筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

仮想自営体験

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 尼崎商工会議所、大阪商工会議所など仮想自営を体験してみて思ったことを綴ります。印刷会社の人事部長に昔、「田所くん、ここを辞めたらあとは自営しかないぞ」と脅かされましたが、ところがどっこい、その後、結構あちこちで活躍できました。

 しかし、人間です。壁にぶち当たる時もあります。そこで、壁を乗り越えようとするんじゃなくて、壁についている隠し扉を探す時間に自分の自由時間をあてました。商工会議所と仮想自営経験は、僕にとっては無駄な時間ではなく、いろいろと役に立ちました。でも本当は、明日のメシの確保にも金銭的なやりくりをして、アタマを抱えている、資本金も会社登記もできない一介の貧乏人なのですが……。

【尼崎商工会議所というところ】

 尼崎商工会議所の「商人塾」に1年間通ってみたことを綴りますと、オッサン連中は「飲みニケーション」が鍵を握っています。日本人は武士道を貫いているのか、それとも、初対面と打ち解けるのに意気地がないのかどうか分かりませんが、平時は鉄仮面をかぶっています。鉄面皮千枚張りなオッサン連中が多いです。いらない恥をかきたくないのか、自分なりのプライドを守ろうと必死なのかは知りませんが、ともかく、酒が入っていない時のオッサンは「ええかっこしい」です。

 商工会議所の青年部や、青年会議所なんてところは、要は「オッサン連中の寄り合い」で、酒で始まり、酒で終わる、といった感を抱きました。つまり、酒につきあえるうちは「いい友達」、体調不良などで酒につきあえなくなると「つきあいの悪いやつ」と見なされ、疎遠になります。酒の力を借りて胸襟を開くのは、サラリーマンのみならず、経営者のオッサン連中もそのようです。私も日本人ですが、とかく日本人は「群れたがる」のです。「同期の桜」を見いだしたくなる生き物なのです。独りだと不安。それは、気持ちとしては分らなくはないですが……。

【大阪商工会議所というところ】

 大阪商工会議所は、「東の日商、西の大商」と並び称されるぐらい、とにかく、すごい人たちが集まっているところです。仮に、大阪市内で起業するのなら、メカトロニクスか、パソコンのカスタマーサポート会社だろうというわけで、大商に入る際には「株式会社如月製作所 設立準備室」という名義で登録しました。大阪市外に住んでいるので、ましてや会社登記もしていないわけですから、肩書きは「特別個人会員」という「修行の身」です。

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 この「大商」は、使えば便利、使わなければ放置で会費払い損、というスタンスなので、一応は「大商ニュース」という新聞をよく読んでいるのですが、こういう紙面からも、経営者の苦悩が見て取れます。「会頭が政府に要望」などなど……。記事を見るにつけ、大阪の企業が、束になってかかってゆく姿勢が紙面にあふれています。

 企業の社長といえども人の子。おカネに困る時もあれば、経営がピンチの時もあります。人の子だなあ、人間って悲しいね、と思わせる文面もあり……。このクレイジーな時代に社員になっている人も大変でしょうけれども、このクレイジーな時代に社長をやっている人も大変だなあ、と。会社を一艘の船に例えるならば、船員も大変なら、船長だって大変なんです。

【中小企業基盤整備機構というところ】

 中小企業基盤整備機構、略して「中小機構」と呼びます。これから事業を起こそうとする人たちが、セミナーを受けに行くところです。会社幹部向けのセミナーもあります。「リーダーになるには」といった、心構えを説いている「機構」です。

 会社で威張り散らしている社長や幹部も、内心は不安らしく、社員の前では気丈に振る舞っていても、所詮は人の子。自分に自信をなくす時もあるらしく、そういった弱点を克服する「合宿セミナー」もあります。さすがに合宿セミナーに参加する資金などないのですが、数日間のセミナーを1回だけ受けたことがありました。自分のビジネスプランを試してみたのです。

 そこでは、自分の事業をどう「エンジェル」に説得するか、何を準備しなければいけないのかといったことを、中小企業診断士の方々が寄り集まって、ブレインストーミングをするのです。そこで、実際にプレゼンを作ってみて、弱点を指摘されて事業化を思いとどまる人もあれば、弱点を指摘されて、現在の経営の立て直しに活かす人もいます。

 「社長候補」といえども人の子だなあ、という感じがここでもしました。中小企業診断士のプロのご意見は、やさしい語調ですが、何かと手厳しいです。お前の事業計画は本当に将来性はあるのか、といったことを徹底的に指摘され、僕が出した結論は「今は起業すべきではない」というものでした。

 起業ならば、お金さえ準備できればいつでもできる。でも、よそさまの会社で修行しながら働くということは、若いうちにしかできない。そう思ったのです。実った稲が、おじぎをするようになった年齢からでも起業は遅くはない、そう思いました。一連のセミナーを受けて「やっぱり一般企業で働こう」と思い直し、自分の前に立ちはだかる「壁の隠し扉」を見つけたような気がしました。

【求人を採用側の立場から見てみて】

 ある日、採用側担当者の振りをして、雇用・能力開発機構(ポリテクセンター兵庫)の求職票を見てみました。修了する人が、限られたスペースで自己PR文を書くのですが、その書き方ひとつで、採用担当者の印象もがらっと変わる、ということに気づきました。つまり、その人が積み重ねてきた「過去」、職業訓練校で身につけた「現在」、そして、就職先でこのように役立ちますといった「未来」を見ていける人の文章、スキルの一貫性がある人の文章には説得力があるな、ということです。例をあげますと、この2タイプに大別されます。

  • 「学校卒業後、複数の中小プログラム会社に就職し、AとBとCを担当しましたが、理由があって離職しました。その後、Dというスキルが足りないことに気づき、Dについての学習をしました。ですから、私はABCDのスキルを御社で活かせます」
  • 「学校卒業後、しばらくの間フリーターをし、そして居酒屋の店長を務め、訓練校でDについての学習をしました。給与は25万円から30万円を希望しています」

 同じDというスキルをつけた2人の文章。あなたなら、どちらを採用しようと思われますか?

 僕は、もちろん前者ですね。彼のスキルには一貫性があります。事情があって通った職業訓練校を、リアルなスキルアップの手段と考えて、次につなげようとしています。

 一方、後者から受ける印象は、「なぜ居酒屋店長を続けなかったの?」「もしかして、失業給付を延長してもらいたいがために職業訓練校に通ったの?」「お金だけが欲しいの?」「お金が欲しいなら、何でよりによってITという手段なの?」「そもそも、何で我が社なの?」……という疑問がフツフツと湧いて来ます。

 なるほど、採用側の気持ちになれば、自然と自分の職歴書の書き方にもフィードバックできる……。自己PR文は、ともすれば簡単に書けてしまう、とても短い文章ですが、そこに込められた思いは大事だな、思い1つで人間、人生が変わるな、と思いました。

 (思索と模索は続く……)

Comment(3)

コメント

組長

おはようさんどす。組長どす。

実はワタクシ、就業中に(っていうか、今も就業中ですが)転職活動を1度だけしたことがありまして、職務経歴書を書いたことがあります。面倒くさかったー!IT系でやってくのが限界だとその時は思ったので、居酒屋店長っぽい内容になっていたかも。結局、今の会社に=IT業界にとどまったのですが良い経験になりました。

「商工会議所」と聞くと、死んだ祖父が勤めていたので何だか懐かしく感じます・・・。

組長さま

> おはようさんどす。

それは京都っす!! 大阪はちゃいます!! ちゃうちゃう!! 違いまっせ!!

さて、転職活動ですが、ご自身に椅子がある間は、社に尽くした方が良いかと思います。いよいよ、これはもう、進退窮まった、と判断される場合、そうされた方が良いでしょう。結果的に、IT業界にとどまられた判断は正解だと思いますよ。

ベンチャーの入り口は、今も昔も「商工会議所」です。おじいさんが、そうでしたかー。

組長

おはようございます。

あ、祖父はベンチャーな人なのではなく商工会議所の職員だったです。で、定年後に某企業に天下りしてました。

>ご自身に椅子がある間は

そうですか。まぁ、あると言えばある、かなぁ・・・。出来るだけ長く「椅子がある」状態でいれるよう頑張ります★

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