「生活イチバン、ITニバン」という視点で、自分なりのITを追及するフリーエンジニアです。ストレスを減らすIT、心身ともにラクチンにしてくれるITとはどんなものかを考えていきます。

ソーシャルメディアでムラ化する世界

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■友達の友達はどこの誰?

 Facebookとミラノ大学が2011年5月に行った調査によると、Facebook上の任意に抽出された2名は、友達関係を平均4.74人たどるとつながるという。これは言い方を変えると、Facebook利用者である7億人以上の人は、5人たどると全員とつながっているということになる。

 『友達の彼氏のおじさんの上司の同級生』などというと、まぁ普通に生活していれば、絶対にすれ違うことすらなさそうな関係なのだが、確かにFacebook上なら、シェアしたコンテンツに対するコメント欄あたりで見かける可能性は無きにしも非ずだ。

 また、Pew Research Centerが2012年2月に発表した調査結果によると、米国のFacebook利用者の『友達の友達』は平均すると約3万人にもなるという。これは、公開範囲を『友達の友達』に設定した場合、自分の投稿は少なくとも約3万人の目に触れる可能性があるということだ。あまり過激な発言は控えた方がよさそうだ。でなければ。。。

■見えすぎちゃって困るの

 英国のDivorce-Online(離婚サービスサイト)の調査によると、2011年の英国での離婚訴訟でFacebookを理由に挙げたものが33%にも達したという。壁に耳あり障子に目あり。いや、Wallに耳ありタイムラインに目ありか。

 さらに、米国では友達リストを削除した夫婦が、削除された女性の父親らに殺されるという事件が発生したり、娘にFacebookでブロックされた上に文句を書きこまれた父親が、YouTubeで説教した挙句に娘のPCを銃で撃って破壊する動画が投稿されて話題になったりと、ソーシャルメディア界隈は話題に事欠かない。

■新時代の村落共同体か?

 昔の、大家族がひとつ屋根に暮らす村落社会においては「どこの誰がいつ何をした」かが周囲に筒抜けだった。それを息苦しく感じた若者たちが都市に移り住み、周囲との関係の希薄化を推し進めた結果が今の世の中だ。

 しかし、ソーシャルメディアの普及により、上で紹介したような事例が次々に報告されるのを目の当たりにすると、これはどうも、世界は新たなムラ社会へとシフトしているとしか思えない。我々は、規模を拡大して新しい村落共同体をつくろうとしているのだろうか?

 確かに、都市化や核家族化によって失われた地域の結びつきは、少し前から「シェア」というキーワードで見直されて来ているし、昨年の震災以来、「絆」は日本人にとって大切な概念として再発見されている。

■未来は明るい、かも

 ソーシャルメディアがらみの殺伐としたニュースが目に付くのは、それがまだ目新しいから目立つのであって、それはある意味、道具の宿命だ。例えば包丁自体に善悪はなく、料理人が持てば調理器具になるし、殺人者が持てば武器になる。それと同じだ。

 我々は試行錯誤の段階にいるのだ。新しい道具を使って、新しい村落共同体の中で生きていくすべを手探りで試しているのだ。

 それにしても、娘のPCを銃で撃った父親のリテラシーの高さには感心させられる。こういうこと(冷静に銃を撃つこと、ではなくてYouTubeを効果的に使っていること)ができる親が増えれば、きっと楽しい村落共同体ができあがるだろう。

Comment(2)

コメント

仲澤@失業者

まぁネット上の話は眉に唾つけて・・・ですからね。
コミュニティのメンバーが実在する人物と言う保障は
ありませんし。実在しても本人である証拠もありません。
ネット上でリアリティを感じるにはちょっと特殊な
信仰心が必要なのかもしれませんねぇ。
その意味で60人の関係ある人物がいるって言われてもねぇ(vv;)。

ちなみに、この文章がライブな実体のある人物によって
書かれたという確信は持てますか(質問)。

onoT

まぁ、それを言い出したら、毎日職場で挨拶を交わす同僚だって、それが本人だかどうかなんて分からないわけですよね。ひょっとしたら、名前を変えて潜伏中の殺人犯かも知れないですしw

でもそれはそれとして、私は自分の生活の一部であるネットの中で、相互作用を行っているのはリアルな体験なので、それをすべてリアルと感じています。

ということで、ご質問の件については、確信を持ってますよ。日経mixとかNiftyServeとかの時代から、ネットがリアルな世界とは切り離されたバーチャルな世界とは感じたことがないんです。ひょっとして、私の感覚って特殊なんですかね?(^^;

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