ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

ハローサマー、グッドバイ(40) 黄泉の川が逆流する

»

 できれば正視したくない物は誰にでもある。家屋内に棲息する黒い害虫だという人もいれば、焼き魚の目玉という人もいるだろう。多くのプログラマにとっては「仕様変更」という言葉がそれだ。

 フライボーイ2 から送られてくる映像には、まさにそのような光景が映っていた。押し寄せるD 型の勢いに押され、アルミ製ゲートの一部が大きく内側にたわんでいる。傾斜角は45 度を切っていて、D 型の群れが先を争うように這い上がろうとしている。まるで公園の滑り台を駆け上がろうとする子供のように、途中まで上がっては転がり落ち、また駆け上がるという行動を繰り返していた。完全な傍観者でいられるなら、コミカルとも言える光景なのだが、あいにく、ぼくたちはこれ以上ないぐらい、当事者そのものだ。

 西川がどんなルートでここまでたどり着いたのか知らないが、隠密行動を取る気がなかったことだけは確かだ。あるいは、もはやそんな気力を失っていたのかもしれない。とにかく、道路の真ん中を堂々と真っ赤な自転車で走り、その結果、数え切れないほどのZを引き連れて来た。ソリストの探知機能によれば、D 型だけでも38 体プラスマイナス2 体。加えて、その数倍のR 型が同じ場所を目指して、続々と歩いて来る。遅れるとランチにありつけなくなるとでも思っているのだろうか。

 仮想モニタ上にアラートが上がった。フライボーイ2 のバッテリーが切れかけているのだ。推定飛行可能時間は、389 秒と表示されている。ぼくはソナーをオフにし、映像の解像度を下げたが、残時間はほとんど増えなかった。すでにメインバッテリーを使い果たし、予備で作動しているからだ。

 「あいつらはどうしますか?」サンキストが訊いた。

 あいつら、というのは、ボリスと西川のことだ。谷少尉は躊躇することなく答えた。

 「彼らは黒タグだ。助かる見込みはない。生者を優先する」

 「谷少尉」朝松監視員が谷少尉の腕を掴んだ。「あのヘッドハンターの男を連れて帰るわけにはいかないだろうか?」

 危険が迫っている中、谷少尉は思わず苦笑した。

 「訊問をお考えなら無理ですよ。基地に帰還する頃には、立派なZになってるでしょう。途中で転化して襲ってくるかもしれない。そんなリスクテイクを隊員たちに強いることはできません。それに......」

 谷少尉は西川を見やった。西川は、もはやこの世でやるべきことは、全てやり終えた、とでも言うように、のろのろと身体を起こし、あぐらをかいて座り込んだところだった。

 「......あいつの方は、もう何をする気もないようです。諦めてください。早く乗って」

 朝松監視員は、ヘッドハンターの摘発を一気に進展させるチャンスなんだが、とブツブツ言ったが、それでも素直にEV ヴァンに向かった。職務に忠実すぎるのも程がある。常識的な優先順位が目に入らないほどではないらしいが。

 「ボリスはどうするんですか?」

 ぼくの質問に、谷少尉は凄惨な笑みを浮かべた。

 「彼にはまだやってもらうことがあるんですよ」

 それが何かと訊く前に、谷少尉はぼくの手をぎゅっと握ると、肩を押して車に乗るように促した。

 「急いで乗れ!」サンキストが怒鳴った。「すぐD 型が来るぞ」

 バンド隊員たちにサポートされて、朝松監視員、藤田、胡桃沢さん、小清水大佐がEV ヴァンに乗り込んだ。ぼくは、敷鉄板の隙間に落ちたボリスのタブレットを回収できないかと、未練がましく足を踏み出したが、2 歩目が地面に着く前にブラウンアイズに強引に引き戻され、EV ヴァンの後部に放り込まれた。深い場所に落ち込んだのか、落下したとき破損したのか、ソリストからのハンドシェイク要求にも応答がない。早めに中身をコピーしておくべきだったが、もう遅い。

 谷少尉は仰向けに転がっているボリスの足首を掴むと、ずるずると引きずっていった。数メートル離れた場所で手を離し、満足そうな顔で戻ってくる。それだけの距離を移動させることに、何の意味があるのかわからない。

 『レインバード、スクレイパー』谷少尉が叫んだ。『もう戻れ』

 谷少尉が呼びかけた理由は、Zたちの重量に耐えかねたゲートが、とうとうメリメリと音を立てて倒壊し始めたからだ。ゲートに銃口を向けていた2 人は、踵を返して駆け出した。同時に、D 型の大群がなだれ込んでくる。満たされることのない飢えと、鎮まることのない怒りだけをエネルギーにした亡者の群れだ。

 シルクワームとリーフがUTS-15J を連射し、向かってくるD 型の先頭の数体を転倒させた。レインバードとスクレイパーがその横を駆け抜ける。シルクワームとリーフは、もう1 発ずつ発射してから振り返って走り出した。だが、シルクワームの発進は足元に転がっていた金属パイプにつまづいたことで、ほんのコンマ何秒か遅れた。すぐに走り出したとき、跳躍したD 型がその両足にタックルした。シルクワームとD 型は、もつれあいながら倒れた。

 僚友がいないことに気付いたリーフが、すぐに180 度転回したが、すでに複数のD 型がシルクワームの身体にのしかかっていた。シルクワームは1 体を蹴り剥がし、1 体の胸に肘を叩き込んで離したものの、3 体目が攻撃をかいくぐり、首筋に汚れた歯を埋めた。血飛沫が飛び散った。

 絶叫したのはリーフの方だった。リーフはUTS-15J を振り回しながら駆け寄ろうとしたが、シルクワームが絞り出した言葉が、その足を止めた。

 「行け!」

 文字通り血を吐くような死の叫びにリーフは拳を握りしめ、意を決したように踵を返した。戻って来たスクレイパーが、リーフの腕をつかんで、引きずるようにEV ヴァンの方へ連れていく。数秒後、仮想モニタにシルクワームのバイタルサインが消失したことを知らせるアラートが上がった。血のような赤いアイコンで。

 不公平だ。ぼくは思わず唇を噛んだ。ここまで生き残ってきたのに、あまりにも不公平じゃないか。

 仲間の死を悲しむ間もなく、バンド隊員たちは走った。テンプルがEV ヴァンのドライバーズシートに飛び込み、ブラウンアイズとサンキストも中央シートに乗り込んできた。残りの3人も後部に転がり込んでくる。

 ただ1 人、谷少尉だけは異なる行動を取っていた。西川の手から落ちたハンドガンを拾い、倒れている自転車を起こしてまたがったのだ。テンプルが、乗れ、というように合図したが、谷少尉は逆に追い払うように手を振った。

 『行け』谷少尉は落ち着いた声で言った。『あいつらの注意をそらしておく。あの大群を一緒に連れて行くわけにはいかん』

 全員が息を呑んで見つめる中、谷少尉はハンドガンを持ち上げると、先頭のD 型の額に撃ち込んだ。銃声にD 型が怒りの視線を向け直す中、谷少尉は自転車をぐるりと回すと、勢いよくペダルをこいで、D 型の群れに向かって突進していった。

 「くそ!」テンプルは悔しそうに罵った。「出すぞ」

 EV ヴァンが動き出した。陥没した敷鉄板の方に向きを変える。ぼくはブラウンアイズを見た。

 「谷少尉をこのまま......」

 「わかってる」ブラウンアイズは厳しい顔で遮った。「でも、このままトンネルに入ったら、あいつらが後を追ってくる。残り少ない弾薬であいつらを全部倒すのは無理。誰かが囮にならないと」

 「でも、犠牲に......」

 「大丈夫」視線を逸らしながらブラウンアイズは答えた。「あの人が、そう簡単に死ぬはずがないから」

 テンプルは慎重な運転でEV ヴァンを陥没した部分に進めた。どこかに操作パネルか何かあるのかと思っていたら、急に車体がガクンと沈み始めた。油圧リフトが動き出し、地下へと運ばれているのだ。一定の重量がかかると自動的に下降するようになっていたらしい。周囲が闇に包まれる。

 ぼくはフライボーイ2 からの映像に目をやった。谷少尉はD 型の群れの直前で急ブレーキをかけて後輪を滑らせると、その反動で数体をはじき飛ばし、そのまま油圧リフトとは逆の方向に走った。D 型の群れもそれを追って向きを変える。

 ゲートからはR 型の群れも遅れて進入してきていた。のろのろと周囲を見回し、倒れているボリスと西川を発見する。その時、ぼくはボリスが倒れている位置が、ゲートとリフトを結ぶライン上であることに気付いた。天啓に打たれたように、谷少尉がボリスを移動させた意味が心に落ちてきた。わずかな時間を稼ぐために、予想されるZたちの進路上にボリスを配置したのだ。その冷酷さに背筋に寒気が走った。

 ゆっくりと、だが着実な歩みで、Zたちは2 人に迫っていった。観念したのか、もはや身体のコントロールを失っているのか、西川はピクリとも動こうとしなかった。逆にボリスは小さく悲鳴を上げ、残った力を振り絞ってずるずると匍匐前進したが、進むことができた距離は1 メートル未満だった。ほどなくZの群れが2 人を取り囲み覆い被さっていく。ありがたいことに、絶叫が聞こえたのは一瞬だけだった。

 谷少尉の自転車は、白いガードフェンスに沿って走っていたが、散乱していた木材に行く手を阻まれ、スピードを落とさざるを得なかった。たちまちD 型が距離を詰めていく。谷少尉は振り向きざまに、ハンドガンを連射した。3 体のD 型が頭部を撃ち抜かれたが、残りは仲間の身体を跳ね飛ばして追ってくる。

 「くそ。せめて......」

 サンキストが呟き、フライボーイ2 を旋回させ、最大速度で谷少尉の近くに飛ばした。音響装置を作動させ、Zたちの注意を引きつける。D 型たちは一斉にフライボーイ2 を見上げ、谷少尉はその隙に方向を変えてまた走り出した。同時にフライボーイ2 は全ての電力を喪失し、映像がブラックアウトした。

 「あいつの設計には俺も携わったんだ」サンキストはコントローラを終了させた。「最後まで裏切らない奴だった」

 「底に着くぞ」テンプルが警告した。「つかまっとけ」

 その言葉が終わらないうちに、軽い衝撃がEV ヴァンを揺らした。リフトが降りきったのだ。テンプルがヘッドライトを点灯し、白く眩い光が周囲に満ちた。

 前方に一辺が5 メートルぐらいの正方形のトンネルが伸びていた。緩くカーブした先に、白っぽいコンクリートの内壁が見える。地下鉄のシールドトンネルのようだ。

 「ここは保線用通路みたいだな」サンキストが窓の外を覗きながら言った。「この先はどうなってるのか、よくわからん。フライボーイ2 が生きてれば、偵察に出せたのにな」

 不意にEV ヴァンの屋根に、何か重い物が落下し、何人かが驚きの声を上げた。ほとんど間を置かずにまた1 つ、すぐに続けて2 つ。落下してきた物体は車体の脇に転がり落ちた。窓際に座っていたぼくは、何だろうと外を覗き、こちらを見返すZの濁った目を正面から見つめることになった。

 「出せ!」サンキストがドライバーズシートの背を叩いた。「上からZが落ちてくるぞ。出すんだ」

 テンプルは慌ててEV ヴァンを前進させた。その間にも、上から次々にZが落下してきた。谷少尉の決死の努力も、全てのZの興味を引きつけるには至らなかったようだ。

 地上からの距離は15 メートル弱。落下してきたZの大半は、足を粉砕骨折したようで、べしゃりと倒れたままだった。だが、後から後から降ってくる身体が積み重なり、それがクッションとなって再び歩き始めるZも増えてきていた。狙ってやっているはずはないのだが、知性に基づく集団行動を見ているようで背筋が冷たくなる。

 「ヘッドライトを消すぜ」

 テンプルの言葉と共に、ヘッドライトが消え、周囲は暗闇に包まれた。リフトの開口部から差し込む陽光が、うごめくZを照らしている。

 後輪が段差を降り、EV ヴァンはリフトから離れ、数メートル進んで一時停止した。後方ではZが次々と落ちては積み重なっている。

 「くそ、リフトが上昇していかない」テンプルがドライバーズシートの左にある後部モニタを見ながら言った。「荷重が減れば自動的に上昇すると思ったんだが」

 「Zたちが乗ってるからだ」サンキストが言った。「しかも、どんどん落ちてくる」

 リーフがヘッドセットを赤外線に切り替えて後方を見ていたので、視点を拝借した。サンキストの言うとおりZの落下が続いている。先に落下して堆積したZの身体の上に落ち、さらに積み重なっていくから、次第に動き出す数が増えている。まだ、こちらに興味を示すZはいないが、それも時間の問題だろう。

 「何を待っているんだね」小清水大佐が訊いた。「早く先に進んだらどうなんだ」

 「黙ってろよ、おっさん」テンプルが睨んだ。「俺たちがトンネルに入れば、あいつらが後を追ってくる。それぐらい考えろよな」

 「どこかにマニュアルでリフトを操作できる仕組みがあるはずだ」リーフが後方を見ながら言った。「くそ、赤外線じゃよく見えないな」

 「反対側にあるんじゃないの?」レインバードが窓に額をくっつけながら言った。「ほら、リフトの右側に、なんか箱みたいなものが見える。というか、その影が見える」

 「あそこまで行くのも大変だな」

 「あれを開けっ放しで、ここを離れるわけにはいかん」サンキストが焦燥感を露わにした。「よし、こうしよう......」

 サンキストが急いで立てた作戦に従い、EV ヴァンは、ゆっくり前進してシールドトンネルに出た。トンネルのこの部分はホームになる予定だったらしく、地面の一部がコンクリートで舗装されている。右に曲がって2 メートルの地点で、テンプルはEV ヴァンを停止。リーフとスクレイパーが音を立てないように車から降り、EV ヴァンの反対側の壁の近くでしゃがみこんだ。

 『OK だ』リーフが囁いた。

 『いくぞ』サンキストが応じる。『3、2、1、マーク』

 EV ヴァンのヘッドライトがパッパッパッと3回点滅した。続いてクラクションがけたたましく鳴り響く。

 『......来た』リーフが報告した。『こっちに向かってくる。先頭がカーブに差しかかってる。もうちょっと、もうちょっと......マーク』

 再びヘッドライトが点滅し、クラクションが鳴らされた。Zの群れはトンネル内に出てくると右側に曲がってきた。

 『ハザードを点けろ』サンキストが命じた。『時速4 キロで前進』

 EV ヴァンはオレンジ色の光を点滅させながら、シールドトンネルの中をゆっくりと進んで行った。Zたちはシールドトンネル内に出てくると、EV ヴァンの後を追ってくる。数10 体が通り過ぎ、密度が薄まったとき、リーフとスクレイパーは静かに立ち上がり、壁に背中をつけるようにリフトの方へと戻っていった。右手と右足、左手と左足を同時に出し、衣擦れの音を最小限にとどめている。

 突然、リーフからの映像にブロックノイズが発生した。同時に仮想モニタが出現する。サーバ2 のストレージ残量が5% を切ったためアラートが上がったのだ。同期化プロセスが一度に20 個も立ち上がり、ノートPC のリソースとトラフィックを占拠し始める。おかげで隊員間コミュニケーションに遅延が発生していた。ぼくは、いくつかのプロセスを殺し、同期化プロセスの優先順位を下げた。

 10 秒ほどで遅延は解消されたが、同じことが発生しないように対策を施した。使用頻度の高いファイル群を全ノードに配布し、固定領域として確保したエリアに配置した後、同期化プロセスのロジックを簡単に修正したのだ。

 その間に、リーフとスクレイパーは、Zたちに気付かれないまま、油圧リフトテーブルの向こう側に回り込むことに成功していたが、朗報をもたらすことはできなかった。

 『発電機はある』リーフが言った。『今は動いていないが、一斗缶が転がってるから、これがリフトの電源なんだろうな。ただ、制御盤みたいなものがない』

 『たぶん無線制御だ』スクレイパーが付け加えた。『そのスマホで操作するんじゃないか?でなきゃ、別の無線機を持ってたか』

 ぼくは西川のスマホを調べたときのことを思い出した。数字の6 が入った丸いアイコン。結局、あれが何だったのか不明のままだ。通信方法もわからない。通常の基地局経由ではなく、あらかじめ登録されたデバイス同士が、P2P で直接通信する方式なのだろう。その使用方法とパスワードを知っていた人間は、2 人とも死んでいるかZになっているかのどちらかだ。

 そのことを簡単に説明すると、サンキストは悔しそうな顔で唇を噛んだ。

 『よし、戻ってこい。1 人ずつ、間隔を開けて戻れ』

 リーフとスクレイパーは了解の合図を返した。まず、リーフが闇に溶け込むようなゆっくりした動きで来た方向に戻りだした。まだZの落下は続いていて、動ける奴らはEV ヴァンの方へ向かっているから、その流れに追随する形だ。

 『トンネルに出たら』サンキストは指示した。『左に曲がってスクレイパーを待て』

 『その後は?』

 『合流したら、2 人でトンネルの左側を進んで来るんだ。Zたちは右側にいるからな。できるだけ早足で追い越して、こっちがピックアップできる位置まで......』

 突然、何かの叫び声が響いた。

 『まずい』スクレイパーが緊張した声で言った。『D 型が落ちて来やがった』

 『2 人とも凝固。やり過ごせ』

 すでに保線用通路を出かかっていたリーフは、トンネルに入ってすぐ左側にしゃがんだ。まだリフトの近くにいるスクレイパーは、そのままの状態で動きを止めた。至近距離にD 型だ。できるなら心肺系の機能を丸ごと一時停止させたいに違いない。

 落下してきたD 型は、積み重なったZの身体の上でバウンドし、何やら喚きながら地面に転がり落ちた。そのまま周囲を見回した後、スクレイパーの前を通り過ぎ、トンネルの方へ走り出そうとしたが、その足が止まった。空気中の匂いを嗅ぐような素振りをする。スクレイパーの汗の匂いか、体温か何かを感じとったのだろうか。

 同じ映像を見ているブラウンアイズも、同じ疑問を感じたらしく、ぼくたちは顔を見合わせた。ブラウンアイズのヘッドセットを見た瞬間、理由がわかった。

 『Wi-Fi だ』ぼくは急いで知らせた。『Wi-Fi を切るんだ』

 1 秒でスクレイパーはその言葉の意味を理解し、ヘッドセットサブシステムのコミュニケーションユニットを切った。仮想モニタにスクレイパーからの通信切断のアラートが上がる。しかし遅かった。

 D 型は咆吼しながらスクレイパーに飛びかかった。スクレイパーは身をかがめてその突進を避けると、銃でD 型の足を払った。D 型は壁に頭部を打ちつけてずるずると崩れ落ちた。

 だが脅威になったのは、D 型ではなく、はるかに数が多いR 型だった。短い格闘に注意を引きつけられた数体が、そちらに目をやり、生きた人間がいることに気付いて方向転換したのだ。すでにトンネルに入り込んでいたZたちも、保線用通路に近い位置にいる何体かは、そちらに興味を移して戻り始めていた。

 リーフはスクレイパーの救援に駆けつけようと立ち上がったが、保線用通路に戻ったところで、5、6 体のR 型に行く手を阻まれてしまった。まずそいつらを排除する必要があり、リーフは罵りながらその仕事に取りかかった。その間も、スクレイパーから注意をそらさない。

 スクレイパーは身体を起こそうとしたが、1 体のZがUTS-15J を掴んだことで、その動きが妨げられる。相手の肩口を蹴りつけて銃を取り戻したが、背後から2 体のZに腕をつかまれた。噛みつかれる前に身体を振って、強引にふりほどくことには成功したものの、壁際に追い込まれる結果となった。さっき倒したD 型がもがきながら地面を這うように近寄り、スクレイパーの足をつかんだ。

 テンプルがEV ヴァンのクラクションを派手に何度も鳴らした。R 型の何体かは顔をそちらに向けたが、スクレイパーという獲物を目前にしたD 型は見向きもしない。スクレイパーはUTS-15J の銃口をD 型の頭部に向け引き金を絞った。D 型が弾かれたように後方に吹っ飛んでいく。スクレイパーは壁に手をついて起き上がりかけたが、3 体のR 型が同時に襲いかかってきた。リーフが強引にZの包囲網を突破し、スクレイパーを襲っているZに発砲したが、1 体を排除することができただけだった。さらに2 体がスクレイパーを襲う輪に加わった。もうその姿はリーフの視界から見えなくなっている。

 『リーフ』サンキストが怒鳴った。『戻れ!』

 リーフは最初、その命令に抗うように見えた。UTS-15J を点射し、目の前のZを撃ち倒しながら進んでいく。だがスクレイパーを囲んでいるZの1 体が、血まみれになったUTS-15J を放り出すのを見て足を止めた。しばらく躊躇するように仲間の銃を見ていたが、周囲にZが迫ってくると、我に返ったように振り向き、一気に走り抜けてトンネルに戻ってきた。

 『くそ、また仲間を見殺しにしちまった』リーフは吐き捨てた。『これからどうするんだ?リフトを上げる手段はないぞ』

 『この車で、その通路を塞ぐしかないな』サンキストは決意したように答えた。『入り口に横付けして、これ以上Zが出てこられないようにする』

 『すでにトンネルに入り込んでる奴らは?』

 『何とか動けなくして、できれば通路の方に放り込む。その後、徒歩で帰還し、応援部隊と工兵隊と一緒に戻ってきて、ここを本格的に封鎖する』

 『何気なくさらっと言うけど』レインバードが乾いた笑いをもらした。『何とか、って部分が問題ね。まあ、やるしかないけど』

 他の隊員たちも頷いた。素人視点で見ても、困難な計画だと思われた。トンネルに入り込んでいるZはざっと見て100 体以上はいて、さらに増え続けている。口には出さないだけで「動けなくして」というのは、非致死性手段だけによるものではないだろうが、残りの弾薬数と人数、狭いフィールドという条件を考えると......

 「よし行くぞ」

 テンプルはブレーキを踏み、ハンドルを切ってEV ヴァンを旋回させた。たちまちZたちが殺到するのを押しのけるように壁に沿って微速前進し、保線用通路の出口に接近する。車体の左側がガリガリと壁をこすったが構わず幅寄せしていった。保線用通路の幅は約5 メートル。EV ヴァンの全長はそれより少し短いが、ちょうど中央に置けば、Zの通過を阻止することができる。

 あと少しで通路を塞ぐことができる、というとき、もう聞き慣れてしまったD 型の叫び声が耳に届いた。しかも1 体ではなさそうだ。外を見ていたレインバードが罵った。

 「D 型が2 体接近」

 ドシン、と車体が大きく揺れた。D 型が体当たりしたのだ。

 「早く塞げ」サンキストはテンプルをせかした。「入ってくるぞ」

 テンプルは最後の数センチを動かしたが、そのわずかな間隙を縫うようにD 型が1 体、通り抜けてしまった。さらに1 体が続こうとしたが、こちらはバンパーに衝突して怒りの絶叫を轟かせるにとどまった。

 EV ヴァンが停まると、たちまちZが周囲を取り囲んだ。手で車体をバンバンと叩いている。小清水大佐が怯えたように頭を抱えた。

 「作戦は説明した通りだ」サンキストは銃を掴んだ。「弾を節約しろ。致命傷を負わせる必要はない。足をへし折って動けなくするだけで目的は達成されるからな。まず、あのD 型を始末する。後は各自の判断で動け。仲間のバックを守れ。any questions ?」

 バンド隊員たちは無言だった。安っぽいヒロイズムなどではなく、最後まで義務を放棄しようとしないプロフェッショナルの表情が浮かんでいる。

 「ブラウンアイズ」サンキストはブラウンアイズの顔を見た。「お前は残れ。民間人たちを守れ。いいな?」

 ブラウンアイズは小さく頷いた。サンキストは次に小清水大佐に視線を移した。

 「大佐、何をやってるんですか。早く準備をしてください」

 小清水大佐はポカンとした顔を上げた。次いで理解と恐怖が同時に訪れたようだ。

 「わ、私は、無理だ。戦闘職種ではない。無理だ」

 「曲がりなりにもJSPKF の大佐だろ」サンキストは相手を睨んだ。「手が足らないんだ。名誉挽回のチャンスだよ」

 「待ってくれ、私は......」

 「待てないね。自分の足で出るか、引きずり出されるか、どっちかにしろ」

 D 型が車体に体当たりした。小清水大佐は身をすくませたが、サンキストは同情心のかけらもない目を向けただけだった。

 「お前はどうする?」サンキストは藤田にも声をかけた。「行きたいなら連れて行ってやるぞ。サバゲマニアなんだろ?」

 「お、俺?」藤田は慌てて顔の前で手を振った。「いや、遠慮しとく。こう見えても頭脳労働派なんでね」

 サンキストは白い目を向けたが、それ以上、無理強いはせず、仲間たちに言った。

 「よし行くぞ。3、2、1、マーク!」

 バンド隊員たちは、一斉にドアを開けて飛び降りた。小清水大佐は動こうとしなかったが、ブラウンアイズが尻を蹴飛ばして放り出し、ドアを閉ざした。

 Zたちが群がる中、隊員たちはそれぞれ狙いを定めたZを撃ち倒して、開いた空間を駆け抜けた。すぐにD 型が突進してきたが、サンキストとレインバードに頭と足を撃たれて転倒し、駆け寄ったリーフがナイフでとどめをさした。3 人は分散して、それぞれ次の標的に向かっていった。

 それから5 分あまりで、20体 以上のZが足の骨を折られて地面に転がった。すでに何人かは弾薬を撃ちつくし、白兵戦に移行している。小清水大佐でさえ、落ちていた鉄パイプを振り回して、1 体を倒していた。

 「順調のようだな」胡桃沢さんが呟いた。

 「そうですね」

 そう答えたとき、車体が小刻みに揺れた。またZが体当たりしてきたのだろうと思い気にしなかったが、数秒後、また震動した。今度は少し大きい。ブラウンアイズが何かに気付いたように、保線通路側の窓に身体を寄せた。

 「まずいわ」ブラウンアイズは驚いた顔になった。「あっちから押してる」

 その言葉通り、通路の出口をぴったり塞いでいた車体が、トンネル側に数センチ押し出されるのがわかった。地上から落ちてくるZが飽和状態になり、行き場を求めてEV ヴァンを押しているのだ。悪いことに、さっき通路側に残ったD 型が、ナビシート側のドアに体当たりを開始し、EV ヴァンはじりじりとトンネル側に動いていた。

 車体はさらに2 センチほど押し出されたが、そこで急に止まった。前輪が地面のくぼみか何かにうまく引っかかったらしい。ホッとしたのも束の間、今度は車体が斜めに傾き始めた。

 「このままだと倒されるんじゃないかね?」胡桃沢さんが冷静な声で疑問を発した。「外の誰かに助けてもらうべきでは......」

 ブラウンアイズは首を横に振った。外で戦っている隊員たちは、いずれも目先の脅威を排除することに忙殺されていて、こちらの安全にまで気を配る余裕はない。

 「みんな左側に寄って」

 ぼくたちは左側に移動して、体重をかけた。サイドインパクトビーム越しに、Zたちがうごめく気配が伝わってきて、身の毛がよだつ思いだ。

 左側のタイヤが一瞬持ち上がった。すぐに着地したが、Zたちの押す勢いは止まらない。車体は左側に傾いた後、振り子のように右に傾いた。前より傾く角度が深い。

 『通路からZが車を押してる』ブラウンアイズは助けを求めた。『倒されそう。誰か、助けに来られる余裕ある?』

 『あいにく手が塞がってる』サンキストが応じた。

 『こっちも忙しい』テンプルが答えた。『車の外に出られないのか?』

 ブラウンアイズが答えかけたとき、車体がさらに大きく傾いた。D 型が体当たりしている影響で、車体前部が斜めになっている。すぐにZが通り抜けられるだけの幅が開いてしまうだろう。

 「あたしが外に出る」ブラウンアイズが決心した。「前にいるD 型だけ何とかすれば、少し押し戻せるかもしれない」

 ぼくは、小柄なブラウンアイズが大きなEV ヴァンの車体を懸命に押している姿を想像しようとしたが、具体的なイメージが全く浮かんでこなかったので、諦めて言った。

 「ぼくも行く」

 予想に反して、拒絶する言葉がブラウンアイズの口から出ることはなかった。薄い紅茶色の瞳が、まっすぐぼくを見つめた。

 「あんたを守ってる余裕はないかもしれない。命の保証はできない。覚悟はできてる?」

 強がりを言うこともできた。覚悟はできていると笑うことは簡単だった。だが、そんなことを言ったら、ブラウンアイズには見抜かれてしまうだろうと感じた。

 「できてない」正直に言った。「死にたくはないよ。生きて帰るためにやるんだ」

 ブラウンアイズは微笑み、ぼくの肩を小さな拳で軽くこづいた。

 「軟弱なプログラマにしてはいい度胸ね。じゃ、頼むわ。あたしができるだけZを近寄らせないようにするから、車を何とか押し戻して。それだけ考えてくれればいいから」

 「わかった」ぼくは頷き、震えている手を隠した。

 EV ヴァンが大きく揺らいだ。次に押されたら倒れてしまうかもしれない。ブラウンアイズが胡桃沢さんと朝松監視員を見た。

 「後、頼みます。臼井大尉とソリストを見ていてください」その視線が藤田に向けられる。「あと、こいつも。あたしたちが出たら、すぐドアを閉めてください」

 2 人が頷くのを確認して、ブラウンアイズは手をドアハンドルにかけた。ぼくの顔を見る。

 「行くわよ。あたしが最初に出る。3、2、1、マーク」

 ブラウンアイズは大きくドアを蹴り開け、外に飛び出した。ぼくはその後に続いた。闇夜に鶴見川に飛び込むような気分だった。

(続)

Comment(11)

コメント

しんにぃ

> 「大丈夫」視線が逸らしながら

佳境ですね。まさかの谷少尉復活を期待したいです。

へなちょこ

すごい緊迫感。先を早く読みたい!!

サボリーパーソン

もうこれ以上、誰も死んでほしくないなんていう甘っちょろい希望を
木っ端微塵にされた月曜の午前、読んでて胸が苦しくなりました。

be

泣きそう

p

キャラがいいだけに次々と離脱していくのがつらい
なんだか最後何人残るのかすら怪しくなってきて気を揉んでしまうし、朝松さんの気持ちの1/10くらいは分かったような気がする
鳴海さんは相変わらずかっこいい
しかし、体格が劣っているとはいえ、軍事訓練受けてるブラウンアイズより鳴海さんのほうが押し戻せる確率が高いという計算になるのは不思議ではある
そういえば1話あたりで運送業のおかげで運動不足が解消されたとか言ってたからそのおかげかな
何が人生に幸いするかわからないなあ(そのせいで作戦に参加することになったことからは目を背けつつ)

pさん
単純な力勝負だと、体重で決まるからでしょうね。

p

>Fさん
なるほど。確かにこのケースでは筋力量よりも体重が大きいほうが明らかに有利ですね。納得しました。というか初めに思いつくべきでしたね…。
あと少し調べて見ましたが、体重自体が筋力量とも概ね比例しているらしく、また女性と男性の筋力差というのも相当厳しく訓練しないと埋まらないようです。
おかげで納得できました。補足ありがとうございました。

しんにぃさん、ご指摘ありがとうございました。

SIG

> 不公平だ。ここまで生き残ってきたのに、あまりにも不公平じゃないか。

ここは例えば、“理不尽”のような言葉もあるところですが、
“不公平”を選んだのが鳴海さんの、
そしてリーベルG さんならではの感性なのかな、とも思います。

不公平な立場を利用して平然と弱者を踏みにじろうとした城之内、
不公平か否かは勘定に入れずただ結果だけを求めた渕上マネージャ、
不公平を正すための改革で安住の地を追われたカスミさん。

これまでの作品でもさまざまな不公平が描かれてきましたが、
今回は生きるか死ぬかという、これより大きいものはない不公平。

これが最終ステージだとすれば、あと3±1 回くらいで完結になりそうですが、
自分なりの予想をことごとく裏切る展開が続いているので、
あれこれ考えず、素直に結末を見届けたいと思います。

oh

おおお!
まさかの「賢者の贈り物」コミック化!
月曜日のみならず、金曜日も楽しみだぞ。

この調子でハロサマの実写映画化してください。

サボリーパーソン

そろそろ助けに来てくれたってバチ当たらないべ(願望
あかん日曜日時点から気になり始めるわ。

コメントを投稿する