つれづれなるままに、ひぐらしスマホに向かひて

2011/11/22 14:30:00

■枕詞

 今回は、コラムというより、単なる雑文なので仕事の合間に息抜きとして軽く読み流してもらえると幸いだ。「『今回は』だって? それじゃぁ今までのはコラムのつもりだったのか?」というツッコミは、返す言葉が見つからないので、どうかご勘弁いただきたい。

■徒然草

 以前から、スマホの形って何かに似ているんだよなぁと思っていたが、ようやく何だか分かった。そう、硯(すずり)だ。それ以来「ひぐらしスマホに向かひて」というフレーズが頭から離れない。

 そして、街中や電車の中でスマホに向かうヒトがみんな吉田兼好の弟子に見えてしまって、ついつい口元がほころんでしまう今日この頃なのだ。みんな、心に浮かぶよしなしごとを、そこはかとなく書き付くって、あやしうこそ物狂おしくなっているのだろうなぁ。 いやいや、分かる。私だってそうなのだ。

■枕草子

 そうかと思えば、清少納言の弟子も多い。まぁ、これはわたしの個人的な感覚なのだが、枕草子は冒頭の「春はあけぼの」を筆頭に、とてもビジュアルなイマジネーションを刺激される。風景画っぽかったり、スナップショットっぽかったりいろいろだが、情景が目に浮かぶような写実性を感じてしまうのだ。

 これが、春夏秋冬、朝昼晩、日々アップされるステキな写真とかぶるのだ。美しい夕日を思わずスマホで撮るヒトは、「秋はやっぱ、夕暮れよねぇ!」と書いた清少納言と同じ感動を体験しているに違いない。

■方丈記

 そして当然、鴨長明の弟子だっている。これはどちらかというと、理屈っぽいヒトだろうか。わたしはコラムのネタ起こしから下書きまでをスマホで書くことが多いのだが、そのようなときには長明の弟子となっているのかもしれない。

 スマホは、入力デバイスとしてはあまり使いやすくないという評価をよく聞く。しかし個人的には手書きよりもよほど書きやすいと感じている。揺れの激しいバスや電車でも、スマホで書けば後で読めないような字になることはない。寝転がっていても、たとえ木にぶら下がっていようとも、片手さえ空いていれば書くことができる。

■奥の細道

 ここまで日本三大随筆の著者の弟子を見てきたが、まだ、どうしても取り上げずには終われないものが残っている。それは、旅先で欠かさずチェックインして感動を伝えてくれる松尾芭蕉の弟子たちだ。ある意味、芭蕉の弟子たちの存在はヘタな広告よりもよっぽど効果があるのではないだろうか。

■土佐日記

 そうそう、紀貫之を忘れるところだった。何かと理由をつけては飲み会を開いて飲んだくれ、その情景をつぶやくという日本人の伝統の原点は彼にまで遡ることができる。ひょっとしたら、貫之の弟子が日本には一番多いかも知れない(性別詐称の弟子も、ひょっとしたら結構いる?)。

■結詞

 硯もスマホも、「す」で始まる3文字だというだけではなく、どちらも不特定多数のヒトに自分の考えや気持ちを伝えるための記録用の道具という類似性がある。

 現代の硯ともいえるスマホにひぐらし向かって、自分たちが何をやっているのか、たまにはこうやって先人たちの作品のタイプと比べてみるのも、いとをかし、ではないだろうか。

ジェダイのごとく

2011/08/04 14:01:42

■WindowsでKinectを

 今年の6月16日、MicrosoftからKinect for Windows SDK betaが登場した。恥ずかしながら、私がそれを知ったのはつい最近、7月の末になってからだ。どうも私の脳内アンテナは、地デジ化が遅れていたらしい……。

 それはともかく、知ったからには試さずにはいられない。早速amazonで『Kinectセンサー』を購入し、Microsoftのサイトから『Kinect for Windows SDK beta』をダウンロードした。

 このSDKについては、@ITの記事『Kinect for Windows SDK(ベータ版)開発入門』が分かりやすいので参照して頂きたい。私としては、マネージコードでKinectをコントロールできるということで、他のSDKとは違って敷居が低いと感じた。

 そこで、今回はいろいろなサンプルコードを試していて感じたことを書いてみる。といっても、コーディングTIPSのような技術的なことではなく、WindowsにKinectをつなげて何が面白いのか、という話だ。

■Windowsにジェスチャは必要か?

 まず第一に、Windowsをジェスチャで操作する意味などあるだろうか? その答えは、どんなことにも言えることだが、「コンテキストによる」としか言いようがない。

 Wordで文章入力するのにジェスチャが効率的かと聞かれたら「ノー」だし、ジェスチャを使ってVisual Studioでコーディングしろと言われたら「ふざけるな!」と答えるだろう。 マウスカーソルを動かすサンプル『Kinect Mouse Cursor』を5分ほど試してみると、ジェスチャという行為がどれだけ体力を消耗するかがよく分かる。長時間連続して操作する用途にはまったく向いていないのだ。

 しかし、例えばプレゼンでスライドのページをめくるのは? レシピサイトを見ながら料理している時に、ぬれた手でページをスクロールしたいときは? このようなときには、ジェスチャがとても便利な入力形態であることは疑う余地もない。特に、手がぬれたり汚れたりしている際に、デバイスに直接触れずに操作できるメリットは計りしれないモノがある。

■現状の問題点

 しかし、現状ではいろいろと問題がある。前掲の記事でも指摘しているが、ハンドジェスチャを簡単に取得できないのは、最大の問題だろう。ゲームと違って、通常のアプリでは全身の骨格情報は不要だ。その代わりに手の情報をどこまで詳細に取得できるかがポイントとなる。5本の指の骨格情報が欲しいところだ。そして、センサーとの距離も、PCでの利用を考えると1m以内でも認識できることが望ましい。指の認識に関しては、MITの研究者の『デモ』を見ると技術的に可能であることが分かる。

 このレベルまで簡単に認識できるようになれば、間違いなくWindowsアプリの可能性も広がるだろう。

■ジェスチャの時代がやってくる?

 今後の予想と妄想を書こう。おそらく、タイミングとしてWindows8リリースの時点でKinectに正式に対応するだろう。かなり以前から、MSの社内資料が流出したりして噂が広まっているし、そういう方向に進むことは間違いない。UI的にも、今のWindows7のUIをジェスチャで操作する気にはならないが、Windows8のMetro UIなら、ちょっと動かしてみようかという気にもなる。

 そんなわけで、Windows8が登場する来年以降、デバイスに直接触れずに操作することが必要となるような、特定の環境下での利用を想定したアプリなどを、ジェスチャで操作する時代がやってくるに違いない。

 ジェダイマスターのように操作する業務アプリを、是非とも作ってみたいものだ。

WindowsPhoneはSNSのハブになるか?

2011/08/01 16:48:43

■"Mango"がやってくる

 7月27日に、KDDIが正式に発表した「Windows Phone 7.5」搭載のスマートフォン。直前の噂では8月末に発売か? とも言われていたが、結局9月以降とのこと。

 カメラは1320万画素、ストレージ容量は約28GB、画面は約3.7インチなど、スペック的にはいい感じだ。

 ただしワンセグやFeliCaや赤外線通信は未対応。また、LISMOにも対応しておらず、音楽はZune機能を利用することになる。これまでauのガラケーでワンセグやFeliCaやLISMOをガンガン活用してきた一般の利用者から見ると、あまり食指が動くものではないような気がする。

 しかし、私はこのWindowsPhone7の「Peopleハブ」にかなり注目し、期待を寄せているのだ。

■SNSがコミュニケーションを分断する

 様々なアプローチのSNSが次から次へと立ち上がっている今、コミュニケーションがSNSごとに分断されがちになってきているように感じるのは私だけだろうか。

 例えばFacebookで友達にメッセージを送りたいときは、まずFacebookを立ち上げてその友達を探さなければならないし、TwitterならTwitterを立ち上げるところから始めなければならない。複数のSNSをTPOに合わせて使い分けている友達の最新情報は、それぞれのSNSを見に行かなければならない。

 我々にとって興味の対象はFacebookやTwitterといったサービスそのものではない。もちろんエンジニアとしての自分はそれらのサービス自体も興味の対象なのだが、一般利用者としての自分にとっては、興味の対象は当然のことながら友達だ。

 SNS同士の連携機能によって、複数のSNSに同時に投稿できたりもするが、あれは個々のSNSを中心としたソリューションであり、一般利用者からすると、友達の同じ発言を別々の場所で繰り返し何度も聞かされているようで、あまりありがたいものではない。

■Peopleハブに注目してみる

 しかしWindowsPhone7のPeopleハブは、ヒトが中心だ。アドレス帳の中にSNSが融合されているような感じ。これはとても理にかなったものと言える。
 Peopleハブを開くとまずヒトがいて、ヒトを選ぶとそのヒトの発言が一か所に集約されて表示される。Peopleハブだけを見ていれば、友達の最新情報がすべて確認できるのだ。
 かなりスマートなソリューションではないか。SNSによって分断されたコミュニケーションが再び統合されるのだ。面倒くさがりの私は、ついついSNSの巡回をさぼってしまいがちだ。そんな私でも、一か所だけを見れば済むのであれば、さすがにそれくらいならやれそうだ。

 Peopleハブが示したものは、SNS共通の「友達リスト」ともいうべき新しいアドレス帳のカタチだ。アドレス帳を中心にして、コミュニケーションの一極集中を図るというスタイルは、利用者の利便性を向上するという観点から考えると、とても自然なものだ。しかしサービス提供者サイドからは、なかなか出てこないアイデアだろうことも確かだ。

 さて、このような利用者目線が、実際に一般ユーザに受け入れられるかどうか、今後のWindows Phoneの巻き返し戦略に期待したいところだ。

その検索システムは、利用者を検索から解放しているか?

2011/05/27 15:46:46

 我々はネットを利用するとき、何が目的であるにしても大抵の場合、まずは「探す」ところから始めている。ネットが膨大な情報の無秩序な堆積物である以上、それは当然のことだ。 

 だからこそ、Yahoo! やGoogleは巨大企業に成長したわけだし、検索機能は多くのサイトやアプリで今も中心的な役割を担っている。

 このように重要な検索機能だが、私の個人的な感想としては、まだまだ使いやすいインターフェースに仕上がっているものばかりではないように思う。

 そしてこれも個人的な感想なのだが、利用者にシステマティックな思考を強制しているのが使いにくいインターフェースの特徴だ。

 ヒトは普段、あまりシステマティックにモノゴトを考えたりしていない。しかし、精度の低いキーワード検索では思い通りに候補を絞り込むのは難しいし、検索条件を指定しての絞り込みは、まるで穴埋め式の試験問題でも解いているような気分にさせられる。カテゴリが多すぎて、自分の探しているものがどこに属するのか判断に迷うこともよくある。

 だから利用者は、設計者の意図を推測しながら入力フィールドを埋めて何度か検索を繰り返し、その結果をフィードバックしながら設計者の意図と自分の推測との誤差を埋める努力をしなければならない。

 システムが自分に歩み寄ってくれることはあり得ないので、譲歩するのは常に自分だ。

 そして何度か検索を試みて、自分の欲しい情報にたどり着けそうもないと感じたら、不毛な時間の浪費はやめて、去ってしまう。

 どんなシステムにも、それを利用するコンテキストというものがあるはずだ。そのコンテキストがぼやけていると、サイトにしろアプリにしろ使いにくいものになってしまう。

 例えば、私が好きなiPhoneアプリのひとつに『駅.Locky』というのがある。アプリを立ち上げると最寄り駅から次の電車が出発するまでの時間をカウントダウン形式で表示してくれる時刻表アプリだ。

 もちろん検索機能もあるが、普通に使う分には検索は必要ない。

 私の行動パターンなどは限られているので、このアプリの使い始めに、よく利用する駅の時刻表をいくつかダウンロードして「マイリスト」に登録した後は、検索などした覚えがない。

 このアプリの利用コンテキストは単純明快だ。帰る時間の調整。「あと30分で地元駅まで直通の快速電車が東京駅を出発するから、そろそろ会計を済ませてこの店を出るかな。」という感じで日常的に使っている。

 このアプリを使い始めるまでは、駅でもらうカードサイズの時刻表を何駅分も持ち歩いたり、乗換案内系のアプリで、毎回検索して出発駅の時刻表を表示して確認していた。

 でも『駅.Locky』なら起動後数回のタップだけで目的を達することができる。私を面倒な検索から解放してくれた、素晴らしいアプリだ。

 もちろん、検索というアクションを100%なくすことはできないだろう。でもコンテキストによっては、『駅.Locky』のようにその多くの部分をシステムに任せることが可能となる。

 システムが利用されるコンテキストを理解し、そのコンテキスト内で、利用者の負荷を低減できれば、そのシステムはきっと、使いやすいものになるだろう。

 これから検索システムを設計する際には、以下のような問いかけを忘れないようにしよう。

 「その検索システムは、利用者を検索から解放しているか?」と。

戦国Facebook

2011/02/24 12:00:00

 個人情報保護法が施行されてから、わが国の個人情報に対する態度はちょっといき過ぎなんじゃないかな、と感じているのは私だけだろうか。

 特徴的なのは、過剰に反応しているのが企業よりもむしろ個人の方であるところで、そのうち、家の表札や墓石にすら名前を出すのがタブーになるのではないかという勢いだ。

 とはいえ、日本人は昔から個人情報には敏感だったことも確かだ。

 「言霊」という言葉が示すように、昔の日本では、神は言葉にも宿ると考えられていた。八百万の神の国・ニッポンの面目躍如といったところか。

 古事記や日本書紀の時代は本名(諱:いみな)を知られると、呪詛のターゲットになるため、敵にそれを知られるのはタブーだった。だからハンドルネームみたいなもの(仮名:けみょう。中国では字:あざな)を持っていて、「あなたは誰」と聞かれると、そのハンドルネームの方を名乗っていたとか(※諱は東アジアの漢字文化圏に広く見られるものらしい)。

 さて、武家社会になっても諱(いみな)と仮名は使い分けられていた。武士が名乗りを上げて一騎打ちをする際に使うのは、もちろん仮名の方だ。

 しかし、諱は普段使わないので、仮名こそが実の名前といってもいいような気がする(一説によると西郷吉之助などは自分の諱を忘れてしまったとか。「隆盛」は、本当は彼の父の諱)。

 というわけで、武士は自分の名を大音声で叫びアピールする。

 これはもう、敵にも味方にも、

 「俺を見ろ! 俺はこんなにいい仕事してるんだぞ! 評価しやがれ!」

 といっているようなモノだ。

 究極の360度評価が浸透していた、古き良き時代!

 ここに立身出世主義の原形を見て取れる、といったら大げさか。

 さて、このような個人情報の開示志向と隠蔽志向の違いは、どこから来るのだろう。それは多分、心理的なバランスが「攻撃」と「防御」どちらに傾いているかによって変わるのだろう。

 ここでいう「攻撃」とは、なにも相手を傷つけるとかそういうことではなく、積極的に自分を開示することによって「未来を切り拓く意志」を示す。

 また「防御」とは、「現状を維持する心理」といった意味だが、その根底には、現状に満足していて変化を欲していない、という面があるのかもしれない。あるいは、現状には満足していないけれど、変化によって現状以下になる不安の方が大きいとか。

 こういう視点で考えると、Facebookのような実名制のソーシャルメディアが活発に利用されるような社会(国、地域、組織)は、積極的に前進しようとするパワーがより強いのだといえるだろう。

 ただし、同じ国・地域・組織の中でも、その構成員の間では攻撃と防御の心理バランスはばらつきがある。

 攻撃側に傾いている人々はFacebookで戦略を練り、防御側に傾いている人々は集合意識をTwitterで盛り上げる、といったところか。

 さて、映画やアラブ情勢で注目されているFacebookだが、実名制という壁を越えて、日本にどこまで浸透するだろう。その浸透の度合いによって、日本人の現在の心理バランスを読むことができるかもしれない。

 ところで、戦国時代にFacebookがあったら、武士はみんな使っただろうな。

 そんなSFを書いてみたい今日このごろ……。

クルマのピンチです!

2011/02/10 12:00:00

 トヨタによると、クルマがピンチなのだそうだ。

 だから、「クルマに興味を持ってもらえるアイデア、募集します」ってことで、“TOYOTA SOCIAL APP AWARD”を開催するとのこと。時代は変わったねぇ……。

 一昔前の世代にとって、クルマはステータスだった。

 例えば20年ほど前にタイムスリップしたなら、居酒屋の中で酒とタバコにまみれてクルマの話で盛り上がる若者のグループを、いくらでも見つけられただろう。酒、タバコ、クルマ。これらは当時の若者にとっては、必需品ともいうべきものだった。

 ところが面白いことに、今の若者はその3つに興味を失いつつある。

 これらに共通するものはなんだろう。私が思うに、それは「ダーティさ」ではないだろうか。ダーティさゆえに、以前の若者はそこにカッコよさを感じた。法律で禁じられたことをやるというスリルも含めて、大人に対する反抗のシンボルとしてもてはやされた。

 おかげで大人たちは、本来は税収を見込めない未成年者からも、酒税、タバコ税という形で税金をしぼりとってホクホクしていたというわけだ。だから大人ってやつは……(ん? 違う?)。

 しかし、時代は変わった。日本人の病的なまでの潔癖主義はとどまることを知らず、国土を100%無菌室にでもしないと気が済まないんじゃないかというほどの勢いだ。

 酒やタバコはいうに及ばず、クルマは騒音や排気ガスが迷惑というだけではない。

 Opera Softwareが1月28日の「データプライバシーデイ」に際して行ったオンラインリサーチによると、「普段心配していることは何ですか?」という問いに対して、日本人の中で最も多かった回答は「交通事故」(35%)だった。

 事故だけではなく、渋滞すればイライラするし、維持費は確実に家計を圧迫している。ある意味、クルマの存在自体がわれわれに大きなストレスとなっているわけだ。

 これが「クルマのピンチ」の正体だ。

 クルマのピンチとは、メーカーの新車販売台数が減ることでもなければ、売上高や粗利率が減ることでもない。それらは表面的な現象にすぎない。本質は、一般消費者がクルマに負のイメージを抱くこと。これが最大のピンチなのではないか。

 37シグナルズのジェイソンとディヴィッドが『小さなチーム、大きな仕事』の中で言っているように、「店頭で良い製品」ではなく「家でも良い製品」でなければダメなのだ。

 さあ、これは困った。「存在自体がストレス」なんてことになると、どうやってこのピンチを救えばいい?

 これはもう、コンセプトからしてガラリと方向転換しないとダメではないか。

  1. もう、人間が運転しちゃダメ。アブナイから。
  2. あと、クルマは個人には売らない。不経済だし、エコにも反するから。

 基本はこの2点だ。これをメーカーから宣言すれば、かなりのインパクトがある。ぜひともやっていただきたいものだ。

 まぁ、メーカーからの宣言は置いとくとして、まず1つ目。

 つい先日も、i-MiEVをベスト電器で取り扱うという発表があった。確か、ビックカメラやヤマダ電機でも、以前同じようなニュースが流れていたように記憶している。このように、家電量販店で電気自動車が買える日も近いようだけど、クルマが家電になるにはもう1つ超えなければならない大きなハードルがある。

 それは安全性だ。

 例えばクルマの運転中に、アクセルとブレーキを踏み間違えるとどうなるだろう。かなりヤバい事態が起こりそうな予感がするのではないか?

 しかし、加熱中の電子レンジでスタートボタンとストップボタンを押し間違えたとしたら? こちらは目撃者の失笑によって、ミスをした本人がばつの悪い思いをする以外に大した悲劇が起こるとは思えない。

 この溝だ。この溝を埋めることができて初めて、クルマは家電の仲間入りができる。行き先を選んでスタートボタンを押したら、目的地まで安全に運んでくれる。それが最終的な理想形だ。

 え? そんなのつまらない?

 そういう人は、サーキットで好きなだけ走ればいい。公道はストレス解消やドライビングテクニックを競う場所ではない。ヒトや荷物の移動のために整備されているのだ。

 だけど、ドライブはストレス解消になるだろって?

 確かにそういう面もあるけれど、それはドライブが目的ではなくて、目的地でのレジャーや移動中の景色、同乗者とのおしゃべりを楽しむということだろう。だったら、運転なんかしない方が景色もおしゃべりも楽しめるし、第一疲れなくて済むではないか。

 もちろん、中には走ること自体でストレスを解消している人もいるだろう。それは認める。

 でも、そういうヒトは、そのヒトの周囲を走る他のヒトのストレスになっているかもしれないことに気付いてほしい。

 だから、やっぱりサーキットで楽しんでね。サーキットなら、思いっきりエンジン吹かしてもいいから。

 さて、2つ目に行こう。これはつまり「クルマのクラウド化」だ。

 もちろんここで言うクラウドとは、通信機能を持ったクルマがクラウドの端末になるとか、そういう話ではない。「所有から利用へ」という意味でのクラウドだ。

 例えば私は千葉県の房総半島に住んでいるが、首都圏とはいえ、ここではクルマのない生活は考えられない。コンビニは、歩いて行くには遠すぎて、あまりコンビニエンスであるとは感じられない。買い物に行くにも駅に行くにも、クルマがなければ始まらないのだ。

 近所の家の駐車場を見ると、ほぼ例外なく一家に2台以上のクルマがある。1台はだんなさんが通勤に利用し、昼間は残ったもう1台のクルマで奥さんが買い物に行く。

 スゴイね。なんてぜいたくな使い方なんだろう。

 だんなさんの平日の運転時間は、おそらく地元の会社まで、あるいは駅前の駐車場までの10分程度だろう。往復20分。ちなみに駅前の月極駐車場は大盛況で、いつも満車だ。

 そして奥さんの買い物は? これも駅前のスーパーなら往復20分だ。1日24時間。そのうちのたった40分のために2台のクルマを所有している!?

 なんでそんな不経済なことをするかというと、他に選択肢がないからだ。地方に多い郊外型のショッピングセンターなどの店舗は基本的にマイカーでの来店を前提としている。バスという手もあるけど、自宅から最寄りのバス停まで遠いと、重い荷物を持った帰りがつらい。運行時間も本数も限りがある。かといってタクシーだと高過ぎる。

 駅までの通勤・通学にしたって同じだ。

 というわけで、このような状況を打破する新しいビジネスモデルの構築こそが、クルマのピンチを救う救世主となる。

 クルマ2台の購入費、保険や税金も含めた維持費。これらから解放されたなら、われわれはどれだけ恩恵を受けることができるだろう。

 例えば、農家がトラクターを共同購入するように、クルマも共有する。あるいは、ショッピングセンターが顧客囲い込みのために地域コミュニティを組織して、クルマを貸し出す。または、ディーラー自体が直接アクションを起こすのも面白い。古いクルマを下取りして、空いた各家庭の駐車スペースに、シェアリング用のクルマを置かせてもらうとか。もちろん電気自動車なら充電設備も込みでだ。

 そうやって、近所同士で醤油の貸し借りをするようにクルマを共有していると、地域のつながりがとても濃いものになっていくことが考えられる。昔の村落の「運命共同体」的な濃さ。

 実は、今の世代はこのような地域のつながりを大切にする傾向がある。これも、先ほどの「酒とタバコとクルマ」の世代と大きく異なるところだ。

 クルマだけではなく時間も共有する。つまり、一緒に買い物に行く。より連帯感が生まれる。夕食のメニューの話で盛り上がる。そのうち、材料を共有し、キッチンを共有し、出来上がった料理まで共有し始めるかもしれない。

 しかし、そのためには住宅自体が近所同士の濃いつながりをサポートする作りになっている必要がある。

 年寄り世帯は若い世帯の機動力を手に入れ、若い世帯は年寄り世帯の知恵を手に入れる。さらには子供に対する目も行き届くし、情操教育上もよいに違いない。

 こうして人々はクルマをストレスの原因と感じなくなる。

 メデタシ、メデタシ、だ。

 このような共有を前提に考えると、結局のところクルマの台数は減るだろう。でも、それは時代の流れからして仕方のないことだ。環境に優しくしたいのなら、なるべくクルマは増やさない方がいいに決まっている。

 それに、電気自動車の時代になれば、クルマ本体のコストは劇的に下がるはずだ。逆に、充電設備など、クルマ周辺でいろいろなビジネスチャンスが出てくるだろう。

 そう。ここはトータルで考えるべきだ。例えば、新しいコミュニティを可能とする住空間までトータルでプロデュースするという手もある。ほら、トヨタなら住宅関連の企業もあることだし……。

『ラクチン』を求めて

2011/02/02 12:00:00

 もうすでに終わってしまったけれど、先日ワタリウム美術館で藤本壮介『山のような建築  雲のような建築  森のような建築』に行ってきた。

 サブタイトルは「建築と東京の未来を考える2010」。

 なるほどね。確かにそうだ。建築とは単体で考えるだけではなく、地域や都市全体でも考える必要があるってことだ。

 1つひとつの建物がお互いに影響し合いながら広がっていって、村となり町となり都市となる。人々は、その中で人格を形成し、国を作り、文化・芸術を発展させてきた。

 その土地の環境によって建築は素材や構造、デザインなどについてさまざまな制約を課されるわけだけれども、そうやって出来上がった建築物が、今度はそこに住む人々の生活に一定の秩序を要求し始める。

 そんなことを考えながら館内を歩いているうちに、「でもそれって建築だけじゃないよね」と思い至った。

 我々は、日常生活の中で、ありとあらゆる形でITシステムのお世話になっている。

 中には「大きなお世話」なシステムもあるけれど、そういうものも含めて、我々はITシステムを特別なものではなく、当たり前のものとして受け入れている。

 でもそれらが我々の行動に及ぼしている影響を、過小評価すべきではない。

 好むと好まざるとにかかわらず、我々の行動はITシステムのおかげで快適にもなっているし、ある面では窮屈にもなっているのだ。

 例えばSuicaの登場は、利用者が電車に乗るプロセスを劇的に短縮してくれた。

 もう券売機の長い行列に並ぶ必要はないし、見にくい路線図から目的地までの金額を探す必要もないし、小銭を出したりお釣りを取ったりもしなくていいのだ。

 あぁ、そうそう。自動券売機の話もしておこう。あれだってITシステムなわけだけど、あれはひどいもんだ。IT化以前の券売所には、当然のことながら窓口にプロフェッショナルな駅員さんがいて、行き先だけ告げれば適切な切符を出してくれた。しかし、自動券売機は素人の我々にプロフェッショナルな駅員さんと同じスキルを要求しているのだ。

 いや、それ以上か。我々は自動券売機の前でかなり高度な情報処理をやらされている。

  1. まず、券売機の上のパネルにビューをセットする
  2. ここに路線が描かれた画像があるので、その中から行き先を示す文字列を検索する
  3. 次に、その文字列に紐づいた数値を読み取り、一時記憶域に保持する
  4. ここでボタンが並んだ券売機のパネルにビューを切り替える
  5. 券売機のすべてのボタンを順番に調べて、先ほど一時記憶域に保持した数値と一致するラベルプロパティを持つボタンを探す
  6. 一致するものがなければ、「あれれ? おかしいな」という音声を再生し(この音声はロケールの設定によって変化する)、もう一度最初のビューに切り替える……

 ひどいな。こんな面倒な処理をユーザーにやらせるなんて。しまいには釣り銭をチャリンチャリンと投げてよこしやがる。

 なんて傲慢な態度なんだ!

 そもそも最初の路線図の検索。この検索は、その地域で普段から電車に乗り慣れている人にとっては、それほど苦ではないかもしれない。でも、そういう人は、定期券付きSuicaなりPASMOなりのFeliCaなりを持っている場合が多いので、券売機前で金額を調べる人は少ない。

 券売機をイチバン利用するユーザー層は、それほど多く電車に乗らない人だ。そしてそのユーザー層にしてみれば、実際の地形をまったく無視して、強制的に四角形の中に押し込められた、入り組んだ路線図はイヤがらせ以外のなにものでもない。

 私自身、今でもSuicaが使えない地域に行くと、傲慢な自動券売機と、その上に掲げられたダリの絵よりもねじ曲がった路線図と対峙せざるを得ない状況が発生する。早く全国どこでもSuicaが使えるようになってほしいものだ。

 閑話休題。

 とにかく、私のここでのテーマは、「生活をラクチンにするためのITを考える」ってことだ。これが中心テーマになる予定(まぁ、ここまで読んでいただければわかるように、半分以上は脱線するだろうけど……)。

 だから、特定の要素技術がどうのこうのといった話ではなくて、どちらかというと人文科学的なアプローチになるんだろうなぁ。

 まぁ、休憩時間にコーヒーでも飲みながら読み流していただければありがたい。

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コラムニスト プロフィール

onoT
「生活イチバン、ITニバン」という視点で、自分なりのITを追及するフリーエンジニアです。ストレスを減らすIT、心身ともにラクチンにしてくれるITとはどんなものかを考えていきます。

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