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伝えることから始めよう - ジャパネットたかた

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おはようございます。水上裕介です。

コンサルへのブレークスルーを書きたいなと感じたきっかけとしてもそうなのですが、「伝えること」について、いろいろと考える日々が続いています。

最近ふらっと本屋で出会ったジャパネットたかたの創業者高田明さんの自著を読了したので、所感をコラムしたいと思います。

伝えることではなく、伝わること

これにはハッとさせられました。

伝えるというのは、自分中心で相手への配慮が欠けており、そもそも相手が聞く耳を持っているのか、相手はそもそも興味があるのかを十分に認識できていない場合があります。

一方、伝わるというのは、相手目線を徹底した状態で、相手の考えていること、相手の望んでいることをはっきりと認識できた上で伝えるから伝わるのだと私は読み取りました。

また、「伝えなければないのと同じ」というフレーズにも共感しました。エンジニア時代の私は、使ってもらいたいと考えて作ったモノが相手にうまく伝えられず、ないのと同じ状態を経験したことがありました。その根本的な原因は自分中心にモノを作っていたからだと思います。そう考えるとモノづくりも結局は相手に正確に伝わって初めて意味があると感じました。

本のタイトル「伝えることから始めよう」より「伝わることで意味がある」の方が私にはより本質を表現していると感じました。

「我見」「離見」「離見の見」

本の中で、「我見」は、自分が相手を見る視点、「離見」は相手が自分を見る視点、「離見の見」は相手が自分を見る視点を想像しながら自分を見る視点と定義されています。

私は、「離見」が一番難しいと感じました。例えば、文系からエンジニアになった方などに「プログラミングがよくわからない」といわれることがあります。何がわからないのかを想像するのがいまだに難しいと感じます。相手になりきる想像力は、相手の背景(何がわかっていて、何に興味があるのかなど)に関心を持つことがスタートになると思います。相手の背景を理解するためにより具体的にコミュニケーションしていき、相手の背景を抽象化して多少一般化するようにしていますが、十人十色で難しいものです。

秘すれば花

「我見」などもそうですが、「秘すれば花」などのワードは世阿弥が定義された言葉のようです。

「秘すれば花」とは、相手の期待を超えるという意味があり、世阿弥は舞台であらゆる種類の花(技術)を持っていて、観客が見たいと思う花を見たいタイミングで咲かせて観客を喜ばせることが「秘すれば花」と説いているというのです。

これは、エンジニアやコンサルに置き換えてみても通じるところが十分にあります。現場のメンバや成果物の状態をみてプロジェクトの状況をみて、顧客が望むものは何かを把握した上で、必要な技術(花)を提供する。それが秘すれば花という期待を超えるパフォーマンスを出すことだと感じました。

次回

次回こそは、ファクトの定義方法とその集め方についてコラムしたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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