ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

魔女の刻 (28) クリスマスの惨劇

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 出典は忘れてしまったが、シェスタという羨ましい習慣を持つスペインには、「寒さが厳しく、日も短い12 月は、暖かい部屋で眠るのが最良だ」という言い回しがあるそうだ。意訳するなら、12 月は仕事を控えめにしようぜ、ということだろう。実際にスペイン国民が12 月に仕事量を減らすのかどうかは知らないが、12 月を「師走」などと呼んで忙しく駆けずり回っている日本とは真逆の発想だ。少なくとも私には、社会人になってから、12 月がヒマだった、という記憶がない。3 月末カットオーバーで一定以上の規模のプロジェクトに関わると、12 月ぐらいから作業量が急激に増えることが多いからだろうか。
 くぬぎ市再生プロジェクトでも12 月は仕事量がピークに達していた。アサインされるチケットは、実装よりも単体テスト、結合テストの割合が増え、その分、作業量も増大しているためだ。
 本来なら結合テストを行う前提として、単体テストが完了している必要があるが、スケジュールの大幅な遅延のため、その条件は満たされていない。そのため、結合テストの担当者は、まず不足しているコンテナのモックアップを作ることから始めなければならなかった。モックアップコンテナの実装のチケットなどは発行されていないから、各プログラマの判断で作成することになり、これが結合テストの混乱を招く結果となった。単体テストが完了したコンテナを、モックアップコンテナと差し替えて、再度テストしたときに、前回のテスト結果と大きく異なったケースが多発したためだ。
 結合テストのプランニングを担当していたのは今枝さんだったが、進捗状況の予測と実績の乖離が広がるにつれて、焦燥の色を濃くして、毎日のようにテスト担当者を呼び出しては事情を説明させていた。今枝さんはオーダーテイカーというより、サブリーダーの一人のような扱いになっていたが、おそらくエースシステム社内の政治的な理由によって、白川さんの次席の位置を確保していた。だが、長期的なプロジェクトの完成よりも、目の前の自分のメンツを優先するようなところがあり、私たちは実装やテストとは別の苦労を強いられていた。
 12 月の初め、アサインされた結合テストで不明点があったため、私は今枝さんの席に出向いた。
 「このデジタルホワイトボードからのメッセージ送信ですが」私はタブレットを見せながら訊いた。「リレーコンテナの仕様はどこにあるんでしょうか」
 「リレーコンテナ?」今枝さんは目を細めてタブレットを覗き込んだ。「何、それ。これ、ホワイトボードから生徒のタブレットにデータを送信する仕組みでしょ。ホワイトボードのミドルウェアのコンテナと、タブレット側のコンテナはどっちもできてるじゃない」
 なぜ、プログラマの私が、サブリーダーの今枝さんに仕様を説明しなければならないのか、という疑問を抱いていたのは、今は昔、だ。
 「ホワイトボードから直接タブレットにデータを送ってるわけじゃないんです」私は辛抱強く説明した。「一度、サーバに蓄積された後、タブレット側にプッシュ送信されるんですよ。リレーコンテナは、サーバとタブレットの通信を介在するコンテナです」
 正確に言うなら、サーバ側とタブレット側、それぞれにFCM(Firebase Cloud Messaging) の実装となるコンテナが必要なのだが、たぶん今枝さんには通じないだろう。
 「それ、何か誤解してるんじゃないかなあ」案の定、今枝さんは首を傾げ、タブレットを指で弾いた。「ここに書いてあるのが全てだと思うよ。もう一度、確認してみて」
 以前の私なら、あるいは東海林さんなら、ここで食い下がって、リレーコンテナがなければ結合テストができないことを説明しただろうが、すでに今枝さんの扱い方を学習していた私は「わかりました。確認します」と言って、引き下がった。ちらりと振り返ると、今枝さんが、猛烈な勢いでキーを叩いているのがわかり、私は満足して自分の席に座った。2 時間後、更新されたテスト仕様書が届き、そこには不足していたリレーコンテナのモックID が載っていた。
 万事がこの調子なので、私たちは先行きに不安を感じずにはいられなかった。そのうち白川さんが介入してテストプランを練り直すのでは、との期待があったが、なぜか白川さんは、今枝さんに一任したまま、口を挟もうとしなかった。相変わらず、ほとんどの時間をコマンドルームで過ごすか、そうでなければ市役所での長時間の打ち合わせに出ていて、私たちがその姿を見るのは希だった。まるで開発の進捗に興味を失ってしまったかのようだったが、そうでないことは、時折、各プログラマ宛に届くメッセージが示していた。ほとんどが結合テストのチケット内容を的確に補足した内容だった。
 「どうやら白川さんは、Vilocony の設定にほとんどの時間を費やしているみたいだ」
 草場さんが教えてくれたのは、ある日のランチの席だった。この日は草場さんと蕎麦を食べに来ていた。
 「白川さんでも手こずるのね」私は山菜そばをすすりながら言った。「どんだけ、複雑なんだか」
 「Vilocony 自体、まだ完全とは言えないらしいからな」草場さんは天ざるの大盛りだ。「エースシステムの開発チームに修正させながら、設定をやってるんだってさ」
 「それはどこ情報? 鳩貝さん?」
 「それは企業秘密」草場さんは笑った。「というほどじゃなくて、実は、佐野さんが一戸さんにぼやいてたのを、八木橋さんが耳にしたんだって」
 東海林さんが言った通り、プログラマたちの草場さんへの態度は、以前と変わらないものに戻っていた。ブレイクルームなどで談笑している姿を目にすることもあり、私もひそかに胸をなで下ろしていた。
 その後は仕事以外の話で楽しいランチタイムを過ごしたが、店を出るとき、草場さんは思い出したように言った。
 「そういえば、年末に市議会向けにKNGSSS のデモをやるとか言ってたな」
 「へえ。でも、テスト環境は使えないわよね」
 結合テストにはVilocony 環境が必要になるため、テスト環境が使用されている。個別のテスト用に、部分的にコンテナをアップしているだけで、KNGSSS として動作する環境ではない。
 「うん。だから、昨日ぐらいからproduction 環境で準備を始めたらしいよ」
 「今枝さんがやってるの?」私は少し驚いた。「大丈夫かな」
 草場さんはキーを出してフィットに向けながら肩をすくめた。
 「まあ、設定自体は白川さんがやるんだろうから、心配はいらないと思うけど」
 「今枝さんじゃ無理だろうしね」
 そう笑った私だったが、翌日には今枝さんを笑っていられなくなった。production 環境作成のヘルプ要員にアサインされたのだ。私の他に、御津ソリューションズの溝田さん、多摩アプリケーション開発の畠さん、ユミさんが担当となった。数名の市議会議員が12 月25 日に開発センターを訪れ、KNGSSS のデモを行うことになっている。デモの担当は今枝さんだ。
 「本来なら高杉さんか白川さんの役目なんだろうけどね」今枝さんは得意そうに言った。「今回はぼくが大役を仰せつかったってわけ。よろしく頼むよ」
 私たちは顔を見合わせたが、単に舌がよく廻るからだろう、という内心の思いを言語化することはなかった。
 「ま、あんたらは僕の指示に従って、結合テストが終わったコンテナをアップロードしてもらえばいいんだけどね」
 それだけでなぜ4 人も必要なのか、と思っていたら、Vilocony 環境に1 つのコンテナをアップロードしたら、必ず全部の機能を通してテストすること、と告げられて、うんざりさせられた。
 「テストと言われても」ユミさんが訊いた。「通しでテストできるほど揃っていないと思いますけど」
 「だから、揃った分からテストするってことだよ。コンテナ1 をアップロードしたら、コンテナ1 をテスト。コンテナ2 をアップロードしたら、コンテナ1 とコンテナ2 をテスト、って具合にね」
 「いえ、そういうことじゃなくて」ユミさんは苛立ちを隠そうともしなかった。「モックでテストしているコンテナだと、アップロードしても無意味じゃないですか、ってことですよ」
 「それは後で何とかするからさ」今枝さんは会話を打ち切るように立ち上がった。「とにかく、クリスマス前には一通り動く環境を作ってよ」
 「アップロードするのはいいんですが」私は慌てて訊いた。「それだけじゃ動かないですよね。コンテナコーディネータの設定はどうなってるんですか」
 「デモするのは、デジタル教科書とノート部分、デジタルホワイトボードとの連携部分、その他、教師用のコントローラ部分かな。そういう目立つ部分だけで、その分の設定を白川さんが優先してやってるよ。そっちは任せておけば大丈夫だから。じゃ、そういうことでよろしく」
 白川さんが関わってくれているなら、とひとまず安心した私たちだったが、すぐにその見通しの甘さを思い知らされた。テストを開始した2 日後、テストをしていたユミさんがいきなり席を立つと、サブリーダーの佐野さんの席に突進していったのだ。
 「すみませんが」ユミさんは噛みついた。「さっきproduction 環境にコンテナをアップロードしましたか」
 「ああ?」佐野さんはムッとしたように答えた。「したけど、それが何か」
 「何かじゃないですよ。今、production 環境のテストしてるのを知ってますよね。そっちで適当にアップロードされたら、テストのやり直しが必要になるじゃないですか」
 「こっちはこっちでテストしてるんでね」
 「テスト環境でやればいいじゃないですか」
 「結合テストのやり直しが発生したコンテナを反映したまでだよ。デモに必要な機能だからね。最新版の方がいいだろ」
 「それならそれで、テストチームに一報してもらえませんかね」
 「ああ、わかったわかった」佐野さんはうるさそうに手を振った。「忙しいから、もういいかな」
 ベジタリアンのユミさんは、獰猛な肉食獣のように剣呑な表情を浮かべたが、佐野さんはすでにユミさんを無視してモニタに向き直っていた。それを見て、それ以上の抗議を断念したのか、ユミさんは足音も荒く自席に戻っていった。
 その後、ユミさんは今枝さんに同じ内容を訴えたが、今枝さんは困ったような顔でこう言っただけだった。
 「まあ、最新版の方がいいのは確かだからさ。それでテストしてよ」
 夕方、production 環境テストチームは会議室に集まり、対策を話し合うことにした。他に誰も聞いていないこともあって、打ち合わせは、まずユミさんがエースシステムのサブリーダーたちをこき下ろすことろから始まった。
 「テストしてても、途中で勝手にproduction 環境にアップされたら、その日の一連のテストがムダになるじゃないの。それぐらいわかんないのかな、あいつらは」
 「俺たちの話を聞こうともしないしな」畠さんも言った。「そういう意味だと、新美さんは、まだマシだった」
 私は頷いた。純粋にサブリーダーとしてだけを見るなら、新美さんは私たちプログラマの意見や具申に、真剣に耳を傾けてくれる人だった。もっとも、そんな態度自体が、Q-LIC から指示されていた演技だったのかもしれないが。
 ユミさんは、ひとしきり文句を吐き出した後、ため息をついて気分を切り替え、現実的な提案を行った。
 「SVN にリポジトリを作ってもらって、テスト対象のコンテナをコミットしておくのはどう?」ユミさんは私たちの顔を見回した。「日中に誰かが勝手にアップロードしやがったら、その日の朝時点に戻しちゃえばいいし」
 私たちは賛成し、細かいルールを決めた。毎朝、6:00 にproduction 環境にアップされているコンテナ一式をバックアップし、SVN にコミットするバッチ処理を設定する。5 分単位でproduction 環境のコンテナ更新日時をチェックするシェルスクリプトを走らせ、コンテナがアップロードされたらテストチームに通知する。通知があったら一旦テストを中断し、その日のバックアップからリカバリーする。対象のコンテナに関しては、テストが終わった後、改めてproduction 環境にアップロードする。
 「これ、いいと思うけど」溝田さんが首を傾げた。「今枝さんがオッケーするかな」
 「詳しい理由は話さなければいいんじゃないかな」私は言った。「バックアップを強化するためとか何とか言っておけば。別にウソじゃないしね」
 この案は実行に移され、私たちはテストを安心して進めることができた。結果的にこの安心感が仇になったのだが。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 テストは順調に進み、12 月22 日には、市議会向けデモの項目として上がっている機能については、ほぼ正常動作することが確認できた。まだモックのままのコンテナもあるが、その部分はデモの責任者である今枝さんが説明する予定だった。
 23、24 日の土日は、クリスマスイブということもあって、出勤予定に空白が目立った。私もテストが一段落したこともあって休みにしたが、残念ながら草場さんは24 日に出勤となり、私は23 日に家族で過ごす約束があったので、クリスマスデートはお預けとなった。新婚の細川くんは当然のように25 日まで休み、東海林さんは毎年この時期に臨時で頼まれている仕事があるとかで、やはり25 日まで休みだった。
 12 月25 日の朝、全身にフライドチキンと生クリームとイチゴが詰まったような気分で出社したのは、9 時を15 分ほど過ぎた時刻だった。いつもより空席が目立つ。最終確認のため一連のテストを開始した私は手を止めて首を傾げた。何度か確認した後、私は畠さんの席に向かった。
 「production 環境、おかしくないですか」
 「うん」畠さんは頷いた。「俺も今、気付いた。イニシャルメニュー、出ないよね」
 KNGSSS にログインするとイニシャルメニュー画面が表示されるはずだが、今朝はまっ白な画面が表示されるだけだった。
 「昨日、来たんですよね」私は畠さんに訊いた。「テスト終わったのは何時ぐらいです?」
 「昼過ぎに開発センターに来て」畠さんは考えながら答えた。「19 時過ぎぐらいに退社した。その時点では正常に動作していたよ」
 「ということは」私は腕を組んで考えた。「それから今朝までの間に、誰かが中をいじったのかな」
 「でもアップロードチェックの通知は来てないよ」
 「それもそうですね」
 私たちがどういうことかと顔を見合わせていると、出社したばかりの今枝さんが、呑気な顔でやってきた。
 「やあ、おはよう。デモの準備はOK かなあ」
 「それが......」
 私と畠さんが事情を説明すると、今枝さんの顔はみるみるうちに狼狽に歪んだ。
 「ちょっと冗談だろ何とかしてくれよ10 時からデモなんだぞわかってるだろ何でそうなるんだよ! だいたい君たちさあ......」
 「落ち着いてください」私は今枝さんの無益な言葉の奔流を遮った。「とにかく調査しますから」
 やがてユミさんと溝田さんも出社してきたので、4 人で手分けしてproduction 環境の構成をチェックした。異常な部分はすぐに発見された。
 「これだ」溝田さんが私たちを呼んだ。「メニュー項目表示コントローラのコンテナがデグレしてる。誰だよ、これアップロードしたの」
 私たちの権限では、production 環境のコンテナ詳細プロパティは参照できない。私はそわそわしながら自分の席で待っている今枝さんにコンテナID を伝え、詳細プロパティの参照を頼んだ。
 「えーと、昨日の20:19 にアップロードされてる」
 「誰がアップロードしたんですか」
 「佐野だ」今枝さんは佐野さんの席を見たが、すぐに何かを思い出したような顔になった。「ああ、くそ、今日は有休だった。くそ」
 「とりあえず前日分のバックアップからコンテナをアップロードします」私はなだめるように言った。「これで実行できると思いますから」
 すでにユミさんが作業を開始していた。バックアップ全体を戻すのは時間がかかるので、開発用のリポジトリにあったソースからコンテナを生成して、production 環境にアップロードしたのだ。数分後にはイニシャルメニューが表示されることが確認され、私たちは一息ついたが、ユミさんは怒りが収まらない様子で呟いた。
 「どうやってチェックをすり抜けたのかしら」
 「もう一度、全部テストしてくれよ」今枝さんは原因よりも、デモの方が気になるようだった。「ほら、時間ないからさ」
 私たちが自分の席に戻ったとき、高杉さんが優雅な足取りで入ってきた。クリスマス休暇かと思っていたが、さすがにクライアントが臨席するデモとあって、今枝さん一人に任せておくのは不安だったのだろう。
 「今枝」高杉さんは呼びかけた。「デモの準備は?」
 「はい、今、最終テストを指示したところです」
 「問題はないのですね」
 「大丈夫です」
 そう言った途端、狙いすましたかのように畠さんが声を上げた。
 「今枝さん、ちょっと。また表示されない画面があります」
 今枝さんは青くなって畠さんの席に飛んでいった。高杉さんも眉をしかめて同じ場所に向かう。
 「どれですか」私は自分の席から訊いた。
 「デジタルホワイトボード。エミュレータに出ない」
 開発センターには、production 環境に接続できるWi-Fi 環境はないので、私たちがテストするときは、あらかじめ準備されたエミュレータで行っていた。私はブラウザを起動すると、テスト用の教師ID でログインしてからエミュレータを表示してみた。仮想ホワイトボードが描画されたが、本来表示されるべきアイコンが全くない。
 「今枝」高杉さんは非難の口調で言った。「問題はないわけではなさそうですね」
 「は、大丈夫です」今枝さんは根拠もなく保証した。「すぐに解決します」
 その言葉が消えないうちに、ユミさんが叫んだ。
 「あ、まずいの発見。デジタル教科書、リンクがテスト用に戻っちゃってるよ」
 「なんだよ」泣きそうな声になりながら、今枝さんはそれでも彼なりに事態の収拾を図った。「とにかく動くようにしてくれよ。頼むよ」
 私は時計を見た。9:31 だ。
 「時間ないですね」私は今枝さんを無視してテストチームに言った。「とりあえず土曜日の朝のバックアップから戻しますか」
 「ギリギリだなあ」溝田さんが難色を示した。「戻すのに15、6 分はかかるだろ。チェックする時間がないなあ」
 「でも金曜日の夜にテストを終えた時点では、どの機能も正常に動作してたでしょ」ユミさんが言った。「テストは必要ないんじゃない?」
 畠さんが髪の毛をかき回しながら唸った。
 「気になるのは、佐野さんがコンテナをアップロードした方法なんだよな。チェックに引っかからずにアップロードしたとしたら、他のコンテナもアップロードしてるかもしれないだろ。例えば、デジタルホワイトボードの機能テストを俺たちが終えた後に、関連するコンテナをアップロードしてあったら、そこのチェックは終わってないことになる」
 私たちは沈黙し、他の選択肢を考えた。バックアップからリカバリした後、各コンテナの更新日時をチェックしている時間はない。各機能のテストをやっている時間もない。イニシャルメニューの場合は、比較的、他との関連が薄いコンテナだったのでリカバリーできたし、テストもすぐ終わったが、たとえばデジタルホワイトボードなどは、リレーコンテナも含めて、多くの関連コンテナが存在している。その全ての依存性をチェックしている時間はない。そもそも、あれこれ考えている時間そのものがない状況だ。
 短い相談を終え、私が今枝さんと、その背後に立っている高杉さんに状況を伝えた。
 「一番、マシな可能性は、土曜日の朝のバックアップからリカバリすることです」
 「それで動くようになるんだな」
 今枝さんは藁にすがりつくような顔で言い、すぐにでも実行を命じそうだったが、高杉さんは納得しなかった。
 「確実に動作する保証はあるのですか」
 「ありません」私は認めた。「だからマシな可能性と申し上げたんです」
 「他に方法はないのですか」
 「時間ギリギリまでチェックを続けて、動作がおかしいコンテナの修正を行うことはできます。ただし、修正そのものが新たな問題を引き起こさない保証はないですし、もっとありそうなのは時間切れになることです」
 高杉さんは考えこんだが、決断を下すまでの時間は数秒だった。
 「今日のデモは中止とします」高杉さんはそう告げると、今枝さんを冷たく睨んだ。「デモを強行してみっともないエラー画面などが出るぐらいなら、延期した方がまだマシです。今枝、市議会の方にはあなたから連絡してください。よろしいですね」
 反論しようとした今枝さんは、高杉さんの表情を見て言葉を呑み込んだ。力なく頷いたときドアが開き、何人もの人影がドヤドヤと入ってきた。
 「やあやあ、みなさん」先頭にいた弓削さんは陽気な声を開発センター内に響かせた。「メリークリスマス。今日のデモを楽しみにしていましたよ」
 日付を考慮してか、上から下まで赤と緑のコーディネートで固めた弓削さんの後ろには、スーツ姿の7、8 人の男女が続いていた。市議会議員の方たちだ。物珍しそうに開発センター内を見回している。
 高杉さんに促されて、今枝さんは訪問者に事情を説明し始めた。話を聞いた市議会議員の方たちは残念そうに頷いただけだったが、弓削さんは鬼の首でも取ったように勝ち誇った声を張り上げた。
 「あー、そう。システムのバグでデモは中止。そういうことですか」他人の不幸は蜜の味、とばかりに、弓削さんはわざとらしく嘆いた。「この日のために、市議会の方々に多忙な時間を割いていただいたというのにねえ。市政アドバイザとして慚愧に堪えませんな。それにしても、IT のプロであるエースシステムさんでも、こういう不手際があるんですねえ。3 月末には完成披露セレモニーがあるんですがねえ。それはさすがに大丈夫なんでしょうなあ」
 一言も反論できないでいる今枝さんを、弓削さんは嘲笑するように一瞥すると、議員たちを促して開発センターから出ていった。ドアが閉じ、残ったのは笑い声だけだった。
 高杉さんの顔に浮かんでいたのは、どんなに鈍感な人間でも見間違えることがないほど明瞭な怒りだった。その矛先は弓削さんではなく、力なく立ち尽くす今枝さんに向けられていた。
 「今枝。速やかに発生した原因を突き止め報告しなさい。よろしいですね」
 「は」今枝さんは悔しそうに頷いた。「佐野が昨日何か......」
 「言い訳は結構」高杉さんはピシャリと部下の発言を封じた。「責任転嫁も聞きたくありません。私が必要としているのは事実だけです」
 そう言い残すと、高杉さんはフリーアクセスの床を踏み抜きそうな勢いで出て行った。よろよろと自席に戻った今枝さんの顔は、気の毒なぐらい蒼白だった。きっと、人生で最低のクリスマスだ、とでも考えているのだろう。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 この騒ぎでも、コマンドルームにいたはずの白川さんは姿を見せなかったが、仮に問題解決にあたってくれたとしても、高杉さんと同じ結論を出しただろう。だが、この事態を軽視しているわけではないことは、午後になってから白川さんから全員に届いたメッセージで明らかになった。メッセージを読んだユミさんは、呆れた声を出した。
 「管理者権限でいじったら、そりゃ何でもできちゃうわよね」
 私たちが作成したシェルスクリプトでは、毎回コンテナの更新日時を記録しておき、次回のチェック時に、現状のコンテナの更新日時と比較することで、新規のアップロードを認識するようになっている。佐野さんはその仕組みを調べて、管理者権限でコンテナの更新日時を変更したらしい。cron の停止もできるから、チェックスクリプトが実行されないようにした上でだ。
 翌日、青い顔で出社した佐野さんは、会議室で高杉さんと今枝さんからたっぷりと時間をかけて事情を訊かれていた。昼過ぎに解放された佐野さんは、廃人のような顔で何も言わずに早退していった。
 「今にも死にそうな顔ですね」細川くんが驚きながら囁いた。「何やったんですか」
 その後、今枝さんから、事の次第が告げられた。数日前、佐野さんは自分が承認した結合テスト結果に誤りがあることに気付いた。その時点で素直に再テストを指示すればよかったところを、佐野さんは自分で解決する道を選んだ。失敗を嫌うエースシステムの風土によるものなのか、自分の上からあれこれ指示する今枝さんに対する反発からか、それはわからない。とにかく、佐野さんは単体のコンテナの仕様変更のチケットをいくつも切り、上がってきた分から、production 環境にアップロードするということを繰り返していたらしかった。
 もちろん佐野さんは、デモまでに辻褄を合わせておくつもりだったが、付け焼き刃での構成がうまくいくはずもなく、作業は難航した。半ばパニックに陥った佐野さんは、24 日の夜、プログラマたちが帰宅した後で、大量のコンテナをproduction 環境に反映した。クリスマスの奇跡を祈るような気持ちだっただろうが、テストをしてみたところ、あちこちで不整合が発生し、起動すらしなくなってしまったらしい。佐野さんはやむなく、数世代前のコンテナに戻して起動する状態を復元した後、いくつかの最新版コンテナをはめ込んでいった。夜通し試行錯誤を続け、何とかひととおりの構築を終えたとき、すでに朝日が昇っていた。白川さんが早朝に出勤してきたとき、佐野さんが席にいたら、何をしていたのか問い詰められることは必至だ。佐野さんは最後のテストを放置して、急いで開発センターから出たのだった。
 「もう来ないんじゃないか、あの人」東海林さんが気の毒そうに言った。
 その予想通り、私たちが佐野さんの姿を見ることは二度となかった。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。

Comment(24)

コメント

西山森

>高杉さんの顔に浮かんでいた、どんなに鈍感な人間でも〜
高杉さんの顔に浮かんでいたのは、どんなに鈍感な人間でも〜

東海林さんがクリスマスの時期に臨時で頼まれてる仕事っていうと、アレかなぁ…。

へなちょこ

過去の修羅場を思い出して胃を締め上げられるな感覚になります。
これからますます厳しい環境になっていくのでしょうし、
読むのが怖いような楽しみなような。

匿名

運用管理の人はプログラマと別に作るべきですね。
エースシステムくらい潤沢にリソースあるなら管理者権限を持つ第三者的管理者を置くべきだった。

匿名

星野さんと一緒にみんなに幸せを配ってくるんでしょうね。
ちょいネタ嬉しくなりますねw

匿名

誤)「それは後で何とかするからさ」
正)「それは後で何とかしてもらうからさ」


誤字修正申告じゃありません、念の為。


>「一番、マシな可能性は、土曜日の朝のバックアップからリカバリすることです」


佐野氏が何をやったのかさえわかっていれば、
これでうまく行ったはずなんだよな。
procuctionの運用に鑑賞するような事象なら、全体に連絡が行くだろうし。
この件の原因は佐野氏が自分の行為を隠匿したのが原因なのだから、
「仕込んだ監視ロジックが仇になった」というのは、当たらないと思うんだが。


>「結合テストのやり直しが発生したコンテナを反映したまでだよ。
 デモに必要な機能だからね。最新版の方がいいだろ」


今枝氏には今更期待しないが、
まともなエンジニアのセリフとは思えない。
弓削氏の振る舞いといい、佐野氏もQ-LICの息がかかっていたんじゃないの?

コバヤシ

>自分で解決する道を選んだ
わたしも昔やったことあるなあ。佐野さんのように大失敗して周りに大迷惑かけましたが。。。
終わってるテストについて「やっぱやり直し」ってみんなに言うの怖いけど、やっぱり正しい道を選んだほうがあとあと良いんですよね・・・
昔のこと思い出してお腹痛くなりました。

リーベルG

西山森さん、ご指摘ありがとうございました。

SQL

大変だなぁ

公英

いまエンジニアライフのピックアップ・エントリーを見たら「星野アツコのプログラミングなクリスマス(1)」になってました。狙い澄まされてます。
やっぱり面白い。

年寄り

かなり先進的な技術を使っているようなのに、開発環境・ツールがしょぼくないですか?
・ものすごく大規模な開発なのに、Production環境が1つしか無いのですか?
・どんなソース管理システムを使っているのか分かりませんが、フィーチャーブランチ、テストブランチやリリースブランチを作って、開発やテスト等を分離しないのでしょうか?

もっこす

デモ直前に画面が真っ白とか、業界あるあるではありますが胃が痛くなりますね…
それにしても、コンテナ間の依存関係があるのにコンテナが個別にアップロードされるような状況だと、CIによる自動結合テストが定期的に実行されないと全く安心できない状況だと思うのですが、佐野さんの仕業が朝まで発覚しないという事はそれも無いわけですよね…?
白川さんがその辺りに気を回さない訳がない、という謎の信頼感(笑)があるため違和感を覚えました。

nia

>・ものすごく大規模な開発なのに、Production環境が1つしか無いのですか?

production環境って本番環境のことじゃないんでしたっけ?運開後なら当然1つだろうし、運開前でも普通1つでは?ステージング環境ならわかりますが。

エースみたいな大手SIerは現実でも先進的な技術なんて使ってませんよ。
「なんて」と書くと語弊がありそうですが、キャッチアップが遅いので、トレンド技術はあまり開発インフラにならないんですよね。


匿名

今枝さん可哀相w
今枝さんの首が未だに繋がってるのって、
こういうときに内外へのサンドバッグとして活用するため、
という意図もあったのかな?

匿名

> こういうときに内外へのサンドバッグとして活用するため、
> という意図もあったのかな?


今枝「オ…オッドマン仮説を実践してるだけだし!」
飛田「そういうのはオッドマンとは言わないしそもそもお前じゃオッドマンには力不足だ」

atlan

星野さん、この話の年末で記憶消去何度目やられてるかなぁ・・・

匿名

本番環境並に稼働が可能な環境が複数存在したとして、
それを扱えるのが白川さんだけだとしたら、
彼女の負荷が増えるだけだし。
読んでると、稼働中のproductionを回すのだけでいっぱいいっぱいのようだし。
デモのためだけに、そんな大層なものを用意することは、
しないんじゃないかな。

匿名

ユミさんの会社、13話時点では相模データコネクトだったような

匿名

ユミさんの会社の件、誤読だったり伏線でしたらコメント承認なしで…

リーベルG

匿名さん、どうも。
ユミさんはランチ仲間なので、会社名を省略したのです。でも、これだと確かにユミさんの会社が多摩アプリケーション開発のように読めてしまいますね。紛らわしくてすいません。

ちなみに、コメントは承認制なのですが、いちいち承認するのが面倒なので、ラズパイにプログラムを置いて、5分間隔で自動承認しています。

匿名

リーベルGさん、ありがとうございます。
投稿してからあれっ?と思ったのですが時すでに遅し、でした。ごめんなさい。ユミさんの動向ちょっと気になっていたので…
書きそびれてしまいましたが、いつもはらはらわくわくしながら読んでおります。今後の展開もとても楽しみです。

夢乃

いつも楽しく読ませて戴いております。佳境に入って来た感がありますね。
 
ところで、(29)を読みながら(1)を読み返していて気付いたのですが、(28)の話は(1)の「去年の年末に発生したトラブル」ですよね。
しかし、(1)では「構築中だったproduction 環境のコンテナ群が、4 世代前のバージョンにそっくり上書きされてしまった」なのですが、(28)を見ると起きていることが違うような。「ヒューマンエラーがいくつか重なっ」たトラブルとは言えると思いますが。三ヶ月経って、川嶋さんの記憶が混乱しちゃっただけかな?いやいや、私じゃないんだから三ヶ月程度でそれはないだろ、といろいろ思ったり。
 
細かい部分ではありますが、ちょっとひっかかってしまいました。
 
それでは、つづきを楽しみにしています。

リーベルG

夢乃さん、いつもどうも。
確かに、ちょっと一致しないところがありますね。少し、最後の方を書き直してみました。

夢乃

リーベルGさん、対応ありがとうございます。
・・・が、しかし・・・
元の文章が残っていて「その後、今枝さんから、事の次第が告げられた。 〜 大量のコンテナをproduction 環境に反映した」の部分が二重になってしまっていますよ〜(一部は書き変わっていますが)
まさか、タイムリープ?(違)

リーベルG

夢乃さん、どうも。
タイムリープ、たまに発生するんですよね。

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