ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

10人いる!

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 アーカム・テクノロジー・パートナーズ横浜ビルの3 階の一室で、チーフ・システムエンジニアの佐藤は満足そうな顔でワイヤレスイヤホンに触れ、通話を終えた。飾り気のない事務用アームチェアをぐるりと回転させる。
 「補充PO たちが到着しました」佐藤は背後に立っていた上司に報告した。「少し遅れましたが問題ない程度です」
 「間に合ったか」コーヒーカップを手にした山田は頷いた。「今、どこに?」
 「ブリーフィングルームで待機中です」
 「見せてくれ」
 佐藤はモニタに向き直るとマウスを数回クリックした。API ドキュメントが表示されていた36 インチ4K モニタに、ブリーフィングルームを天井付近から撮影した映像が表示される。防犯カメラの魚眼レンズのせいで映像は奇妙にゆがんでいた。会議テーブルとパイプ椅子がバラバラに配置され、10 人ほどの男女が思い思いの場所に座っている。年齢や服装はまちまちだが、みなストラップ付きのネームプレートを首から提げていた
 山田はメガネをかけてモニタに顔を近づけた。コーヒーカップを置き、PO たちの顔を確認するように順に見ていく。その眉間に深い縦皺が寄った。
 「確認したいんだが」山田はモニタを見つめたまま言った。「補充要員は何人の予定だったかな」
 「9 人です」すでに別のモニタに注意を向けていた佐藤は上の空で答えた。「あと6 人は欲しいところでしたが、目黒支部が渋ったもので。あそこの人事はいつも......」
 「9 人」山田は部下の言葉を遮った。「確かか」
 「確かです」佐藤はいぶかしげに顔を上げた。「何か?」
 「どうも私には」山田はゆっくり言った。「1 人多いように見えるんだがね」
 佐藤は顔をしかめてモニタに視線を移した。その顔がさっと曇る。
 「10 人いますね」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「どうも星野さん」佐藤は座りながら言った。「忙しいところすみませんね。可及的速やかに対処しなければならない問題が発生しまして」
 星野アツコは不機嫌そうに佐藤を睨んだ。5 日間の短期契約の最終日だった。
 「今度はどんなたわ言で私を騙すつもりですか」
 「たわ言とは心外ですね」佐藤は本当に心外そうに答えた。「初日のブリーフィングで我々の仕事の重要性は認識していただいたと思ったのですが」
 「私が言っているのは、仕事の重要性のことなんかではありません。私が去年のクリスマスに、ここで仕事をしていたという世迷い言です」
 佐藤は愉快なジョークでも聞いたように笑った。アツコは腹立たしげに続けた。
 「しかも、どういうわけか、私はそれを信じてしまっています。あなたが私の記憶を操作したと主張されたことを。私はプログラマです。自分で言うのも何ですが、結構、優秀なプログラマです。SF やらファンタジーやら、とにかくその手の話に心惹かれたことなんかない、クールでクレバーなプログラマなんです。その私が、別世界からの侵略だの、人類とは別の種族だのといった話をされて、どうして席を立って帰らなかったのか不思議でたまらないし、それどころかなぜか納得して仕事をしているなんて......」
 「まあまあ」佐藤がなだめるように手を振った。「ともかく話を聞いてもらえませんか」
 「聞いてます」
 「これを見てください」
 佐藤が差し出したタブレットをアツコは覗き込んだ。ブリーフィングルームが映っている。アツコがここに来たとき最初に通され、業務内容の説明を受けた部屋だ。今は10 人ほどの男女がいる。
 「さっき到着した補充PO、プログラミング・オペレータたちです。17:00 に実施される作戦に参加させる予定で、他の支部から支援要員として回してもらいました。何人いるかわかりますか」
 アツコはもう一度映像を見てから答えた。
 「10 人ですね」
 「それが問題なんです」佐藤は困ったような顔で手を組み合わせた。「本来、派遣されてくるのは9 人のはずでした」
 「一人増えたってことですか」
 「派遣元支部の担当オフィサーに確認しました。9 人なのは間違いありません」
 「どういうことですか」
 「我々は、これが敵の潜入工作だと、少なくともその前提で行動すべきだと判断しました。つまり、あの中の一人は敵によって送り込まれたスニーカーです」
 佐藤が発音した「ニ」にアクセントを置いた単語を、アツコは意訳した。
 「つまりスパイ?」
 アツコは思わず鼻で笑った。佐藤はそれを咎めることなく、言葉を続けた。
 「こっちに向かう車が、途中でトラブルに巻き込まれていたことが判明しました。前方で軽自動車とスクーターが接触事故を起こし、道路を塞いでしまったんです。ドライバーは新人で経験が足りず、PO たちが車外に出るのを止めることさえ思いつかなかったんですね。すぐに道路は通行できるようになり、ドライバーはPO たちを乗車させて出発したんですが、そのとき、すでにスニーカーが紛れ込んでいたというわけです」
 「でも」アツコは不思議に思って訊いた。「そんなの名簿か何かと照合すれば一発でわかるじゃないですか」
 「私も同じことを考えて、派遣元支部のデータを参照しました。驚いたことに、そっちのデータには10 名の名前が載っていたんです。おそらく事前にデータを改ざんしたんでしょうね。プリントアウトするということがほとんどないので」
 「データがその名簿だけのはずはないですよね。顔画像とか指紋データとかDNA情報とか、参照整合できる別データが何かしらあるでしょう。その担当者の人だって、派遣したPO の名前ぐらい覚えてるんじゃないですか?」
 「ある理由から、ATP では顔や指紋やDNA は採取しません。全員が初の実戦配備で、登録されているスケジュールは、横浜支部での支援業務のみ。それが10 名分揃っている。人事の担当者は、日に数百人の異動を仕切ってるんです。人数だけは憶えていましたが、名前や顔までは記憶していません。いつでも参照できるデータに入っているんですから、人力で憶えておく必要などないですからね。つまり、データ上では、横浜支部に10 名のPO を派遣、ということで、整合性が取れているんです」
 「担当者全員が勘違いしていて」アツコは思いつきを口にした。「本当は10 名の予定だったのを、9 名だと思い込んでいたという可能性は?」
 「ゼロではないですが、全員が同じ勘違いをするなんてあり得ないし、そっちに賭けることはできません」
 アツコは頷いた。リスクマネジメントは常に最悪を考慮しなければならない。特に多くの人命がかかっているような場合には。
 「それで、私が呼ばれた理由はなんですか」
 「簡単です。おそらくスニーカーはプログラマではない。そのふりをしているだけです。星野さんならそいつを見つけることができるのではないか、と思いまして」
 アツコは驚いて佐藤の顔を見た。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ブリーフィングルームに足を踏み入れると、10 対の瞳がアツコを見つめた。アツコは微笑みを浮かべ、心臓が口から飛び出しそうなほど激しく拍動しているのを悟られないようにした。
 「どうもみなさん」アツコは小さく会釈した。「お待たせして申し訳ありませんね。手続きが遅れているようです。もう少しお待ちください」
 控えめな不平不満の呟きが沸き起こった。アツコはさりげなくPO たちの表情を観察したが、どこにでもいそうな普通の市民のそれしか見いだせなかった。首から提げたネームプレートには、①から⑩までの番号がついている。
 『敵のスニーカーといっても』佐藤は言っていた。『中身が殺人機械やグールというわけではありません。彼、または彼女は正真正銘の人間です。自分がスニーカーであることも自覚していません。ただ、ちょっとしたリプログラミングを施されているだけです』
 「えーと」一人の男性が手を挙げて訊いた。「あなたは、ここの責任者の方?」
 「あ、私ですか。私はここに臨時で来ている者です。みなさんの様子を見てくるように言われて。何かほしいものとかありますか?」
 何人かが顔を見合わせた。
 『スニーカーは自分がプログラマだという記憶をオーバーライトされていますが、実際にはその経験はないはずです』
 「あのお」まだ若い⑧番の女性がおずおずと手を挙げた。「あとどれぐらい待っていればいいんでしょうか」
 「わかりませんが、1 時間はかからないと思いますよ」
 「端末を触らせてもらうことはできませんか? 17:00 からの作戦に参加すると聞かされています。オペレーション環境に慣れておきたいんですが」
 『スニーカーの目的はただ一つ、オペレーション端末に接した途端、超高速で指を動かして、一種のマルウェアをコーディングして流し込むことです。ボストン支部で前例があります。恐ろしいですよ、あれは。16 秒で114 KBのコードをミスなく打ち込んだんです。乗っ取られた犠牲者の指は10 本とも疲労骨折して、脳がオーバーヒート状態でした。それで支部のシステムが半分汚染され、作戦が3 日延期になり......』
 「残念ですが、それはできないんですよ。ごめんなさい」
 アツコがそう断ると、⑧番の女性は小さく頷いたが、入れ替わりに③番の若い男性が手を挙げて立ち上がった。
 「すいません。何か飲み物とか買うとこありませんか。あとスナックとか」
 『もしスニーカーが潜入していることを我々が気づいたと知れば、そいつは周囲を巻き添えにして自爆するでしょう。個別に尋問という手段を取れない理由がそれです。あからさまに、お前がスニーカーかどうか疑っている、というような態度も控えてください』
 まずは簡単なやり方から試してみるか。そう考えたアツコは、微笑みを浮かべたまま、ドアを見やった。
 「それなら、そこを出た先にドリンクとスナックのディスペンサーがあります。どちらも無料です。とはいえ、セキュリティ上の理由から全員で出るわけにはいかないので、あなたが持ってきてもらえますか。みなさん、コーヒーでいいですか?」
 残りの9 人は頷いた。
 「ではコーヒーを10 本。あ、チョコレートがあったら6 個お願いします」
 ③番の男性は何か呟きながら出て行き、数分で戻ってきた。両手で6 本の缶コーヒーを抱えている。
 「あの」アツコは③番に言った。「私は10 本って言ったんですけど。それにチョコは?」
 もちろんスナックディスペンサーにM&M とチョコバーがあることは事前に確認済みだ。③番はポカンとアツコの顔を見て、自分が買ってきた缶コーヒーの数を確認し、それから自分の職業病に気づいたように照れ笑いをした。
 ③番がもう一度出て行き、4 本の缶コーヒーと、M&M 6 つを手に戻ってきた。テーブルの上にコーヒーが並び、アツコが提供したハンカチの上に色とりどりのM&M が広げられると、室内にリラックスした空気が流れた。何人かはテーブルの上に手を伸ばし、近くの同僚と雑談を始める人もいた。
 アツコはボソボソと会話している②番と⑨番の隣に座った。どちらも30 代の男性で、弾んでいたとはいえない会話の断片から判断すると、Linux 系インフラの話をしていたようで、主導権を握っていたのは⑨番だった。アツコが座ると、②番の男性は会話を切り上げるいい機会だと思ったのか、席を立ってチョコレートが置いてあるテーブルの方に移動していった。アツコは⑨番の男性に話しかけた。
 「今日も暑いですね。怪談とか好きですか?」
 「はあ、怪談ですか」⑨番の男性は戸惑ったように苦笑した。「まあ、嫌いではないですけど」
 「ホラー映画とか観ます?」
 「いえ、それほどじゃ......」
 「ホラーといえば」アツコは⑨番の表情を観察しながら言った。「この前、システムトラブル対応マニュアル見てたんですけど、その中に、他の全ての手段を試しても復旧しなかった場合、このコマンドを打て、ってのがあって。何だと思います?」
 「さあ」⑨番は首を傾げた。「バルス、とか?」
 「ヒントは先頭が、r のコマンドです」
 「まさかそれって、rm じゃないでしょうね」
 「当たりです。rm -rf / だったんです」
 ⑨番は破顔した。
 「それ、よく笑い話にされますけど」⑨番はニヤニヤしながら言った。「--no-preserve-root つけないと実行されないですよ」
 「お、さすがですね」
 それがキッカケで、二人はインフラ系のヒヤリハットエピソードをいくつか交換し合った。⑨番はもっと話していたそうだったが、アツコは失礼にならない程度に付き合ってから席を立った。
 『元は素人でも、怪しまれない程度の偽装記憶は植え付けられているはずです。一般的なIT 用語とかですね』
 さっき席を離れた②番の男性は、缶コーヒーと数粒のM&M を手にして、壁際の席にぼんやりと座っていた。アツコは声をかけてから隣に座った。
 「インフラ系のお仕事されてたんですか?」
 「ええ、まあ」②番の男性は短く答えた。
 「具体的にはどんなことをやってたんですか」
 「まあ、その、スクリプト書いたり、cron の設定したり、複数のサーバに定期的にping を発したり、そんなことです」
 「なるほどね。開発の方は?」
 「昔、C 言語とJava を勉強しかけたんですけど。ほんの少しやったところで、インフラの方に引っ張られて」
 「ハロワで終わっちゃった感じ?」
 「そんな感じです」
 「懐かしいなあ。初めてハロワを書いたときのことを思い出すわ。world をhoge に変えたりとかしなかった?」
 「......はあ」
 だんだん応答が短くなっていく。アツコは②番に微笑みかけると「じゃ、また後で」と言って席を立った。
 『ブリーフィング時間も必要なので、60 分前には特定をお願いします。それができなければ、10 人全員を瞬時無力化せざるを得ません』
 アツコは腕時計に目を走らせた。15:24。残り時間が潤沢とは言えない。周囲を見回し、一人で座っているやや年輩の男性の横に座る。ネームプレートの番号は①だ。
 「どうも。これまでどんなお仕事されてたんですか」
 「そうですね」男性は宙に目を据えた。「金融系が多いですかね」
 「ああ、金融系は大変でしょう」アツコは演技ではない同情をこめた。「私の知り合いにも銀行統合プロジェクトに参加した人いましたけど、夜間バッチ処理のテストだけで半年以上やってたらしいですよ。異常系の考慮が全然足りなかったとかで」
 「うん、それはよくある話ですよ」①番の男性は深く頷いた。「ABEND 時の処理を考えてない、というか、考えたくないって設計者が多いんですな。私が前に関わったシステムでも全銀協フォーマット変換で失敗したことがありましたよ。あまり詳しくは言えないんですがね」
 「私はあまり金融系には詳しくないんですが」アツコは訊いた。「やっぱり銀行の合併となると、いろいろ問題が出るものなんでしょうね」
 「まあ、元々違う文化の組織がガッチャンコするわけだから、何かしら問題は出るでしょうな」
 「そういう事例はいろいろご存じなんですか? 銀行内部の話って、外部にはなかなか聞こえてこないので」
 「まあねえ」①番の男性は笑った。「やっぱり恥はさらしたくないものでしょうね。銀行は信用が第一ですから。裏では大きなトラブルがあっても、表向きには何事もなかったような顔してるもんですよ」
 「なるほど。ところで、銀行ではシステム部門は営業や企画に比べて格下と見られている、と聞いたことがありますが、そうなんですか?」
 「そうですね。部長や次長は別ですが、いわゆるSE は出世コースではないでしょうね」
 「勉強になります」
 アツコは礼を言って席を立った。
 残りは6 人。アツコは楽しそうに話をしている④番と⑦番に近づいた。どちらも20 代後半から30 代前半の女性だ。意気投合したのか、仕事の話ではなく小声で恋バナをしている。アツコは声をかけて仲間入りし、公務員の配偶者とのなれそめを多少脚色を加えて披露し、羨ましげな声を引き出した後、二人に彼氏の存在を訊いてみた。⑦番は首を横に振ったが、④番は肯定とも否定ともつかない表情になった。
 「会ってる人はいるんだけど......」④番は苦笑した。「その人と付き合ってるか、っていうとそうでもなくて。他にも定期的に飲みに行く男はいるしね」
 「へえ」⑦番は興味津々で身を乗り出した。「どっちが本命でどっちがキープ?」
 「そういうわけじゃなくて、何というかシミュレーション的な? 一人は真面目で仕事大好き人間だけどルックスがいまいち、もう一人はイケメンなんだけど正直仕事はできないの。まあ、どっちも本命じゃないってとこかなあ。将来、理想の人が現れたときのテストというか」
 「つまり」⑦番は笑った。「理想の結婚生活プログラムのstub ってわけか」
 「ああ、それそれ」④番も声を上げて笑った。「stub 彼氏って呼ぼうかな、それともskeleton ? あれ、どっちがどっちだっけ」
 「えーとこの場合......」
 二人の女性が真剣にstub とskeleton を現実世界に適用すべく議論を始めたので、アツコは邪魔をしないようにその場を離れ、端の椅子に一人でぼーっと座っている⑩番の若い男性の方へ向かった。大学生で通りそうな童顔だ。挨拶を交わし、前職について訊ねると、男性は自信なさそうな顔を向けた。
 「いや、失業中だったんです。ちょっとやらかしてしまって」
 「何をやったの?」
 「テスト部門だったんですけど、社内ルールでバグ検出率20% 厳守、ってのがあって。でも新人に回ってくるのなんてステップ数少ない単体モジュールばかりで、20% なんてどうあがいても無理で。先輩に訊いたら、バグ仕込んでおいてもらうように、実装部門に根回ししとくんだよ、って言われたんですよ。で、それはおかしい、と言ったら、たまたま部長がそれを聞いてて、試用期間終了後に不採用となったんです」
 「何のシステム?」
 「生産管理システムのリニューアルです。現行システムがVB6 だから、今回もVB6で。設計部門のリーダーがVB6 のプロなんです。会社説明には、Java やPHP やPython の開発実績多数ありってあったんですけど」
 「なかったの?」
 「あったんですけど、完全に異端者扱いでした」
 「......早めに抜け出せてよかったね」
 アツコは男性の肩を軽く叩いて席を立った。
 ⑤番の男性は40 代ぐらいで、少し神経質そうな顔をしていた。少し水を向けると、すぐに以前の職場の話を始めた。アツコと同じくフリーランスでいろんな企業に派遣されているとのことだ。直近ではJava でWeb システムの開発に携わっていたそうだが、意味のないコーディングルールに苦しめられたという。
 「Servlet のdoGet の中で完結させること、というのがあって、リクエストの処理とかDB 処理とか、残らず詰め込めさせられたんだよ。別メソッドや別クラスに切り出すのはNG。おかげでdoGet の中が6000 行とかなってたのもあったな。いわゆるMagic Servlet ってやつだね。だから共通ライブラリとか使えない。今時ありえないよ」
 「それはひどいですね」アツコは呆れながら言った。「でも、commons とかのライブラリはどうだったんですか?」
 「それが笑える話でさ」⑤番の男性は面白くもなさそうに乾いた笑いを漏らした。「そういうのも不可なんだよ。だから、ソースから使いたいメソッドを切り出して、doGet の中に組み込むんだ」
 「デバッグが大変そうですね」
 「大変なもんか。手当たり次第にコード書き換えて試してるだけだったよ。shotgun debug っていうのかね、ああいうのを」
 「そういう職場環境ってストレスたまりそう」
 「みんな目が死んでたね。でも死んでることに気づいてないんだよ。Ajax でJSON 使ってやり取りするのもNG で、JSP でコーディングさせられててね。そこのSE が言うには、枯れた技術の方がノウハウも蓄積されてるし安心なんだと」
 「上の人に言ってみるとかできなかったんですか」
 「そのSE ってのが社長だったの。90 年代のServlet 初期時代から、ずっと同じことやってて、他のやり方は受け付けない人だから。俺は契約期間終わったら、さっさと脱出したけど、風の噂でそろそろキャッシュフローがやばいらしいんだよね。あそこに10 年以上いるプログラマとか、会社がなくなったらどうなるんだろうなあ」
 「......不幸ですね」
 ⑥番の若い男性は、青白い顔に緊張を浮かべていた。アツコは当たり障りのない会話を試みたが、相手は短く相づちを打つだけで、自分から話を広げようとはしなかった。前職の話を訊いてみても「たいした仕事じゃなかったので」としか言わない。アツコは自分の失敗談を話して反応を見ることにした。
 「......それでね、int a; で宣言した変数に、Integer aa; の値を代入しようとしたんだけど、aa に何も値が入らないケースが条件によって発生するのを見落としてたんだよね。ま、当然、落ちるわけ」
 「ヌルポですね」⑥番の男性は答えた。「ありがちですね」
 「慣れても、案外、見落としやすいポイントだよね。あと、ローカル環境でうまく動作してたのを、検証環境に持って行くと動かない、ってのもよくやるんだよね。こないだもやっちゃってさ。なんでだかわかる?」
 「さあ」
 「実はプロキシサーバを設定してなかったってのがオチなんだけどね」
 「ああ」男性は頷いた。「串ですか。鯖じゃよくある話ですね」
 「君は何か、そういう失敗とか経験ないの?」
 「いえ」男性は首を横に振った。「たいした仕事はしてないので」
 ⑧番の若い女性の隣に座ったとき、16 時まで5 分を残すだけになっていた。アツコは内心の焦りを隠して相手の年齢を訊いた。
 「24 です」女性は恥ずかしそうに答えた。「まだ経験不足で。いろいろ勉強しないと」
 「若いんだから何でもすぐに吸収できるよ」
 「そうですかね。星野さんはおいくつなんですか?」
 「私? ちょっと口で言うのは恥ずかしいわね」
 そう言った後、アツコは両手を前に出した。左手を広げて「これ足す」、右手は親指、人差し指、中指を立てて「これ」と小声で言う。
 「え......」⑧番の女性は一瞬、きょとんとしたがすぐに笑顔になった。「ああ、そういうこと。つまり16 進数で、えーと、26 ですね」
 「あたり」アツコは小さく笑った。「ちょっと若く見せたい場合は、26 才って言うことにしてるの。ウソじゃないしね」
 「いいですね。じゃ、私もこれから18 って言うことにしようかな。あ、でも、26 になったらダメですね。1A になっちゃう」
 「そういうときは、先月まで19 でした、って言うのよ。私もよくやるから」
 「なるほど」⑧番の女性は深く頷いた。「プログラマの知識が婚活で役立つとは思いませんでした」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「わかりました」アツコは佐藤に言った。「たぶん、間違いないと思います」
 「誰ですか」
 「佐藤さんは誰だと思います?」
 佐藤は、先ほどのブリーフィングルームの防犯カメラ映像が映っているタブレットを見た。
 「⑥番じゃないですか」少し考えた後、佐藤は答えた。「ヌルポって普通、恥ずかしくて使わないですよね。鯖とか串とかも。上っ面のIT 用語だけ植え付けられてきたんだと思います。違いますか?」
 「違います。⑥番は単に経験がないのを隠そうと、業界用語を並べてただけです。でも、NullPointerException が何なのかはわかってないと使えないでしょう」
 「じゃあ、誰ですか」
 「②番です」
 佐藤はスマートフォンを取り出して操作した。
 「なぜですか?」
 「彼の発音、聞きましたか。cron をクロン、ping をピンと言ってました。正しい発音ですが、日本の業界じゃクーロン、ピングと言うでしょう。⑥番ぐらい若い人が独学で勉強したならともかく、②番の年齢ならそれなりの経験があるはずです。それにping を発したり、って変でしょ。普通ならping 投げるとかping 打つって言いますよ」
 「それだけで断定するのはちょっと危険な気がしますね」
 「ハロワもそうです。あまりこういう言い方はしませんが、C やJava をやったことある人なら、Hello, World のことだとわかるはず。hoge も日本の業界で仕事してたなら、目にしたことがない方が珍しいでしょ。なのに②番はキョトンとしてました。オーソドックスなIT 用語じゃないので記憶してなかったんです」
 佐藤は頷いてスマートフォンに言った。
 「②番の男性だ。すぐ、隔離措置を取れ」
 通話を終えた佐藤は、タブレットに視線を移した。アツコが覗き込むのと同時に、ドアが開いて柔和な顔の初老の男性が顔を出した。男性は②番に呼びかけると、穏やかな表情で何かを話しながらブリーフィングルームの外へと連れ出していった。
 安堵の表情を浮かべた佐藤に、アツコは言った。
 「それからおそらく①番もです」
 「え?」佐藤は慌ててタブレットを見直した。「①番ですか?」
 「ええ、怪しいです」
 ①番の男性は、②番が出て行ったドアをじっと見つめていた。
 「でも」佐藤は視線をアツコの顔とタブレットの両方に忙しく動かしながら訊いた。「金融関係の経験者に聞こえましたよ」
 「それらしく聞こえましたが、私が銀行合併のトラブルについて水を向けたのに、みずほ銀行の大トラブルの話に、一言も触れようとしませんでした。少しでも金融系のシステムに携わった経験がある人間なら、知らないはずがない大事件です。それに、銀行でシステム部門が冷遇されていたのは過去の話ですよ。みずほのトラブルをキッカケに、システム部門の重要性は見直されているんです」
 「......」
 「たぶん①番の人は、多少、銀行業務に携わったことがある人なんですよ。そこに、システム系の知識を上乗せした。ABEND なんてのは、主にホスト系で使われた用語ですからね。でも実例までは書き込んでなかったんでしょう」
 「つまりスニーカーは二人だったと?」
 「どっちかが発覚しても、もう一人に情報テロを起こさせるつもりなんじゃないですか? とにかく、隔離措置ですか、急いだ方がいいと思いますよ」
 アツコはタブレットに顎をしゃくった。①番の男性が立ち上がり、天井に向かって両手を差し上げたところだった。口が大きく開き、何かを唱えているようだ。
 「至急至急!」佐藤はスマートフォンに怒鳴った。「即応チーム、①番を制圧。物理的手段を許可する。急げ」
 ブリーフィングルームの壁の一部がいきなりスライドし、スーツ姿の4 人の男が飛び出した。あらかじめ位置を把握していたらしく、4 人は迷うことなく①番の男性に急迫した。口にマスクのような器具を押し込み、両手を背中に回して拘束する。①番の男性の身体は、そのまま荷物のように抱え込まれ、壁のドアの中に消えていった。わずか数秒の出来事で、残されたPO たちは茫然と立ち尽くしているだけだ。
 「他に怪しい人はいませんでしたか?」
 スマートフォンを耳に当てたまま佐藤が訊いた。アツコは首を横に振った。
 「私にわかる限りでは」
 佐藤は頷くと、スマートフォンに言った。
 「残りの8 人にブリーフィングを開始しろ......ああ、わかっている。そっちは何とかする」
 アツコは佐藤が通話を終えるのを待って立ち上がった。
 「さて、私は仕事に戻らせてもらいます。といっても」時計に目を走らせた。「もうすぐ終わりですが」
 「そのことですが」佐藤はスマートフォンを手の中でもてあそびながら言った。「少しばかり残業していただくことはできませんか」
 「残業......どんな仕事ですか」
 「さっきの8 人と一緒に17:00 からの作戦に参加してもらいたいんです。予定より一人減ってしまったもので」
 「私のせいみたいに言わないでください」
 「もちろん、そんなつもりはありません。助けると思って、お願いできませんか。ほんの少しですから」
 「......まあ」アツコは渋々頷いた。「少しぐらいなら」
 「助かります」佐藤は嬉しそうに立ち上がると、アツコの背をドアまで押していった。「ブリーフィングの場所は3A です。作戦の内容は、今日までやってもらっていたことと、ほとんど同じですから」
 「終わったらすぐ帰してもらいますよ」アツコは釘を刺した。「それから、もちろん超過分は請求しますから」
 「もちろんです」
 「あ、それから」アツコは慌てて付け足した。「今回は、記憶を勝手に操作するようなことは止めてくださいね」
 「約束します」佐藤はアツコをドアから押し出した。「急いでください」
 アツコが出て行くと同時に、別のドアから山田が入ってきた。
 「作戦には少なくとも10 時間を要すると言わなかったな」
 「訊かれなかったので」佐藤は舌を出した。「なに、ここを出るときには忘れていますから」
 「非人間的な敵と戦うために、非人間的な手段を取らなければならんとは。矛盾している気がしてならんよ」
 「優秀な人間に仕事が集中するのは、うちの組織に限ったことではないでしょう。彼女は優秀です。どこかのSIer の間抜けなマネージャの下で能力を浪費するより、よほど有意義だと思いますよ。それより、何が目的だったんですか」
 山田は部下を見つめた。
 「何のことだね」
 「この一件、あなたの仕込みですよね。リークを確認しました。最初からスニーカーが混ざっていることを承知していたんですね。なぜです?」
 「星野アツコをフルタイムのスペシャリストとしてスカウトするためだよ」山田は悪びれずに言った。「一種の採用試験だ。さっきの一部始終をスカウト部も見ていた。全員一致で採用に賛同したよ」
 「そんなところだろうとは思っていましたが......彼女に話しますか」
 「いや」山田は薄く笑った。「別の手段を考えている」
 「なんですか」
 「いずれわかる」
 山田は表情を消すと出て行った。佐藤は肩をすくめると、モニタに目をやった。ブリーフィングルームで他のPO と一緒に作戦のブリーフィングを受けているアツコが映っている。何も知らないその横顔には、プロフェッショナルとしての矜恃が刻まれていた。

(終)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 エンジニアライフ10周年、おめでとうございます。
 何か10 にちなんだショートストーリーを、とお願いされ、最初に浮かんだのが、古典的SFコミック「11人いる!」でした。萩尾望都の代表作です。

 この話の主人公、星野アツコさんは、あちこちに顔を出しているキャラクターです。中には、名前だけ、という場合もありますが。アーカム・テクノロジー・パートナーズって何をやってる組織なのか、敵って何なのか、ということをご存じない方は、彼女のクリスマスエピソード、

星野アツコのプログラミングなクリスマス(1)
星野アツコのプログラミングなクリスマス(2)
星野アツコのプログラミングなクリスマス(終)

を併せてどうぞ。

Comment(24)

コメント

yellowKnife

新作来ましたね!
ラブクラフトネタ大好きなので、期待しております。

夢乃

再びの登場、謎企業。相変わらず、この組織は約束を守る気がありませんね、機密保持部分に関しては(^^)
 
ところで、この企業の上位組織のつづきも読みたいな、と思っています。彼ら、特に主人公のハミン・・・くぁwせdrftgydふじこlp

朝の通りすがり

朝本当に通りかかってやった!
要チェックです。

匿名

祝掲載!1話ものSSは想定しなかった。

タイトルでニヤリ…だが、そう来たかっ!
アーカムに巻き込まれたアツコさんの戦いは、「続・10人いる」?

またしばらくお預けかな。次回掲載を楽しみにしております。

朝の通りすがり

朝本当に通りかかってやった!
要チェックです。

匿名

長編始まったかと思ったら終わってしまった。
10周年の短編の方にアーカムテクノロジー編が回ってきたんですね。ということは次は…?


一人は真面目で仕事大好き人間"だけ"ルックスがいまいち→"だけど"
26 に"なたら"ダメですね。1A になっちゃう→"なったら"

ウィッカーマン

これ、なんで敵側は最初から2人消して二人追加しなかったんだろう?
その方がミッションの成功率上がっただろうに。

A.Williams

タイトルが秀逸すぎるわ。「0b10人いる!」ですね

匿名

突然の短編うれしいです!
この話とZ編とつながっていったらおもしろいなぁ。

たぶん格助詞間違いでは。
「私にせいみたいに言わないでください」→私のせい

匿名

タイトルが本当にお見事。年齢のくだりがちょっとした伏線でしたね

匿名

16進数がよくわからなかった。左手広げて5で右手の3*16足して53?逆でも83のような。次のくだりで26で1Aになってだめだなってあるわけで…
16*2+5で37あたりが妥当なのかな

匿名

すいません。自己解決しました。2進数から16進数に変換してますね。10進数でさんじゅうは…おっと誰か来たようだ。

N

「クロン」「ピン」派だからアツコさんにダメだされてしまう私…
さすがに「発する」は使わないけど

リーベルG

匿名さん、ご指摘ありがとうございます。

em

ネットワークに乗ってないダミー端末渡せばいいんじゃないのかな
って思いました

匿名

業界の人はピングって言うなんて知りませんでした。

潜水艦の探信音だから、ピンのほうがイメージに合う気がします。pingコマンドを教えてくれた人がピンって呼んでたからかな。わざわざ「ソナーにはパッシブとアクティブが」ってところから説明してくれたのが刷り込まれてて。

アツコさん、もっと若いイメージだったけど、中学生の娘がいるならそんな年齢ですよね。

匿名

ピン打つ、とは言うなあ(ピにアクセントはない。)
発するは言わないけど。

ネットワーク系の人かアプリ系の人かで傾向あるかな。

kyou

コーヒー6本のくだりで、「流石に現実にそこまで職業病のやつはおらんだろー」と思いましたが
「オーバーライト」を「あれ?オーバーライドじゃないの?」と思ってしまったあたり、やはり職業病かもしれない

匿名

自分もピン、クロンって発音するなあ。ピング/クーロンって発音するひともそれなりに見かけるけど

名無し

ピングなんて、大手のSIerの実務能力のないSEが使っているだけで、プロはピンでしょ。
cronをクーロンなんて聞いたことない。

インフラSE

うちはピング、クーロンですね。
ピング、クロンと言ってる人は、みたことないなあ。結構、大手のメーカーの人とも思考するけど同じです。
変にピンとか言うと、通じないことがあるので通りがいい言い方が市民権得てるんでしょうね。
考えてみると、こういうのって結構ありますね。
木星の衛星もイオだし。最初に発音する人の責任は重い。

インフラSE

間違えた。
>ピング、クロンと言ってる人は、みたことないなあ。結構、大手のメーカーの人とも思考するけど同じです。

ピン
仕事

です。

N

すみません。「6本の缶コーヒー」の職業病が分からないです。
ここで聞くのはヤボだとは思いますが、どなたかヒントを頂けませんでしょうか?

N2

>すみません。「6本の缶コーヒー」の職業病が分からないです。

たぶん、「プログラマ狩り」でググると、パンと卵の話が見つかると思います。

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