夫の転勤により正社員歴たった2年のCOBOLプログラマーが、ITコンサルタントになるまでの物語。

コボラーからITコンサルタントへ(1) 始まりはN88-BASIC

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 エンジニアライフをご覧の皆さま、こんにちは!

 本業はITコンサルタント、副業は産業カウンセラー。

 TKT48プロデューサー&SE女子部部長の奥田美和です。

 

 1月の本稼働前で、年末年始を返上してバグと戦っていたエンジニアの方もいらっしゃると思います。本当にお疲れ様です。

 

 さて、前回の記事に書いた通り、私は2014年1月にITコンサルタントとして起業したもののTKT48(転勤族の妻)の活動ばかりしていたので、今回2年ぶりのIT業界復帰。今までの転職の経過をまとめつつ、IT業界の勘を取り戻そうと思います。

 

■SEになりたい!と思ったきっかけ

 SEの方に質問です。

 あなたがSEになろうと思ったきっかけは何ですか?

 

 私のきっかけは、「N88-BASICで、ゼロからインベーダーゲームを作ったら楽しかった!」です。

 

 大学時代は「人の悩みを聞いてサポートする臨床心理士になりたい!」と心理学を専攻していました。でも、臨床心理学の実習で学生同士のドロドロした悩み事相談をしているうちに、私は楽観的すぎるのであまり相手の気持ちに共感できず、臨床心理士には向いていないのじゃないか……と思うようになりました。

 3年の10月から就職活動が始まり、そろそろ進路を決めないといけないという時期になり、最初は病院の医療事務の仕事をしようと思っていました。大学2年の時から調剤薬局でレセプトコンピューターを使った医療事務のアルバイトをし、医療事務の資格も持っていたからです。

 

 当時はまだインターネットが一般的に利用開始されておらず、大学にUNIXが入っているPCが数台設置されているくらい。当然、求人サイトも存在せず、分厚い求人本が送付されてきて、一生懸命ハガキを書いて投函したものでした。

 色々な業界・業種に資料請求していますが、IT業界に資料請求を始めたのが4/1なので、まだSEにはそれほど興味が無かったようです。

 

 それが「私は絶対にSEになる!」と思ったのは、4年から始まった「応用心理統計法:心理学実験に関するプログラミング実習」の授業を受けてからでした。

 心理学は、大きく分けると「基礎心理学」「人間関係心理学」に分類されます。一般的なイメージの「人の悩みを聞く」臨床心理学は、後者に分類されます。

 私は、児童臨床心理学(箱庭療法などのツールを用いて、自身では心の内を言語化できない児童の心理状態を図るもの)と、計量心理学(SPSSなどのツールを用いて、因子分析などの手法で、各種データを分析した結果から特定の方向性を示すもの)を専攻していました。

 

 臨床心理学実習で疲れてからは基礎心理学に興味があったということもあり、「なんだか楽しそうだから」プログラミング実習を受講しました。

 心理学におけるプログラミング実習は、認知心理学の領域に属します。認知心理学というのは「人間は一瞬の記憶で、数字を何桁まで覚えられるか」というようなもの。

 だから授業では、ランダムに数字を表示するプログラム、などを学びました。

 そして、そこで初めて触ったのが、N88-BASICでした。

 

 N88-BASIC(エヌハチハチベーシック)というのは、まだWindowsが登場する前、MS-DOS(という真っ黒な画面のOS)が搭載されたNECのPC-8800シリーズ・PC-9800シリーズ上で動くプログラミング言語のことです。NECのPC-8800シリーズで動いたBASICだから、N88-BASICだったのですね。

(私の記事は、ITに詳しくない他業界の方も読んでくれているので、エンジニアにとっては「そんなこと知ってるよ!」という説明も出てくるかもしれませんが、どうぞご容赦下さい。逆に、技術的な説明が間違っていた時は、コメント欄でこっそり教えて下さいね。)

 今でこそ「メーカーのパソコン事業再編」と騒がれていますが、当時はNECのPC-9800シリーズが登場し人気を博していました。自宅ではPC-9821 MULTiを使っていました。

 

 N88-BASICやNECのPCについてさらに書いていくと1万文字を越えそうなので、話を元に戻します。

 PCを立ち上げ、いざN88-BASICを起動し、「10 print"Hello! N88BASIC"」と入力し、実行すると……画面に「Hello! N88BASIC」と表示されました!!

 今でこそ、Scratch(スクラッチ、子どもでもできるプログラミング言語)のように「マウスでドラッグ&ドロップ」でプログラミングできる時代になりましたが、N88-BASICの時代は「エンジニアが1つ1つ指定しないと、コンピューターは動いてくれない」時代。

 いくつか練習課題をこなした後、無謀にも、インベーダーゲーム作りに挑戦してみました。

 

 インベーダーの頭の左角を表す■は、X座標=○○、Y座標=△△。右角は……。

 一匹できたから、X座標を100右にずらして、次のインベーダーの座標は……。

 これで初期表示はできたから、次は、エンターキーを押したら、時間のカウントを始めると同時に、インベーダーを1秒につきY座標-1に設定する。(インベーダーが1つずつ下に動くように見える。)

 

 ――このような地道な作業を繰り返し、「スペースキーを押すとビームが出て、インベーダーに当たると消滅。全てのインベーダーが消滅したら、画面におめでとう!の文字が表示される」という動作が完成した時、私はものすごい達成感を感じました。

 ――自分の手で、ゼロからモノを作るのは面白い!!!

 

■いざ、SEへ!

 プログラミング実習の途中から、IT業界、それも「ゆりかごから墓場まで、人の人生に関わる業界」……生命保険会社のシステム子会社3社に絞って、就職活動を始めました。元々、人の人生をサポートする臨床心理士になりたかったので、それに近い業界を選んだのです。

 

 3社の中でも社風が穏やかなM社は、セミナーで質問した時から人事の方と意気投合。

 5/17:セミナー → 5/23:会社説明会 → 5/27:1次面接 → 5/30:最終面接 → 6/3:内定

 と、超氷河期の割には、順調に就職活動を終えました。

 

 就活ノートを見ると、「どうして情報サービス産業なのか」という質疑応答を想定し、下記のような答えが書いてありました。

1.人が幸せに生活できるようにお手伝いするような仕事がしたい

2.技術を身につけ自分の手でモノを作る、という私にとっては未知の分野でチャレンジしたい

3.情報技術を提供することで、お客様の仕事が楽になり、多くの方がもっと心のゆとりをもてるようにしたい

 

 これらは、今日までの9回の転職活動の土台になったものでした。

 転勤族の妻のキャリアサポートをしていて、新卒の就活時にここまで自己分析ができている方は転勤先でも楽々と転職できているので、もし転職で困っているエンジニアの方がいたらぜひ就活時のノートを見直してみて下さいね。

 

 そして、翌年7月。

 入社前から「VBをやりたい!」と強く願っていた私は、その願いもむなしく、COBOLプログラマー(略して、コボラー)デビューすることになるのでした。

 

 次回、「コボラーからITコンサルタントへ(2) 基礎はCOBOL」に続きます。

 次回もお楽しみに!

 

Comment(4)

コメント

うえだ

PC-8801懐かしすぎです。
私がPCに興味を持ったのはMZ-80k2を触って「おもろそう」と
思ったのがきっかけでした。

それはさておき、残念ながらPC-88シリーズにはMS-DOSは
無かったはずです・・・
あってもCP/Mだったかと・・・

すけさんさん

PC-8801は私も自分で買ったコンピュータなので感慨深いものがあります.私もこれでプログラミングを勉強しました.PC-8801はMS-DOSで動いていたのではなく,ROM上に搭載されたNEC独自OSでN-88 BASICが動いていました.だからスイッチONですぐBASICが使える状態になりました.シャープのMZ-80はカセットテープからシャープの独自OS(ALGOL?)を読み込ませてはじめてBASICが動く仕様であったと記憶しています.
まだコンピュータを使えることが特殊技能として自慢できる良い時代でしたね.

>うえださん

初コメント、ありがとうございます!!

言われてみれば、大学のPCではフロッピーディスクからN88-BASICを起動していたような気がします。

私はPC-98世代なんですが、WindowsやMS-DOS以前のパソコンがどのように動いていたのか、今改めて調べてみると面白いですね♪

>すけさんさん

そういえば、昔のPCはROMから起動していましたね!

私はPC-98からなので、せいぜいWindowsをインストールするのにフロッピーを何度も入れ替えて面倒だった…くらいの記憶なのですが、それ以前からコンピューターを使っていた方は神だ!と思っています(笑)

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