シンガポールでアジアのエンジニアと一緒にソフトウエア開発をして日々感じること、アジャイル開発、.NET、SaaS、 Cloud computing について書きます。

停電が当たり前の世界

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 最近の日本の報道を見ていると、これから夏に向けてどうやって、夏の電源需要のピークに対応するかという話題が多い。シンガポール在住の私には全然関係ない話ではあるが、過去に色々世界を旅したり、仕事で訪問した時の停電に関する経験を少し書いてみる。

 まず言えることは、日本とたぶんシンガポールそして他の少数の国以外、先進国と呼ばれる国でも、電気が供給されるということが、「ラッキー」と言う世界がいまだに多いということだ。今回は、時系列に、私のいろいろな国での経験を並べてみる。経験は古いものが多いが、「発展途上国」と言われる地域の事情は多分、今もそれほど変わっていないと思う。

 まず、アフリカはケニヤの地方都市。約20年前に訪れたケニヤとタンザニアの国境のナマンガ。もちろんケニヤの首都のナイロビとは比べようはないが、決して山の中ではなく、それなりの人口を抱えた地方の一都市だ。ケニヤとタンザニアの国境にあるわけで交通の要所とも言える。その街は、基本的に電気がなかった。夕方になると、突然町中に響き渡る大きなエンジン音。町のどこか知らないが、大きなエンジンベースの発電機が夜の一定の時間だけ動くようで、それがぶんぶん唸るのだ。私が宿泊したホテルは安宿だった。ホテルの廊下までは、それで明るくなったが、私の部屋までには電気が繋がっていなかった。結局その夜は石油ランプの明かりで過ごした……。 

 4年前に訪れたインドの仏教徒の聖地ブッタガヤ。お釈迦さまが菩提樹の下で、悟りを開いたところだ。とりえず、ちゃんとした発電所からの電気は供給されていることになっている町だった。しかし、私が訪れた2、3日前に大雨があり、その影響で送電線が切れて、電力の供給が町中ストップしていた。私が滞在したのは3日ぐらいだったが、その間、結局電力は来なかった。

 そこからバスで1日ぐらいゆられてたどりつくことができるラージギルと言う町。お釈迦様が悟りを開いた後、説法して回ったところの1つとされる。こちらも発電所からの電気は一応来ていることになっていた。しかし、停電していないことが珍しいぐらいで、明らかに電気が来たら「ラッキー」の町だった。そういう町で、お金のある人や少し高級なホテルはどうするか。2通りの方法がある。停電中、小型エンジンで自家発電するか、それとも電気が来ている間に蓄電池に電気を貯めて置いて、停電の間はその蓄電池の電気を使うかだ。この町では、どうも、蓄電池方式の方が「ハイテク」と思われているようだった。しかし、夜電気が止まった後、町中至るところにある自家発電のエンジンが突然唸り始め、その騒々しさには参った。

 6年前。とあるインドのオフショア開発の会社の横浜オフィスに勤めていた。そして、インドはバンガロールに研修で訪れたことがある。事務所の建物の隣に何やら小さな建物があった。それは、大きな自家発電の施設だった。

 バンガロールは、インド有数の大都市でかつハイテク都市である。今のインドの発展を支えている都市である。たしかに、電気は繋がっており、今まで書いた町のように「電気がくればラッキー」ではなく、かなりの確率で電気は供給されていた。しかし、悲しいかな、「時々止まる」のである。

 普段パソコンに向かって仕事をしている我々は、作業の途中で電気が止まる恐怖をよく知っている。私が昔勤めた東京赤坂のベンチャー企業が借りているオフィスのブレーカーの容量が低かった。夏場、特にSaaSのサーバ群がまだオフィス内にあったころ、ブレーカーが頻繁に飛んだものである。バンガロールではこれと同じことが都市のレベルで起こるのである。

 しかし、当たり前のことだが、そこはしっかりと準備している。大抵のパソコンはUPSに繋がっており、停電してもすぐにはパソコンへの電源が途絶えない。停電になると、何が起こるか?部屋の明かりが消えて、エアコンが止まるのである。使われているエアコンはそんな高級なものでなく、かなりの騒音を出しながら運転するのだが、停電とともに騒音が止まり、オフイスが静寂に包まれることになる。我々はじっと睨んで仕事をしていたパソコンの画面から目を離し、「again?」つぶやいた後、再び仕事に没頭する。4、5分後に突然エアコンが再び唸り始めることになる。

 最近、フィリピン人から聞いた話。フィリピンでは、首都のマニラでも時々停電するらしい。ただし、インドのように1日に何回も停電するわけではない。しかし、停電になることが多いのは、クリスマスのシーズンとのこと。クリスマスが近づくと、夜遅くまでパーティーで明かりをつけている人が多くなり、電力需要が高まるのが原因らしい。

 最後に、先進国のイギリスの例。私は合わせて7年ぐらいイギリスに住んでいたことがある。ロンドンの都心や、郊外のウインザー城の城下町などに住んでいた。停電は年に数回ぐらいはあったと思う。夜、明かりが消えるとまず、家のヒューズが飛んだこと疑う。ブレーカーではない。ヒューズである。私が住んでいたアパートには、ブレーカーなどという「ハイテク」なものはなかった。ヒューズが飛んでいることを発見したが、スペアのヒューズがない。これはかなり危険なのだが、クリップをまきつけてヒューズの代用とした後、近くの電器屋に走ったこともある。ところで、年に数回あったのは、自分の部屋のヒューズが飛んで起こった停電ではなく、ある一定の地域の電力供給が全てストップする本当の停電だが、その区別は窓の外を見て、他の家の明かりが消えているか否かでわかる。

 ところで、現在シンガポールに来て4年を超えたが、今までのところ私の住むアパートで停電になったことはない。勤務するオフィスで、汎用機などの大きな電力を食うハードウェア満載のマシンルームで過負荷になり、私が仕事をしていたオフィスの電源が落ちることが1回あったが、これはシンガポールの電力インフラが原因ではないだろう。

 こういう例と比較して、日本の電力は少なくともここ30年ぐらいは、100%停電はないと思えるほど電力の品質は高かった。原発事故の絡みで、今回日本の電力需要と供給の図が記事に載ることが多い。供給の底辺を支えるのが原子力発電所。24時間365日、一定の電力を供給している。止めるのは簡単だが、再開にコストがかかるという原子力発電の特性からそういう使い方をされるのだろう。

 そして、火力発電や水力発電が変動部分を供給する。日本の電力会社は、夏のピークを迎えてもかなりの余裕があるように電力の供給力を準備している。そして、それが今までの日本の電力の品質が高い理由だろう。

 今回、どうやら、夏に向かって、その余裕の部分がなくなるらしい。つまり、供給力が余裕のない状態で、普通の国と同じになるということだ。普通の国(それはけっして発展途上国ではなく先進国も含まれる)と同じになるだけなのだから、別に大きな問題でないのかもしれない。しかし、日本人は今まで停電は起きないという前提で、生活や仕事をしてきた。電力の不安定さに対する準備が出来ていない。パソコンにUPSには繋げていないし、家庭にロウソクや懐中電灯の備えは無い。自家発電の設備もないし、停電時に備える大きな蓄電池もないのだ。

 隠すことはないだろう。私は、原子力発電推進派だ。この世に100%安全なものなど何もない。風呂に入って溺れる人が、必ず年に何人かいる。自分の家で寝ていて、突然人工衛星や隕石が落ちてくる確率はゼロではない。それにも関らず、今まで、原子力関係者は「原発は100%安全だと言って来た」。100%安全だと言わないと、作らせてもらえなかったからだ。そして、その結果、100%安全なのだからということで、もし万が一事故が起こった時の備えが、疎かにされてきた。その結果が、福島原発危機だ。

 100%安全と言えないから、メンテナンスで停止中の原発の再稼働の許可を出せないと言う、全国の原発を持つ知事。彼らは、同じ間違いを犯そうとしている気がする。

Comment(4)

コメント

原発怖い

>先進国と呼ばれる国でも、電気が供給されるということが、「ラッキー」と言う世界がいまだに多いということだ。
イギリス以外の「先進国」の例を挙げていただけないと信憑性がありませんね。
原子力事故と風呂でおぼれることを比較すること自体全くナンセンスです。
真のエンジニアなら事故の及ぼす影響を冷静に判断できなければなりません。
「原子力発電推進派」の方に教えてほしいのは「放射性廃棄物」の処分の方法をどうするかです。確かに「原子炉」自体はかなり安全技術が進んでいますが、「放射性廃棄物」の処分についてはなにも決まってさえいないと思うのですが。
「原発は発電単価が安い」というのも完全な嘘ですし。

チェルノブイリの事故は、共産圏の秘密主義の結果、事故の結果どれだけの被害があったのか、いまだにはっきりとしない。ある記事を読むと、有意差の出る形で死んだのは、甲状腺癌で数人程度と言う説。もうひとつは、ソビエト政府が隠しているので、本当はもっと巨大だと言う説。今の、世界の原発反対主義者は、たぶん、この後者の説を信じているのでしょう。そして、私も後者が真実なら、原発即停止を主張します。しかし、本当のところは、それほど被害がなかったのではないかと、思っているのが、私の主張の根拠です。根拠は、動物実験などを通じた科学的な実験データです。人を使った実験はできませんので。しかし、いまとなっては、チェルノブイリの真実など、わかりませんので、判断のしようがないと言うことも事実です。今回の福島の事故で、数年後事故が終息して、「原子力、万が一事故になったとしても、それほど恐れる必要はないかも?」と言う事実が、世界に広まり、再び原子力の開発が再開されていくのを期待しています。色々とより安全な新技術もあるようですので。色々と隠しているところはあるようですが、すくなくとも日本政府はソビエトより、はるかに透明度が高いですので。日本政府が発表したデータは信頼されるでしょうから。
プロジェクトマネージメントで、リスク管理の基本は、リスクの重要度は、被害*その確率 で決まる訳ですが。私の主張の根拠は、「被害がそれほど高くないかも?」です。今までの、原子力推進派の考えは「確率」がゼロなので、被害は考える必要なしとしてたのが、心配のもとだったものと私は思っています。
停電の、先進国の他の例ですが、他にはアメリカでしょうか?カリフォルニアに3年ほど住んでました。こちらも、年に数回停電しました。日本でも、私が子供のころはよく停電しました。30年以上前です。放射性廃棄物の話は、もんじゅの高速増殖炉ともからんで、話はややこしいようですね。たぶん、そっちがきまらないので、処理をどうするのか、きめられないのでしょう。もんじゅをあきらめて、真剣に廃棄場所を探し始めた方がよいのかもしれませんね。大前さんが主張するように、モンゴルの平原の地下深くに埋めるとか。

ちなみに、私は原発より、私の隣で煙草を吸っている人の方が怖い。

Jitta

> 先進国と呼ばれる国でも、電気が供給されるということが、「ラッキー」と言う世界がいまだに多いということだ。
 この言葉からは、「先進国と呼ばれるほとんどの国で、停電が日常茶飯事、給電される時間の方が短い」という展開を予想しました。

 実際には…
> アフリカはケニヤの地方都市。
> インドの仏教徒の聖地ブッタガヤ。
> (インドの)ラージギルと言う町。
> バンガロールである、インド有数の大都市でかつハイテク都市。たしかに、電気は繋がっており今まで書いた町のように「電気がくればラッキー」ではなく、かなりの確率で電気は供給されていた。しかし、悲しいかな、「時々止まる」のである。
> フィリピンでは、首都のマニラでも時々停電するらしい。
> 先進国のイギリスの例。停電は年に数回ぐらいはあったと思う。
> 他にはアメリカでしょうか?カリフォルニアに3年ほど住んでました。こちらも、年に数回停電しました。
どうも、「先進国と呼ばれる国でも、電気が供給されると言うことが、「ラッキー」という世界」という言葉とはほど遠い世界のように思います。発展途上国では「電気が供給されると言うことがラッキー」、先進国では「停電になるとアンラッキー」という程度にしか読めません。
 もっとも、タイトルのような「停電が当たり前の世界」があることについては、その通りだと思いますし、イギリス、アメリカといった先進国でも「停電が当たり前にある」、ということについては、私は他にデータを持っていませんから、反論するものではありません。


> 今までの、原子力推進派の考えは「確率」がゼロなので、被害は考える必要なしとしてたのが、心配のもとだったものと私は思っています。
 そうでしょうか。私は、「確率を求める時に、考えに入れるべきことを入れていなかった(あるいは、考えに入れるべきと思いもしなかった)」だと思います。これは、「確率がゼロである」ということとは、大きく異なります。
 例えば、福島の前にもんじゅが(2010年8月に)事故を起こしていましたが、燃料を入れ替えるための機械が炉内に落下するような事故が発生することは、“考慮されていませんでした”。これは、「発生確率がゼロ」だからではなく、「発生しないと思い込んでいた」でしかありません。現に、クレーン車などではそういう事故が想定されるため、「懸荷の下に入るな」という注意書きがデカデカとしてあります。東海村の臨界事故も(原子力発電所ではありませんが)、忘れてはいけないでしょう。これは、あり得ない運用方法によって発生した事故です。機械の不備や損傷によってのみ事故は発生するのではなく、操作者の不注意によっても発生し得ます。
 また、愛媛や福井の人の mixi 日記等にはチラホラ書いてありますが、全国紙は伝えないけれども地元紙は、そこにある原発で事故が起きていることを伝えているということです。実は確率がとても高いのに隠していた、あるいは目を逸らしていたのかもしれません。
 原子力発電の PR を見ると、どれも原子炉そのものが、中で発生する事象に対して十重二十重の対策をしている、というものです。しかし、実際に発生している事故を見ると、原子炉の安全性を保つためのもの、あるいは原子炉が原子炉としての機能を保証するための装置で、事故が発生しています。ということは、「原子炉」の安全性は、100%といってもいいと思われます。しかし、「原子力発電所」の安全性は、計算されていない、と言わざるを得ないと思います。
 どうも、日本の原子力発電に関する発表には、嘘や隠し事、あるいは意図しない隠蔽が多いようです。もんじゅの事故でも、「炉の点検をしなくても運転可能」とされています(いました)。しかし、その根拠については言及されていません。日本における隠蔽は、この様に根拠を曖昧にしたり、情報媒体が経営判断によって伝えなかったり、他のことに注目させて隠したり、目的が正当だからしなければならないのだという使命感によって発生しているように思います。情報をあふれさせて、必要な情報が見つからないようにしている、とも言えます。これは、非常にやっかいです。


> モンゴルの平原の地下深くに埋めるとか。
 日本が利益を受けて、他国に不利益を押しつけろ、と。今、福島を初めとする原発のある地域にお住まいの方々が怒っていることを、国レベルでやれ、と。そうおっしゃる、あるいはそういう意見に賛成されるわけですね。
 放射線あるいは放射能が恐ろしいのは、強力な放射線を浴びると死に至ることもあることがわかっています。が、どれくらいの量をどの程度の時間浴びると、どの様な障害が発生するかが、はっきりとはわかっていないことではないでしょうか。それは、たばこの受動喫煙も同じです。「体に悪い」とはいわれていますが、どの程度の量で、どの程度の影響があるかについては、確かなデータが出ていません。

超長文のレプライ。ちょっと感動しました。どうもありがとうございます。

電気の供給の関して、その通りでした、タイトルがよくないですね。申し訳ありません。

原発に関しては、以下のように考えてます。Jittaさんですが、日本の原発政策に関して、たぶん私と同じ意見です。今までの、原発関係者はみな優秀な技術者だと思います。危険の可能性について、予測できないわけがありません。もんじゅでの落下事故も一定の確率で起こると予測してだでしょう。しかし、特に中にいる人ほど、危険がわかっていながら、隠さないといけない理由があったのだと思います。そうしないと、作らせてもらえないから。彼らは日本の電力事情がどうのこうのだと、確かに少しは考えるでしょう。しかし、それより、自分の仕事です。大学で一生懸命勉強したことを生かしたいのです。あっても、自分が現役の間。そして1000年後まで、あるか無いか分からないことが、あるかもしれないからと言って、それを公表して、今までの努力を無駄にしたくないのです。

そこで、「絶対安全」だと主張します。有る組織が「絶対安全だ」と言えば、その周辺の組織はそれを前提で仕事を進めます。「あいつら絶対安全だと主張してるけど、そんなわけないと思うが!」と思いながら、仕事を進めます。そうすると、そのまた周りの組織も....。結局、日本の組織が全部、原発事故は無いという前提で、動いてしまいます。それが組織の論理です。周りの組織は、「あいつらが安全だと言っているのだから、もし、なんかあったとしてもあいつらの責任だ」と、言うことで仕事を進めます。組織、特に国歌レベルの大きな組織は、建前と書類で動くので仕方がありません。、

そういう問題を食い止めるには根元で断つしかありません。技術者が危険と思ったら、そのことを、しっかりと公表出来る環境が必要です。しかし、危険を公表して、そのために自分がやってきたことが吹っ飛ぶようでは、そんな公表など出来ません。自分の現役の間には起こらないと思っていることなら、なおさらです。

そして、

「 起きる確率はP でその被害はD。しかし、原発を推進することによる利益がProfitとして、

P x D < Profit

なので、それなら行こう。

ただし、Dの部分を出来るだけ低く抑えるため、これこれしかじかの対策をしっかりととろう。 」

こんな風にしっかりと考えることが出来る人が、Decision making出来る環境なら。技術者は安心して危険を公表できます。

いままで、それが無かったのです。少しでも危険があれば、その確率がいくら低くとも、建設は中止だと脅されてきたのです。

残念ながら、普通の一般人は、そんな理性的にものごとは考えることはできません。しかし、民主主義の国の日本では、最終的に決断するのは国民です。福島以来ブログやテレビで色々な人が原発の是非について議論してます。私は、このまま議論をもう2,3年続けるべきだと思います、その後、国民投票にかけて最終決定にします。そうすれば、ある程度、理性的な判断に基ずいた結論をだせるのではないかと思います。

モンゴルに埋める件。別にモンゴルに侵略して、埋めるわけではないですよ。満州事変やノモンハンはもうありません。モンゴルは独立国として、益があるから埋めることを認めるのです。つまり、それ相応のお金を受け取るのです。モンゴルには、今後何万年たっても、使えない土地がいっぱいあるのでしょう。だから、大前さんも言っているのだと信じてます。その土地を使ってもらうことで、モンゴルはお金をもらうのです。モンゴルにとっても利益のある話です。

福島は今回、被害を受けました。しかし、決して福島に無理やり原発を建てられたわけではありません。福島の人もメリットがあったから、原発建設の許可を出したのでしょう。絶対安全だと、言われたからだと、人は言うでしょうが。本当に心の底から100%安全だとは思っていなかったと思います。多分国から、お金が降りたのでしょう。モンゴルも同じことです。国レベルでやると、色々言う組織が、世界中からごまんと現れるので、今まで出来なかったのだとは思いますが。福島に原発を立てるのも、モンゴルに放射性廃棄物を捨てるのも、基本的には同じことです。

もうひとつの、考え方としては、放射性廃棄物ですが、今の技術では廃棄物だが、今世界中で色々研究されている技術を使って、それが将来廃棄物でばくなることもありえます。高速増殖炉の技術は、その技術のうちの一つです。

最後にたばこ、放射線の被害、体内被曝、対外ともに疫学的データ、動物実験のデータ、広島長崎のデータなど、かなりのデータはあると思います。特にたばこは疫学的データは完全にそろっていると思います。若い時から煙草を吸っている人は、平均的に5年程度、寿命が短いとか言う話です。

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