Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

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月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2008年9月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。

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前回は不正コピーについての話をした。しかし、近年のIT業界では「コピーフリー」なソフトウェアも大きな地位を占めている。無償で流通しているソフトウェアで、プログラマはどうやって収入を得れば良いのだろう。今回はプログラマの労働について考える。

●オープンソースとは?

パソコン草創期のホビイストたちの中には、ソフトウェアを「誰でも自由に利用できる共有物」と考えていた人がいた。これに対して、マイクロソフトの創業者 ビル・ゲイツは「ソフトウェアは商品である」と主張したことは先月紹介した。現在では「ソフトウェアは知的財産である」とされている。

「知的財産」であることと「商品」であることは同じではない。自分の財産を、社会貢献のために提供する人がいるように、自分の知的財産を無償公開する人もいるからだ。他人の財産を勝手に持ち出すのは犯罪だが、自分の財産をどうするかは個人の自由である。

一定の条件の範囲で、ソースコードを含め、事実上無償で公開されるソフトウェアが「オープンソース」である(*1)。オープンソースは「フリーソフトウェア」と呼ばれるソフトウェアと似ているが、フリーソフトウェアは「ソフトウェアの自由な流通」を目指す社会運動を含んでいる点が違う。

また「フリー」は「無償」という意味に解釈されることもあり、営利を目的とする企業からは敬遠されることが多い。そこで「オープンソース」は、「フリーソフトウェア」から、社会運動的な価値観を取り除き、「無償」のイメージを払拭するためのマーケティング用ブランドとして考案された。

●オープンソースでもうけるには?

一般的なオープンソースは、無制限の配付を認めているため、基本的には無償で入手できる。しかし、無償というのは必ずしも良いとは限らない。もうからない分野には優秀な人が集まらないため、発展が阻害される可能性があるからだ。

ここではオープンソースの代表であるLinuxを例に挙げるが、ほかのオープンソースでも似たような状況である。なお、今のところ、Linuxの発展が阻害される要因はない。金銭とは別の魅力があるからだろう。

Linuxの開発を始めたのは、当時ヘルシンキ大学の学生だったリーナス・トーバルズだ。彼は、純粋に個人的な興味でLinuxを作成したが、公開直後からLinuxの改良や拡張をボランティアで行うプログラマが登場した。その結果、Linuxは急速に改善され、Webサーバを代表とするサーバから、ビデオレコーダや携帯電話の組み込みOSまで、幅広い分野で利用されている。

純粋なLinuxはOSの中心機能だけであり、実用的に使うにはさまざまなソフトウェア(ほとんどはオープンソース)を組み合わせる必要がある。これは、初級者にはもちろん、熟練者でも面倒な作業なので、あらかじめパッケージ化した製品を有償で配付するビジネスが生まれた。

また、Linuxを自社の戦略に組み込んだ企業にとっては、Linuxの発展が自社の利益にもつながる。そのため、Linux開発に自社のエンジニアを投入したり、何社かが共同出資して専門の組織(多くはNPO)を作ったりした。トーバルズ自身もこうした組織に勤務している。

そのほか、トラブル対応や運用管理などのサポート会社もある。Linuxの参考書の出版も、Linuxビジネスの一種と言えるだろう。つまり、ソフトウェア本体は無償だが、ソフトウェアを利用している企業が投資したり、あるいは有償のサポートサービスを提供したりするのだ。

●プログラマのもうけは?

それでは、オープンソースのプログラマはもうかるのだろうか。オープンソースの製品を開発している会社はいくつかある。トーバルズが在籍するのは「The Linux Foundation」で、富士通、HP、日立、IBM、インテル、NEC、オラクル、ノベルなどが出資している非営利団体だ。他に、オープンソース版を無償で提供し、非オープンソース版を有償で提供している会社もある。また、サポートで得られた利益を開発に投資している企業もある。しかし、多くのオープンソース開発者は、無償で労働力を提供しているのが実情だろう。本業は別にあって、休日や深夜の時間を使ってオープンソースに貢献している人は実に多い。

「オープンソースのプログラマは、金銭ではなく名誉で仕事をする」といわれる。最近、いろいろ誤解があるようだが、ソフトウェア作成は本質的には楽しいものだ。趣味としてオープンソース活動に参加し、さらに名誉も得られるというのであれば、時間を割く気持ちもよく分かる。しかし、筆者はそれが業界にとって必ずしも好ましい状態とは思わない。業界は違うが、かつて、宮崎駿が手塚治虫の追悼文でこう書いた(*2)。

アニメーションに対して彼がやった事は何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。

宮崎駿の主張は以前から一貫しており「手塚治虫がアニメの制作価格をダンピングしたから、いまに至るまでスタッフにまともな給料を払えない」というものだ。確かに「好き」という気持ちを利用して安く働かせるのは誠実な態度ではないだろう。しかも、アニメ業界の問題点は、誰かが搾取しているのではなく「誰ももうかっていない」というところにある。

オープンソースを見ていて危うい感じがするのはそこだ。オープンソース活動に参加するプログラマの多くは、プログラムが好きで参加している。金銭的な見返りを求める人は少ない。趣味でやっているうちはいいのだが、フルタイムでオープンソース活動への参加を求められたらどうだろう。給与が下がっても参加する人が多いのではないだろうか。

素晴らしいソフトウェアで社会に貢献し、プログラマ界での名誉が得られても、極端に収入が低いと後続者が現れない。ソフトウェアは、社会状況の変化に合わせて、常に改善が必要である。しかも、ほとんどのソフトウェアは作成者が思ったよりも長く使われる。後継者がいなければ、ソフトウェアは死んでしまう。同じ著作物でも、数百年以上も生き続ける文学作品とは違うのだ。

●プログラマの労働は無償ではない

ビル・ゲイツは、趣味で使っているソフトウェアも、商品である以上は購入して使う必要があるという当たり前のことを主張した。しかし、オープンソースに触れたプログラマは、しばしば「無償公開」という誘惑にかられる。

仕事で作ったプログラムには「工業生産物」としての意識しか持てない人も多い。著作権だって自動的に会社に譲渡されている。しかし、趣味で作ったプログラムは、自分の思想を表現した「作品」だ。多くの人に使ってもらえるなら、無償であっても構わないと考える人がいる。それは社会的にも意義のあることだが、余暇以上の時間を費やして作ったプログラムを無償公開するのはよく考えた方がいい。公開したプログラムによって、副次的な収入が得られるのか。得られるとしたら、それは労力に見合うものか。得られないとしたら、それは社会的に意義のあるものなのか。逆に、社会的に悪い影響を与えないか。

Linuxにも大きな影響を与えたUNIXのキャッチフレーズは “Live free or die” だ。オープンソースの人たちもよく使う。しかし、Live Freeはともかく、or dieはやりすぎ。自由を失ったからといって、死ななくてもいい。

もう一度、ビル・ゲイツの話をしよう。マイクロソフトの最初の仕事は、オルテアというマイクロコンピュータ用のBASIC言語を提供することだった。オルテアの開発元であるMITS社に交渉に出かけたポール・アレン(マイクロソフトの共同創業者)が、契約ができそうだとビル・ゲイツに電話で伝えた。そのとき、ビル・ゲイツはこういったらしい。「プログラムは売らずに、使用料を取れ」(*3)。これが、PC業界のソフトウェアライセンスビジネスの始まりである。

自分が作ったソフトウェアを売るか、使用料をとるか、無償公開で社会に還元するか、それは作った人の自由だ。しかし、これだけは心がけておこう。

自分の汗を安売りしない。

(*1)オープンソース・イニシアティブの定義による。日本語訳は、オープンソースグループジャパンのWebサイトに掲載されている。

(*2)マンガ評論誌「コミック・ボックス」手塚治虫追悼号に掲載。その内容は岡田斗司夫「オタク学入門」で読める。

(*3)富田倫生「パソコン創世記」でも概要が読める。(編注:「パソコン創世記」インデックスはこちら

■□■Web版のためのあとがき■□■

誤解してほしくないのだが、筆者はソフトウェア作品を無償で公開することが悪いと言っているわけではない。無償で公開した結果がどうなるのかを考えてほしいと言っているのだ。関連する人は自分だけではないかもしれない。例えば、浜崎あゆみが「今後、自分の出演料を無料にします」と宣言したら、多くのスタッフが失業してしまうだろう。

岡田斗司夫は、これから新しく執筆する著作についての印税をゼロに設定し、「オタキングex」を設立したことは前回に書いた。「オタキングex」のメンバーは、年会費12万円を岡田斗司夫に支払うとともに、岡田斗司夫の著作活動をサポートする。

これは、リーナス・トーバルズが、Linuxコミュニティから収入を得ていること、リーナス・トーバルズの提唱したコンセプトを実現するために多くのプログラマが無償(または持ち出しで)サポートしていることと似ている。

繰り返しになってしまうが、もう一度書いておく。

中心となる個人がいて、周囲にサポーターを配置し、サポーターの出資と労働で個人を維持するシステムを、岡田斗司夫は「FREEex(フリックス)」と呼ぶ。サポーターがどうやって金を稼ぐのか、などフリックスには大きな課題もあるが、非常に面白い試みであると思う。

そして、筆者は5月からオタキングexのメンバーとなっている。

Comment(2)

コメント

ハムレット

むかし(2002年頃か)、オープンソースのJavaベースの Web Application Server、Enhydra のコミュニティにかかわった事があります。確かLutrisってアメリカのベンチャー企業が公開していたと思います。利用者からすれば、ただでソフトが利用できると言うメリットが有りますが、Lutrisとしてはどのようなメリットがあるのか、色々と意見交換とかしたものです。彼らのビジネスはソフトウェアのパッケージ販売ではなく、SIer を目指していており、Enhydraはツールと言う位置づけでした。彼らにしてみればツールの開発において、検証やマニュアルやTips等のリソースも改良に掛かる労力を外部から無償で調達できることや、広く使ってもらう事で利用事例を増やして、その情報を自社のセールスにも活用したいと言う思惑もあったようです。そういう意味でソフトウェアが製品であり、品質が要求されると言う観点から、オープンソースもビジネスの手段としては価値を持つのかなと思います。次のような公式がもし成り立つのであれば、品質に掛かる労力を低いコストで得る為にオープンソースという手段も選択肢の一つとして考えられると言う事でしょう。出なければ GPL や APL と言ったライセンス規約を設ける意味もないわけですし。

ソースコード+品質 = 価値

EclipseがIBMからオープンソースとしてリリースされたのもの確か、同じような観点からじゃないでしょうか。それと昔 Microsoftが嫌われた理由の一つにWindows NT3.1のように完成度の低いソフトウェアをリリースして、結果的に金を払った客をベータテスターにしてしまったと言う事が有ると思います。

アニメのようなコンテンツ作製とは単純に比較できないように思えるのですが。

仲澤@失業者

二十数年前、まだ春風に髪をなびかせて闊歩していた頃(笑)。
とある分野の、営業の神様と言われた人に問うていわく、

「私の技術力は金になるほどのものでありや」

師、かんらかんらと応じていわく

「ぬしが腕がどれほどものかなど、とるにたらぬ。
わしが売り客が払った額面こそがぬしの価値である。」

遠い日に受けた衝撃の強さを思い出しました(笑)。

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