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【小説 エンジニアの事故記録】第二十一話 恩師

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 幸一郎は帰りにどうしても立ち寄りたい場所があった。

「お疲れ様」

 渚沙と打ち合わせをしている小山に声を掛けた。

「おう」

 と返事をしてくれた。
 二人は今晩実行される売り上げ分析バッチに立ち会うのだろう。
 検証環境での動作確認を終えたバッチは、これから本番環境にリリースされるのだろう。
 定時後、皆が残業している中を少々帰り辛いと思いながらも、職場を後にした。


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 約十年前。

 一週間後に高校卒業を控えた幸一郎は、大山先生に呼び出され、空手部の道場にいた。
 道場は本校舎裏の体育館に併設されていた。
 入口に掛けられた一枚板の看板には「大都会西高校 空手部」と書かれている。
 幸一郎は神棚を背に胡坐をかいている大山先生と対面していた。
 幸一郎は学生服のまま正座をし、先ほどから自分の進退を考えている。
 三月に近いとはいえ、まだ肌寒い。
 板敷の道場に数分正座しているだけで体が冷えて来る。

「大竹、お前、空手を続ける気があるのか?」

 大山先生にそう問い掛けられ、何も言えずにいた。
 恩師のことは尊敬しているが、空手を辞めたい気持ちが9割、続けたい気持ちが1割程といったところだ。
 靖子と付き合いだしてから半年以上、空手から遠ざかっている。
 一度離れてしまうと情熱は薄れるもので、あれ程打ち込んだ空手が今は遠い過去の遺物のように思える。

 そんな幸一郎は、卒業後の進路が決まっていない。

 右手の骨折が原因で高校最後のインターハイ出場を逃した幸一郎は、スポーツ推薦で大学に行くという夢が断たれてしまった。
 一般入試で大学をいくつか受験したが、どれも勉強不足で合格出来なかった。
 既にインターハイ出場を断念した時点で、部活としての空手は引退したことになっている。
 だから、空手の練習に行かないことに関しては、大山先生は大目に見ていたようだ。
 大学推薦がダメになり勉強に励む必要があるため、その点も考慮してくれたのだろう。
 だが、卒業を前にして、大山先生ははっきりさせたかったのだ。
 幸一郎を道場に呼び寄せ、空手に対しての進退を問い掛けている。

「ええと......」

 空手に対するモチベーションが湧いてこない。
 これから浪人生として勉強しながら靖子と付き合うことを考えたら、空手をやっている時間なんて無いと思った。
 何より甘い生活に慣れ切った幸一郎は、あの苦行とも思える練習にもう参加したくなかった。

「続けるんだったら大学目指しながら、わしの道場に通え。そして、大学なり社会人の大会で結果を出せば、本部道場で指導員にだってなれる」

 恩師が今の自分を、それでも期待してくれていることに嬉しさと申し訳なさを感じた。
 だが、幸一郎はその誘いに対してあまり魅力を感じなくなっていた。
 引退してからというもの、ほとんど体を動かしていない。
 空手の形は一週間も練習しないと、途端に技の質が落ちる。
 体の使い方、技の決め方を、本人は頭で理解していても、元の通りに出来なくなる。
 その元の動きを取り戻すのに、三倍から四倍の練習をする必要がある。
 それほど奥が深く複雑な運動なのである。
 半年も休んだ自分は、全盛期の頃の動きを取り戻すのはもう無理ではないかと思っていたし、何よりそんな気力も無くなっていた。
 ズボンのベルトの上に乗っかった腹のぜい肉を摘まんで見て、ため息が出た。

「今すぐ答えが出ないなら、一週間後、わしの道場に返事を持ってこい」

 そう言うと、大山先生は立ち上がった。
 出入口で立ち止まると振り返り、道場に向かって一礼をして出て行った。
 一人残された幸一郎は、途方に暮れた。
 大山先生のことを尊敬してはいたが、空手を続ける気持ちが湧いて来ない。
 
 一週間後--

 目の前で靖子がコーヒーを飲みながらスマホをいじっている。
 
 卒業式後、幸一郎と彼女は高校の最寄駅近くにあるエムドナルドで、いつものようにお茶をしていた。
 靖子は、真夏に出会った頃は耳が見えるほどのショートカットだったが、新しい春を前にして肩までのロングになっていた。
 化粧もうっすら施していて、女らしさに拍車が掛かって来ている。
 夢いっぱいの大学生活を控えた彼女を見ていると、何も決まっていない自分のみすぼらしさが際立つような気がした。
 卒業旅行のプランを提案しているのに、スマホをいじりながら「へー」とか「ほー」とか生返事する靖子を前にして、幸一郎の頭の中には大山先生のことがちらつき出した。
 この一週間、自分は空手を続けようかどうしようか、迷っている。

「幸ちゃんも大学に行けるといいね。応援してるよ。ずっと一緒だからね」

 そう言ってくれる靖子との時間をもっと取りたいと思った。
 その思いを後押ししたのは、恩師に「空手を辞める」と言う勇気が無かったからだ。
 その時の恩師の顔を見たく無い。
 結局、大山先生の道場に行くことは無かった。
 電話で連絡も取らなかった。
 幸一郎は、うやむやにして自然消滅させるという卑怯で不義理なやり方を取ることで、空手を辞めたのだった。


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 十年後、その幸一郎がどういう訳か大山先生の道場「勝洞館(しょうどうかん)」の前に立っていた。
 山を切り崩して作られた住宅地の中腹にある公園の横に、その道場はある。
 時計の針は夜八時を回っていた。
 一時間ほど、職場近くのコメダワラ珈琲店でシロノワールの上に乗った溶け掛かったソフトクリームを眺めながら、行くか行くまいか迷った挙句の果てにここにいる。

(何故、今更ここにいるのか?)

 幸一郎は自分に問い掛けた。

(小山だ!)

 小山の迷いの無く仕事に向かう真摯な姿勢に触発された。
 そんな彼を見ていると、何事においても器が小さく、姑息な自分に嫌気がさした。
 大山先生に喝を入れてもらいたい。
 それをもって、自分を変えるきっかけにしたかった。
 あのような不義理をしてもなお、勇気を出して再会しようという理由はその一点に尽きる。

 空は晴れているのか、今日は星が良く見える日だなと、幸一郎は思った。
 道場の熱気で曇った窓ガラスにぼんやり映ったのは、竹刀を持った大山先生と思しき人物だった。
 頭髪が少し薄くなっているが、紛れもない恩師の姿だ。
 「勝洞館」は小中学生の子供の部と、高校生から成人の大人の部に分かれている。
 幸一郎は部活の後、学校から道着のまま自転車でここまで移動し、大人の部に混じって練習していた。
 指導を受けているのは、背格好から小学生くらいの子供たちのようだ。
 道場の周りには保護者と思われる女性が何人か練習を見守っている。
 その中の何人かが、スーツ姿で一人佇む幸一郎に気付き、不審そうな顔で彼を見ている。

「こら、もっと腰を落とさんか!」

 突然、怒声が響いた。
 それは聞き覚えのある大山先生の声だった。

「そんな遅い蹴りじゃ、敵は外国まで逃げとるぞ!」
「押忍!」
「ベタ足でバタバタ音を立てるな! 摺り足で行かんか!」
「押忍!」

 竹刀を振り回し、時には実演して見せる大山先生とその教えを素直に受ける子供たちを見ていると、幸一郎は昔の自分を思い出し胸が熱くなった。

 練習が一通り終わると、生徒は大山先生の前に横一列に並んで正座し、道場訓を復唱した。

「一つ、人格完成に努めること。
 一つ、誠の道を守ること。
 一つ、努力の精神を養うこと。
 一つ、礼儀を重んじること。
 一つ、血気の勇を戒めること」

 練習を終えた子供たちが一斉に道場から出て来た。
 何人かが足早に幸一郎の横を通り過ぎ、自転車に飛び乗り帰っていく。
 幸一郎は道場の前に来ていながら、今だに迷っていた。
 十年間の壁を乗り越えるのは思った以上に勇気がいる。
 道場へ向かわねばならない両足が、震えてしまって動かない。
 そんな幸一郎の隣で、今日習った形の復習をしている子供がいた。

「ちげーよ! こうだろ!」
「えっ! そうじゃないよ」

 二人の小学校高学年と思しき男子が、幸一郎の横で形を演武して指摘し合っていた。
 二人とも茶帯(※1)だ。
 話を聴いていると、どうやら「観空大(※2)」を今日習ったらしく、忘れないうちに練習しているようだ。

「おい、すばやく腰を切り返さないとそこは様にならないぞ」

 幸一郎は、一生懸命に練習する茶帯たちにかつての自分を無意識に重ね合わせていた。
 そして、「観空大」が得意形だったとうのもあり、つい口を出してしまった。
 二人の子供は何だこいつといった感じで幸一郎を見た。

「おじさん、だれ?」
「おじさんって言うな。僕も昔、大山先生から空手を習ってたんだぞ」
「へえ、じゃあ、形出来るの?」

 幸一郎は黙り込んでしまった。
 空手から離れて十年以上経つ今の自分が、この子たちを納得させるような形を演武出来るのだろうかと考え込んだ。

「なーんだ! やっぱ口だけか。おじさん、入門するなら大山先生のところ行きなよ」

 未経験の入門希望者と思われた幸一郎は、プライドが傷ついた。
 そして、そのことがハートに火を着けた。

「うるせー! よく見とけ!」

 スーツの上着を脱ぎ捨て、ネクタイをほどき、Yシャツの第一ボタンを外す。
 突然の幸一郎の変容ぶりに茶帯二人はあっけに取られたようで、目を丸くし何も言えないでいる。

 自然体八字立ちになった幸一郎は、両肘を伸ばし、四指を揃えて右手を上に重ね親指を底辺とした三角形を作った。
 金的の前に手甲外向きに構える。
 両手の構えそのまま、静かに額の斜め上に止め、三角形の指の間から空を観た。

(綺麗な星空だなあ)

 そう思った幸一郎は、根拠は無いがこの形を演武しきれば、自分を変えることが出来るのではないかと何となく思った。
 頭上に掲げた両手で作った三角形を解き、その両手を静かに左右に円を描くように金的の前に下した。
 そして一呼吸を置くと、すぐさま左方へ顔を向け右足を軸に後屈立ちで踏み出し、左上段側面背手首受けの動作をした。
 素早く、右方へも同じ動作を行う。
 道着を着ていれば、技が決まるときにパシ、パシ音がして様になるのだが、Yシャツ姿では仕方ない。
 前蹴りを繰り出した時に靴の重さで体が前に倒れそうになるのも、仕方ない。

「すげ......」

 色々と準備不足を露呈している幸一郎の演武を、それでも茶帯の二人は口をぽかんと開けたまま、じっと見ている。

(なんだ、全然やれんじゃん!)

 幸一郎は自分の汗が地面のアスファルトに滴り落ちるのを見て思った。
 何より驚いたのは、十年間も形やっていないのにイザ動いてみると次の挙動がスラスラ出てくるということだった。
 確かに一つ一つの技にキレは無い。
 だが、時間を掛けて練習し直せば、高校の頃のような動きが出来るのではないかと思えるほどだ。
 最後は二段蹴りから着地後、右前屈立ちとなり上段右裏拳打ちをし、直れの姿勢を取り完了した。

「すげー、うまい!」

 幸一郎は子供に褒められて得意気になった。

「ど......どうだ!」
「おじさん、俺たちにも教えてくれよ!」

 息が上がった幸一郎は上着を着直すのも難儀した。
 茶帯たちに指導したかったが、突然激しい運動をした体は上手く動かない。
 だが、久々に充実感を感じていた。

「こら! お前ら、近所迷惑だから外で騒ぐなと言うとるだろうが!」

 その時、道場の方から怒鳴り声が聞こえて来た。
 声がする方を見ると、道場の入り口から竹刀を持った男が向かってくる。
 大山先生だ。

「ん?」

 暗がりで誰かよく分からないのか、大山先生は凝視するように幸一郎を見ている。

「あ......ああ......」

 幸一郎は突然の大山先生の登場に戸惑っていた。
 自分から訪ねて行こうと思っていた人間に、逆に向こうから訪ねられたことで幸一郎は戸惑った。

「大竹......か?」

 大山先生は恐る恐るといった感じで問い掛けて来た。
 心の準備が出来ていない幸一郎は思わず、クルリと踵を返すとその場を逃げ出してしまった。
 自分は意気地無しだと思いながら、今来た道を走り抜けていく。
 石に躓き派手に転んだ。
 地面に手を突いたせいで、全身を地面に叩きつけることだけは避けれた。
 手の平を見ると、小石が突き刺さりそこから血が流れている。
 血を止めようと拳をしっかりと握った。

(やっぱり、これが好きなんだ)

 逃げ出してはしまったが、少し何かを掴んだような気がした。

つづく


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(※1)茶帯
 この小説の世界では、以下の通り。
 無級~7級:白
 6級:緑
 5級・4級:紫
 3級~1級:茶
 初段以上:黒

(※2)観空大
 全部で六十五挙動の長い形。
 八人の敵と闘う手と言われるくらいに、動作の変化に富んでいる。

Comment(2)

コメント

VBA使い

> 靖子付き合うことを考えたら

現在進行中の物語が2017年と仮定したら、10年前、世に出て間もないスマホを持ってる靖子はますます輝いて見えただろうな。

かく言う私のプライベートモバイルは未だフィーチャーフォンです。

湯二

VBA使いさん。

コメントありがとうございます。
いいですね!フィーチャーフォン。
スマホのいかんところは、つい見てしまって時間を奪うことですな。

時代考証までしていただき、ありがとうございます。
読む人が好きな時代設定にしてもらって構いません。
でも、こういうのちゃんとしないといけないんだろうなーと思いながらやってます。
地名とかもそうで、、、

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