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若手・中堅・ベテランの話・・・アナタだったらどうするのか

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サーチマン佐藤です。
こんにちは。


今日は、「若手・中堅・ベテラン」というテーマで、
少々長~い話をしてみます。


(その話)少々昔のことではありますが、
実際にあったことですし、

現在の我々にも通じることがあるので、
ノンフィクションドキュメンタリーでお届けしますね。


コーヒーでも飲みながら、
ゆっくり楽しんで頂ければと。



では、いってみましょうか。


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【若手時代】日本のエースとして君臨
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この物語の主人公は二人。
「松平康隆」監督と「南将之」選手。


東京オリンピック(1964年)、全日本男子バレーボールチームに
松平は(当時)コーチとして、南は選手として召集された。


当時、南選手は23歳。若手のバリバリだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


大会では、
南選手はチームのエーススパイカーとして、
打って打って打ちまくった。


その活躍で、チームは銅メダルを獲得した。


【日本に南あり】



ヨーロッパをはじめ世界中に、
「南の猛烈スパイク」が知れ渡った瞬間でもあった。


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【中堅】あなたが松平監督だったら?
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東京オリンピックで
銅メダルを獲得した全日本男子バレーボールチームであったが、
実は日本では評価が低かった。


何故なら、
あの「東洋の魔女」の全日本女子バレーボールチームが、
宿敵ソ連を破って金メダルを獲得していたからだ。


「女子は金で、男子は銅か・・・・」
そんな陰口も叩かれた。


屈辱・・・・


唇をかみしめた松平監督は、
「次のメキシコオリンピックでは、必ず金を獲る」と誓い、
鬼の猛練習を行った。


その甲斐があり、
大古、横田、森田(後のビッグ3)の若手3人が急成長した。

練習では、南選手に匹敵するようなスパイクをビシバシ決めた。

(いや、逆にいうと、
東京オリンピックでピークを迎えていた南選手の力は
徐々に落ちていったのかも)


松平監督は、
彼らの成長を喜ぶ反面、
深く考え込むことも多かった。



さて、そんな状況で迎えた
メキシコオリンピックである。



ここで松平監督は、
驚くべき作戦を立て勝負に出た。



その作戦とは・・・・・。



松平監督は、
エースストライカーの南選手を
囮(おとり)にする作戦を考えたのです。



そう、東京オリンピック以来、
南選手の名前は世界に知れ渡っている。

「南」のネームバリューは抜群。


敵チームは必ずマークしてくる。

南選手がジャンプすれば、
必ずブロックが来る。



だったら、それを逆に利用してやろう。

松平監督は決断しました。

とにかく、南はジャンプして
相手のブロックをひきつける。

ブロックが空いたところに、
大古、横田、森田の若手3人が
スパイクを叩き込む。


「時間差攻撃」



世界のバレーボールに革命が起きた瞬間です。
(日本発の戦法だって知ってましたか?)



この戦法は的中しました。

猛練習で培った高度な技術と奇襲作戦によって
日本は快進撃。


南の幻想に惑わされて、
敵チームは次々と敗退していったのです。


しかし、この作戦が通用したのは準決勝まででした。

決勝でソ連に敗れた日本は、
銀メダルに終わり、

またも金メダルを逃してしまったのでした。


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【ベテラン】どうやって役にたつのか
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「惜しくも銀メダル」

27歳だった南選手は、
4年後のオリンピックは体力的に無理だ・・・

金メダルの夢は後輩に託して引退しよう、
そう考えていた。


しかし、
松平監督は南選手を呼んで、

こう言った。
「次のオリンピックでは、お前は○○になれ。」と。



その言葉で、南選手は引退を留まり。
現役を続行することになった。


さて、さて、
松平監督が言った○○とは何だったのか?




松平監督は、
「南よ、次のオリンピックでは、消防車になれ」
と言ったのです。



日本チームは、
着実に力をつけてきている。

前回(東京)の銅メダル、
今回(メキシコ)の銀メダルと勢いにものっている。

このまま猛練習を重ねれば、
次の(ミュンヘン)では、
金メダルを十分狙えるだろう。


しかし、勝負師の松平監督は知っていたのです。

ピンチに陥った時、
ベテランの力が必ず必要になることを。


だから、南は消防車であり、救急車なんだと。



納得した南選手は引退せずに現役を続行、

松平監督は、
彼を全日本のメンバーとして選び続けました。



当然のように、
周りの連中やマスコミから叩かれた。

「南選手は引退だろう」
「チームの若返りをしろ」と。


しかし、松平監督は頑として
南選手をメンバーに残したのです。



さて、そんな状況で迎えたミュンヘンオリンピック。


日本は予選から絶好調だった。


何と1セットも落とさずに
準決勝進出を果たしたのです。

南選手自身は、(予想どおり)
ベンチを暖めることが多かった。

半分戦力外のようなものだったが、
でもチームが勝てばいい。


脂が乗った大古、横田、森田の活躍を
見守っていた。



「このまま順当にいけば、金メダルが獲れる」
誰もがそう思った。

おまけに準決勝は、
(弱いと言われた)ブルガリア。


誰もが日本の勝ちを予想していた。



しかし、準決勝が始まると
予想外のことがおきた。


準決勝まで、
あれだけ精密を誇った日本のレシーブが崩れだした。


それにともなって、
トスが微妙に狂い、
スパイクも空回りしだした。

「相手を甘くみた」のか、
メンバーの動きが何かおかしい。


あせっている。

頭が真っ白になっているようだった。


1セット目:日本 13-15 ブルガリア
2セット目:日本  9-15 ブルガリア
3セット目:日本  0-4  ブルガリア

(当時は1セット15点の3セット先取)


2セット連取され、
日本が負けている。


しかも、3セット目も、0-4。


まさか・・・・・


このままセットを失えば、
金メダルどころか、
銅メダル以下が確定する。



絶体絶命のピンチ。



ここで、松平監督は、
またも勝負に出た。


なんと南選手を投入したのだった。


誰もが「まさか」と眼を疑った。
信じられなかった。


アナウンサーも絶叫した。

「考えられません!」



しかし、松平監督は知っていた。
そして信じていた。


この火事場の土壇場で、
「南ならやってくれる」と。


第3セット、
0-4から試合再開。



メンバーも、
もう南選手に頼るしかなかった。


ガチンガチンの緊張のレシーブ。

なんとかセッターに返し、
トスの全てを南選手に集めた。


集まったボールを、
南選手は打った。


打って打って、打ちまくり、
そして決めた。

得点が入った。


南選手は鬼となって
阿修羅のごとく暴れまわった。


幾多のピンチをくぐりぬけた
本当の男だけが達する境地だった。



南選手の活躍で、
メンバーに、いつもの落ち着きが戻ってきた。


レシーブがセッターにきちっと返った。
トスも正確に上がった。


大古、横田、森田のスパイクが決まった。



3セット目:日本 15-9  ブルガリア
4セット目:日本、15-9  ブルガリア
5セット目:日本、15-12 ブルガリア


セット数
日本 3-2 ブルガリア



・・・・奇跡の大逆転(と呼ばれた)


日本は勝ったのだ。


泣き崩れ、大喜びするメンバー、
その中心は南選手だった。



余談ですが、
3時間以上の熱戦で
日本時間の明け方まで続いた試合は、

多くの人がTV観戦に釘付けになって、
学校や会社で遅刻者が続出したとか。



さて、準決勝を乗り切った日本は、
決勝でも南選手の活躍で東ドイツを破り、
ついに念願の

「金メダル」を獲得したのでした。


やったー!


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【振り返って】若手・中堅・ベテランの話
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日本バレーボール史に残る
「ミュンヘン金メダル」への道のり、

楽しんで頂けましたでしょうか。


いやあ、感動、感動でした。

若手とベテランの
調和の取れたチーム作りと戦略。


若手だけではピンチに弱い。

極度の緊張では、普段の力が出ない。
経験が無いからですね。


そこを補ってくれるのが、
やっぱりベテランの力。


そうだと頭でわかっていても、
調子の良いときは

ベテランは邪魔に見えてしまう。



でも、そんな幻想に惑わされることなく、
頑として南選手を
全日本のメンバーに選び続けた松平監督。


やっぱり人を見る眼があるんでしょうね。
信念の人です。


もちろん期待に答えた南選手も立派です。


「ミュンヘンの奇跡」



この教訓は、
私の人生に深くインプットされました。

ありがとう。


さて、最後に、おまけですが、
我々の仕事のことも考えてみましょうか。

ちょっと似たようなことがある気がします。


仕事でプロジェクトが成功した時は、
大抵、やっぱりエースと呼べるような、
若手のバリバリの人間が1人くらいいますよね。


システムのソースを
全部暗記するぐらいの勢いの

柔らか頭の若手の気鋭。


頼りになります。


これが、若手時代の南選手。



若手時代が終わったら、
次はお客さんとの折衝にも連れていく。

システムを開発した実績がものをいって、
お客さんは、安心して発注してくれる。


これが、中堅時代の南選手。



でも、やっぱり何かトラブルがあった時は、
ベテランだよね。


どんなトラブルにも、
落ち着いて対処するし動じない。
(普段は、控え目になってるけどね)


これが、ベテラン時代の南選手



こんな風に、
自分の仕事と重ねあわせてみても面白いです。



「若手・中堅・ベテラン」そのバランス、
今回のお話、
アナタのお仕事や人生にも生かしてみてくださいね。




では今日はこの辺で。

また次回、お会いしましょうね。



●追伸
今回の話を聞いて、
1997年のサッカーワールドカップで、
カズをメンバーから外したのは失敗だったのでは?
と思ってしまいました。

確かに地力は落ちていましたが、
南選手のような使い方もあったろうし、
出てくれば、士気もあがったろうになあ。

どうなったか見てみたかったなあ。なんて。


●追伸2
私も仕事で、マネージャーやってます。
松平監督などと比べるべくもありませんが、
人を使う、プロジェクトを成功させる、
ということでは日々悩んでいます。


・・いや、悩んだと過去形のほうがいいかも。
というのは、私が3年間悩んで、
ノートに書き留めた独自の方法論がパターン化したからです。


その方法論は、一応レポートにまとめているので、
よかったらご覧くださいね。

こちらになります。

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