Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

プロフェッショナルとして行動する

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 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2009年12月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

 なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。また、本文中で「最終回」とありますが、本ブログはもう少し続けるつもりです。さすがに数カ月に1回は少なすぎるので、もう少し間隔を短くしたいと思っています。

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 5年近い連載も今月で終了である。最終回はWindows Server World誌の記事、特に技術記事がどのようにして作られていたのかを紹介したい。記事作成の手順はIT業界の仕事に似ている。きっと役に立つはずだ。

●はじめに 

 単行本、特に技術書の場合は、前書きや後書きに担当編集者に対する謝辞が入っていることがよくあるが、雑誌ではほとんどない。雑誌には謝辞を書く習慣がないのだ。

 単行本は分量の融通が利き、著者の原稿がほぼそのまま反映されることが多いのに対して、雑誌にはさまざまな制約がある。最大の制約は字数制限である。連載記事の最終ページの下半分が空白になっている記事など見たことがないはずだ。ほとんどの技術記事では、著者が文字数を調整しているのではなく、編集者が文章の添削を行い、図表の大きさを調整してページぴったりに収まるようにしている。

 たいていの場合、著者は多めに書いてくるので編集者は削除や要約を行う。製品仕様や価格など調べれば分かる客観的な事実については加筆することもある(ただし、筆者に関してはIDGジャパンの雑誌で加筆されたことはない)。それだけ加工しているにもかかわらず、記事には著者(原著者とするべきかもしれない)の名前のみが登場し、編集者の名前はない。そういう習慣なのだ。

 それでは編集者よりも著者の方が偉いのだろうか。もちろんそんなことはない。著者の名前が出て、編集者の名前が出ないのは、記事が「著作物」だからである。著作権法では著作物の定義として「思想又は感情を創作的に表現したもの」とある。思想または感情を持っているのは著者だから著者の名前だけが掲載される。たまには編集者から「お気持ちは分かりますが、ちょっと表現を変えていただいて」などと言われることはあるが、思想を変えろと言われることはない。

●役割分担 

 どんな仕事にも役割分担がある。Windows Server World誌の場合、特集記事の場合は編集者が原案を出し、著者が原案を自分なりに解釈し、原稿を起こす。編集者は原稿をチェックし、用語の統一や表現の一貫性を保つように修正するとともに分量を調整する。途中、著者によるものも含めて何度かの校正が行われる。校正の完了した状態が「校了」である。校了が過ぎれば、よほどの緊急事態でも起きない限り印刷所と製本所の仕事になる。

 著者も編集者も役割が違うだけであり立場は対等である。大物小説家の場合は著者が優位、新人マンガ家の場合は編集者が圧倒的に優位、といった個別の事情はあるようだが原則は対等である。野球でいえばピッチャーとキャッチャーのようなものである。ピッチャーの方が目立つが決して偉いわけではない(*1)。

 ここまでは当たり前のことであるが、これが上司と部下だったらどうだろう。上司の方が「偉い」と思う人が多いのではないだろうか。しかし、そういう考え方は間違っている。上司と部下は、著者と編集者と同様、役割が違うだけである。筆者の事実上の上司は10歳以上年下の女性であるが、別に彼女の方が偉いとも筆者の方が偉いとも思ってない。上司は査定の権限を持っていると主張する人もいるかもしれない。しかし、編集者も著者の査定の権限をある程度持っている。著者ごとの原稿料は出版社が決定するが、そのための情報を提出するのは担当編集者だ。仕事の割り当て(原稿依頼)と査定をしているのだから編集者は立派な「上司」である。だが、繰り返すが上司が偉いわけではない。そこには単なる役割の違いがあるだけだ。

 上級管理職と中間管理職の差は分かりにくいが、マネージャと技術者を考えればよく分かる。マネージャは、売り上げと利益を最大化するための製品計画を立て、技術者を割り当てる。技術者は与えられた期限までに製品を開発する。必要な機材があれば上司に購買許可をもらう。

 これは、編集者が企画を立てて著者に原稿を依頼するのと同じだ。編集者は「売れる」企画を考えて、その企画を最適な著者に依頼する。著者は与えられた期限までに原稿を作成する。もし必要な機材があれば編集者に入手を依頼することもある(高価な機材は断られることが多いのも上司の立場と似ている)。

●衝突 

 役割が違えば衝突することもある。以前にも書いたがもう一度紹介しておこう(「マスコミは信用するな」)。

 無線LANの出始めのころ、ある雑誌に記事を書いた。「無線LANの暗号化機能には問題があるので企業では使うべきではない」としたら「スポンサーや他の記事との関係があるので、もう少し柔らかく」と言われた。無線LAN自体は便利だし、せっかく立ち上がった無線LAN市場が縮小することは筆者の本意ではない。結局「無線LANの暗号化機能には問題があるので利用するときはリスク対策をすること」と書いた。

 編集者(マネージャ)は市場を見ており、著者(技術者)は製品を見ている故の衝突である。この種の衝突は決して悪いことではない。ウソを書くことは許されないが、有望な市場の発展を妨害してしまっては技術者にとっても利益にはならない。どのような表現にするかは納得するまで話し合うべきだ。

 有益な衝突は、自分が果たすべき役割や責任範囲から発生する。上司の意見と違っても、専門家としての自分の意見は主張すべきである。ただし、意見の主張は「アサーティブ」に行いたい。アサーティブとは相手に迎合するのでもなく、攻撃的に自己主張するのでもなく、客観的に自分の意見を主張するコミュニケーション手法である(「自己主張」)。

 役割分担を無視した衝突は不毛な論争になることが多い。友人は、担当編集者に技術的な内容にまで口を出され弱っていた。編集者が技術的な内容に口を出す場合はたいてい間違っている(著者の勘違いや誤解を招く表現の場合は、口を出すのではなく質問をしてくることが多い)。こういう場合は、根拠を示しながら1つずつ論破していくしかないのだが、まったく非生産的な作業である。相手の立場に干渉した、あるいは干渉された時は要注意である。

 そもそも、相手の専門領域に立ち入るのは、相手をプロフェッショナルとして信頼していないからである。もしプロフェッショナルとして信頼できないのであれば、干渉ではなく提案や質問を行って相手の間違いを自ら気付かせるようにしたいものだ(そこで気付かないから信頼できないのだが)。

 いずれにしても「Act as a Professional (プロフェッショナルとして行動しなさい)」という言葉を忘れないでほしい。また、立場の違う相手も同様にプロフェッショナルであることを忘れないでほしい。

●激突 

 プロフェッショナルとして行動できない、あるいは相手をプロフェッショナルとして扱えない場合は衝突(conflict)を通り越して激突(crash)が発生する。関係の決裂である。記事の場合は企画の消滅あるいは著者の交代、会社の場合は転職だ。

 激突に伴う転職を何度か行うと、1人でやった方がいいのではないかと思い始める人もいる。「フリーランス」という言葉には格好いい響きもあるがよく考えてほしい(「雇われないで生きるには」)。フリーになっても、必要な作業の最初から終わりまでのすべてを自分でできるわけではない。フリーランスの利点は自分の裁量で仕事を選べることだが、現実には選べるほどたくさん仕事がある人は少ない。

 特に若いうちは自分の力を過信しがちである。しかし、会社勤めであってもフリーランスであっても絶対に思ってはいけないことがある。

1人でできるもん 

 本連載も1人では絶対に続けられなかった。しかし慣習により謝辞は書かない。しかし、もしも本連載が単行本になったら、そのときに書こうと思う。

(*1)ただし「絵になる」のはピッチャーの方であることは間違いない。ピッチャーが主人公の野球マンガはたくさんあるが、キャッチャーが主人公のマンガは少ない。多分「ドカベン」くらいだろう。

■□■Web版のためのあとがき■□■

 後半は、ずいぶんと間隔が空くようになってしまったが、今回をもって連載用原稿の転載は終わる。このあと、担当編集者のエピソードがいくつかストックしてあるので、それを書いてみたい。その後は未定だが、何かしら「エンジニアライフ」にふさわしい話を書いていきたい。

 それにしても、このブログを書き始めてから出版事情はずいぶんと変わった。「Windows Server World」を出版していたIDGジャパンは、紙媒体出版から撤退し、オンライン記事に特化した。冒頭で「バックナンバーをお求めください」と書いたものの、本当に買えるかどうかよく分からない。

 また、ブログがオールドメディア化しつつあり、書いているのはプロフェッショナルに近い人が中心となり、影響力が高まっているように思う。

 一方、オールドメディアは、シングルソース(1カ所の取材)で記事を作るという非常識なことを行い、誤報を流している。場合によっては、取材すらせずに感想だけ書いているような記事まである。これではまるでブログである。

 良し悪しではなく、そういう変化が起きているということで、読み手の責任が大きくなっている。面倒な時代になったものだ。

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