中止を楠木部長に頼みたい、ということだった。
 その仲介役を社長にお願いした。

「うーむ」

 太田社長は腕を組んで考え込んだ。
 出っ張った腹の上に組んだ腕が乗っかっている。
 
「要は、お前を楠木に引き合わせろと言う事なんだな」
「はい」

 呼び捨てにするほどの仲なら期待出来ると思った。
 だが、次の言葉で少々落胆した。

「それ、お前がやること?」
「え?」
「だってさ、お前の立場は外注だぞ。派遣先の会社の人事に首突っ込んでどうすんだよ」
「いえ、僕が言いたいのは、今の体制のままであってほしいだけですよ。だから......」
「だったら、白票を出せばいいじゃん」

 太田社長にそう言われた幸一郎は「そうじゃない」と思った。
 このリーダー選挙自体を止めて欲しいということが「願い」なのだった。
 年配チームと若手チームで五票ずつに分かれるという予測はある。
 そこで幸一郎が白票を出せば、同数で今の体制が維持されるかもしれない。
 だが、選挙は水物なので紛れはある。
 だからこの選挙自体を中止にして欲しいのだ。

「いつになく真面目な顔だな」

 太田社長は幸一郎の顔を見て、ニヤリと笑った。

「まあ、お前なりにチームのことを考えて何とかしたいって考えたわけなんだよな」
「はい」

 小山にはチームに残ってほしい。
 渚沙を取り合うライバルになったとしても、チームを存続させるのには必要だ。
 石川さんには天職であるDBAとして活躍してほしい。
 チームの開発作業が滞らないためにはDBのプロフェッショナルが必要だ。
 そして、フェーズ2の遅れを取り戻すためには吉田課長の力が必要だ。
 小山だけだと癖のあるオッサン連中をまとめるのは大変だ。
 だから、今の体制を維持することがベストなんだ。
 と、幸一郎は自分に言い聞かせた。

(ん......?)

 そこまで考えた幸一郎は、ふと思った。

(僕は一体何なんだ?)

 他人の事ばかり考えて、自分はどうなりたいか考えていなかった。

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「お前がどうなりたいかで決めろよ」
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 小山のそんな言葉を思い出した。
 幸一郎が考え込んでいる間に太田社長は、楠木部長に電話して約束を取り付けていた。

「じゃ、今日の夜19時から空けとけよ。場所は後で連絡する」
「はい」

(今の体制で、今の地位で働くことが僕のやりたいことか?)

 ふと湧いた疑問に幸一郎は、すぐ答えが出せないでいた。

つづく

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