ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

ハローサマー、グッドバイ(36) 脱出計画

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 自分がただの駒にすぎないと知らされたとき、人は何をどう感じ、どんな反応を見せるのだろう。しかも、重要な使命を担っていると信じこんでいたとしたら。ボリスの場合は沈黙と拒絶だった。無理もない。ぼくは初めてボリスに少しだけ同情した。あくまでも少しだけだ。

 インシデントZ前、プログラマはペットボトルのキャップのようなものだ、と諦めたように言った人がいた。彼の持論では、プログラマに限らずシステム屋は、ユーザ企業の担当者から見れば、システム導入までの間、スペック通りの性能を発揮してくれればいいだけの道具、それも取り替えのきく道具に過ぎないのだそうだ。実直な性格で、ぼくより10 年以上長くこの業界に棲息してきた人であり、仕事の上では元請けとの仲介役として頼りにしていたから、あえて反論するのは差し控えた。だが、敗北主義だな、と思ったものだ。

 ただの道具で終わるか、代替品のない重要ツールになるかは、結局のところ、プライドを持って仕事をしているかどうかなのではないかと思う。ぼくが信頼できると思ったプログラマは、例外なくプライドを持っていたからだ。たとえば、コードレビューの過程で、Nullオブジェクトを適用することによって、煩雑なIF 文の群れをまとめて殲滅できることが発見されたとする。エンドユーザから見たUI は変わらないし、処理速度が大幅にアップするわけでもない。予算表とスケジュール表だけを重視するような上司なら全く評価しない。にもかかわらず、まともなプログラマならリファクタリングを躊躇わないだろう。職業的プログラマのプライドを持っているからだ。こういうプログラマは、失敗を経験値に変換することができ、持続的な成長を可能とする。駒は駒でも自由意思を持った駒であり、状況が許せばクイーンやキングにもなり得る。逆に、自己満足に過ぎないから、意味がないから、指示されていないから、触るのが怖いから、といった理由で手をつけようとしないプログラマは、いつまでたってもペットボトルのキャップのままだ。

 ボリスが仕事にプライドを持っているかどうかはわからないが、祖国の未来に関わる重大な任務を遂行している、という信念を持っていたことだけは確かだ。アックスを躊躇いなく射殺したことでもわかる。データを持ち帰るためなら、ぼくたち全員に対して同じ行為をする結果になったとしても、一片の後悔も感じなかったのではないだろうか。

 島崎さんの行動を知らされたボリスは、最初のうちは信じることを拒否していた。ボリスからすれば、島崎さんは下請け企業の担当者にすぎない。格下の相手だったのだ。ヘリが救助したのが島崎さんだった、などということは、ボリスの常識ではあり得ないのだ。それでも、島崎さんが脱出する際の映像――レインバードのカメラが捉えていた――を見せてやると黙り込んだ、ようやく事実を事実として認識し始めたようだ。

 「Mierda......」また拘束されていたボリスは、低い声を絞り出した。「Cabran, Marica, Gilipollas, Ano, hijo de puta! Que' bestia! !Que' animal! Que' rabia!!」

 ソリストが勝手に翻訳を始めたが、聞くに耐えない悪口雑言だったのでウィンドウを消した。リーフが顔をしかめて足を蹴ると、ボリスは我に返ったように言語を切り替えた。

 「トランスポンダー......」

 「え?」

 「私の肩にはトランスポンダーが埋め込まれていて」ボリスは冷静な口調を取り戻した。「ヘリはそれを目標にピックアップするはずだった。周波数が違えば銃撃される。それなのに島崎が問題なくピックアップされたということは......」

 「あなたは捨て駒だったということでしょうね」谷少尉が容赦なく告げた。「島崎というか、あなたの上司は、目的を達成するために、あなたを利用したんですよ。我々全員をかもしれませんが。そんなことより訊きたいことがあります。我々がばらまいてしまったマイクロマシン、<ナンシオ>でしたか、あれの停止コードがあるでしょう?教えてもらえませんか」

 「残念だができませんね」ボリスはそう言い、バンド隊員たちが気色ばむのを見て、慌てて付け加えた。「つまり、教えたくても教えられないんですよ。ワクチンプログラムは、島崎が持っていったタブレットに入っていたので。今頃、海の底でしょうね」

 「つまりD 型を止める手段はない?」

 「ないですね」

 「ソースに含まれてるんじゃないのか」ぼくは訊いた。「昨日、そう言ってたよな」

 「含まれてるはずだが、プログラム名とか、どのリポジトリに入ってるかとか、そんなことを私が知ってるはずがないだろう。プログラマじゃないんだからな。それにたとえ知っていたとしても、シグナル発信には5 段階の認証が必要で、そのうち3 つはタブレットがないとできないんだよ。残念だったな」

 ぼくは歯ぎしりした。できることなら、朝松監視員にテイザーガンを借りて、もう一度、電撃をお見舞いしてやりたかった。

 『知ってるけど隠してるだけじゃないんでしょうか』リーフが言った。『少し痛めつけてやれば......』

 『ムダだ』谷少尉が答えた。『たぶん、こいつは本当に何も知らん。救援の望みが絶たれた今、ここで隠しておく必要はないからな。知っているなら話して、自分の生存の可能性を上げるだろう』

 『ちょっと待った』レインバードが屋上から言った。『タブレットって、そいつが持ってたタブレット?ガンメタでハウンドのロゴが入ったやつ。それならここに落ちてるわよ。1 台だけ』

 『何だと』谷少尉は珍しく驚いた顔になった。『すぐ、持ってこい』

 数分後、Zを刺激しないようにゆっくり歩いて来たレインバードが、タブレットを差し出した。それを目にした途端、ボリスの顔色が変わった。

 「おい、それ!」ボリスは声を上げて、またリーフに蹴られた。「それは私のだ」

 「オペレーションMM の遂行中、全ての装備はJSPKF が所有権を持ちます」谷少尉はボリスの顔を見もしなかった。「預かり票を書くので、帰還した後、港北基地で返却手続きをどうぞ。とりあえず、こいつのロックを解除してもらいましょうか」

 抵抗するか、とも思ったが、ボリスは素直にロック解除のパスワードを口にした。暴力を怖れた、というより、自分も中身を確認したかったのだろう。

 『どうして島崎は、片方だけ持っていったんでしょう』サンキストが言った。『慌てて落としたんですかね』

 『そんなドジな奴じゃないと思うがな。よし』谷少尉はロックが解除されたタブレット掲げた。「ミスター・ボリス、これにワクチンプログラムがインストールされているんですね?」

 「見せてください」

 谷少尉はタブレットをサンキストに渡した。サンキストは、注意深くボリスの頭の横に膝をつくと、タブレットを見える位置まで降ろした。ボリスは食い入るように画面を見たが、すぐに失望の表情を作った。

 「これはバックアップの方です。ワクチンアプリは確かにインストールされていますが、認証はマスターの方じゃないとできない」

 失望したとしても、谷少尉は顔には出さなかった。サンキストに命じて、タブレットをぼくに渡させる。

 「時間があるときに調べてみてください。あまり時間はないでしょうが。ワクチンプログラムの手がかりがあるかもしれない」

 「これには、例のデータは入ってないのか?」受け取ったタブレットを見ながら、ぼくはボリスに訊いた。「大事なマーカーのデータだ」

 「もちろん入ってる。分散して記録されるんだ。1 台じゃ容量が足りないからな」

 「ということは」胡桃沢さんが首を傾げた。「島崎はデータの半分を捨てていったってことか?」

 「たぶん同期してあったんじゃないでしょうか」ぼくは島崎さんも、自分のタブレットを持っていたことを思い出しながら言った。「だから、1 台だけ持って帰ればよかったんですよ」

 「用意周到な奴」ブラウンアイズが呟いた。

 「さて」谷少尉が言った。「脱出の準備に取りかかろう。サンキスト、テンプル。屋上のソーラーパネルと、着陸しているはずのフライボーイズを調べてこい。無事だったら急速充電だ。全員、今のうちに何か口に入れておけ」

 ぼくはブラウンアイズからグラノーラバーをもらい、ほとんどなくなった水と一緒に食べた。

 「これが最後の食事かもしれないわね」ブラウンアイズは何の感情も見せずに言った。

 「そういうこと言うのやめてくれるかな」

 「覚悟はいつだって必要よ。最後だと思えば、無味乾燥なグラノーラだって美味に思えるでしょう」

 『シルクワーム』谷少尉が呼んだ。『下の様子は?』

 『最悪です』下を見ていたシルクワームはすぐに答えた。『D 型こそ見えませんが、R型はざっと100 体はいます。何体かがスロープをうろうろしてるので、上まで行ってみたらおいしい朝食にありつけるんじゃないか、なんて考える奴が、遠からず出てくるでしょうね』

 『潤滑剤の準備はいいな』

 潤滑剤というのは、1階から取ってきた液体洗剤のことだ。

 『バケツに入れてあります。でも、これで滑って転ぶのは、せいぜい3体ってとこですよ。時間稼ぎにしかなりませんぜ』

 『Лучше поздно, чем никогда と言うだろう』ソリストがそのロシア語を、遅くても来ないよりマシ、と翻訳してくれた。『数分だってゼロよりはいい。その時間が生死を分けるかもしれんからな』

 数分後に、2 人のバンド隊員が戻ってきた。フライボーイ1 は原型をとどめぬまでに破壊されていたが、フライボーイ2 とソーラーパネルは奇跡的に無事だった。サンキストがフライボーイ2 をソーラーパネルに接続し、急速充電を開始した、と報告した。

 『フル充電には45 分かかりますが』サンキストは汗をぬぐいながら、グラノーラバーを口に放り込んだ。『近距離を哨戒モードで何分か飛ばすだけなら15 分で十分なはずです。なんだこりゃ、パサパサしてんな』

 『周辺のZ分布状況マップを作成するには、どれぐらいかかる?』

 『半径200 メートルを飛行させるとして、1 機だと20 分は欲しいところですね』

 『動作チェックも兼ねて、10 分だけ飛ばそう』谷少尉は言った。『それでできるだけの情報を収集する』

 谷少尉の顔色は相変わらず良くない。青を通り越して白に近くなっている。小清水大佐に刺された傷が痛むだろうが、少なくとも表だっては苦痛を訴えることはなかった。

 『次は脱出方法か』谷少尉は朝松監視員を見た。「藤田を連れてきてください」

 朝松監視員は頷いて立ち上がった。島崎さんが撃った弾は、幸いにも朝松監視員の肩をかすっただけだった。派手に転倒したが、骨にも主要な筋肉にも損傷はない。スプレーで消毒し、ガーゼとテーピングで出血を止めただけで、痛そうな顔もしていなかった。

 2 階奧の収納家具売り場に転がされていた藤田は、朝松監視員に引きずられてぼくたちの前に放り出されると、味方を探すようにキョロキョロと周囲を見回した。すでに虚勢を張る余裕も残っていないようだ。

 「これから、お前にいくつか質問をする」谷少尉は藤田の前にパイプ椅子を置くと、ぐるりと回してまたがった。「正直に、正確に、簡潔に答えてくれれば、お互いに時間の節約になる。ここは民主主義の法治国家だから、黙秘権を行使したいというなら、それは自由だ。ただし手段を選んでいる余裕も時間もない。どんな手段を取っても、お前に口を開いてもらう。自白剤なんてスマートなものはないから、昔ながらの方法に頼らざるを得ない。つまり物理的な暴力だ」

 藤田は怯えた野良犬のような目で谷少尉を見た。谷少尉はサディスティックな笑みで応じると、落ち着いた声で続けた。

 「まあ、お前もこんなところに来るぐらいだ。少しは暴力の心得があるんだろう。で、こう思ってるのじゃないか?暴力ごときに屈するわけがないじゃないか、どうせ殺すことはできないんだ、とな。ところがだな、その暴力"ごとき"が実に効くんだ。それを身を持って知りたいと言うのなら、喜んで実践教育してやる。ここまでは理解したか?」

 もはや純粋な恐怖そのものといった表情を浮かべた藤田は、今にも失神しそうな顔で首を上下させた。西川の口車に乗せられて、みなとみらいまで来てしまったことを、つくづく後悔しているに違いない。

 「言っておくが」谷少尉は鋭い眼光で藤田を串刺しにした。「こういうセリフは聞きたくない。"話してもいいが条件がある"とか"オレは何も知らされていない"とか"仲間を売れるか"という類いのやつだ。そういうしゃらくさい言葉を一言でも口にしたら、お前の身体の一部分を切断して、下でうろうろしているZどもの朝食にしてから、改めて質問を再開する。私たちは世界中で様々な状態のZと戦ってきたから、人間のどの部分をどのぐらい切断すれば、お前の命と意識を保ったままにできるかよく知っている。そんなことは信じられないと言いたげな顔をしてるから、きちんと説明をしてやろう。まずお前の耳を......」

 谷少尉は、藤田の身体的パーツをどのように削っていくのかを、解剖学的な正確さで、微に入り細を穿って語り始めた。その静かな声を聞いているうちに藤田の顔が、谷少尉に負けないぐらい青ざめていく。ぼくはこっそりブラウンアイズに訊いた。

 『本当にあんなことやるのか?』

 『┐(´-`)┌』という文字列がブラウンアイズの返事だった。

 『それ、どうやってやるんだ?』

 『裏技よ』ブラウンアイズは邪悪な天使のように微笑んだ。『帰ったら教えてあげるわ』

 「......に3 センチほど切り込みを入れると、実に効率的に外すことができる」谷少尉は言葉を切って、藤田の表情を観察した。「ここまでが第1段階だ。この先を続けようか?それとも質問に移っていいか?」

 藤田は早く質問してくれと言わんばかりに、勢いよく頷いた。

 「では最初の質問だ。お前たちが乗ってきたEV ヴァンとやらは、どこにある?」

 「こ、国道1 号線」1 秒でも早く答えようと焦ったせいか、藤田の舌がもつれた。「と、と、戸部警察署の駐車場だ」

 戸部、というと、京急線の戸部駅周辺か。首都高速の西側だ。それほど遠くはない。

 「なるほど」谷少尉は顔を上げた。「シルクワーム、テンプル、スクレイパー。取りに行くルートを検討しろ」

 「こいつの仲間が生き残ってるんでしょう」テンプルが疑問を呈した。「もう乗って逃げてしまったんじゃないですか?」

 「あ、いや」少し落ち着きを取り戻した藤田が言った。「それはないと思うよ」

 「なぜわかる?」

 「ほら、そっちの兄さんが」と藤田はぼくを見た。「西川からスマホを盗んだだろ」

 「ぬす......まあ、確かに」ぼくは渋々頷いた。「それがどうした?」

 「スマホがキーになってるんだ。スマートエントリーってやつ」

 『ああ、そういうことか』ぼくは思わず呟いた。『だからあいつ、スマホを欲しがったんだな』

 『ヘッドハンターの西川?』ブラウンアイズがぼくの顔を見た。『確かに、スマホをよこせと言っただけで、誰のとは言わなかったわね』

 『でも変だな』サンキストが疑問を発した。『CCV が破壊された後は、ボリスは連絡手段を持ってなかったはずだ。どうやって、俺たちがセンタービルに行くことを連絡したんだ?』

 『連絡したのは』谷少尉が割り込んだ。『たぶん島崎だ。奴の持ち物検査はやってないからな。おそらくスマホの類いを隠し持ってたんだろうな。奴なら小清水大佐のチェックを、理由をつけてパスすることもできただろうから』

 なるほど。西川にハッタリを並べたとき、ボリスという固有名詞を出さなくてよかった。

 『狡猾な奴ね』ブラウンアイズが、床に転がったボリスに哀れみを混じった顔を向けた。『あたしたちは、ずっとこいつに反感を抱いてたけど、島崎は人の良さそうな顔しながら、裏でこいつをコントロールしてたってことね』

 「次の質問だ」谷少尉が藤田に訊いた。「お前たちはどうやって、ツルミ防衛ラインを越えたんだ?」

 鶴見川防衛ラインは、全域にフェンスが張り巡らされ、センサーと監視カメラで24 時間監視されている。もちろんZの侵入を防ぐためだが、封鎖区域に人間が入り込まないようにするためでもある。ソラニュウム・ウィルスに感染して20 分を経過すると、自覚症状がなくても他者への感染を引き起こすキャリアとなる。数ヶ月前、無鉄砲な10 代の男女数人がフェンスの破れ目から封鎖区域に行き、感染して戻ったことから、数家族が全滅したという事例があり、現在ではJSPKF による定期パトロールも加わっている。1 人や2 人の人間ならともかく、自動車が出入りすることなど不可能なはずだ。

 「俺はアイマスクをされたんだけど」藤田はそう前置きしてから言った。「地下を通ってきたんだ」

 「地下?」谷少尉は疑わしそうに問い返した。「どこだ?」

 「地下鉄だよ。工事が中断したとこ。ほら、新しいやつ」

 要領を得ない藤田の説明に谷少尉は顔をしかめたが、ぼくには意味がわかった。

 「相鉄線と東急線の接続工事のことか?」ぼくは訊いた。「日吉から新横浜を通って西谷あたりまで地下鉄を通すはずだった」

 「ああ、そうそう、それだよ」藤田は嬉しそうに頷いた。「綱島駅の近くの工事現場から地下に入ったんだ」

 相鉄・東急直通線の工事は、2013 年頃から開始された、東急日吉駅と相鉄線、JR線直通の羽沢駅とを結ぶ鉄道路線計画だ。全長約10km のうち、90% は地下を通ることになっていた。2019 年4 月に完成予定だったが、様々な要因で何度も工期が順延された上、とうとうインシデントZのため中断されてしまった。もちろん再開の目処は全く立っていない。

 「そういうことですか」ぼくが送った地図を見た谷少尉は納得したように頷いた。「鶴見川の下を通ってますね。確かに綱島駅付近で、放置されたままの工事現場がありました」

 当然、地下への出入口は封鎖されているが、ヘッドハンターたちは抜け道を見つけたのだろう。少なくとも防衛ラインを突破するより、遙かに容易だったはずだ。

 出入口そのものへの出入り時にはアイマスクをかけさせられていた藤田だが、それ以外では外を見ることができた。綱島駅付近から地下に侵入したEV ヴァンが地上に出たのは、相鉄線と合流する直前の羽沢駅の工事現場だったそうだ。そこから環状2 号線を1km ほど西に走り、八王子街道、国道1 号を通って戸部付近に到達したという。

 「そこで何時間かハンティングを楽し......」そこまで言った藤田は、怒りに燃える朝松監視員に気付いて言葉を切った。「とにかく、夜になったから帰るのかと思ってたら、みなとみらい方面に行くって言うから......」

 「それで俺たちを襲撃したわけか」サンキストがこれ見よがしにナイフをもてあそびながら言った。「言いなりになっただけ、って言いたいんだな」

 「だって、どうしろってんだよ。1 人だけ帰るわけにもいかねえじゃんか」

 サンキストが剣呑な顔になったとき、シルクワームが緊迫した報告を発した。

 『まずい。外にD 型がいるみたいだ』

 『屋上からも視認しました』スクレイパーも言った。『入り口付近のR 型に襲いかかってます』

 『狙撃できるか?』谷少尉が訊いた。

 『ここからでは射角が取れません』

 『シルクワーム、狙えるようなら撃て』谷少尉はそう命じておいて、ボリスを見た。「ミスターボリス。D 型に噛みつかれたR 型が、D 型に転移するまでの時間は?」

 「平均18 時間です。ただし」ボリスは付け加えた。「あくまでも研究レベルのデータです。実地でのデータ採取は、これが初めてなので。<ナンシオ>のスペックから考えると、より短くなっていると考えるのが妥当でしょうね」

 「ということはだ」リーフが考え込んだ。「オレたちは、だいたい500 体以上のZにマーカーを打ち込んだ。そのうち、6 割がD 型になったとして300 体以上はいる。さらに、そいつらが他のR 型を襲い出せば、ネズミ算式に増加していくな」

 すでに同じ計算をしていたらしい谷少尉も憂鬱そうに頷いた。

 「そうだ。一刻も早くここを脱出したい最大の理由がそれだ。数万体に膨れあがったD 型が、ツルミ防衛ラインに殺到したら、とても防ぎ切れん。何としても基地に警告しなければ」

 「脱出そのものが難しいですね」

 「弾薬もそんなに残ってないしな」サンキストも沈んだ顔になっていた。「ナイフでD 型の群れを突破するのは、どうにもぞっとしない」

 『D 型、出て行きました』シルクワームが安堵の声を出した。『他のR 型を追いかけていきました』

 『急ごう』谷少尉はぼくを見た。『鳴海さん、以前にお願いしたこと憶えてますか?Zを回避するルート算出です』

 一瞬、何だっけ、と記憶を探ったが、すぐに思い出した。みなとみらい大橋の手前、Z探知機能の不具合を修正した直後のことだ。Zの分布図データと地図データを組み合わせて、できるかぎりZに遭遇しないルートの算出ができないか、と言われたのだ。

 『ええ、あれが何か?』

 『できますか?EV ヴァンをシルクワームたちに取りに行かせますが、スピード優先になるので、鳴海さんに同行してもらうわけにはいかないんです。せめて安全度が高いルートだけでも出せると、成功の確率が上がるんですが』

 『やってみます。完全なものはできないかもしれませんが。時間はどれぐらいもらえるんですか?』

 『30 分でできるだけお願いします。充電が終わったら、ドローンを飛ばして、周辺のデータを取得します。そのときできていると嬉しいですね』

 ぼくは椅子に座って身体を安定させると、早速、使えそうなライブラリを漁り始めた。2 日前に臼井大尉に所要時間を問われたときには数時間と答えたが、環境が整った今ではそこまでかからないだろう。

(続)

Comment(11)

コメント

ロコ

誤:それ以外はでは
正:それ以外では

無事の脱出をお祈りしています( ̄人 ̄) ←それ、どうやってやるんだ?

しんにぃ

>ぼくが信頼できる思ったプログラマは、

佳境に入ってきましたね。ヘッドハンターたちがどの程度絡んでくるのか?
楽しみです。

相鉄・東急直通線ですか。
港北基地のあたりから、地下に入るのでしょう。真っ先にトンネルを塞ぐでしょうし、谷少尉が知らないわけないと思いますがね。
(フィクションと現実混同中)

次回立ち回りですね。期待します。

西山森

人員としても悪役としても完全に役立たずの小清水はどうなるのかな?やはり脱出時の囮かな?

p

んー、これが簡単なゲームなら、Zの分布データは各個体に座標を持ってるとして、地形をグリッド状にして移動距離と1マス内のZの数を重みとしたA*とかそんな感じでしょうか。RとDの区別がつくならそれも重みにするべきか。あと最大対処可能Z数以上も重み∞とするべきかな。でも今回の状況とソリストのリッチさに対してこれだとかなりナイーブですね。
マップが表示できるんだから、ルート探索用のAPIも含んでいると仮定すると、群れとそれに気づかれずに通過可能な距離を足した円に、ルートが重なる場合、そこを通行不可能としたルート探索とかが妥当でしょうか。現在位置からその領域への移動時間予測とZの移動可能速度をもとに、Zが移動してくる可能性のある警戒領域みたいなのも出せるかもしれない。でもその仕様だとD型が増えた今は警戒領域だらけになりそうだから、これは微妙かも。RとDの区別ができるならまだやりようはあるかも。まあ30分だと、Z避けルート探索まででもきつい仕事だと思いますが、サイバープログラマーナルミならやってくれるはず…。
時間経過ごとに対象が動くから、一定時間ごとの再計算が必要なのは共通してますね。ただ現在の状況だと再計算のためにフライボーイ飛ばせなさそうだけど。

などとつらつら考えてたけど、17話みたらすでに方針立ってた。サスガナルミサン、さすなる。

物語の感想としては、谷少尉の全力で反復横飛びしながら壁際に追い詰めていく脅しのスタイル最高に好き。横から眺めてみたい。あと盗人よばわりに引っかかる鳴海さん笑った。
EV車取ってきたらいよいよ佳境って感じですね。ゾンビ物といえば車。車と銃とゾンビと爆発がバーンとかそんな感じですが(偏見)、今回は朝松さんがいるのでそうもいかなそうですね。

alg

>「ミスターボリス。D 型に噛みつかれたR 型が、D 型に転移するまでの時間は?」
転移→変異
かな?
それとも、D型の因子が移動するという意味で転移なのだろうか。

SIG

環2は“市道”17 号です。神奈川県に“県道”17 号は存在しません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E3%81%AE%E7%9C%8C%E9%81%93%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E8.A6.81.E5.9C.B0.E6.96.B9.E9.81.93.EF.BC.881_-_78.EF.BC.89

また、“国道1 号線”ではなく“国道1 号”と呼ぶのが正式だとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E5%9B%BD%E9%81%93

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いよいよ大詰め間近、と思いきや、なんとか脱出して
めでたしめでたし、では終わらないような予感すらしてきました。
完全版ソリストでフル武装したJSPKF 全軍を挙げて
数万体のD 型相手に鶴見川攻防戦などという展開も……

SIG

上記コメントを一部訂正いたします。

環2は“主要地方道”17 号ですが、
公式かつ一般に広く使われる、“横浜市道”としての番号は存在しないようです。
登録上の名称は“市道環状2号線第 1307 号線”となります。
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/shisetsu/bfree/shin-yokohama/shin-yokohama-pdf.html

早まったコメント申し訳ありませんでした。

ロコさん、しんにぃさん、SIG さん、ご指摘ありがとうございます。

ずっと「県道」だと思っていました。思い込みはいかんですね。

SIG

> 島崎が撃った弾は、幸いにも朝松監視員の肩をかすっただけだった。

公開当日はなかったような記憶があるこのくだり、補筆おつかれさまです。
朝松監視員はごく軽傷ということでまずは安心……なのですが、
(38) でも「島崎さん」と呼んでいるところ、ここだけ呼び捨てなのに違和感。
細かいところばかりで申し訳ありません。

SIG さん、ありがとうございます。
「さん」抜けてましたね。

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