健康について第73回 本当の健康法とは(13) ストレス(との向き合い方)その2

2013/05/07 12:26:41

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回、ストレスについて書き始めたつもりが、だんだんと仕事論的な話になってしまいました。

 仕事は、「オレに仕事をふるなよコノヤロウ」オーラを出しまくって現場の雰囲気を悪くするよりも、淡々と受けたほうが結果的にはストレス軽減になるのではないか? という問題提起をさせていただいたつもりです。

 今回もこのへんの話を続けます。

 

◆スキルアップへの超近道

 「面倒くさそうな仕事は受ける」というスタンスが、未来のあなたを救うのでしょう。なぜなら面倒くさそうな仕事をこなすことによりスキルが上がるからです。

 言い方を変えれば、面倒くさくない仕事をこなしていてもスキルは上がりません。良くて現状維持ですが、普通スキルは「後退」します。なぜなら、世の中はこの瞬間にも進歩しているからです。進歩している世の中に対して少しずつスキルを上げながらついていくのが「現状維持」ですので。

 面倒くさそうな仕事は、淡々と受けるだけでなく、淡々とこなすのがベストです。淡々とこなすことでスキルが上がってゆきます。それが、いわゆる「修練」と呼ばれるものです。

 あるいは「覚悟」がスキルを上げるのかもしれませんね。 どんな小さな仕事でも、引き受けるときはプチ覚悟が必要なのでしょう。覚悟を持つということは責任を持つということです。

 「淡々とこなす」方法とは、具体的には、受けた仕事については愚痴るのはやめることです。それだけでOKです。愚痴りながら仕事をしたところで、周りのあなたに対する評価も下がりますし、組織の士気も少し下がりますし、自身の主体性も喪失していきますし、いいことは何もありません。

 キツくない仕事をやっている分には、ふつう愚痴は出ませんよね。キツくともキツくなくとも、とにかく淡々と仕事を進めるということです。

 

 キツくない仕事をやっているときですら、たとえば「仕事が単調でつまらない」とか愚痴が出てくるようですと、これは「重症」かもしれませんね……。とにかく仕事自体がキライということですよね。それはそれは、出勤するだけでストレスでしょうねぇ……。

 このような状態は、「仕事のせいで不健康になっている」ということですので、よろしくありません。そして、IT業界はこのような方が多いようです。この連載では、仕事をすればするほど健康になっていく、というのを理想に掲げてはいますが、まずは仕事でのストレスを軽減させて、仕事をすればするほど不健康になるスパイラルから脱することが先決ですね。

 ちょっとだけ強い意志を持てば、変わっていくことはできます。まずは、愚痴るのをやめてみるだけですので。

 「愚痴れないとストレスがたまるばかりじゃないか! ただでさえ面倒くさい仕事を抱えているのに……」と思われる方、いらっしゃるかもしれませんが、それはちょっと……。ドラスティックに、考え方を変えたほうがいいのでしょうね。

 現代社会では、スポーツで発散するなどストレス解消法はたくさんあるはずです。もっともポピュラーなのは、趣味を持つことですよね。

 仕事そのものが楽しい、とまではいかなくとも、仕事をこなす過程でストレスが蓄積されてゆかないのがベストですが(仕事の時間帯の中で、ガス抜きをする手段を考え、プライベートに引きずらないようにしましょう)、それが難しいようであれば、プライベートの時間(趣味を行う時間)を日々楽しみに、仕事をしていればよいと思います。

 皆さん、うっすら知っているのでしょうが、愚痴を撒き散らすことでストレスが解消されることはありません。まずその事実に正面から向き合うことでしょうね。「ちょっとだけ強い意志を持つ」とはそういうことです。

 

◆仕事は、増えるもの。

 「ただでさえ仕事が多いのに、面倒くさそうな仕事まで受けていたら、ますます仕事が増えちゃうじゃん!」と、考えますよね。

 それは正しい。

 そう、仕事は増えるのです! 実は(ザンネン……)!

 ただし、仕事は増えますがアサインされる仕事の質が上がっていくのです。なぜなら、面倒くさそうな仕事をこなすほどに生産性が上がっていくから。その生産性にふさわしい仕事が、やってきます。

 未来のあなたは、今のレベルの仕事は、鼻歌まじりでヨユウでこなせます。が、残念ながら(?)未来のあなたにはヨユウの仕事はきません。未来のあなたの生産性、UPしたスキルにふさわしい仕事がきます。それは、素晴らしいことです。

 以前書いたように、もともとだらだら残業しているのですから仕事が増えても「労働時間」という点ではそれほど変わりませんので。微増ぐらいです。生産性が上がるのと、仕事のレベル(難易度)が上がるのとで、おおよそとんとんです。

 そして不思議なことに、たくさん働いている割にはストレスが減っていくのです。なぜなら、仕事に納得感・達成感があるからです。そして、生産性が上がるにつれ自分の仕事の「こなし方」にも満足感が出てきます。

 ストレスも減るし、スキルも上がるし、さらに、周りや現場からの信頼も得られるし……。悪いことは何もありません。 

 早く帰れるようになる!ことは、ないかもしれないけれど……。まぁ、いいじゃありませんか現状維持で。

 

◆未来を変える(まとめ)。

 未来も同じレベルの仕事をしていたいか? という問いを、自分に発することが大事なのだと思います。

 IT業界に棲息する人間の「性」として、われわれは、もっとレベルの高い仕事を欲しているはずです。そもそも未来はより複雑化しているはずなので、その状況に見合った仕事をせざるを得ないでしょう。システムエンジニアリングは10年前と比べてカンタンになったでしょうか? 私はそうは思えません。これだけ、システムエンジニアリングをシンプルにしよう、システム運用を効率化しよう、という動き(流れ)があるにもかかわらず、です。

 未来に、もっとレベルの高い仕事をしているためには、常に上昇志向でいるほかないのです(上昇志向とは、役職を上がっていくことを目指すことではありません)。

 われわれは、自分のレベルが上がっている、という実感があるのであれば、キツい仕事も耐えられますし、自分のレベルが知らぬ間に上がっているような仕事を欲しています。そしてわれわれは、同じ仕事の繰り返しは実はキライです。飽きっぽいのです。

 ストレスの軽減(ゼロになることはありえません)および「仕事により健康になる」カギはこの「上昇志向」にあります。未来に自分のやりたい仕事をやっているためには、今キツい仕事をするしかないのです。

 上昇志向をおおっぴらにするのはけっこう恥ずかしいので、内に秘めていればOKです。

 もし、未来も今のレベルの仕事を欲するのであれば、そこにはストレスと不健康もセットでついてくることでしょう。不思議ですよね。未来も今のレベルの仕事をしているのであれば仕事はラクになっているはずなのに。

 われわれは、現状維持志向では健康になれないのです。言い方を変えると、強い現状維持志向を持っている方は業界から離れたほうがよいかもしれませんね。あるいは、完全に管理職に上がるか。そうでないと、いつまでも強いストレスを抱え続けることになります。

 ……なんだかいつもどおり、脱線しまくってしまいましたが、もう少し続けます。次回でこの「ストレス(との向き合い方)」は終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

健康について第72回 本当の健康法とは(12) ストレス(との向き合い方)

2013/04/05 11:35:57

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

◆本当の健康法を実践するための前提条件の整理

 ※重要なので、しつこく書きます

  1. 「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方にシフトすること。
  2. 「健康になろう」という強い意志を持つこと。
  3. 仕事を続けながら、(気が付いたら)健康になっている術を考えること。仕事と健康法実践とを明確に分けない。
  4. ニュートラルでいること。
  5. 周りの人と自分とを差別化すること。(1)ネガティブな言葉を吐かない (2)IT業界における自分の立ち位置を正確に認識する (3)素直である(いる)

◆前回までのおさらい

 まただいぶ間があいてしまいました……。ここ数回は、「本当の健康法」として、ベンさんコントロール、睡眠コントロールを取り上げました。これら2点にこだわっていくと、徐々に健康になっていくこと請け合いです。ぜひ実践してみていただければと思います。

 詳しくは、第69回~第71回をご確認ください。

 

◆ストレス(との向き合い方)

 さて今回ですが、IT業界に生息するわれわれが、まるで持病のように抱えている「ストレス」について書きます。

 ストレスについては最初から結論を書かざるを得ない、といいますか……。

健康の秘訣はストレスをためないことであって、ストレスを受けないように回避して生きていくことではない。

 ということです。

 つまり、大事なのは、ストレス耐性および「受け流す」技術です。まわりがストレスフルな生活を送っているからといって自分がそうなる義務はどこにもないのです。

 

◆逃げても追ってくる

 仮にあなたが今の職場で、ムチャ振りされやすいような体質、ポジションに甘んじているとしましょう。

 その状況が相当なストレスになっていることと思います。

 分かります、すごく分かります。

 で、その状況を打破するにはどうすればよいか? ですが、

  「いや!それ自分の仕事じゃないんで」と断ることは必ずしも得策ではないのです。

 めんどくさそうな仕事はできるだけ受けない、というスタンスの方、たくさん知っています。というかIT業界はそういう方ばかりです(失礼)。おそらく、それほど意識せずに、それがベストなストレス回避法であると考えてそうしているのだと思います。

 ところが、仕事というのは、全員がそっぽを向いたら消滅するわけもなく、いつかは誰かがやることになります。

 一発目に断っても結局は押し切られて受けてしまうか、めぐりめぐって別なムチャ振りとして返ってきます。そのときは最初に想定された負荷の1.3倍ぐらいになっており、かつますます期日も迫っています。

 つまり、最初めんどくさそうに見えた仕事が、さらに輪をかけてめんどくさくなって返ってくるわけです。仕事というのは、放置すればするほどリスクが増大していくものです。

 結果的に(しぶしぶ)受けた仕事というのはモチベーションも非常に低く、最終的に深夜残業などで対応してもアウトプットの品質は相当悪い。というかわざとあて付けで、品質低めに出したりしますよね。当然手戻りが発生し、自業自得でさらに苦しむのはもちろんのこと、周りもそのシワ寄せを受けますので(というか、本人はシワを周りに寄せたくてしょうがないわけですからね)、組織全体に少しずつ迷惑をかけます。

 そしてあなたの評価も少しずつ下がっていきます。

 「なんでオレばっかり……」と考えてしまっている方は、実はそんな仕事のやり方の繰り返しで自ら墓穴を掘っているのではないでしょうか? 自分で自分の評価を下げて、現場で居心地悪くなっていませんか?

 

◆だから、さくっと受ける

 なので、さくっと仕事は受けるべきなのです。そして7~8割ぐらいの品質(自分の全力に比べて)で、納期のかなり前に返す。あるいは想定されるアウトプットを早い段階でレビューしてもらう。それをやっとけば、手戻りはあるかもしれませんが、結果オンスケです。あなたの評価が悪くなることはありません。

 「取りあえず受けることにする」というスタンスに変えるともちろん残業は増えますが、でもずっと今までもだらだら残業を続けてきたわけでしょう? だからあんまり状況は変わらないのです。

 だからといって、この連載は自己啓発系ではありませんので、「仕事に対して積極的に手を挙げましょう!」ということを言いたいわけではありません。いつも笑顔で、「ハイ!喜んで!」なんていうオプションは不要です。ただ仕事のオファーがあったら(ある意味)観念して、その場で引き受けた方が絶対に得策ですよ、ということです。

 あなたが所属する組織にとっても。そして、めぐりめぐってわれわれにとっての得策でもあるのです。

 いただいた仕事に対して笑顔をふりまく必要もないし不機嫌になる必要もありません。ただ淡々と、着手する。上述した「4.ニュートラルでいること」の実践です。

 まぁ、取りあえず仕事を受けろとはいっても例外というか、限度はありますよね。SEなのに毎日掃除しろとかいわれたらイヤですよね。それは学校における「いじめ」に近い話ですから、別途第三者を立てて調整する必要があるかもしれません。

 そういえば第21回で「引き受ける」ということについて書いていました。よろしかったらこちらもご一読ください。書きたいことがもりもり出てきましたので、いったん切って、あとは次回とさせていただきます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第71回 本当の健康法とは(11) 睡眠コントロール(2)

2013/03/04 11:10:11

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

◆本当の健康法を実践するための前提条件の整理

 ※重要なので、しつこく書きます

  1. 「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方にシフトすること。
  2. 「健康になろう」という強い意志を持つこと。
  3. 仕事を続けながら、(気が付いたら)健康になっている術を考えること。仕事と健康法実践とを明確に分けない。
  4. ニュートラルでいること。
  5. 周りの人と自分とを差別化すること。(1)ネガティブな言葉を吐かない (2)IT業界における自分の立ち位置を正確に認識する (3)素直である(いる)

 今回は、前回の睡眠コントロールのまとめです(前回はこちらです)。

◆爽快な目覚め

 前回、長々と睡眠について書いてきたわけですが、よく考えてみると、われわれがゲットしたいのは実は「爽快な目覚め」だといってもいいと思うのです。睡眠時間が何時間だろうが前の日にゲームをしていようがしていまいが、極端にいえば「爽快な目覚め」をゲットできれば、それでいいのかもしれません(ただし、クスリに頼らずに!)。

 そもそも、「熟睡」の尺度は感覚的なものでしかないのですから、ということは熟睡の尺度を定性的な「どれだけ目覚めが爽快か」においてもよいのでしょう。

 前回書いてきたいくつかの手法も、すべてそこに行き着く(それが目的)といいますか……。

 この話は少しややこしいのかもしれないです(というか、前回書いたことをかなりちゃぶ台返ししてしまっているかも……)。

◆充実感

 もっと俯瞰して考えると、爽快な目覚めのために最も必要なのは、人生における充実感のような気もしてきます。

 どこかの回で書いたのですが、目覚めが爽快だとなんだかんだでその日1日はうまく流れてゆきますし、腹が立つことがあっても余裕でスルーできたりします。そうするとますます仕事も好循環していき、心残りなことも減り、夜もぐっすり眠れる、と……。

 仕事やプライベートで問題を抱えていると、熟睡はできません。熟睡ができないというのはすなわち、良くない夢を見るのとほとんどイコールです。

◆まとめのまとめ

 結局、いつもと似たような結論なのですが。

 まず、「睡眠をコントロールする」ではちょっと漠然としているので、「爽快な目覚め」をコントロールする方向にシフトします(私の個人的見解では、これらはイコールです)。毎日爽快に目覚めるにはどうしたらいいか? にフォーカスします。

 「爽快な目覚め」のためのアプローチとして、前回つらつらと書いた「テクニック」を駆使して睡眠の質を高めてゆくのもアリです。そして大事なのは、たまたま爽快に目覚めた日があったならば、なぜそうなったのかを考えることです。前日何があったのか? 早く寝たから? 酒を飲まなかったから? などなど。それを考え続け、かつ再現性をもたせることにより、ナレッジが蓄積されてゆきます。

 ただし、テクニックを駆使するだけでなく、上述したように、包括的に人生そのものを好循環させてゆくことにより、自然と睡眠も、そのサイクルの中で良質なものにしていく(当然、目覚めも爽快になっていきます)という手段もあるということを、おぼえておいて損はありません。精神的にも楽になります。

 ですが、「人生を好循環させていくにはどうするか?」という命題は重要なのですが、かなり漠然としているので、「毎日爽快に目覚めるためにはどうしたらよいか」の方がとっつきやすいです。ですので前者は、常に頭の片隅において、軽く考え続けるぐらいのスタンスでいいかと思います。

 とにもかくにも、ほぼ毎日、目覚めが爽快であったならば、人生はどれほど楽しくなるでしょう!

 もし同意いただけるのであれば、毎日そうなるよう、考え、生活を修正していきましょう。

 ということで睡眠についてのまとめとします。読んでいただきありがとうございました。

健康について第70回 本当の健康法とは(10) 睡眠コントロール

2013/01/15 17:40:10

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

◆前回までのまとめ(本当の健康法を実践するための前提条件の整理)

 ※重要なので、しつこく書きます

  1. 「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方にシフトすること。
  2. 「健康になろう」という強い意志を持つこと。
  3. 仕事を続けながら、(気がついたら)健康になっている術を考えること。仕事と健康法実践とを明確に分けない。
  4. ニュートラルでいること。
  5. 周りの人と自分とを差別化すること。(1)ネガティブな言葉を吐かない (2)IT業界における自分の立ち位置を正確に認識する (3)素直である(いる)

◆今回のテーマ「睡眠」

 まず、前回書きましたとおり、私が重要と考える順に書いてゆこうと思っています。前回「ベンさん」について書きましたが、ベンさんのコントロールの次に大事なのは、「睡眠」です。睡眠をコントロールし、自分なりの熟睡できる手段を確立することは大変重要です。

 いずれのコントロールについても、現代社会においてかなり軽視されているような気がしていて、個人的には危惧しています。ベンさんも睡眠も味方につけて、生産性を上げ、まんまと「抜け駆け」してゆきましょう!

 睡眠についてはいろいろ書き散らしておりますので、以下、もしよろしければ再読ください。

第18回 24時間働けません

第23回 【実践編】午後眠くならないようにする方法

第24回 【実践編】朝起きれないのには理由がある

第57回 食について(7) 脳のために

◆過去ログ(第18、23、24、57回)のまとめ

  1. われわれは頭脳労働者であるため良質の睡眠を「とらなければならない」。その理由は、仕事で最高のパフォーマンスを発揮するためである。
  2. 良質な睡眠の結果、「すがすがしい目覚め」がプレゼントされる。(これは、何にも代えがたいもの)
  3. 睡眠は長い方がベターだがそれよりも追求すべきは熟睡である。
  4. 良質の睡眠をとるために、その前段として、寝る少し前から「画面」(PCやテレビやスマホ等)から離れる時間が必要。つまり、安らかな心地で眠りに入ること。
  5. 良質な睡眠を阻害するものとして「不安」がある。不安をとりのぞく努力は常にする必要がある。その第一歩としては、「その日やるべきことをやって、寝る」習慣をつけるのがよい。
  6. 煮詰まったら寝てしまった方が結果がよいことがほとんど。ただし、良質な睡眠が前提となる。
  7. 昼寝は、必要! 午後に睡魔と闘いながら低い生産性で作業するよりは、びしっと20分睡眠に充てた方が、自身の生産性のみならず組織の生産性にも寄与する。 ⇒昼寝するための具体的な作戦については23回に書きました。
  8. 眠気を感じたらどこでも即眠りに入ることができる、という技術は、ビジネスマンの必須スキルである。
  9. ある程度の睡眠不足はあきらめる。それを嘆くのではなく、自分のデフォルトの睡眠時間を決めてそれを身体に慣れさせること。重要なのは、自己節制により眠りに入る時刻を一定にすること。
  10. 世間的によく言われているとおり、休日でも、ふだんの起床時刻より1時間以上寝坊しない。そして休日前でも、ふだんの寝る時刻よりも1時間以上遅く夜更かしをしない。また、休日の昼寝は長めにとること(ただし、1時間程度)。

◆上記まとめの補足

 まず、昼間に眠くなることについて罪悪感を持つことはない、ということです。われわれは基本的に睡眠不足ですし(笑)、エンジニアが昼眠くなるのは、身体が「画面」からの逃避を要求しているのかもしれません。いずれにせよちょっと眠ってリフレッシュせよというサインです。

 ただし、昼に食べ過ぎて眠くなるのは別な話です。そもそも食べ過ぎは(「食べ過ぎ」とは腹十分ではなく腹八分からです!)身体にとって良くないですし、われわれの生産性を下げるので避けましょう。食べ過ぎが労働意欲を妨げるのは、動物を見れば明らかです。

 前回書いたように、堂々と昼寝できる環境を「闘って」勝ち取ろう!とまではいいません。それは、ユーザーや元請け先に常駐するスタイルが多いIT業界ではほぼ無理でしょう。ですので、昼休憩と睡眠の時間をマッチさせるようコントロールするのが肝要です。詳しくは第23回に書きましたが、昼休憩時間が固定であればその時間に眠くなるように工夫する必要があります。

 また、3.の「寝る前に「画面」(PCやテレビやスマホ等)から離れる時間が必要」については、別途詳しく書くと思いますが、そもそもわれわれは目や脳を休めるために、プライベートではなるべく「画面」から離れるべきです。

◆通常の夜の睡眠について

 そもそも、夜の睡眠で熟睡することが肝要です。

 夜、ちゃんと熟睡できていれば、昼寝は「武器」になります。より仕事の生産性を上げるための。ところが、夜熟睡できていないと昼寝はただの「補完」となり、プラスアルファにはならないのです。

 かなり具体的な(リアルな)話ですが、夜は独りで寝たほうが熟睡できますね。家族で寝るのはおすすめしません。これは、一般論ではなく「頭脳労働者は」という前提の話ですが。

 寝る前、そして寝ている間、さらに、起きた直後まで、静かな、そして可能であれば真っ暗な環境を準備すべし、ということです。そのような環境であれば、睡眠の時間も少なくてすみます。特にテレビが良くないのですが、何かしらの音が鳴り続けている状態が、睡眠にはよろしくないです。例えば、肉体労働者が、栄養補給のためにがつがつ食べるのと同じ感じで、われわれは明日への活力のために熟睡(および、熟睡のための環境)が必要なのです。

 そのためには、必ずしも個室が必要というわけではないですよね。例えば、リビングでソファー・ベッドで寝るとか。策はあるはずです。家族で相談してみればよいと思います。

◆電話について

 携帯、この悩ましい存在……(笑)。夜中にトラブル等で電話がかかってくるのはIT業界の常です。電話がくるかも? と考えてしまうだけで熟睡が阻害されてしまう…

 電話についても、無責任に「闘って」夜中に携帯がならない環境をゲットせよ、というわけにもいきませんが……。あらためて、考えてみていただきたいのです。自分はホントに、寝る前に「職場携帯をoffしちゃダメなのか?」ダメなのだとしたら「ゼッタイか?」と。

 たとえば職場内で分担するとか。週に3回だけにするよう調整するとか。ホンキで考えれば、いろいろなアイディアはあると思うのです。

 で、一日ぐらい携帯切っちゃいましょう(笑)。一日切ったってクビにはなりませんよ。それと、病欠してるときすら携帯をONにしてる人がいますが……。休みの日までスタンバっておく必要はないんです。休みの日は休むべきであり、それを会社も望んでいます(あなたの直属の上司が望んでいるかどうかは、分かりませんが……)。しっかり休んで復活してくれないと会社は困るのです。

 SEが携帯をオフして床に入るときの安堵感といったら……(笑)。それだけで熟睡は約束されたようなものです。

 私事ですが、私が早起き生活にシフトした理由のひとつがこの「電話」でして……リアルな話ですが、夜間バッチの最後のほうがコケて電話がくることが多くて、いっそのこと4時に起きてしまえ! とブチキレたことがありました(笑)。

 いつも7:30に起きる人が、3:30に電話で叩き起こされたら、ホントキツいですよね。でも、4:00に起きる人が3:30に電話で起こされてもそれほどダメージはない(笑)。そういう、発想の転換をしてみたのです。早く起きるようになるとゼッタイ、遅くまで仕事できなくなりますから。

 最初はキツかったですけどね。でも、なんとかなるものです。不思議なことに、自分が変わると環境が変わってゆきます。自分がサボろうとすると周りはイジワルになっていきますが、自分が一生懸命仕事の生産性を上げて早く上がれるよう努力したり、早起きするようになった分朝に仕事するようにしたりすると、周りはそういう自分を認めてくれます。

 それが効果があったのかなかったのか…しばらくしたらちょっとした配置転換、担当替えがあり、夜中に電話がくることは少なくなりました。そういうことも、あるんですね。

 ◆まとめ(のような)

長くなってしまいましたのでまとめについては、次回とさせていただきます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第69回 本当の健康法とは(9) 「ベンさん」リターンズ

2012/12/27 17:29:33

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

 今年中に1本、書き上げたいなあと思い、ピッチを上げたのですが、なかなかまとまらず……。

 今年中に「投稿することに意義がある」という方針に変更させていただき(笑)、取りあえず今回は一部のみ記載して詳細は次回以降(来年)にまわそうと思います(下書きではいろいろ書いたのですが……)。

 

◆最も重要な健康法(自信アリ)

 前回、今までの自分の投稿60回分を読み返していると書きましたが、その中で最も重要な健康法について再掲します。

第13回【実践編】 身体をいたわる~「ベンさん」の話

第14回【実践編】 身体をいたわる~その2 「ジイさん」も。

 なんとかベストテン番組のように、第1位を最後にもってくるのではなく、一番重要と思うトピックからまず書いていきます。

 この「ベンさん」の話が一番重要、というのは、意外でしょうか(笑)?

 

◆前回までのまとめ(本当の健康法を実践するための前提条件の整理)

  1. 「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方にシフトすること。
  2. 「健康になろう」という強い意志を持つこと。
  3. 仕事を続けながら、(気がついたら)健康になっている術を考えること。仕事と健康法実践とを明確に分けない。
  4. ニュートラルでいること。
  5. 周りと自分とを差別化すること。(1)ネガティブな言葉を吐かない (2)IT業界における自分の立ち位置を正確に認識する (3)素直である(いる)

 

◆第13回、第14回(「ベンさん」シリーズ)のまとめ

  1. 『催し』たらすぐにトイレにいきましょう!(大も小も)
  2. 自分が望むときにトイレにも立てないような職場環境で、かなりの長期間、先の見えない仕事をしているのであれば、即身の振り方を考えましょう。転職とか、異動願とか。人間としての尊厳の問題です。一度は闘いましょう!
  3. 健康な人のベンさんはクサくない、クサい方が実は異常である、という考え方にシフトすること! そしてクサさをなくすためにどうするか、を考えて実践してゆくうちに健康になれる。
  4. 催してすぐトイレ(「大」の方)に行かない(あるいは行けない)と慢性便秘気味になりますが、不思議なことに家(あるいは部屋、自席)の「便秘状態」と密接に関連します! まず部屋を片付けてみるのも一考。

◆第13回、第14回の補足

  1. はすぐ始められます。
  2. は、該当する方はいちどマジメに考えてみることをおすすめいたします。そして、来年は闘ってみてください。あるいは、組織や会社に対して闘う「そぶりをみせる」でもかまいません。
  3. は、ホントです(笑)。「ベンさん」はクサいのが当然という考えに凝り固まっていないでしょうか? とりあえず全食事のうち、加工商品と肉の比率を減らしてみてください。間違いなく臭いが軽減されます(「ガス」のほうも)。家族がいらっしゃる方は特に! 家族の反応も変わってきますよ。
  4. は、この連載で、いくつか例をあげているロジックです。

 偽科学主義を信奉している方(4.を読んで「んなわけあるかい」と即考えた方が該当します)が、こういった直接的でない手法(便秘を治すために部屋を片付けるとあら不思議、治っちゃう、みたいな)を実践し、自分で感じてみて、納得していただけるといいなあ、と願っています。なぜなら、人間として視野が広まるからです。視野を広げるというのは、ビジネスマンが飛躍するために必ずやらなければならないことです。

◆おわりに

 「まとめ」の5の(3)「素直である(いる)」を実践してみていただければと思います。

 取りあえずお金もかかりませんし、始めて、数カ月続けていただければ幸いです(ちなみに、続けなければほぼ、意味はありません)。

 科学的根拠がない(あるいは、その根拠に対して納得感がない)から始めない(何もしない)というスタンスの方をたくさん知っていますが(特にこのIT業界で!)そういう方はかなり人生、損しているなあ、と感じます。そしてそういう方々は間違いなく、自分の人生に対して満足していないのですが、その大きな要因がここあることに気づいていない(気づこうとしない)。

 何も始めないのですから、時間は捻出できるはずなのですが、そういう方に限ってスマホやPCにかじりついて、SNSや某ポータルのニュースヘッドラインで時間をムダに使っています。そして「時間がない」とぼやく……。

 カンタンなことです。まずやってみる(走り出してみる)ことです。走りながら考える。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第68回 本当の健康法とは(8) 久々

2012/12/10 12:54:56

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

 すごーく久々になってしまいましたが、この連載もまとめフェイズに突入した(勝手にそうした)ので、あらためて過去の自分の文章を読み返して矛盾点がないか等確認しておりました。それに思ったよりも時間がかかってしまい……(言い訳ですが、60回分ありますので……)。

 なかなか終わりそうにないので、まずエンディングに向けて書き始めてみよう、と思いました。最初は、エンディングに向けてあらためて章立てなんぞを頭の中で考えていたのですが、それはちょっと違うな、と。それよりも、書きたいことをまず書いてみようかな、と。

 

◆前回のまとめ(本当の健康法を実践するための前提条件の整理)

  1. 「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方にシフトすること。
  2. 「健康になろう」という強い意志を持つこと。
  3. ニュートラルでいること。
  4. 周りと自分とを差別化すること。(1)ネガティブな言葉を吐かない (2)IT業界における自分の立ち位置を正確に認識する (3)素直である(いる)

 今後、もう少し前提条件を追加するかもしれません。

◆前回までに導き出されたポイント

  • エンジニアの元来持っている「誠実さ」を周りにアピールする。なぜなら、周りは誠実な人と仕事したいと思っているから。味方を得るためには照れる必要なし。
  • 性格が悪い(と周りに思われる)のは致命的(すべてが無駄になる)。
  • すでに退路は絶たれたものと考えて、自分の仕事の生産性を意識して上げていく。「今」の仕事に全力であたる、ゲーム感覚で。
  • 常に謙虚であること。
  • あいさつは大事。あいさつされたら100%返すこと。
  • 何かをしてもらったらお礼を述べること(まずはメールでもよし)。
  • 自分が何かをしてもらっているという事実に敏感になること(逆に、その事実に鈍感になろうとする人が多いので)。
  • 機嫌を一定に保つこと(機嫌を一定に保つことにより仕事の生産性も一定に保たれる)。

 ここで挙げたのは、健康法とは直接的に関係ないですが、今後「健康的に生活してゆく」上で必須となる項目ですね。一時的に健康になっても、「運用」を気をつけていかないとすぐに心身ともに不健康へ逆戻りです。

 

◆ 仕事があればおおよそ健康である

 本題。

 この業界で働く方々に役に立つ、エンジニアに特化した健康法をまとめたい、というのはこの連載の最初から書いてきたことです。

 で、いちばん大事なのは、エンジニアの健康というのは仕事があってナンボということですね。ですから、「仕事を続ける」というのがいちばん大事な「健康法」なのかもしれないです。あまりに当たり前のことかもしれませんが、これをまず書いておきたいな、と思いました。

 2つ考えるべきポイントがあります。まず、以前の私もそうでしたが、IT業界の仕事、ワークスタイルや業界慣習により、われわれの健康は害されているのではないか? われわれは働けば働くほど不健康になっていないか? という考え方があります。よって、この業界で仕事を続けることこそが健康の秘訣である、という考え方はどうも受け入れがたい、と。

 それは、ある意味では正しい。確かに、長時間労働を余儀なくされたり、座り仕事であったり、ずっとディスプレイとにらめっこだったりと、われわれのワークスタイルには健康を害する可能性が高まる要素がたくさんあります。

 でも、われわれエンジニアが失業している状態を考えるとどうか? どっちが健康か? あるいは健康に近いか? といえば、失業しているよりは働いて給料をもらっている状態のほうが健康に近いのです。

◆ カネがあれば健康か?

 もう1つのポイントですが、極論として、失業状態でもカネに困っていなければ、劣悪な労働環境で働くよりも健康といえるんじゃないの? という考え方もあるかもしれません。

 例えば、不労所得があるとか。実家にいて食うに困らないとか、家族が稼いでくれるとか……。

 働いておらず、最低限の生活にも困っていない(自称)エンジニアがいたとして、ある程度自分を律して食事にも気をつかったり、継続的にスポーツをしたり、お腹も出てなかったり(笑)。……そういう人間が仮に存在したとしたら、どうでしょうね? 健康診断でいつも二次検査に呼び出されるバリバリのエンジニアと比べたら?

 私はもちろん、後者を応援したいわけですが、応援どころか、後者の方が健康であると断言したいのです。

 もっといえば、そんな状態でうれしいですか? と私は問いたいのです(もし前者のような方が存在するのであれば)。エンジニアが、仕事のない状態(実力を発揮できない状態)でよいのですか? と。

 それと、後者の方が少なからず世の中に貢献しているわけですしね。という意味では健康的といえなくもない。前者はほぼ自分のためだけに「健康」を考えているわけですから。

 

◆ 不労所得者に憧れない

 と、今書いたことは極論ですので、間をとって、

  • 健康診断でひっかからない、バリバリのエンジニア
  • カネに困らないエンジニア

 を目指してゆけばよいのです。どちらも相互連関してゆきますから、バリバリ働きながらかつ健康に生きてゆける人は自然、カネもたまってゆくでしょうし、カネに困らなければ精神的に余裕もでき、仕事に好影響を与えます。

 私のまわりには不労所得者に憧れる方がとても多いのですが、その理由が、ほとんどの場合「現状がイヤだから」なんですよね。最終的な到達点を、そこにおくのはよいと思うのです。でも、不労所得者に移行することを現状の理想とするのは、「逃避」のニオイがしなくもないです。

 確かにIT業界の一般的な労働環境は良くありません。ですので、IT業界の仕事から離れさえすれば、体調が悪いのが治ったり、精神的不調から立ち直ったりできるのではないか? と考えるのも無理はないと思うのです。

 そしてそれはおおよそ正しいのでしょう。でもそれはIT業界とは関係なく、どの業界であっても、イヤイヤ仕事をしている人はその仕事を辞めれば、抱えている疾患はいったん雲消霧散してしまうものです。

 もし、現状イヤイヤ仕事している人がいるのであれば、「なるべく」イヤイヤでない方向に持ってゆく努力自体が健康法なのでしょうね。

◆ 趣味=仕事、を実現できるのか?

 実は、システム・エンジニアリングの仕事というか、例えばコーディングだったり設計だったり構築だったり、それらの仕事自体は、われわれはキライじゃないのです。というか大好きなのです。われわれがキライなのは、現場での人間関係や取引先、顧客、ベンダとの関係性、わずらわしさなんですよね。

 私たちは黙ってればいつまでもPCに向かってますからね。まったく苦にせず。

 ですので、先ほどの不労所得の話に戻れば、私たちの理想は、仕事を趣味にすることなんです。つまり、固定収入は別に持ち、生活に困らないようにしときながら、趣味で仕事をしたい。そして、イヤなら辞める。

 そう、イヤならいつでも辞められる、しかもこっちからちゃぶ台ひっくり返して、いつでもこちら優位に、という環境で仕事をしたいのですよ、私たちは。そして、辞めても常に引く手あまたで。三顧の礼でぜひウチに来てくれ、と言われ……。

 そういう環境であれば、生産性が上がるかどうかは分かりませんが、ストレスは劇的に減りますね。仕事に余裕ができますから、結果的に人間関係も好転するのでしょう。

 すると、あら不思議。つい先日まで「劣悪な環境」と思い込んでいた長時間労働も、長時間座りっぱなしもディスプレイ見っぱなしもすべて、楽しいことのように思えてきます!

 すべては環境次第というか、考えようです。

 さあ、理想は見えました。

 

◆ 現状をカイゼンすること

 仕事の内容自体がイヤなのであれば異業種に転職すればよいだけの話です。例えば、SE職の方が「エンジニアリング業務がイヤだ」というのであればそれはもう生き地獄に近いでしょう。

 でも以前書いたとおり、IT業界でなければ自分の実力を発揮できない、と考えるのであれば(あるいはもっと消極的に、IT業界もイヤだけど他の業界にうつるのも面倒なのでこの業界に残るしかないかも、みたいな考えであっても)、現状を変えてゆくしかないのですね。上に書いた理想のワークスタイルに、ほんの少しでもよいから、自分の環境を近づけてゆくのです。

  と考えるときに、いきなり、自分一人では業界慣習や体質を変えてゆくのは無理だよ、と大上段から考えるのではなくて、まず自分自身が、このIT業界で健康的に仕事してゆくにはどうしたらよいか? を考えてゆけばよいのです。末端の人間が考えるべきはまず自分のことであって、業界全体のことを考える必要はまったくありません。

 「仕事をしながら健康になってゆく術を考える」ことこそが健康法……いや、違うな。これは具体的な「健康法」ではなく、前提条件ですね(まだ前提条件から抜け出せていなかったか……)。

 

◆ 今回の結論

 「仕事をしながら健康になってゆく術を考える」とはすなわち、自分のペースで仕事すること。「ペース」とはライフサイクルもそうですし、精神的なものもありますね。

 不毛な人間関係に煩わされることなく、集中できる環境で仕事そのものに没頭できること(人間関係から逃避するのではなく、自分も寛容になる必要があります)。

 マネジメントがなってないプロジェクトに巻き込まれないこと。そういう状況でも常に自分を持ち、主張すべきところは主張すること。

 これらを、ただの理想論と片付けず、大真面目に、実現に向けて考えること。

 実現のためには現状と「闘う」必要があります。闘いのプロセスを回避することはできません。「闘う」気概がなければ残念ながら諦めるしかないですね。でも、「闘う」といっても一生闘い続けるわけではないですから。たまにはいいと思いますよ。

 闘うプロセスをどうしても回避したいのであれば、三顧の礼で迎えられるようなスーパーエンジニアになることです。ただし、スーパーエンジニアになるためには「闘う」以上に血のにじむような努力が必要になると思いますが……(例えばいくつものプロジェクトの修羅場をくぐり抜けるとか)。

 いずれにせよ、別な現場への配置換えや転職も、視野にいれる必要があるでしょう。自分を向上させるために。

 スーパーなエンジニアでなくとも、密度の濃い、ボリュームの大きい仕事は、ある程度覚悟しなければなりませんが、私たちはそれは望むところです。不毛な人間関係こそがno,thank youなのです。不毛な人間関係を回避するためにはデフォルトでこちらが有利なように状況を変えてゆかなければなりません。

 久しぶりなので長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

 

健康について第67回 本当の健康法とは(7) いったん、ふりかえり

2012/10/23 12:36:36

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

◆前回導き出された結論

  • あいさつは大事です。あいさつされたら100%返すこと。
  • 何かをしてもらったらお礼を述べること(まずはメールでもよし)。
  • 自分が何かをしてもらっているという事実に敏感になること(逆に、その事実に鈍感になろうとする人が多いので)。
  • 機嫌を一定に保つこと(機嫌を一定に保つことにより仕事の生産性も一定に保たれる)。



 さて、簡単に今までの途中経過をまとめてみます。

 今のところ、「本当の健康法」の本論には入れておらず、各自が本当の健康法をゲットするために必須となる前提条件(前提となる「態度」や考え方など)について述べているところですが、それがふくらんでしまい……。

 ですので、その前提条件を整理します。

◆第62回で述べた前提の1

 >「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方にシフトすること。

 これは、大事すぎるぐらい大事ですね。前提条件の中でも「大前提」です。

 思い込みでもよいのです。さらに一歩進めて、「IT業界でなければ、自分は向上しない」ぐらいに思っときましょう。

◆第63回で述べた前提の2

 >IT業界というのは(略)いるだけで不健康になる要素が満載ということです。(略) ですので、この負の連鎖を何とかして断ち切らなければならない、という強い決意が必要です。以前にも書きましたとおり、不健康である自分、運動不足である自分に酔っている段階では、いつまで経っても次のステージに進むことはできないのです。

 「健康になろう」という強い意志が必要、というのは、当然の前提条件ですね。今までの生活を変えずに自動的に健康になろうというのは間違っています。

 「別に健康にならなくともよい」と考えている人はこの前提条件をクリアできませんし、その考え方に対しては一応尊重します。現状に満足している人は、そのままでよいと思うのです。

◆第63回で述べた前提の3

>モチベーションの低下が向上心すらも阻害してゆきます。ではどうするか?
それは、モチベーションを下げないことです。モチベーションを下げないためにどうするか?
それは、モチベーションが下がる要因を自ら挙げないことです。モチベーションが下がりそうな要因が眼前にあったとしても、それをモチベーションが下がる要因であると認識しなければモチベーションは下がりません。
ニュートラルでいること。淡々としていること。なんでもかんでも、起こった事象を取りあえずマイナス要因として浴びてしまう義務はわれわれにはないのです。

 モチベーションの低下というのは、外的要因でいかんともしがたいもの、ではありません。ニュートラルに、淡々としていれば、はねのけられるものです。

◆第64回で述べた前提の4-1

>最も大事なのは、マインドです。すなわち、周りと自分とを「差別化」すること。
これを、周囲との摩擦がおきないよう、ひそかに進めることです。

差別化のためのアクションで特に大事なのは、周りの言動に引きずられないことです。IT業界はやたらめったらネガティブな言葉を吐く方が非常に多いので、即断ち切りましょう(今後一切、マネをしないこと)。

 周りと自分とを「差別化」する、というのが前提の4で、差別化する手法のその1が「ネガティブな言葉を吐かない」です。

◆第65回で述べた前提の4-2

>良くも悪くも、業界経験が長くなってくれば、事実として、他業界では通用しない人材になっていきます(特に、エンジニア職)。
担当業務が専門的になればなるほど、自分が絶たなくとも、退路は徐々に絶たれていきます。
まずはそれを自覚する(認める)必要があります。それを認めたくなくてあがいている人たちとの差別化が必要なのです。

 差別化する手法のその2が、IT業界における自分の立ち位置を認識することです。それがなぜ差別化につながるかというと、自分の立ち位置を分かっていない、といいますか目をそむけている方がほとんどだからです。自分の立ち位置を正確に把握できれば、次のアクションも的確なものになります。

◆第65回で述べた前提の4-3

>何歳になっても、若い人たちと同じように生産性を上げていくためには、「素直」である必要があります。
歳を重ねても、スれることなく、「素直さ」で周りと差別化していきましょう! 特に、最近の若い人たちは、若さとは「素直さ」が最大の武器であるにもかかわらず、最初からスれてる人が多いようなので……。
若い人たちから「素直さ」が消えつつあるということが、逆にわれわれにとっては大チャンスなのです。

 差別化する手法のその3が、素直であるということです。4-2と同様に、素直にふるまえない方がIT業界ではほとんどなので、素直さを前面に出すだけで差別化できますし、仕事が好転してゆきます。

 素直さ、とは後天的なものなので安心してください。先天的な性格は関係なくて、ビジネス・シーンでいろいろなプライドを取り払って素直になればよいだけの話です。

 「素直さ」とはスキルであり、素直になるというのはテクニックなのです。

◆おまけ:あいさつ

 「素直さ」からスピンアウトしたのがあいさつについての話で、すみません、前回勝手に盛り上がってしまいました(第66回)。そのまとめは上述しました(「◆前回導き出された結論」)。あいさつは「素直さ」に含まるもので、コミュニケーション・スキルの1つとお考えいただければよいかと思います。

◆いったん、まとめ

 それにしても……前提条件だけでこんなにたくさんあるとは(笑)。

 これらすべてが、エンジニアの本当の健康のための前提条件ですので、よく考えるとハードル高いかもしれませんね(笑)。これらがクリアされないと健康法を実践しても「あまり」意味はないと思います。

 今まで書いてきたことは、健康法実践に当たってのマインドセットであり、これから述べてゆくことが主にフィジカル面での自身のコントロール方法、ということになると思います。

 健康法とは「心身」の健康をバランス良く実現することであり、これまでの前提がクリアされていれば「心」についてはおおよそ大丈夫ですので、「身」すなわちフィジカルの調整に専念できるというわけです。

 次回は(多分)もう1つ前提について書かせていただき(しつこい)次々回ぐらいからは今度こそ、「本当の健康法とは」の本論に突入してゆきたいと思います。予定は未定ですが……。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第66回 本当の健康法とは(6) 挨拶

2012/09/27 12:46:34

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

◆前回導き出された結論(※すべて、重要です!!)

  • エンジニアの方々が元来持っている「誠実さ」を周りにアピールする。なぜなら、周りは誠実な人と仕事したいと思っているから。味方を得るためには照れる必要なし。
  • 性格が悪い(と周りに思われる)のは致命的(すべてが無駄)
  • すでに退路は絶たれたものと考えて、自分の仕事の生産性を意識して上げていく。「今」の仕事に全力であたる、ゲーム感覚で。
  • 常に謙虚であること
  • 何歳になっても「素直」であること(※従順とは違います)

 前回「挨拶」についてスピンして書き始めましたので、今回はさらに掘り下げてみます。

 「挨拶」の具体的な手法ですが、「挨拶は身を守る鎧である」とは、故百瀬博教さんの言葉だったか……良い言葉ですね。そのとおりだと思います。

 挨拶はスキルです。挨拶スキルを磨くことにより、「身を守る」、つまり、不当に左遷されたり、肩たたきに遭ったりすることを予防できます。

 クビはオーバーかもしれませんが、例えば複雑にステークホルダが絡むプロジェクトにおいても、挨拶スキルによって「(少し悪意のある)嫌がらせ」(⇒質問してもなかなか回答がこない、依頼しても品質が悪い、火を噴く予兆に気付いていても教えてくれないなど、プロジェクトに携わったことがある方はだいたい経験されていますよね)を軽減させたり、予防することができます。

 つまり挨拶とは、周りを味方にして、周りが自分を守ってくれるようにするためのものです。

 ただし、以前書いた「組織の同調圧力に逆らうべきではない」という話に関連しますが、挨拶スキルは少しずつカイゼンしていく必要があります。

 突然変わるのは得策ではありません。翌朝からいきなり「オハヨウゴザイマス!」のポジティブ・ビジネスマンになってしまうと、周りも「なんだなんだ?」とウワサになってしまうので……

 最初から、「アイツ、上司にゴマすろうとしている」などという悪いウワサを立てられてしまうと、リカバリに余計な負荷がかかります(ホント、そういうウワサ立てるのが好きな人っていますよね)。

 じわじわと。目立たぬように少しずつ、です。

 とにかく当たり前のことを当たり前に行うこと。小さな声でもよいのです。当たり前のことを当たり前のようにやれるようになることこそが、「スキル」なのです。

 まず大事なのは、コール&レスポンスですね。朝、「おはようございます」と声をかけてくれた人には「おはようございます」と返す。夜、「お先に失礼します」という声が聞こえたら「お疲れ様でした」と返す(「おつかれ~」や「おつかれっす~」などのくだけた感じでも、相手を選べば問題ありません)。

 とにかく、声をかけてくれたら100%返すということ。それだけなんです。もちろん、適当に返していてはダメです。小さな声でもよいので、誠意をもって対応するのが大事です。

 こういうことをあえて書いているということは、皆様御存じのとおり、声をかけてもガン無視する人がIT業界には少なからず存在するということです。

 コール&レスポンスの一環ですが、何かしてもらったらお礼をしっかりする。これも当たり前のことですが、100%やらなければなりません。

 まずは、とり急ぎメールでお礼を申し上げる、でも構いません。何かしてもらったら、「感謝の気持ちを相手に分かるように伝える」を100%実施しましょう。独りよがりではダメです。自分が感謝しているという事実が相手に伝わった、と感じられるところまでです。

 具体的な返礼をする(例えば、モノをいただいたらモノで返すとか)のを100%にするとなると、またハードルが上がりますが、それはまた次のステップで考えればよいです(イヤミなく返礼するというのは相当なスキルです)。

 何かしてもらったら、の「何か」とは、ビジネスで便宜を図ってもらった、とかでもそうですし、いつもコワモテの人とおそるおそる会話したら丁寧に答えてもらえたとか、サポートにメールを投げたらうれしい誤算で、すぐ回答メールがきた、とか……

 「何かしてもらった」に小さいも大きいも(金額的に、とかも)ないのです。また、立場も(客だから、とか下請けだからとか)関係ないはずです。何かをしてもらったらお礼を言いなさい、というのは、小さい頃に例外なく教わったはずです。

 ところが、そもそも「鈍感」といいますか……「何かしてもらっている」ことにすら気付いていないことが、あるんですよね。

 ノーマルな方であれば、何かをしてもらったと認識したら、お礼を言うことはできるのですが(できない方もいますけど……)。気付かないことにはどうしようもありません。

 特に、立場的に上の方が、下の方から何かされたときに、なーんにも気付かないことが多々あります。そういう人の下につくメンバーは、不幸ですよねえ。

 元請けと下請けの関係も、同じです。元請けの立場になると、下請けに何かしてもらっても「アタリマエ」と考える人が多い。ていうかほとんどの人がそうですね。

 元請けの立場でも、下請けの人に何か親切にしてもらったら、お礼を言わなければなりません。(それこそが「アタリマエだろ?」ですよね)そして、お礼を「しなければ」なりません。具体的に。

 下請けの立場の人は、何をしてあげても元請けから文句ばっかり言われる立場を、苦しいと感じてしまうかもしれませんが、自分らの方が人間的に優れている(だからほっとこう)という考えで、乗り切ってください。そして、無礼な人たちは立場がどうであれ、いずれ自滅してゆきますので大丈夫です(確実に!)。

 さて、ではどうするか? 周りから何かしてもらっているという事実に敏感になるためにどうするか、ですが、それは意識を変える必要があります。

 意識を変えるための手法は、前回まで書いておりますし、先ほど「前回導き出された結論」にも書きました。謙虚になること、素直になること、退路は絶たれたものと考えること……。

 これで、変わってきます。

 この3つは本当は、立場が上の方ほど、やらなければならないことなのです。

 それともう1つ重要なことですが、自分の機嫌を優先してはなりません。

 機嫌がふつう、あるいは良いときは、ほとんどの方は挨拶もできますし、お礼もできますし、ビジネスマンとしてふつうにふるまえるのですが、機嫌が悪いときは全然ダメな方が少なからずいるのです。特に、自分のことを職人的技術者であると自負している方に多いですね。

 そういう人を放置しておくと、図に乗って、1日中機嫌悪くしてるようになります。だって、そのほうが楽ですからね。自分の殻に閉じこもれるから。

 自分の機嫌によって自身の「品質」が乱高下する方が、IT業界には多過ぎるのですよね。周りから評価されるためには「安定感」は絶対条件になります。

 我々は、ビジネス・シーンにおいて、実はいろいろな人たちからいろいろなかたちでフォローを受けています。という事実に、意識を変えさえすれば気付きます。ちょっと気にしながら一日を過ごしてみてください。

 私が仕事させてもらっている現場では、始業時間1時間前に入ると、メンテナンスの方が掃除をされています。トイレを気持ちよく使えるのは、そして、それを含め仕事に集中できるのは、メンテナンスの会社の方々のおかげです。また、自主的に朝早く出勤されている方が、花瓶の水を替えたりしています。そういうのをみると、とても気分がよいです。

 それを、「それがヤツらの仕事だろ?」と考えてしまうのであれば、残念…… はっきりと口には出さずとも、そういうふうに考える方がIT業界には多いかもしれません。

 身も蓋もないことをいえば、サラリーマンの方は「給料をもらっている」という事実がありますよね。それを安いと思うか見あっていると思うかは主観ですが、「お金をもらっている」という事実(家族の生活を成り立たせるための究極のフォロー?)は厳然としてあります。

 それを、「それは会社の(社長の)仕事だろ?」と思いますか? 働いた分の対価が翌月、銀行口座に入っているのが当然と思いますか?

 実際、会社というシステムの中では、その会社が健全に機能しているのであれば当然のフローなのかもしれません。が、あからさまに「当然である」とは思わない方がよいと思います。

 挨拶の話はおおよそ終わりましたがもう少し、続けます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第65回 本当の健康法とは(5) 誠実さ

2012/09/11 12:53:00

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

◆前回導き出された結論

  • ネガティブな言葉を吐かないこと。陰口をいわないこと。周りのネガティブな言動にひきずられないこと。

 しばらくは、前回書き始めた「差別化」について論を進めていきたいと思います。

 IT業界で周りと自分とを差別化するための手法の1つとして、前回は「ネガティブな言葉を吐かない」ということを書きました。

 それ以外にもいくつか手法がありますが、ただ差別化を図るだけではなく、最終的には「健康」につながっていくであろうものについて書いてみたいと思います。

 前々回だったと思いますが、「この業界以外で自分は果たして輝けるのだろうか?」と考えることが大事だと書きました。

 良くも悪くも、業界経験が長くなってくれば、事実として、他業界では通用しない人材になっていきます(特に、エンジニア職)。

 担当業務が専門的になればなるほど、自分が絶たなくとも、退路は徐々に絶たれていきます。

 まずはそれを自覚する(認める)必要があります。それを認めたくなくてあがいている人たちとの差別化が必要なのです。

 それを自覚できれば自然と、何歳であっても、仕事の生産性は上がっていくことでしょう。だって、もう退路は絶たれているわけですから、最後の砦のこの業界で、リストラされるわけにはいかないのです。

 まぁ実際、リストラされたとしても、同じ業界内で転職したり、個人事業主になったり、会社を興して社長になったりと、策はないわけではありませんが、仕事の生産性が上がっていく可能性がない人材を、別な会社が採用するとは思えません。

 そして、フリーや起業はもっと厳しいです。

 言い方を変えれば、(これが僕がIT業界に希望を持っている理由ですが)システム・エンジニアは何歳になっても生産性を上げられるということです。

 他の職種、他の業界であれば、例えば実力がなくとも上司にこびへつらって出世していくという手法が残されているのかもしれませんが、われわれはそれは大の苦手であるはずです。

 われわれは幸いなことに、100%ではありませんが、自身の生産性を上げれば仕事にありつくことが可能な業界にいます。今の仕事、今のプロジェクトで成果を上げれば、次はあります。とにかく、今が大事です。

 「他の業界では通用しない」というのは、必ずしも、悪いことではないのです。たとえIT以外で通用しないのだとしても、不器用であっても、愚直であれば何とかなります。ただし、性格が悪い(と周りに思われている)のはダメですけど……。

 何歳になっても、若い人たちと同じように生産性を上げていくためには、「素直」である必要があります。

 歳を重ねても、スれることなく、「素直さ」で周りと差別化していきましょう! 特に、最近の若い人たちは、若さとは「素直さ」が最大の武器であるにもかかわらず、最初からスれてる人が多いようなので……。

 若い人たちから「素直さ」が消えつつあるということが、逆にわれわれにとっては大チャンスなのです。

 とにかく、謙虚な気持ちを忘れないことですね。多くの人たちが、エンジニアとしてのプライドにしがみついて謙虚な気持ち、そしてIT業界への感謝を忘れています。

 「正直、自分はこの業界だから、かろうじて拾ってもらっているのではないだろうか」「他の業界だったら、自分はまったくイケてなかったのではなかろうか」という気持ちを忘れないことです。

 そもそものところで、「IT業界」という業界が数十年前(?)に勃興し、現在も世界的に発展しているという事実、ドッグイヤーで進化し続けているという事実に、まず感謝を捧げましょう。そして、あくまでこの業界内での「下克上」をねらっていくのです。

 いくつになっても、ゲーム感覚で。

 「素直さ」で思い出しましたが…… 少し脱線するかもしれませんが、差別化のために必要なのは「挨拶」です。今日から、まさに今から、少しずつ挨拶習慣を固めていきましょう。

 私が申し上げている「挨拶」というのはその行為自体もそうですが、いってみれば「誠実さの発現」ということです。IT業界にいるほとんどの人は誠実に仕事ができる人たちなのですから、それを「挨拶」という行為を通して周りに発現させていくこと。

 別に照れなくともよいのです。「素直」に外に向けて出せばいいのです。

 それはいってみれば自己PRの一環ですが、周りに対して(半ば戦略的に)良い自分を見せていくのは、IT業界で生き残っていくうえでゼッタイに必要なことです。無骨で無口な職人を気取っていても、評価はされない時代ですから。

 自身の生産性を上げるためには、周りにサポートしてもらうことがゼッタイ条件です。われわれはもはや、独りではどのような仕事も完結させることができないのですから。アイツと一緒に仕事したい、と汎用的に思われるようにならなければ、何も始まりません。

 そのために、「挨拶」はあります。

 IT業界に限らず、ほとんどの人たちは誠実な人と仕事をしたいと思っているものです。ですから、嫌味になることなく自分が「誠実」であることをアピールしてゆきましょう。

 「挨拶」というアピール手法は、ちょっと回り道をしているように思えたりするのですが(直接的な、スキルレベルのアピールなどと比べて)、実は非常に効果的です。

 「誠実」により、ほとんどの人たちを味方に付けられます。今から改心して誠実になりなさい、といっているのではありません。IT業界のほとんどの人たちは根っこが誠実なのですから、それを周りにシェアしましょうよ、ということです。

 挨拶については次回もう少し詳しく書きます。読んでいただきありがとうございました。

 

健康について第64回 本当の健康法とは(4) ニュートラル2

2012/09/03 12:06:24

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「本当の健康法とは」(「健康について」最終章)について、焦ることなく、少しずつエンディング(大団円)に向けて書いていきます。

◆前回導き出された結論

  • IT業界で働いていれば必ずぶち当たるもろもろのモチベーション低下要因に対しては軽く「受け流す」術を身に付ける。いちいち本気で取り合わない。そのために心身ともに健康である必要がある。健康であることで「余裕」が生まれる。
  • IT業界はいるだけで不健康になっていくこと必定であるということを強く認識すべし。そして「このままではいけない」と思うこと。業界体質は変わらないので自分が変わるしかない。

 ただでさえ不健康を助長する職場環境ですから、前回書きました「負の連鎖」(不健康が仕事に悪影響を与える←→仕事の調子が悪くて不健康に陥る)を断ち切るために、いろいろやらなければいけないことがあります。

 最も大事なのは、マインドです。すなわち、周りと自分とを「差別化」すること。

 これを、周囲との摩擦がおきないよう、ひそかに進めることです。

 IT業界に限ったことではありませんが、日本の組織体質は同調圧力が強いので、表面上は同調し続けたほうが無難です。出ようとする杭は打たれますからね……。

 差別化のためのアクションで特に大事なのは、周りの言動に引きずられないことです。IT業界はやたらめったらネガティブな言葉を吐く方が非常に多いので、即断ち切りましょう(今後一切、マネをしないこと)。

 PCに向かって、メーラーとにらめっこしながらネガティブな言葉を吐き続ける(「意味分かんねーよこいつ」など)のは即、やめましょう。運がだだ漏れです。もったいないです(それと、舌打ちもやめること)。

 ネガティブな言葉をやめるとはつまり、「まず否定にかかる」をやめることです。すべてを肯定せよとはいっていません。他人の言葉を「まず受けとめる」のが「器」です。

 相手の言葉を受けとめるのも、肯定するのも「負け」ではありません。それにより我々のプライド(のようなもの)に傷がつくものでもありません。

 ベンダやお客さんに対する文句、陰口もぐっとこらえること。陰口は伝染するものであり、残念なことに、IT業界内ではほぼ完全に、誰もが伝染しています。我々はそれを認識し、自ら主体的に自身を「治療」する必要があります。

 また、他人のネガティブな言動に対し同意を求められたら(例:あのベンダ、仕事の品質悪いよな~? とか)、面と向かって否定することなく、うま~くかわしましょう。「そんなことはないと思います」ともいわず、「そうですかね~」ぐらいに。

 ただし「そのとおりですね! ダメですね」と追随するのは否定よりもいけません。

 はぐらかすことで、今後同意を求められないようにすることが肝要です。否定すれば論戦を仕掛けられてしまうかもしれませんし(ムダに疲れます)、肯定すれば相手はつけ上がって仲間だと思われてしまいます。

 結局、「ニュートラル」に戻るだけの話です。一転して、明日から常にポジティブな言葉を発せよというわけではありません。黙っていればよいのです。

 かつて、IT業界に入って伝染する前は、誰もが「ニュートラル」だったはずなのです。

 相手を否定すること自体を否定はしていません。ビジネスにおいては、どうしてもそういった局面は避けられないでしょう。でも、否定したければそれは本人の前で。あるいはオープンな会議の場で。それができない(立場的になど)のであれば黙っていましょう。どさくさにまぎれてメールで毒を吐くのも、ダメです。それはエンジニアの悪いクセですから。

 最初は、意識して「ぐっとこらえる」必要がありますが、常にこらえていてはそれがストレスになりムダな不健康につながってゆきますので、自然とそうなるようにしていきます。自分が「こらえている」という意識すらなくしていきます。

 これは、できます。続けていれば、時間が経てばいつかそうなるので、大丈夫です。

 ただし、続ける意志があれば、ですけどね。やってみる価値はありますよ。「ぐっとこらえる」時期をすぎ、それが無意識になるころには、人生がすでに少し変わってきています(もちろん、良い方に)。

 とても重要なことは、組織というのは最初は、一見威勢の良さそうな、そういうネガティブな(荒っぽい?)言葉を吐くような方になびきますが、すぐ化けの皮が剥がれます。なぜなら、すぐに信頼を失うからです。他人の陰口を率先して言うような人についていこうと思う人はほとんどいません。自分も見てないところでボロクソ言われてるんだろうなと、疑心暗鬼になりますから、信頼関係が成り立たないのです。

 いろんな局面でぐっとこらえられる人は、信頼ができ、やがて組織はそういう人になびいていきます。ので、待つことです。

 それは、「流されない」ということでもあります。不健康な業界体質、陰口体質の職場に流されないこと。流されない自分になることにより、信頼を得ることもでき、さらに健康を手に入れることもできれば一石二鳥です(本当は、将来的には一石何鳥にもなるのですが)。

 長くなってきましたので、ここでいったん切ります。読んでいただきありがとうございました。

健康について第63回 本当の健康法とは(3) 「ニュートラル・シンキング」

2012/08/20 20:49:10

 お世話になります。龍澤と申します。

 だいぶ期間が空いてしまいましたが、例年通り、盛夏期はもろもろのワークを最小限に減らす習慣にしているので、ご了承願います。個人的事情ですみません。

 前回、前々回より引き続き、「健康について」のエンディングに向かっています。

◆前回までのまとめ

 エンディングに当たってクリアにしなければならない疑問

  1. 鉄板の健康法(後述)というのはすでに出そろっており、しかもあまりに鉄板であるがゆえに、それに対する反論ももはやないという状況にもかかわらず、多くのIT業界の人々は、健康法を実践しないという事実があるが、それはなぜか?
  2. 鉄板の健康法があるにもかかわらず、人々はなぜぽっと出のセンセーショナルな健康法に飛び付くのか?
  3. 鉄板の健康法があるにもかかわらず、この国ではなぜ雨後の筍のように健康法が後から後から湧いてくるのか?

 前回(あるいはそれ以前)に導き出された結論

  • 常に向上心を持つこと。「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方にシフトすること。これが、真の健康法習得への前提条件である。この前提がないと、どのような健康法を試しても意味はない。
  • 向上心を持つことでモチベーションアップが期待できる。ただし心身ともに健康でなければ、モチベーションだけではIT業界の激務・ストレスには耐えられない。という意味で個々が健康法を持つことは絶対条件となる。
  • 健康法はおのおのの生活環境、育った環境、体格、性格等で変わってくるので、おのおのが試行錯誤しながら確立してゆかなければならない。

 参考:鉄板の健康法(例)

  • 早寝早起きする
  • 野菜を食べる
  • 日光にあたる
  • 朗らかに暮らす

 今回もまた、前提条件について書きたいと思います。

 間違いなくいえるのは、IT業界というのは、長時間の座り仕事による運動不足であるとか、長時間ディスプレイを見ることによる目の酷使とか、とにかくいるだけで不健康になる要素が満載ということです。これらと、実際の業務上のストレス(上司や部下、あるいはベンダとのコミュニケーションロスや、超短納期によるプレッシャーなど)とは関連性があります。

 つまり、後者のために長時間の仕事を余儀なくされて前者につながるわけですし、個々のメンバーの、運動不足や目の酷使による体調不良が、後者に影響をおよぼしていることも実はあるわけです。

 ですので、この負の連鎖を何とかして断ち切らなければならない、という強い決意が必要です。以前にも書きましたとおり、不健康である自分、運動不足である自分に酔っている段階では、いつまで経っても次のステージに進むことはできないのです。

 言い方を変えれば、この負の連鎖を断ち切るための手法、手順こそがエンジニアの包括的な「健康法」であるといえるでしょう(もちろん、エンジニア職でなくとも参考になると思います)。

 そのためにまず必要なのが、前述した「向上心」です。

 「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方はつまり、IT業界「でなくてはならない」ということです。自分はこの業界「でなければならなかった」あるいは「でなければ輝けない」ぐらいの思い込みでいいのです。

 多かれ少なかれ、皆さんそうではないですか? この業界以外で自分は果たして輝けるのだろうか、と考えたことはないでしょうか? 他の業界でも自分は輝けるに違いない、と自信を持って言える方は少ないのではないでしょうか。

 IT業界というのは向上心を持ち続けることが比較的たやすい業界です。ですが、向上心とモチベーションとは別物です。モチベーションが下がる要因は、挙げればキリがありません。現在やりたい仕事をやれてない、とか、つまらない、キツい、上司がイヤ、客がイヤ、などなど……。

 モチベーションの低下が向上心すらも阻害してゆきます。ではどうするか?

 それは、モチベーションを下げないことです。モチベーションを下げないためにどうするか?

 それは、モチベーションが下がる要因を自ら挙げないことです。モチベーションが下がりそうな要因が眼前にあったとしても、それをモチベーションが下がる要因であると認識しなければモチベーションは下がりません。

 ニュートラルでいること。淡々としていること。なんでもかんでも、起こった事象を取りあえずマイナス要因として浴びてしまう義務は我々にはないのです。

 とはいっても、それは「ポジティブ・シンキング」とは少し異なります。

 我々は、現場でどのようなネガティブな出来事が起ころうとも常に笑顔で「元気にがんばっていこー!」などと脳天気でいることは、できないのです。

 我々は、ポジティブ・シンキング(およびポジティブを絵に描いたような人たち)に対して「軽くウザい」あるいは「ムリ」と考えているような人種です。また、IT業界そのものがポジティブ・シンキングと相当相性が悪いというのは、多くの人が感じていることだと思います。

 ただし、ポジティブな人材は、ゼッタイに必要ですし、ポジティブ・シンキングによりビジネス上有利になることは多々あるのですが、いきなりそこは目指さず、まずは「ニュートラル」を実践してみましょう。

 モチベーションが下がる要因を「自ら挙げない」のは、自分しかできません。他人がフォローしてあげることはできません。他人というのはフォローどころか、いろいろなトラブルの火ダネを持ち込んできます。

 他人の言動を気にすることはありません。とにかく自身が「今まで挙げていたのを、挙げないようにする」だけなので、カンタンっちゃカンタンなのですが、今私が述べていることに違和感を感じていらっしゃる方(「んなこた分かってんだよ」、あるいは「言うだけならカンタンだろ……」といったような)は、多分、相当遠い未来まで、自分を変えることはできないと思います。

 「あ、もしかしたらカンタンかも」と思っていただいた方は、すぐに変わっていけます。感想も何もなく、すーっと読んだ方は、おそらく現在健康なのだと思います。

 自分は「この業界(で生きる)しかないのだ」と、諦観にも似た気持ちを持っている方であれば、ある意味退路を絶っているわけですから、自らモチベーション低下の要因を挙げつらい、そして実際自らモチベーションを下げることがどれほどバカらしいかということか、分かるはずです。

 ですから、一番手っ取り早いのはそういう気持ちになることかもしれませんね。

 ただし、精神論で通すのは非常につらいものがあります。実際長時間労働で、プロジェクトが火を噴いているのに、「キツい」と吐露できないのは確かに厳しいかもしれません。

 そこで登場するのが「健康法」なのです。自分なりの健康法を確立していれば、つまり、フィジカルが健康であれば、精神的な負荷は相当軽減されるのです。さきほど申し上げたとおりで、フィジカルが健康であることにより、モチベーション低下要因を「はねのける」ことが可能になるのです。

 IT業界においてはこの、フィジカルコンディションの自己チェックについて、相当ないがしろにされていますし、おそらくこれからもそれほど変わらないでしょう。ですから、特にフィジカルを気にしてゆくことで、この業界で自身を差別化していくことができます。

 そして、フィジカルの健康というのはもちろん、「筋肉ムキムキ」のことではありません。我々はアスリートではないのですから、我々なりのフィジカルコンディションの仕上げ方、キープの方法というのがあるはずなのです。

 もう少し続けます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第62回 本当の健康法とは(2) 健康になる「自由」

2012/07/17 11:55:12

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回は、前回の続きについて書きます。

 前回のポイントは2つありました。1つは、鉄板の健康法というのはすでに出そろっており、しかもあまりに鉄板であるがゆえに、それに対する反論ももはやない、という状況にもかかわらず、多くのIT業界の人々は、健康法を実践しないという事実。および、それはなぜか? ということ。

 もう1つは、鉄板の健康法があるにもかかわらず、人々はぽっと出のセンセーショナルな健康法に飛びつくわけですが、それはなぜか? ということ。

 2つめについては、「なぜ」のポイントがさらに2つに分かれます。すなわち、「なぜ我々が怪しい健康法に飛びつくのか?」と、「なぜこの国では雨後の筍のように健康法が後から後からわいてくるのか?」ということです。もはや鉄板の健康法は出そろっているにもかかわらず、です。

 前回も書きましたが、この疑問を解決することはイコールこの連載「IT業界を生き抜く健康生活~健康について」が終焉に向かうということです。

#「やっぱり解決できませんでしたー」という結論になっても、それはそれで終焉なのですが(汗)

 それほどまでに、この2つの疑問は根本的であります。ですので、慎重に話を進めてゆきたいと思います(今回は1つめの疑問についてのみ書きます)。

 でも……改めて考えてみると、この2つの疑問はあまりに根本的ですよね。健康法がどうのこうの、という枠を、軽々と超えています。いっそのこと「現代日本人論」と銘打ってもいいのではないかと思うぐらいです。

 1つめの「なぜやらないのか?」はカンタンです。

 と、その前に、「鉄板の健康法は出そろっているのに、なぜやらないのか?」なんて問題提起されても……「そんなの余計なお世話だ! オマエに言われたかない」と思った方、多いのではないでしょうかね。

 ずっと書いてきているとおり、この連載における私のスタンスは、“Let's”あるいは“Shall We?”です。すなわち、「(一緒に)健康になりましょう!」あるいは「健康になりませんか?」と。

 命令形、すなわち強制ではありません(あらためて、いうまでもないことかもしれませんが)。

 そして、私が“Let's”あるいは“Shall We?”と問いかけたいのは、現在のご自身の生活習慣・食習慣を鑑みて、ほんの少しでも「変わらなきゃ……」と思っている方、思い始めている方が対象になります。

 生活に新しい変化を生み出そうと(カイゼンしようと)しているのであれば、ぜひその気持ちを大事にしていただきたいです。

 私の狭い交友範囲での話ではありますが、IT業界に棲息しているほとんどの方は現状に満足はしていませんし、向上心があります。

 他の業界の方と比べて、「現状維持でいいや」と考えている方の比率は、とても少ないと思うのです(すばらしいことです)。

 その理由は多分に、いわゆる「ドッグイヤー」であるこの業界の特質により、我々は常に最新技術に追い立てられているから、という見方もあるでしょう(現状維持と考えている時点でおいていかれる)。

 それをネガティブにとらえるのも、「おかげで常に向上心をもっていられる」とポジティブにとらえるのも、自由です。

 忘れないうちに一旦まとめておきますが、IT業界における「本当の健康法とは?」の1つの回答は、これです。きっかけが強制的であろうとなかろうと、常に向上心を持つこと。「IT業界は、常に自分に向上心を与えてくれる」という考え方にシフトすること。

 これが、大前提というか、「本当の健康法」への入り口になります。

 具体的には、もっと大きなプロジェクトに参画したい、最新の技術に詳しくなって自分の単価を上げたい、プロマネとなってプロジェクトを成功に導き、名を上げたい、コンサルとなって最上流から提案したい、もともと得意の技術をさらに極めたい、などなど……

 向上心を、現実的に結果として結実させるアプローチは、IT業界にはたくさん転がっています。そして、あまり知られていないことですが、IT業界は結構努力次第でどうとでもなります。天賦の才がほとんど必要ない。文系も理系も分け隔てなく受け入れる、それなりに機会平等な社会です(もちろん、結果は平等ではありません)。

 そして、そういうポジティブな向上心と並行して、「忙しすぎ!」「コミュニケーションの問題でストレスが……」など、不満や問題を抱えていらっしゃる方がほとんどです。

 ここで、「健康法」の出番となります。向上心を持っていても、あるいは目標達成のために実際に仕事を頑張ったとしても、忙しすぎてストレスがたまりまくりでは、体調を崩してしまって望む結果をゲットできないのです。

 つまり、IT業界においてモチベーション高く仕事している方、これからもモチベーション高く仕事をしていきたいと願う方は、自分なりの健康法をゼッタイに持たなければならないのです。

 自分なりの健康法を持たなければ、残念ながら、志半ばにして倒れることになりかねません。

 ここで、前回書きました「鉄板の健康法」についてあらためて以下におさらいします。

  • 早寝早起きする
  • 野菜を食べる
  • 日光にあたる
  • 朗らかに暮らす

 読んでいただければ分かるとおり、一見、IT業界とはまったく相いれないこれらの健康法について(これを読んであらためて「苦笑」された方は多いのでは?)、生活に新しい変化を生み出そうとされている方は、どう考えるか?

 変わろうという意志のある方は、変わろうという意志を持っていなかった頃と比べて、これを見て感じ方が変わってくるはずです。

 具体的にいえば、ネックになるのは1番目だけなのです。

 早寝早起きというのはなるほど、かなり難しい。でも他は、カンタンに実現可能です。IT業界に棲息している人間は、野菜を食べる自由がある。日光に当たる自由がある。朗らかに暮らす権利を有している。

 誰もジャンクフードを食べることを強制していない。誰も日の当たらない場所で仕事をすることを強制していない。誰も不機嫌に暮らすことを強制していないのです。

 早寝早起きが難しいのであれば、徹夜明けに朝日を見に行けばいいのです(笑)。それが自由ということです。

 少し(いやかなり)脱線してしまいましたが、キリがよいところでいったん切って、次回に続けます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第61回 本当の健康法とは

2012/07/09 12:43:57

 お世話になります。龍澤と申します。

 しばらく「食」について集中的に書いてきましたが、今回はタイトルのとおり「本当の健康法とは?」について、書いてみたいと思います(久々に、大きくでました)。

 今回よりそろそろ、この連載「健康について」の「終わりの始まり」といいますか……「本当の健康法」が分かれば「健康について」は目的を達して終了~ですよね。

#次は何について書こうかな……

 結局、私含めた凡人は、自分なりの「本当の健康法」に近づくだけであって、本当に「分かる」ところまではいかないのですが……これを読んでいただいている方を、それぞれの「本当の健康法」の極意の近くまでいざなえれば、それは私の本望であります。

 本当の健康法とは、最初に結論を申し上げれば、たぶん「生き残っているもの」なんですね。

 スパンとしては「(最低でも)数十年」でしょうね。現在星の数ほど出まわっている健康法は、残っているようにみえてもまだまだ日が浅いかもしれません。淘汰を待つ必要があります。

 昔からの健康法だから正しい、最近ぽっと出だから正しくない、とすぱっと切り分けることはできません。医療技術等の進歩により、最近やっと分かってきたことは、たくさんあります。

 ただし、新しいノウハウもたくさん生まれていますが、技術や医学が進化した結果として「やっぱり先達の叡智は正しかった」という結論になることも、たくさんありますね。

 例えば、反対意見がほぼ皆無のもの。有無を言わせないもの。以下のような。

  • 早寝早起きする
  • 野菜を食べる
  • 日光にあたる
  • 朗らかに暮らす

 これらに対して、反論はあるのでしょうか? 上記の4項目に対して、「~すると、不健康になる。なぜなら~」と、証明できる方はいらっしゃいますか?

 21世紀に入り、これらはますます「鉄板」になってきているような気がしますね。と考えれば、多くの方は、「何が正しいか」は分かってきているのです。それをやるかやらないか、だけの話で。

 昔流行った、若い人たちの「自分探しの旅」においては、彼らは成人しても「何が正しいのか」が分からないままである、といいますか、若さゆえにそれがおぼろげであるがために、それをはっきりさせるために「旅」に出るわけです。ということは、それが分かりさえすれば「旅」は終わりを迎え、若者は正しい方向へ向かって邁進するようになります(邁進したくなくとも「旅」が終われば、進まざるをえなくなる)。

 ところが、最近「自分探し」が流行らないのは、(ここからは私見ですが)「旅」に出る必要がないからなのです。「何が正しいのか」の答えはカンペキに世の中に出揃ってしまっています。(「情報」として)しかも、答えは1つではなく、人それぞれに用意されるものであることすら「世の中」は分かっています。

 極端にいえば、ググれば出てきます。

 というわけなので、クレバーな若者にとってはこんなカンタンな世の中はありません。「自分探し」のプロセスをすっ飛ばして、ショートカットで「何が正しいか」を認識し、それに向かって爆進してゆきます。最近の若者をみていると、たまに「とてつもなく頭がキレる」人がいますが、そういう人は迷いなく、世の中が用意したショートカットに最初から素直に乗っている人です。

 最近のスゴい若者は、ひと昔前のスゴい若者より相当スゴいですよ。まぁオールドタイプな方々は「苦労が足りない」とかぼやくのかもしれませんが、本当に「レールに乗って」爆進している若者に「苦労」という名の置き石は必要なのでしょうか? 爆進するのを邪魔せず、そのままはるか彼方まで突っ走るのを暖かく見守ってあげれば、よいのではないでしょうかね。

 でも、そういう選ばれた若者はほとんどいませんので……。最近の「普通の若者」は、「(自分なりの)何が正しいのか」の答えがはじめから用意されているがために、「分かっていても、やらない」状態に陥ります。

 ひと昔前の若者は、世の中が半端に複雑だったがために「(自分なりの)何が正しいのか」がよく分からず、それを明確にする作業が必要でした。ですので、ある程度苦労をして「何が正しいのか」がわかったならば、それを大事にしました。

 現代は、世の中がさらに加速度的に複雑になったがために、逆にそれのカウンターとしてこの世の中を生き抜くための「答え(模範解答)」もそのへんに転がっています(いわゆる「マニュアル」とよばれる類のものです)。先ほど書きましたとおり、模範解答は1つではなく、多岐にわたり用意されていますので(「余計なお世話」といってよいぐらいに!)、若い人たちはその中から自分に合うであろうものをチョイスするだけです。

 そのへんに転がっているがために、今の若者は、大事にしないのです(「石ころ」扱い?)。

 大事にしないがために、たくさんの選択肢があるのに、チョイスに失敗したりします。

 で、やっと「健康法」の話に戻りますが……。

 「何が正しいのか」はもはや誰もが分かっている。でも、ほとんどの人はやらない。ので、「なぜやらないのか?」を考えなければなりません。

 私もよく若い人に口癖のように言いますが「分かってんならやればいいじゃん!」というのは、もはや愚問になってきています。

 「分かってる」イコール「やれる」(スタンバイOK!)状態ではないのです。

 私が、とても不思議に思っているのは……「『何が正しいのか』はもはや誰もが分かっている。でも、ほとんどの人はやらない。」ここまでは分かるのです。が、正しいことを分かっているのに、「正しいらしいこと」に手をつけるのが、分からないのです。

 例えば、上述した鉄板の健康法が正しいと頭の中では理解しているにもかかわらず、なぜかみのもんたの番組にそそのかされて(失礼!)「毎日バナナダイエット」に走ってしまうとか……。

#すみません、実はみのもんたさんの番組はみないので、てきとうに印象で書きました

 正しいことを分かっているのに、天邪鬼に、「正しくないこと」に手をつけるのなら、分かるのです。なぜなら、それは「人間だから」。「テストの前日になぜか押入れの中に埋もれていたマンガを引っ張りだして全巻読んでしまう」理論で説明できます(笑)。

 健康法の話に引きつければ、正しい健康法は分かっているのに〆のラーメンは欠かさない、とか、夜中に焼肉を食らうとか。反動で「そっち方面」に走るのは、すごくよく分かります。

 でも、「正しいらしいこと」に手をつけるのが、私に分からない。それは、明日数学のテストなのに理科の勉強を徹夜でやるようなものです(ゼッタイ、やらなかったですよね!)。

 いっそのこと何もやらなきゃいいのに……。

 今回は「なんとな~く」な議論になってしまいましたが、「なんとな~く」ご理解いただけましたでしょうか。とりあえず、続けます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第60回 食について(10) 次世代に引き継ぐ習慣その2

2012/07/03 11:44:05

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回は、以前書きました「食について(5) 次世代に引き継ぐ習慣」の補足、といいますか書いた後にあらためて考えたことなどを書きたいと思います。

 おおよそ、既婚の方向けの内容になります。

 今までたくさんのことを書き散らしてきましたが、おそらく私が申し上げたいことのポイントは2つあって、1つは、何度も言及しているこの連載自体の骨子、「働くことで健康になる/健康になるために働く」に関連します。

 働くことで健康になる、を実現できれば、身近に親をみている子供に良い影響を与えるのは当然です。そういう親を見て育てば間違いなく子供は大人になって勤労意識を持ち続けると思います。

#思春期に子供がグレるかどうかははっきりいって運の要素もありますが……。勤労意識があれば、過程でいったんグレても人生の中盤戦で十分、挽回可能です。

 親がイヤイヤ働いていて、会社や取引先の文句を家で言ったり、奥さんに当たり散らしたりしていては、子供の勤労意識は高まりませんよね。親をみて「会社員はイヤだ デッカい仕事をしたい」と強く望み続けた結果、筋金入りフリーターの道へ……なんてことになりかねません。

 健康に働いている方は、子供の前で会社の文句とかはいわないでしょう。

 一見理想的な家庭環境なのに(親がエリートで大きな家に住んでいて子供は私立進学校、みたいな)、子供が大きくなっておかしくなってしまうのは、ほとんどこのパターンですね。親がイヤイヤ働いて、奥さんや子供に「オマエらのために働いてやってんだ」というNGワードを言いまくっていたり、イヤイヤ働いているのに子供に「自分のようになれ」とムチャぶりしたり。

 子供に勤労意識を持たせることは、とても大事なことです。子供をスポーツ選手や芸能人にしたい場合であっても、というか、そうしたいのであれば特に、「堕落抑止」のために必要となってきます。

 ですので、「働くことで健康になる/健康になるために働く」を実現させるために、お子さんがいらっしゃる方は、「子供に背中を見せる」をモチベーションに働くのもよろしいかと思います。

 ポイントの2つめは、ここのところずっと書いている「食」についてです。自身が「食生活の乱れ」を自覚しているのであれば子供の食生活も間違いなく乱れるでしょうね。

 例えば、自分がジャンクフード好きであっても子供にはそうさせないほうがよいですよ、と。

 食生活の乱れを次世代に受け継がないために、可能な範囲で、自身を少しずつカイゼンしていったほうがよろしいのでは? ということです。そしてそれが「働くことで健康になる/健康になるために働く」とリンクしていきます。

 子供はおおよそ、親の悪習慣は見事に(!)受け継ぎますので、親がジャンクフード好きならば子供はそうなります。そして、幼少の頃からそうであれば、成長に影響を及ぼす可能性が高くなります。

#親が、遺伝しないでほしい! と願う喘息やアトピーの類も、見事に受け継ぎますからね~。それは生活習慣、食習慣が親子で同じだからなのですが。

 なぜこのような余計なお世話的なことを申し上げるかといえば、(何度も書いているとおり)この業界のためです。また、「子供にはそうさせない」ことを推奨する理由は、この国の未来のためです。

 ジャンクフード好きのエンジニアが健康に目覚め、食生活のカイゼンをはじめたならば、高い確率で生産性があがり、だらだら残業のスパイラルから抜けることが出来、プライベートも充実し、子育て含む生活すべてにおいて好循環が始まるに違いない、と強く思っています。それが同時多発的に広まれば、業界全体が変わってゆくことができる。

 親が幸せであれば子供も幸せでしょう。

 エンジニアの子供が、親が楽しそうに仕事をしているのをみて自分もエンジニアを目指す、という流れになれば、日本の未来は明るいですね。

 子育てに対する考え方は人それぞれですが、私の個人的見解では、子供には良質な「脳みそ」をキープしていってほしいと考えています。そのためには、食生活はとても大事です。他にも大事な要素はたくさんありますが、親がやれることはとにかく良質な食習慣・生活習慣(脳を破壊しない)を躾けることだと思います。

 幼少からジャンクフード漬けにしてしまうと、脳の成長が阻害される確率が高くなりますので、それは子供の人生の最初から親がスタートラインを後ろに引いて、ハンデを背負わせてスタートさせるようなものです。その後にいくら名門の学校に入れたり、塾に通わせたり、習い事をさせたりしてハッパをかけても、リカバリは難しくなります。

 なぜ「脳みそ」にフォーカスするか? といえば、それは良い大学に入る(その流れで一流企業に入ったり官僚になる)のを狙っているわけでは必ずしもなく、その後なのです。

 良質な「仕事脳」をつくること。

 子供には、上述した勤労意識を持たせることと並行して、将来的に仕事を楽しめるようになるためには脳が良質であることが絶対条件となります。ただ意識を持たせるだけではダメなのです。

 脳が良質であれば、子供は自然と読書好きになるでしょうし、脳の「維持管理」を親から子供にバトンタッチした後も、道を踏み外すことなく良質な脳のままで育ってくれることでしょう。

 なお、子供が良質な脳をキープしてほしい、という目的は私と同じであるにもかかわらず、それを実現させるために「早期英才教育」(要はゼロ歳時からの通塾)に走る方がいますが…… 子供の生活習慣、食習慣の確立を犠牲にしてまでそっちに走るのであれば、いただけませんね。

 逆にそれが親のエゴ、親の自己満足であると親が完全に自覚的であれば、それほど問題ではないと思います。「すべて子供のため!」という考え方を完全に捨てること。

 親の悪い習慣を子供は受け継ぐものですが、親の良い習慣を子供は半分ぐらいしか受け継がないように見えます……(残念なことに!)。

 親がヒッシこいてジャンクフード依存症から脱したとしても、子供がそれを受け継ぐ可能性は半分ぐらいです。あるいは、もはや手遅れかもしれません。

 ですが、その過程は、必ず見ています。親の努力を見せることで、別なところに必ず好影響が出ます。

 子供というのは、遊んでくれない親も好きではありませんが、怠惰な親はもっとキライなんです。

 子供は親に、キラキラしていてほしい。そのために、親は働かなければならないのです。

 今回も読んでいただきありがとうございました。

健康について第59回 食について(9) 「エコ」との関係

2012/06/25 12:52:35

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回は食生活とは切り離すことのできない、「エコ」との関わりについて書きます。

 私はいわゆる「エコ」的な考え方はあまり好きではありません(というスタンスで書きますので……)。その理由については、機会があれば詳しく書きます。

 エコロジーというのはおそらく、「(人間と)自然との共生」とか「自然との調和」とか、本来はそういう意味であり、その言葉どおり解釈すればよい、と思うのです。極めてシンプル。

 こういう考え方が発展してきたということは、人間自身が人間という存在を、「自然」から逸脱してしまったと考えているのでしょう。そして、「上から」そう考えているのが現代社会におけるエコロジストです。エコロジストには自然に対する畏怖が足りない。

 そういうエコロジストはほぼ西洋人でしたが、最近は日本人でもそういう考え方をする方が増えているように思います。

 人間が自然から逸脱した存在であるというのは正しい。とっくに食物連鎖からも逸していますし。ですが、我々人間は、自然界から「高みにのぼった」わけではなくて文字どおり「逸脱」しただけです(いってみれば「落ちこぼれ」?)。

 エコロジストは自然やら地球に対して(なぜか)神の視点でものごとをみようとします。そこが、腑に落ちないところですね(「何様?」と……)。

 人間というのは、自然から逸脱しながらも自然の恩恵を受けなければ生きていけません。自然の恩恵とは、太陽、大地、水、そして生物です。

 人間は太陽の光を浴び、この大地に根付き、水を飲み、そして生物を食べます(植物含む)。どの生物を食べるかどうかは人間が勝手に決めるわけで、食べられる側からしたらいい迷惑というか(笑)。なので結局人間は、自然の恩恵を受けつつ、野生の動植物を捕らえるのをほぼ諦めて、「育てる」方向にシフトしてゆきました。人間が育てて、人間が食べる。だったらいいだろ?という(笑)ジャイアニズム……。

 まぁ、こういった壮大な話はおいといて(笑)、私が書くと知識不足を露呈しますので……。

 数百年前は「自然食品」しか世の中にはなかったのでしょうね。味噌とか漬け物、納豆といった保存食品系は、「加工」していると考えてもよいのかもしれませんが、加工するために自然の力をいただいているので、私の中では自然食品の位置付けです。

 そして近代では、恐れ多くも(笑)人間が加工食品を「生産」するようになりました。最初は非常用だったはずですが、やがて工業化の波に乗り、大量生産を行えるようになりました。

 ずっと以前から、人間は、人口爆発による食糧不足、飢餓への恐怖を敏感に感じ取っていたのかもしれませんね(だから、加工食品をやたらと大量生産する)。

 さらに、人間が人間の嗜好を分析し、「おいしく感じる(だけの)」加工食品をどんどん作り出すことができるようになったおかげで、話がややこしくなってきました。

 人間は自然食品か加工食品かの選択ができるようになりました。人間の生活が、干ばつや自然災害による不作に致命的に影響されなくなってきました。お金さえあれば、別の国から自然食品も加工食品も買うことができます。選択肢の増加は、世の中が豊かになった証左といってよいと思います。

 ところで、ここからやっと本題ですが。

 人間が、自分たちが自由に生産・コントロールできる加工食品だけで、人間が摂取しなければならない栄養のすべてを摂取可能であると考えているのだとしたら、それはかなり大きな間違い(笑)です。科学万能主義がもたらした悲しい誤解といいますか……。

 でも、誰の洗脳なのか分かりませんが、現代人の多くがそう思っていませんか? それが極端だというのであれば、人間というのは加工食品と自然食品をうまく組み合わせて生きてゆけば、より健康に、より長生きすることができる、という、人間にとって極めて都合のよい考え方をしているように思います。

 実はまだ、その入口にも到達していないのです。言い方を変えれば、いまだに人間は、自然食品だけ摂取していれば長生きできます。加工食品は、「健康で長生きする」ためにはまったく無用で、それどころか害にすらなりえます。

 先ほどの話に戻りますが、人間は、ゼッタイに、自然(食品)と共生しなければ生きていけないのです。いや、自然(食品)との共生を拒否しても「死なずに生きる」ことはできるかもしれませんが、少なくともゼッタイに健康にはなり得ないでしょう。

 以前より何度も書いているとおり、加工食品は「嗜好品」です。嗜好品ですから、人間の技術力により、自然食品より「おいしく」することはできるでしょうし、それは人間の自由です。

 加工食品を食べるな、といっているわけではなくて、現代人は、大いに嗜好品を楽しむべきだと思います。ですが、加工食品「で」栄養を摂取(あるいは補充)しようという考え方をやめませんか、と。

 いわゆるサプリメントも、私は嗜好品と考えています。例えばお菓子は、おいしい要素をまぶしてありますが、サプリメントは栄養素をまぶしているだけの違いです。実際、ケミカルな意味での栄養素が身体に入ってくるかもしれませんが、それを身体が本当の栄養として吸収するかどうかは別な話です。

 でも、サプリメントにより栄養素を補充した「気になれる」のであれば、それは悪いことではないですし、現代人にとっては必要なのかもしれません。

 それと、嗜好品として加工食品を楽しむならばまだ、よいのですが……純粋に空腹を満たすために活用されている状況も、どうかと思います。

 よく「腹持ちがよい」食品という話を聞くのですが、胃に入ってケミカルに広がって空腹感を排除する食品って……なんだかアブなくないですかね?

 手軽に空腹感を満たす食品ってかなり売れていますが、もうとっくに、空腹を満たすことを優先する時代ではなくなっているのですけどね……。

 つまり、ひとことでいえば「チープ」なのですね。豊かな時代に豊かな人間がとる行動ではないだろう、などと考えてしまうわけです。

 「じゃあ夜中にどうしても腹が減ったらどうしたらいいんだ!」という反論が聞こえてきそうですが……普通に、ごはんに納豆や生卵をかけて食べればよいと思うのですが(笑)。そんなに手間でもないでしょうしね。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第58回 食について(8) 食べると身体は疲れる

2012/06/18 11:58:00

 お世話になります。龍澤と申します。

 「なんかだるいな~」「疲れとれないな~」という状態のとき、その大きな原因の1つは食生活の乱れ(継続的な)です。

※「いや! ちゃんと栄養もとっているし~」と反論しようと思った方、その「栄養もとっている」という時点で間違っているかも、です。

 われわれの悪い習慣として(以前書きましたが)、食生活の乱れが体調不良の原因であるとうっすら分かっているときでも、さらにケミカルなサプリメントなどで追い打ちをかけて身体を治そうとするクセがありますね。

 例えば、体調は悪いけども明日までに資料を仕上げなければならない、というときは、合法的に栄養剤を摂取しますが(ユ●ケルとかそういう類の)、確かに一時的には脳がクリアになるような気はしますが、それは脳をドラッグでだましているだけです。

 栄養剤を常用して、脳をだまし続けることはできないでしょう、おそらく。その前に本当に身体を壊してしまいますからね。でも、身体を壊すまで続けてしまう依存症の方は、実際います。

 ほとんどの常識的な方々は、ある一線で踏みとどまることができます。緊急事態のときに「薬」を使用して、劇的に効いたからといって「こりゃいい!毎日飲めば毎日元気じゃん!」とはふつう思わない。「これ毎日飲んだらヤバいだろうなあ」と感じて、自制するのが正常な思考です。

 例えば、試合の前日に(あんまり食欲がなくとも)「敵にカツ!とんかつ!」とか食べたりしますけども、それで試合に勝ったからといって人生の勝利者たるために毎日とんかつは食べないと思います。ちょっと重すぎますよね(……例えが違うかな?)。

◆ 

 なんとなく体調が悪い、あるいはだるいといったときは、いっそのこと食べないほうがマシです。なぜならば、そういうときは胃腸含めた内臓が過負荷である可能性が高いからです。

 体調が悪いときは「まず病院へ」というのは現代社会の誤った洗脳です。とにかく、「何もしないで横になる」時間を確保することです。病院に行くのは数日臥せってからでも遅くありません。

 言い方を変えると、自身の身体機能をストップさせて負荷をかけないようにし、様子見する、ということです(もちろん、最低限の水分以外は食物も飲み物も摂取しない)。それが本当の休養です。

 こう書くと、反論がありそうですよね。私の周りでも、会社を休んで家で寝ててもいっこうに治らないから病院にいったら病気だった、早めにいっとけばよかった、という話を聞きます。でもそれって、家でかなり余計なことをしているんですよ……。自分は「家で寝て」たと思い込んでいても身体はまったく休養をとれていないかもしれないのです。

 例えば、ちょっとお腹が空いたから、といつもの食習慣で市販のお菓子を食べたり、「栄養補給が必要だから」という刷り込みがあるがために栄養ドリンクを飲んだり、市販の風邪薬を服用したり……(家で寝てるはずが、いろいろ買うために家を出てコンビニ往復したりして)。

 家にいてヒマだからと、テレビやDVDをみることすら、身体には負荷をかけるのです。

 もちろん、これは、直接的な「痛み」を伴っている場合の話ではありません。痛みがあるときに家で我慢している必要はないでしょう。特に、初めての症状のときは即病院にいってよいと思います。

 なぜならば、痛みがあれば、医者に対して症状を具体的に伝えやすいからです(「どこが、どのように痛いのか」)。ということは、医師も症状および患者の要望(要望は痛みを抑えること、それ一点のみです)が具体的なので、「ソリューション」を導き出しやすい。

 ただし、例えば頭痛など、既知の事象ならば、病院に行かずともすでに「対応手順」がありますから、落ち着いて自身で対処できますよね。

 痛みをなんとかするというのは現代医学の得意分野ですので大いに利用すべきです。でも、なんとなくだるいとか体調が悪いとか医者に訴えても「で?」(寝てりゃ治るんじゃ?)と思われるだけです。そういうのは医者と患者の信頼関係が形成されていないと(「かかりつけ医」)対応は難しいのです。

 実は、体調が悪い場合に、症状に応じた食事療法というのは存在します。それは、先人の知恵です。

 ここまで書いてきた、「体調が悪いときは休め!」理論とは矛盾するかもしれませんが…でも、多くの人は食事療法は面倒くさがってやりませんので……。完全に休養せよ、の方が万能ですし、シンプルで分かりやすい。

 ふだんジャンクフードや外食中心の食生活を送っている人に、体調が悪いときにいきなり食事療法に切り替えよといっても、ムリがあります。ふだんから身体に(真に)優しい食生活を送れている人は、体調が悪いときの食事療法は日常の延長ですので違和感なくやれます。「違和感なく」といいますのは、そもそも身体に優しい食生活というのは、自分で調理する前提ですから、下ごしらえやら何やら結構面倒くさいのです。食事療法はそういうこと(調理や準備)を強いるわけで、日常で惣菜を買うだけで済ませたり外食ばかりしている人が付け焼刃で対応できるものではないのです。

 そういう人が、1日ベットに伏せっていると、お腹が減ってきたときにものすごくジャンクフードを欲するのですよね。つまり、いつも食べているものを習慣として(ほとんど依存症?)食べたくなるのです。そして、それを食べると一時的に回復したような気になるものです。それは当然なのですよね。欲求が満たされるわけですから。

 それともう1つはいわゆる「プラシーボ効果」で、自分の食べたいものを食べただけで「必要な栄養を補給した!」と身体に思い込ませることを無意識で行なっており(実際、栄養学的にはスカスカであるにもかかわらず)、簡単にいえば意図的に身体を騙しているということになります。

 本当はただ食べたいものを食べているだけなのに、(そしてそれは身体によいものではないのに)理由を正当化したいだけなのですよね。

 そこをぐっとこらえて、「空腹に慣れてみませんか?」というのが私の提案です。

 本当の「病」のときは、食べたいときに食べたいものを食べればよいという考え方もあります。それは、一面では正しい。医師と相談しながら決めて行けばよいと思います。

 でも、漠然と体調不良で休養をとっている状況はまだ「病」ではないのです、そういうときに「食べたいものを食べる」という考え方は、間違っています。

 言い方を変えると、現代人が「食べたい!」と感じるもの(人気のあるもの)で、食事療法になるものはほぼないということです。

 本日も読んでいただき、ありがとうございました。

健康について第57回 食について(7) 脳のために

2012/06/11 14:15:47

 お世話になります。龍澤と申します。

 引き続き、「食について」です。(前々回「食について(6) 必ずしも長生きが目的ではない」)

 ビジネスマンとして、そしてエンジニアとして、本当に気にしていなければいけないのは、いつまでも脳をクリアにしておくことだと思います。食生活のカイゼン、良質な生活習慣および食習慣の維持は、すべて「脳のためである」と断言してもよいと思います。

 なぜならば、われわれは頭脳労働者だからです(誇りをもちましょう!)。

 脳は使えば使うほど「こなれて」いきます。これは、皆さま経験されていることではないでしょうか。われわれは年齢関係なく、これからもガンガン頭脳労働していけばよいと思います。

 ですが、脳を「クリアにする」というのはちょっと違って、使えば使うほどクリアになっていくというものではありません。

 ま、デフラグみたいなものだと思います。具体的には、良質な睡眠により脳はクリアになっていきます。つまり、うまく睡眠をとれば、身体と脳が勝手にクリアリングを行なってくれるということですね。

 必ずしも睡眠時間をとればいいというものでもないようです。例えば、20分ぐらいの昼寝で、いきなり脳が覚醒するというのはよくいわれることです。とにかく、睡眠の入り方ですね。いかに雑念が少ない状態で入れるか。

 仕事の悩みが残っている状態で寝に入っても、脳はまったくクリアにはなりません(皆さま経験されていると思いますが)。ということは、深夜まで残業してでも、その日の仕事はいったん終わらせる(納得感「アリ」で)必要があるということです。それができれば短睡眠でも問題ありません(ただし、それが続くようであれば週末の「寝だめ」が必要ですが……)。

 その日のうちに仕事が片付かなくとも、道筋をつけておき、明日の朝何から手をつけるか、を具体的に、明確にしておくだけでだいぶ変わります。

 おっと、話題が「食について」から離れてしまいました。

 脳がクリアになっていかないもうひとつの原因としては、やはり食生活に問題があると思うのです。もともと脳は、大食らいなのですよね。われわれが栄養を吸収すると「ジャイアン」脳みそ君がどんどん栄養をとっていってしまいます。「オレが働いてオマエら(身体)を養ってやってるんだ」(だから、栄養はまずオレがいただく!)というのが脳みそ君の偽らざるキモチなのでしょうね。まぁ、おおよそごもっともではあるのですが……。

 ですので、当然、食生活の良し悪しは脳の良し悪し(イコール、仕事の生産性)に直結するのです。ですがこの恐ろしい事実に気付いているエンジニアの方は、ほとんどいないようです。

 言い方を変えれば、食生活の品質を向上していけば、エンジニアとしての差別化を図ってゆけるということです。

 貧弱な食生活、偏った食生活を続けていれば脳がスカスカになります(こわいですね~)。スカスカな脳に対してどれだけ頭脳労働して脳を「鍛えて」もムダになるだけです。それどころか、そんなことをしてしまったら脳にダメージを与えてしまい、さらにそれが度を越すと致命的であり、エンジニアとしての「選手生命」に関わってきます。

 ムカシから都市伝説のように、35歳エンジニア限界説というのがありましたが、これは、「エンジニアは食生活が貧弱である」というのが前提の話に違いありません。エンジニアとして脂の乗り切っている30歳前後に、それとあわせて不規則な生活、偏った栄養の摂取、暴飲暴食等の悪い習慣が身に付いてしまい、身体と脳がおおよそ35歳ぐらいに参ってしまうわけですね。

 つまり、かつては、バリバリなエンジニア・ライフと良質な生活習慣、食習慣を両立させていた方がほとんどいなかったということです。

 ですが、今は違います。時代は変わりましたし、両立されている方はたくさんいらっしゃいます。だからわれわれは軽々と「35歳限界説」を突破してきているわけで。

 良質な食生活を継続し、脳に良質な栄養を与え続けていれば、エンジニアに加齢による限界はありません。というのが私の持論です。

 もう1つ、食に関係することとしては、健康論の王道ですが寝る数時間前に食事を済ませるということですね。寝に入るときにうま~く「ちょっとお腹が減っているかな?」ぐらいにしておく(カンゼンな空腹だと、眠れませんからね)。

 満腹で寝に入ってしまうと、身体が消化に注力してしまって、脳のクリアリングがぜんぜん行われません。朝に「疲れが残っている」という人の多くは、夜中の「消化疲れ」であり、労働そのものが原因ではありません。

 加えて、脳のクリアリングが行われないために、昨日の悩みごとがまんま残っているのでしょうね(それが疲れを助長する)。

 まとめると、満腹感があるうちに寝ない、という習慣を続ければ睡眠の質は向上します。それと、「その日の課題やタスクは、遅くなっても片付けてから寝る」の合わせ技で、翌朝の脳の状態は劇的にかわってきますので、ぜひお試しください。

 逆の言い方をすると、仕事を片付けないまま、不安要素を残したまま逃避して飲みに繰り出してしまい、がっつりつまみを食べ、飲み、〆にラーメンを食べて帰宅⇒倒れるように寝る⇒翌朝睡眠不足で二日酔い といった旧態依然としたソリューションは脳にとって最悪ということです。エンジニアとして「ゆるやかな自殺」をしているようなものですね。

 独り身ならまだよいですが、家族を抱えていらっしゃる方はそのようなソリューションは見直した方がよろしいのでは……と、思います。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第55回 食について(6) 必ずしも長生きが目的ではない

2012/05/28 13:36:46

 お世話になります。龍澤と申します。

 「食について」も6回目ですか……我ながらよくもまあ、書きたいことが出てくるものだと、自分に対して少し驚いています。

 前回前々回と、「工業食品」というタイプの嗜好品、および外食(の味)に対する依存症の話をしてきましたが、依存症になっている人たちは(おそらく)早死にはしないが、歳をとってから病気がちになる可能性がとても高いと思うのです。

 いわゆる「団塊の世代」とその上の人たちって、薬漬け、病院漬けになってませんか? 今70歳前後で、ふつうに庶民として生きてこられた方で「きわめて健康」(つまり、薬や病院に頼っていない)の方を私は知りません。ほとんどの方々は、食後にばらばらっと薬を広げ、ため息をつきながら(でもけっこう嬉しそうに)飲んでます(私の両親もそうです)。

 私は小さいころから、お年寄りとは頻繁に病院に通い、たくさん薬をもらってきて、毎食後に飲んでいるのがふつうだと刷り込まれていました。おそらく、私と同世代の多くの方が同じ刷り込みをされていると思います。ですので、当たり前のように我々も医療業界から薬漬けにさせられつつあります(私個人はそうなっていませんけども)。この流れは止めなければならないのではないか、と考えています。

 でも、普通に考えてみたら、日本全国のお年寄りがこんな状況だとしたら、実はかなり異常ですよね。異常だ、と断じてよいのであれば、その原因は主に食生活にあったのでは? と考えるのは自然ではないかと思っています。なぜなら、戦後食生活が劇的に変わったからです。

 いろんなところで指摘されていますとおり、戦後の食生活の劇的なカイゼン(高カロリー、高タンパク化)、および変化(極端な欧米化)により、劇的に平均寿命が伸び、と同時にほとんどの年寄り(つまり、戦前の平均寿命を超えた人たち)は長生きする代わりに、病院と薬なしでは生き延びることができなくなりました。

 後者の悪い影響のほうですが、食生活の劇的なカイゼンの影に、食物が「腐りにくくなった」(腐りにくく「した」)というのがあり、そこに添加物などケミカルな物質の混入という問題があります。

 戦後、規制がまだゆるかった(というか何もなかった)時代に、添加物はばかばかと入れられてきました。たとえば私たちがお世話になった駄菓子屋のお菓子などがそうですね。そして我々はそれを食べ続けました。事実として。

 加工食品も劇的に進化してきましたよね。便利な加工食品を、ずっと我々は食べ続けてきました。農薬まみれの果物もコメも食べ続けてきました。

 これらの実害は相当なはずですが、定量化できませんし、犯人を特定することもできないのですが(あえて特定するとすれば「国」?)、私は、上の世代の方々はこれらにヤられてしまい、薬漬けになってしまったのではないか? とにらんでいるわけです(これは私見ではなく、いろいろなところでいわれています)。

 この状況を、どう考えるか。

 確かに平均寿命は伸びたけれど……健康には生きていない(イコール豊かさや幸福感を感じられない)のではないか、と問題提起をしたいわけです。健康とは豊かさや幸福感の礎となるものであり、その点はどなたも異論はないと思います。

 長生きできるのは、素晴らしいことです。物理的な生存時間が伸びれば、前近代の人間よりも人生をエンジョイできる可能性が、高くなるということです。

 一方で、せっかく長生きになっても、人生をムダにだらだらと過ごしたり、持病を抱えて長い期間何もできなかったりで、いざ臨終の際に「いったい自分は何をしていたのか?」と後悔の念にかられる可能性も非常に高い。というか実際そういう方のほうが多いでしょう。

 私が非常に気にしているのは(そして我々が気にしなければならないのは)、長生きするかどうかではなく、なるべく持病を持たず、健康に生きれる時間をいかに長くとれるか、だと思います。そういう前提で、論を進めております。目標はいわゆる「ピンピンコロリ」です。

 私たちの世代は、平均寿命はちょっとばかし下がってもよいので、死ぬまで元気で、病院に薬漬けにされないような人生を送ることを目標としなければならないと思っています。

 「元気」とは、「働ける」ということです。そのためには若い時分から準備が必要になります。準備とは?? それは、ざっくりいえば上の世代の真似をしないことです。

 今の時代、ただ「働ける」だけではおそらくダメで、ひとつ前の世代のような仕事のやり方では生き延びていけません。

 ということは、(僕の考えは)1つ前の世代のような生活習慣では、生産性は前の世代と同じになってしまうわけですから、見習うべきところは見習うけれども見直すところはどんどん見直して、もっと健康になって(イコール、脳をクリアにして)生産性をますます上げていかなければなりません。

 人間って、平均寿命が伸びるスピードに対して、行動(ふるまい)は進化していないのではないでしょうか。そしてまだまだ、超高齢化社会をエンジョイできるマインドにはなっていないですよね、我々は。

 超高齢化社会においては、実年、壮年時代に欲望に正直にならずに節制するスキルも、絶対に必要なはずなのです。人生というマラソンにおいては後半、スパートをかけなければならないこともあるはずで、そのためには途中セーブすべきところはセーブしなければなりません。

 途中リタイヤするのは自己責任なのでよいのですが、たとえば寝たきりになったりすると周りに迷惑をかけますから。自己責任の範疇ではおさまらなくなってきます。

 読んでいただきありがとうございました。 

健康について第54回 食について(5) 次世代に引き継ぐ習慣

2012/05/18 14:44:03

 お世話になります。龍澤と申します。

 年がら年中、健康について考えておりますので、自然と、自分が口に入れる食べ物について深く考えることも多くなりました。自分にとってはとてもよかったと思っています。

 この業界で、「食べること」について(いわゆる「グルメ」ではなく)これほど深く考えている人間は少ないと思います(笑)。

 食べることについて「考える」とは、必ずしも「気にする」とイコールではありません(似てはいますが)。そのあたりについてはいずれ書きます。

 本題に入る前に、ちょっと思い出したのですが、IT業界ってけっこう食べ歩きが好きな方が多いような気がしますね。既婚/未婚、関係なく。

 どうしても不規則な生活になるゆえ外食率が高いのは当然ですが、どうせ外食するならおいしいものを! ということで外食の質を高めようとするのだと思います。私も昔はそうでした。

 食べ歩きというのが健康に必ずしもよくない、というのは当然なので今回触れませんが(ただし、連日でなければそれほど目の敵にするものでもありません おのおののお金が続くのであれば……)、もうひとつ重要な問題点は、料理を作らない人たちが食べ歩きをしていると、どうしてもただの批評家(=グルメレビューア)になってしまうということです。

 ラーメンのスープがどうのこうのとか、煮干しだとか昆布だとか、よく分かりませんが……。とにかく、細部にこだわる。ほんのちょっとの差異を異常に喜ぶ。(「違いが分かる男」になれるから?)そしてそれを嬉々としてブログやSNSなどに報告する。

 でも、考えてみると、批評家体質というのはこの業界に合っているのかもしれないと思うのです。

 ちょっと長くなりそうなので、このあたりの関係性についても、機会があれば書きたいと思います。

 前回ちょっと触れましたが、私が最も強く申し上げたいことは、「次の世代につなげる動きをしましょう」ということです。

 この業界に棲息していれば自然、外食率が高まります。ということは、子供たちも親のそういう姿を見て育つわけですね。

 典型的なエンジニアのサラリーマンの方を例にとりますと、多くの方々は外で残業飯を食べます。それは、コンビニ弁当であったりハンバーガーであったり定食屋であったり、形態はさまざまですが、とにかく日常的に、夜の残業に向けて臨戦態勢、腹ごしらえをします。そうでないと仕事になりませんからね……

 そして帰宅後にまた食べる方、食べない方、ちょっと飲んでつまみを食べる方など、さまざまだと思いますがいずれにせよお子さんは寝ている時間だったり、寝ていなくとも、エンジニア・ライフ(パパ編)においては、平日に家族で食卓を囲むというシチュエーションは想定されていない(笑)わけです。

 それは、おそらく仕方のないことです。ですが、おぼえておかなければならないのは、子供らはそれを見て育つので、高い確率で親になったら同じことをするのだろうな、ということです(いわゆる「エンジニア」にならなくとも、そうなる可能性が高まる)。

 ランチも、この不況下であっても手弁当ではなく、外に食べにいったり弁当を買ったりする方が、私の知っている範囲では驚くほど多いです。

 そう考えるとけっこうお金を使ってますよね。

 さらに、朝はほとんど食べない、と……いうことは、1週間の全食事数のうちかなりの割合を外食が占めているということですね。また、多くの皆さんは土日に家族サービスを「強要」されるので、家族でお出かけするとなると休日もまた外食店……となります。

 外食が多いと貯金がたまらない、という問題もありますが、今回書きたいのは、「そういうふうな食事習慣に舌が慣れてしまうのは大変な問題である」ということなのです。

 実際問題、(既婚の場合)奥様のつくる手料理は物足りなくなってくるのではないでしょうか?

 誤解のないように付け加えますと、物足りないというのは技術ではなく「味付け」のことです。あの特有の「しょっぱさ」や化学調味料の味付けに慣れてしまうと家でもそれを求めるようになってしまいます。そこから、何かしらの発病へ向けて負のスパイラルが始まります。

 それが、「依存症」ということなのです。

 1つ補足すると、なぜ外食過多が病気のリスクが高まるかといえば、きわめて高い確率で、「運動不足」もセットだからです。

 家に帰ってごはんをつくって食べる時間がない、あるいは奥様の手料理を食べる時間もない、という方が、定期的に運動をする時間を捻出するわけがないので……。

 当然子供への影響も、出てきますよね。父親が外食中心の生活になっていることにより家庭において外食「っぽい」味付けを求めるようになれば、子供も自然とそういう味付けを好むようになります。

 すべての家庭がそうだというわけではありませんが、「外食っぽい味付けを好む」のであれば外食のほうがよいわけで、家庭の主婦がプロのシェフに勝てるわけがないのですから、子供は外食を望むようになってきます。やがてママさんは料理をつくるというモチベーションが低下して、外で食べさせる、あるいはケータリングとか、自分でつくるにしても冷凍食品が増えたりとか、そういう傾向が出てきます。

 これは、かなり大きな問題なのです。そしてこの問題を生み出すのは高い確率で父親の味覚なのです。

 我々の世代の多くは、子供の頃、家庭は「外食体質」ではなかったはずなのです(そういう「時代」でした)。

 それが、自分が忙しい業界に飛び込み、いつの間にか外食中心の生活になることによってそれが当然(「豊か」?)であると思い込み、自分の子供に自分が育った時代とは違う習慣を植えつけてしまう。そしてその習慣の多くは、過去よりも悪い習慣です。たとえば遅寝遅起き、朝食抜きであったり。

 若干の無駄遣い体質も、子供に引き継いでしまうかもしれませんね(我慢が効かない、なんでも手にいれないと気が済まないという……)。

 親になれば、多くの親たちは子供は自分より出世してほしいと願ったり、良い大学に入れたいなどと考えたりするもので、それはとても自然なことです。

 であれば、それにふさわしい生活習慣を子供に植えつける必要が、絶対にあります。そして、この業界のエンジニアの方々の生活習慣(自分たちの子供時代より悪くなっている)がそのまま次の世代の子供らに植え付けられたならば、間違いなく彼らは自分たち(親)を超えることはないでしょう。

 子供に自分らを超えてほしいと願うのであれば、自分たちが子供の頃の生活習慣をさらにブラッシュアップして、それを手本にしつけをしなければなりません。改悪するのはもってのほかです。

 そして当然のことですが、子供が自分たちと同じように「ふつう」に育ってほしい、ごくごく中流の大人になってほしいと願うのだとしても、だからといって子供の生活習慣形成をなおざりにしてよいという言い訳にはなりません。

 親が良くない生活習慣のままで、子供らに良き生活習慣を強要したところで、示しがつきませんので言うことは聞きません。

 もしかしたら、突然変異が生まれることを期待している方もいるかもしれませんし、期待するのは自由ですが、あくまで確率としては極めて低いことは認識しておいたほうがよいと思います。

 前回、今回でもっとも書きたいことはおおよそ書けたとおもいますが、もう少し「食について」は続けます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第53回 食について(4) 豊かな生活とは?を考える

2012/05/11 18:48:30

 お世話になります。龍澤と申します。

 「食について」もそろそろ終盤戦かな、と思っています(前回はこちら)。

 工業食品について、私はもちろん全否定はしていません。前回も書きましたように、我々現代人が生活を営んでゆく上で必須の「嗜好品」だと考えています。

 私のような都市に住む人間は、コンビニのない生活に戻るのは非常に困難だと思います。そしてご存じのように、コンビニには生鮮食料品はほとんど売っていません。

 嗜好品ですから、息抜きに、「たまに」ならよいと思うのです。人間はその「たまに」、すなわち余暇をより楽しむために、嗜好品を発達させてきたわけですから。

 おそらく、「趣味」なのでしょうね。例えば毎日チョコレートを食べるのが趣味である、と。趣味なのだから何しようと勝手ではないか、と。

 他人に趣味に口出しするなと言われればそれまでですが……でも、少量であっても嗜好品を毎日食べ続けるのはよくありません。嗜好品の依存症になってはいけません。依存症になってしまったらそれはソフトな「奴隷状態」であり、生活が豊かであるとは決していえないと思います。

 今を生きる主婦(主夫? )の方々は、工業食品と外食産業の発達により、毎日毎日三度の食事を作る必要はなくなりました。この事実に対し、ある程度は感謝しなければならないと思います。

 家庭の食卓に、ちらほらと工業食品をちりばめるのもよいでしょう。そして金銭的に余裕があれば外食もよいでしょう。日常にうまく外食を取り込めば生活が華やかになります。

 でも、親が「面倒くさいから」といって子供や家族を工業食品漬け、外食漬けの生活にしてしまってはなりません。

 工業食品は、日常の「息抜き」に、たまの外食は、家族の「ごほうび」としてあるべきです。頻繁に家族でファミレスにいったりほか弁で済ませたりするのは、正常な家族の状態とはいえないでしょう。

 あくまで生活の基本は、ごはんを「作って食べる」のです。「買って食べる」のではなく。

 「買って食べる」のはあくまでイレギュラーケースです(もちろん外食も含みます)。特に子供らには、日々の大切な食事を「買って食べる」のがアタリマエであるという感覚を、決して持たせないことです。

 母親は、子供や家族のために一生懸命に献立を考え、食べ物をつくる。父親は、家族が食べることに困らないよう、一生懸命働く(いろんな別パターンがあるでしょうが、それらをすべて書いている余裕はないので、典型的なパターンのみ書いています)。

 「食」を通して、子供にそういう姿勢を見せてゆくのが大事です。そして子供は親の行動よりも「姿勢」に敏感に反応します。

 子供たちは自分たちが親になったときに、高い確率で同じ姿勢になります。親が、「買って食べる」ことをあたかもそれが豊かさであるかのように奨励しているようでは、いつまで経ってもこの国の「不健康の連鎖」を断ち切ることができません。

※私が既婚なもので家族についてばかり書いてしまいましたが、独り暮しについては機会があれば書きます。

 極端な話、私たちは生きる(食べる)ために狩猟したり農耕したりする必要はないはずです(趣味でやられている方はいますが……)。それを考えれば、スーパーで食料品を買って、家でごはんを作って食べるという行為の煩雑さなど、なんてことはないはずです。

 その時間すらとれない(家族のうち1人も)というのであれば、その生活は見直す必要があると思います。今はよくとも年取ってから苦労する可能性が高まりますよ、と(持病を持ってしまうなど)。

 小声で主張しておきます。医者に言われれば言うことを聞くのでしょうが(この業界の人たちはけっこう、権威主義的なところがありますので)、症状が出てからでは手遅れになる可能性すら、あるのです。

 でも、よく聞く話ですが、「○○で死んだら本望だよ」と豪語する人たちは、いざその「○○」で大病したら落ち着いていられるのでしょうか? 後悔しませんかね?

 どうも軽い気持ちで発言しているような気がしてならないんですよね。実際のところ、食生活に問題があることをうっすら自覚しながら(つまり、自業自得で)寿命を縮めたいとは私は思いません。

 私は生活習慣を少しずつ意識して変えていって、特に、ご飯については(家族で)「つくって食べる」のがあたり前という考え方に完全にシフトしていきました。

 もちろん前述したとおり、つくって食べるのが「あたり前」という感覚を取り戻しただけであって三度のごはんをすべてつくっているわけではありません。ほか弁もコンビニ弁当もたまにおいしくいただきます。数カ月に一度は豪勢に家族で外食します。

 でも、このような考え方にシフトしていったら、それ以前の自分と比べて「人生が豊かになった」気がしたのです。確実に。

 つまり、日々の食事を「買って食べる」のがあたり前という人生は(外食含む)、豊かではないのです。

 10年前であれば間違いなく、「買って食べる」「外食する」のが「豊かさ」であると思い込んでいました。よって、「つくって食べる」はまったく優先していませんでした。(当然貯金もなく…)

 ちょっと小金持ちになった成金の方などは、金にものをいわせて外食オンリーの生活にシフトしていきますが(我々庶民とはケタが違うレベルで)、やがて戻ってきます。やっぱり、ごはんと味噌汁と漬け物が一番だよな、とか言い訳しながら……。

 なぜ戻ってくるかといえば何かしらの虚しさを感じるからだと思いますが、その気づきがあればまだよいほうで、大変残念なことに、戻ってくる前に身体を壊す方がとても多いようです。身体を壊してやっと気付くというのも……それ自体が豊かな人生とはいえませんね。

 もう少し続けます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第52回 食について(3)

2012/04/27 17:56:19

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回も「食」についていくつか書きます。

 工業食品については、嗜好品として楽しむべき、と書きましたが、ほとんど毎日工業食品を食べている場合、依存症の疑いがあります。

 依存症になると、高い確率で体調が悪くなってくるはずです。いや、「悪い」じゃないのですね。体調が「ぼんやり」してくるのだと思います。明確に「だるい」ともまた違うような……。

 「ぼんやり」であっても、健康を害しているには違いないのですが(それどころかかなりヤバいかも)、依存症の自覚がないために、さらに追い打ちをかけるようにケミカルな工業食品(たとえばサプリメントとか、カロリーメイトとか)を追加摂取してリカバリしようとする不思議……。

 そうなるともう、完全に負のループに陥っています。そして、この業界にはこのループにはまっている人が多いように見えます(そう思いませんか?)。

 健康を回復するために、薬のようにケミカルな工業食品(栄養補助食品等)でリカバリしようとする。まったく自然に、それを行なっている。そこにはおそらく寸分の疑いもない。

 一種の「科学信仰」であり、前回少し書きましたが「自然不信」なのですね。こういう人たちはトクホのコーラが出れば喜んで買うのでしょう。

 それと、工業食品に栄養を求めようとしても無駄です。もっと細かくいうと、「健康のための栄養のバランス」を求めても無駄ということです。

 すごく不思議なんですよね。コンビニとかの「二十品目の弁当」みたいなのを食べて、自分は栄養のバランスがとれていると思い込もうとする感覚が。さらにコンビニのサラダを追加で買ってカンペキ、と。(結局合成着色料入りのドレッシングをかけて食べるわけです……)。

 例えば、ほか弁屋で品目が多いからといって好きな唐揚げ弁当を我慢して幕の内弁当を選ぶような行動のことです。

 最近は、まるで自然食品であるかのように、コンビニやスーパーに工業食品がならんでいるので、ある種の人たちは「喜んでだまされにいく」のですね。なぜなら、だまされていたほうが楽だからです。ですが、工業食品を一種のサプリメントと考える(考えたい)のであれば、それ以上の「害のある何か」が確実に含まれているので、「相殺」にすらなりません。

 工業食品を我慢して別な工業食品を選ぶ意味はまったくないのです。工業食品の範疇の中で栄養を考えるフリをしても仕方がないのです。工業食品は嗜好品なのですから好きなものをお腹いっぱい食べればいいのです。

 野菜がほとんど入っていないから、と唐揚げ弁当を我慢して小さなストレスをためる必要は、まったくないのです。

 と書いたのはどういう意味かというと、工業食品の負のループに陥っている状態であれば悪い油にまみれた唐揚げ弁当を選択しようが、一見お洒落なコンビニの20品目弁当を選択しようが、健康面ではまったく差異は発生しません。(商品名はあくまで例えですので……)。

 それどころか、前者を我慢して後者に流れるよりも、大好きな前者をばくばくと食べたほうが、トータルな健康を考えるとまだよいとおもいます(「かなり悪い」という範疇の中でのよい方、ということです)。

 私のコラムを読んで、アイツがこんなことを書いてるから、好きな唐揚げを毎日食べていいんだな!(お墨付きゲット) これで病気になったらアイツにクレームいれればいいし! という感じで都合のいいことを考えた人は、生活習慣から食習慣からすべての改善が必要だと思います(そういう思考に至る時点でどこか、病んでる)。

 とにかく大事なのは、「減らしてゆく」「シンプルにしてゆく」思想なのです。スパゲッティプログラムを無意識で組んでしまう方、知らぬ間に物事を複雑に複雑に考えていくタイプの方、デスク周りが常に書類で山積みになっている方などは、要注意かもしれませんね。そういう人は、食事も知らぬ間にFATになっているかも。

 何を食べたら健康になれるのか? という問いは、愚問なのです。それを考える前にまず工業食品を減らさないと。われわれの身体は、不純物がたまってゆくばかりです。

 どちらかといえば現代人は、食べなければ食べないほど、健康に(そして自由に)なれます。

 まだ続けます。読んでいただき、ありがとうございます。

健康について第51回 食について(2)

2012/04/20 18:32:36

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回は、おかげさまで周りからだいぶ反応がありました。だいぶ「好評でした」ではなかったような気もしますが……スルーされるよりは良いかな、と。

 前回書かせていただいた「工業食品」は本来、「嗜好品」と位置づけられるべきものです。つまり、酒やタバコと同じ位置づけということですね。

 つまり、依存して毎日、食べ続けるのは良くないのです。私が神経質すぎるのかわかりませんが、「工業食品」の多くはやめられなくなりませんか? 何か摩訶不思議な成分が入っているような気がしてならないのですよね。

 もう1つ、例えば、工業食品には宇宙食や乾パンといった「保存食」という重要な用途があるのですが、こういうものはそれこそ非常時にしか一般の食卓にはのぼらないのでしょうから、今回の議論からは外します(そして、はっきりいって「おいしくない」のでしょう 推測ですが……)。

 食品は成分表示が義務付けられていますが、食品の偽装表示の摘発は跡を絶ちませんし、どこまで信用できるのか、消費者は判断がしにくいところです。

 自然食品でないのですから、人間が好きに調合できてしまうのではないでしょうか。「おいしい」というラインを守りさえすればよいわけですから。

 昔、何かの漫画にありましたが、飲食店が客を獲得するためにカレーに(本当の)麻薬的スパイスをいれるという……禁じ手。

 麻薬成分によりジャンクフードのリピーターにさせる、という手段。これは、ビジネスマナーとしては完全にアウトでは? 現代社会において、我々はこれをやられてませんか? 違法じゃないから、売れている(求められている)から、といってやっていいというものではないでしょう。

 飲食店は、合法的に「麻薬的なおいしさ」を調合、開発するかということに躍起になっているのです。リピーターを獲得するために。「おいしい」という名の魔法……。

 我々は、「おいしければいいだろ?」という風潮に抗っていかなければならないと思うのです。でも最近、「おいしければそれでよし!」と従順に迎合してゆく勢力があまりに強くて、「体制側」(飲食、食品業界の)の思うがままにやられていますね。

 自然食品以外の食品で、毎日毎日飽きもせず食べたくなるものがあったら、何かしらの「麻薬的」なものが混入されているかもしれません。やめるかやめないかは本人の自由ですが、それが少しずつ身体を蝕んでいくことは間違いないでしょう。

 それに対して、食品会社にクレームをいれても無駄です。我々は、自衛するしかないのです。20年後に倒れたとしても誰にも責任を転嫁できません。

 以前どこかに書いたのですが……IT業界の方々は、なぜテストのときにあれだけ重箱の隅をつついてバグを洗い出すのに、鋭い批評眼を持っているはずなのに、なぜ口に入れるものに対してまったく検証しないのか、と、不思議でしょうがないのです。

 一部上場している会社が販売している食品であれば、成分表示になんの疑いも持たない。いや、成分表示すら見ないのでは……。

 システムを導入するとき費用対効果にあれほど細かいのに、なぜ自分はケータイやPCを2台も3台も買うのか。なぜ部屋がマシンルーム化してゆくのか。なぜプライベートでは歯止めが効かないのか……反動でしょうか?

 ヘンに科学を信仰してるのですよね。自然のものよりもケミカルなもののほうを逆に信頼する。自然は不確定要素が多すぎるから、扱いづらいと感じるのでしょうか。

 リアルよりもヴァーチャルに沈溺してしまうのも、根っこは似ているように思います。これは、我々の職業病なのでしょうか……。

 長くなってきたのでいったん切って、続けます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第50回 (ついに?)食について

2012/04/13 14:13:12

 お世話になります。龍澤と申します。

 おかげさまで50回目ですが、健康生活のキモ、といってよいであろう「食」について、直接的に言及したことはなかったように思います(忘れているだけかもしれませんが)。

 食についても、星の数ほど文献があります。グルメ本からマクロビから精進料理から……そして、はっきりいって「異常」といってよいでしょう、テレビから流れてくるグルメ情報、食についての健康情報……。

 ところで、第1回以降ずっと、一般的な話ではなく、IT業界に特化した健康になる方法について書いていく、というのを目標にしており、それはブレていないつもりです。「一般的な話」は完全に世の中に出尽くしているので私が書くまでもないと思っています。

 ですので、私は私なりの、この業界で健康になるための「食」について書いていきたいと思います。

 私、40代になってしみじみ思うのですが、工業製品(工業食品)を食べ続けるのは、「家畜」と同じなのではないでしょうか。

 昔はこれっぽっちもそんなことは考えていませんでした。楽しんで「工業食品」を食べていました。そして、IT業界のヒトたちは傾向として、「工業食品」が大好きです。

 最近は、人間っていうのは進んで「家畜」になりたがっている(行為でそれを示している)のだなあ、と、思っています。

 「ブロイラー」という言葉が思い浮かびます。家畜は、(私のイメージでは)立錐の余地もないところでろくに動くこともできず、でも餌はふんだんに与えられますが、その理由、というか目的は「人間様に食べていただくため」です。もちろん、彼らはそのことを知りません。運命について考えることもないのでしょう。

 で、このニッポンに住んでいる我々人間様のうちの多くは一見、自由に動けているように見えますが、まるで見えない紐で首をしばられているかのようです。物理的には動けるかもしれませんが、精神的自由は減ってきているように見えます。

 「世間の目」やら法律やらモラルやらマナーやら会社やら家族やら、とにかくさまざまな要素に束縛されています。最も我々を束縛しているのは「金」ですが……。

 世の中が進化していっているのに、人生は「豊か」になってしかるべきなのに、なぜ人間は「家畜」になろうとするのだろうか? そんなに縛られたいのだろうか? 楽だからかな? なんて、ガラにもないことを考えるようになりましたね。

 で、そんな我々が何を食べているかといえば、ホント、工業食品が増えましたね。おそらく、我々世代(のうち「気付き」がない方々)はそんなに長生きできないと思います。

 私は、幸いにも「気付き」があったために、考え方を改め、なるべく人間的な「食事」を多くとるようにしています。

 食事をとるとは、(なるべく)自然の食材を、自分、あるいは家族で料理して食べるということです。定義的には(あまり細かい区別はどうでもいいのですが)信頼できる料理人につくってもらうのも「食事をとる」に含めてもいいと思いますが、例えば常に新しい店を食べ歩きしているケースでは、お店側との人間関係が構築されていないので、「食事をとる」とはいえないような気がします(その店が「自然の食材」を扱っているとしても)。

 逆の言い方をすれば、家族で料理して食べるのであれば、ちょっとぐらい工業食品がまざっていても大したことではありません。そのへんに目くじらを立てる必要はまったくありません。このあたりは、マクロビ原理主義者周辺の方々とは意見が分かれてきます。私個人的には、自然の食事をするために金をかけて外食する、という方向性に対して否定的です。

 外食(あるいはコンビニ弁当系も含め)を全否定しているわけではありません。そして、この現代社会で、さらに、高度に発達した東京の都心に暮らしているクセに外食を全否定できるわけがありません。

 食べ歩き、外食の類は自然な行動ではないということ。そういうのは趣味嗜好の話であって生命の営みからは若干離れているということ。それを認識していればOK。

 私も、たまに家族や、気のおけない友人と外食するのは、とても楽しみです。

 人間様の社会では、巧妙に、あたかも工業食品でないように見せかけた工業食品が跋扈しています。例えば「コンビニの自然派志向弁当」などがそうですね。

 そういうところに、人間の叡智(と金)がムダに使われている。

 人間がそういうものを研究開発して、同じ人間に売る。そして、多くの場合研究開発した人間は自分は買わない、食べない。自分の子供には食べさせようとしない。

 テレビや通信社は、原発問題において「当面、健康に影響はない」と報道しつつ、家族は福島からそそくさと撤退。自治体の長や議員連中も同様。(私は福島出身です)同じ構図ですよね。当面健康に影響がないならなぜ逃げる? 福島に根を張って生きてきた/これからも生き続ける人たちの立場は? それをぼかすために「絆」というキーワードで連帯しているフリ。

 おそらく、カンタンに、「引っ越せばいいじゃん」と言うのでしょうね。

 まぁそれは余談ですけども。

 さらに悪いことに?(私個人は「悪い」と思うのですが)経済を循環させるために大量生産する工業食品は、買ってもらわなければならないわけですから、はっきりいって「おいしい」のです。

 工業食品が、かなりおいしくなってきたことが、人間にとってかなり不幸なのではないかと最近思います。

 そういうものを巧妙に買わされている我々は、幸せなのでしょうか? そしてそれは、本当に、「買うほうが悪い」のでしょうかね?

 工業食品がおいしいということは、「舌をだましている」ということです。我々は、だまされていないでしょうか?

 

 続けます。今回はイントロダクションということで……。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第46回 心について(4)身体を作り変える

2012/03/16 11:30:04

 お世話になります。龍澤と申します。

 「心」について4回目ですが、もう結論を出すことはあきらめました(苦笑)。それぞれの回で、一応の「まとめ」をしているような気がしますのでもういいかな、と……。

 もう1回か2回、書ききっていないと思うことを気楽に書かせていただいて、終わりにします。

 最初から余談ですが、タレントさんはデフォルトで容姿、外見が突出しているわけですから、彼らの人間関係における緊張感は、私たちの想像を絶するものがあると思われます。

 例えばお笑いの方とかで、外見が普通であっても(失礼)、彼らは「有名になる」というモチベーションをベースとした言動でもって、実際にお茶の間の有名人になり、「なんだあいつちやほやされやがって」と庶民の嫉妬心に火をつけ、結果、人間関係に極度の緊張感を発生させます。

 でも、彼らは望んでそうしているのです。

 やっかいなのは、きわめて強く望んでいるにもかかわらず、そのことに気付いていないことがあることです。例えば、有名になりたいからタレントになっているのにもかかわらず、一方では「そっとしておいてほしい」などと発言したりするわけです。本気でそっとしておいてほしいのであれば無名のままでいるべきなのですが、そうしないのは、自分の自尊心を満たすことが最優先課題であるからです。

 つまり、常に心が安定していない。彼らは有名になって心を安定させたかったのにもかかわらず、有名になって心が安定することは絶対にありませんし、無名に戻ったとしても無名のときに心を安定させる術を見つけられなかったのですから、結局同じです。彼らは高い確率で、一生涯「気づき」を得ることはありません。

 いずれにせよ、彼らは極限の人間関係を漂流してゆくのが仕事でもありますので、芸能人の不祥事とかよくゴシップになりますが、それは分かるような気もするのです。彼らの世界は、われわれとはちょっと違う。デオドラントを装ってはいますが、彼らはこれまでもこれからも、カタギではないのです。

 さて、何回も書いてきた「マッチョな男性/プロポーション抜群の女性」のたとえですが、加齢とともに外見勝負からうまく「い~ち抜~けた」するために、具体的にどうするか?

 前回は「内面からにじみ出てくる真の外見を、磨かなければなりません。」と書きました。

 まず、外見勝負とは別な方向性を見つけよう、と強く思うことです。つまり「変わろう」と思うこと。

 重要なのは、ゴールを最初は具体的にイメージしなくともよいのです。ゴールは最初はみえないのが当然。方向性は自然と定まってきますので安心していて構いません。

 まず走りだすこと。

 さて、具体的にどう走りだせばいいのか?

  1. 外見をキープするために、内側をケアする(という意識)
  2. 内側へのケアを意識しながら外見を改める

という表裏一体のアプローチが必要です。

 1.は、外見をキープするためにまず外面を気にする(のが当たり前でしょ)という一見正論と思える考え方から脱却するということです。外見をキープするためには、まず内側をケアすることが最優先であると信じること。

 結局、「内側をケアする」とは食生活とライフ・スタイルを改めること、および嗜好品を減らすことです。言葉で表すのはカンタンですが、私はこの連載においてほとんど具体的手法を示しておりません。なぜなら、ここで私が登場する隙はどこにもないからです。食生活とライフ・スタイルを改めるための手法は、もう出尽くしているといってよいでしょう。われわれは先達が示してくれた手法から、自分に合うものをセレクトするだけですので、非常に恵まれているといってよいでしょう。

 内側を集中的にケアしてゆくことで、ある程度外見もキープできるのですがその1つの例としては、以前書きましたがお肌にハリ・ツヤが出るとか顔色が良くなるとか、そういう方面も重要です。

 内側をケアするといってもなかなか、成果が目に見えないためにくじけそうになってしまうので、ほんの少しでも外見のほうに(良いほうに)変化があったか? を気にして、それを励みにしてゆく必要がありますね。

 2.「内側へのケアを意識しながら外見を改める」については、補足が必要かと思います。

 「内側」とは心身の「心」も含みます。

 始めから結論を先に書きますが、「外見を改める」とは

  • 姿勢をよくする
  • 笑顔(自然な)

 これだけです。(まずは)

 外見は、「良い姿勢&自然な笑顔」でカンタンに変えられます。男女ともかなりイケてきます。「マッチョ&プロポーション(デフォルト日焼け)」を信仰している方々は信じられないかもしれませんが、これだけで周りの評価が大きく変わってきます。

 確かに、専門的にトレーニングジム等で身体(外見)を「作り込む」のとはまったく違うアプローチですが……前者は天然せっけん、後者は合成洗剤という感じでしょうかね。

 「良い姿勢&自然な笑顔」というのも、書くのはカンタンですが継続するのはなかなか難しいものですね。ですが不思議なことに、これだけで「内側」すなわち、内臓もケアできますし、「心」も磨かれてくるので、相乗効果となります。

 「マッチョ&プロポーション」は、内臓には負担をかけるばかり。「心」については快を与えるかもしれませんが、これは幼児に甘いものばかりを与えるようなもので、栄養はありません。

 実は、1.「外見をキープするために内側をケアする」(食生活とライフ・スタイルを改めること、および嗜好品を減らすこと)をうまく実践すると、自然と姿勢もよくなり、笑顔になってきます。

 まとめると、1.を実践すると2.もいずれ実現される可能性が高まります。2.を実践すると1.と同様の効果が(ある程度)期待できます。

 1.2.ともに並行して進めるのが理想なのですが、結局どちらから始めてもよいです。なぜなら、どちらか片方から始めても、それが軌道にのれば自然と両輪で進んでいくからです。

 うまくゆけば、どんどんナチュラルな外見になってゆきます。ナチュラルな外見というのはわかりづらいかもしれませんが、人工的に作りあげた外見ではない、ということです。かつ、無頓着でもありません。例えば、人工芝の、手入れ不要の庭でもなく、草が伸びるにまかせて手入れをしていない庭でもなく、うまく手入れがされ、自然とも調和がとれている庭のことです。

 ナチュラルな外見の方は人工的につくりあげた外見の方よりも魅力的です。と私は強く思いますし、そう思わない方もいるでしょうが、ビジネス・シーンでは前者が魅力的ということで間違いはないです。

 と、いうことは、ビジネスマンでジムで身体を「作り込んで」いる人は間違っているということになります。(ただし、ジムで身体を「メンテナンス」しているのであればOKです。このへんの違いが微妙なところではありますが……)

 例えば、「人工的」からナチュラルな外見にシフトしてきた方がいたとして、どこかで、あ、今の自分の方がいい!(今まではムリしてた……) と思う瞬間がきます。その瞬間に到達するまで自信が持てなくてけっこうタイヘンなのですが(そして多くの方が挫折します…)、そこを通過しさえすれば、自分に対する自信が急上昇で上がってゆきますし、「心」も安定します。

 外見を人工的にキープすることにより「心」を安定させ続けるのと、ナチュラルな外見にシフトして自然と「心」が安定してくるのとでは、「心」の安定度も、メンテナンスのし易さも、かかるお金も、すべてにおいて段違いに後者がおすすめです。

 ですので、ちょっと時間がかかるかもしれませんが、頑張っていただきたいと思います。

 読んでいただき、ありがとうございました、

健康について第44回 心について(3)

2012/03/05 10:53:21

 お世話になります。龍澤と申します。

 無謀にも「心」について書き始めて3回目になります。(前々回「心について(2)」

 何回も例として引いていますが、「マッチョな男性/プロポーション抜群の女性」は、なぜその体型/外見を維持するための努力を怠らないかというと(そういう方々が、自分はぜんぜん努力はしていない、というのは100%ウソです)自分の「心」を安定させるためなのですよね。

 他人の評価や賞賛がモチベーションとなり、それにより自尊心が満たされ、心が安定する、と。

 もちろん、ナルシシズムもあります。努力により自分が理想として描く外見に近づいていくわけですから、こうありたいというイメージに自分を近づけていく行為は、自己実現のプロセスそのものです。自己が実現される、あるいはされていく過程で当然、「心」は安定しますよね。

 前回は、その努力の「努力量」を変えずに、別な「心」を安定させる手法を模索し、それを実現させる方向に努力をふり向けてみましょうよ、と書きました。

 男子であればマッチョにならなくとも、女子であればプロポーション抜群でなくとも(しつこいようですがあくまでたとえ、メタファーです)、他人から賞賛を受けることのできる「場」はありますし、ナルシシズムを満たす自分なりのやりかたも必ず見つけられます。

 ただし、本人が別なものを見つけようという意志を強く持つことができれば、という前提ではありますが。

 方向性を変えていかなければならない理由が2つあります。1つ目の理由は、年齢ですね。加齢とともに、我々は自分をどのように見せていくかというスタンスを変えていかなければなりません。否が応にも、外見は変わってゆくわけですから。

 女性は、そして男性の多くも、加齢により外見が変わってゆくことを「衰え」と表現します。それを「間違っている」と断定はいたしませんが、私は悔しいのそのように考えたくありません。我々は加齢によって、ますます輝けるはずなのです。あるいは「味が出る」とでもいいましょうか。

 そういう意味では、上っ面の外見勝負からは今すぐにでも「い~ち抜~けた」しなければならないのです。「若ければ若いほど良い」などという評価基準はこちらから願い下げ(笑)しないと……。

 なお、この話の前提として、自身の外見をどう見せてゆくか、というのは、加齢とともにより一層、「戦略的」かつ「総合的」に考えていかなければならないことだと私は考えております。特に男性(この業界の)は。上っ面ではなく、内面からにじみ出てくる真の外見を、磨かなければなりません。

 なぜなら、歳を重ねるごとに我々が活躍するステージは変わってゆきますので、周りの人たちの人間をみる目も肥えてくるからです。いい歳こいて上っ面だけつくろったところで(言い方は悪いですが)、すぐ見抜かれます。若い頃は、周りも自分も人間的に厚みがないので双方上っ面だけでもよかったのです。

 とはいえ、上っ面だけでもつくろう気持ちがあるのであれば、実はかなりマシなのですが……いわゆる「ずぼら」(最低限の「身だしなみ」すらもアヤしいような)は、特に歳をとってからはかなり損をします。天然でずぼらなのであればけっこう微笑ましいのですが、「男は(あるいは、「エンジニアは」でも可)外見じゃない」というポーズを盾に、逃げ続けている人は正直目もあてられませんし、当然心も安定してゆきません。

 もう1つの重要な理由は、(これは以前書いたような気がしますが)外見に特化して自分に自信を持つようになると、自分では気付かないうちに周りに対して挑発的になってくるのです。

 というか、その作り上げたい外見そのものが挑発的なのですが(語らずとも)。

 それに気づいていない方が多いのですよね(もちろん、意識的に、自分を変えようと思い、挑発的にしている方もいますが)。

 そういう方々の人間関係というのは、常に若干の緊張感を有しています。対面する誰もが、ちょっと構えてコミュニケーションをとります。それが、双方にとって通奏低音としてのストレスになります。

 多くの方はそのストレスにも気づいていないのでしょうし、相手にストレスを与えていることにも気付かないのだと思います。

 「似た者どうし」のコミュニケーションであれば知ったことではないのですが、人間関係というのは仲良しグループとだけ付き合っているわけにはいきません。

 というわけで、気付かぬうちに緊張感漂っている人間関係を弛緩し、無用なストレスから解放されるという意味でも「い~ち抜~けた」したほうがよいです。

 いったんひと区切りしたので、ここで切ってまた続けます。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第42回 心について(2)

2012/02/20 10:49:47

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回の続きになりますが、「心」というものについて素人が大胆に(笑)斬り込んでゆきたいと思います。たぶん、今回でもまだ結論が出ないと思います。

 前回、「ムリをせずに自身の『心』を定常的に『快』にする方法を、探してゆかなければなりません。」と書いたのですが、よく考えてみれば、これはもう人間の最終目的といってもよいのではないでしょうか?

 世の中の多くはこのことを目標とし、結果としてさまざまな戦争を起こしているのですから、皮肉なものですよね。

 そして、心を定常的に「快」に保つことができるのだとしたらそれは「健康生活」そのものです。ですのでその方法を探ることはこの連載の究極の目的である、ともいえるでしょう。

 なのですが、「人間の最終目的」という壮大な命題について、たかだかこの連載では結論は出そうにありません。でも、ある程度の示唆を与えることは、できるかもしれません。

 自身の心が定常的に「快」である、ということは、言い換えれば常に「すがすがしい」ということです。すがすがしい状態を日常生活でおおよそ保つためには、身体であっちが痛い、こっちが悪い、という状態が慢性的に続いていてはいけません。身体の外科的/内科的ケアはある程度、済ませておくことが前提になってきます。ただしカンペキである必要はなく、ある程度の軽い症状であれば精神論(良い意味での)でカバーできます。

 特に、主要な内臓のどこかが慢性的に悪いと、「心」が安定しません。とはいっても内臓の疾患が完治したらそのまま「心」が安定するかといえばそうでもないのですが……。

 「心」というのはそんなに単純なものではないのです。身体(内臓含む)が物理的に健康で、正常に稼働していれば、「心」が安定する可能性が極めて高くなる、ぐらいに考えておけばよいと思います。

 逆に、なんとなく心が安定しないなあ、という自覚があるときには、原因を外側(人間関係等の外的なストレス)だけに求めず、内臓も疑ってみるのも1つの手です。それはそのまま、生活習慣の見直しにつながっていくのですが。

 そして、内側がカイゼンされると不思議なことに外側の関係性もあわせてカイゼンされてゆくのです。この事実についてはいろいろな方が本を出したりしていますので詳しくは述べませんが、そういうことは往々にして起こりえます。

 さて、前回書いた「マッチョな男性/プロポーション抜群の女性」の行く末について。

そういう方々が、もしそういう体型でなくなってしまったとしても認めてもらえるような場所なり、コミュニティなりを自ら探す必要があるのでしょう。そのためにはまず、外側の「鎧」(あるいは「仮面」?)を外す勇気を持つことからです。その勇気を持つためには内面を磨く必要がありますね。

 前回このように書きました。

 まず、やめてみましょうよ、と。その方法としては、ただ単に身体を鍛えたり、女性であれば美しくなるための努力をぱたりと止めるのではなく、意識的に身体の「内側」をケアしてゆく方向へ移行してゆきましょう。

 努力するベクトルを180度転換するということです。努力量を変えてはいけません。

 そうすると、体型は「普通」になってゆくことでしょう。外側(上っ面)だけをキープするトレーニングをやめると一時的に外見が「たるんだ」状態になり、自分でも嫌になったりしますが、そのすきに、外面だけでつながっていたような人間関係は、まず真っ先に断ち切りましょう(断ち切らなくとも、自然と離れてゆくかもしれませんが……)。

 努力量を変えさえしなければいずれ報われます。ただし、時間はかかるかもしれません。そのあたりについては次回に書きます。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第41回 心について

2012/02/10 10:12:16

 お世話になります。龍澤と申します。

 第39回まで、(本当の意味での)基礎体力をつけましょう! ということを書いてきたつもりです。基礎体力をつけるとは必ずしも身体の「外側」を鍛えることではなく、どちらかといえば「内側」(内臓系含め)に特化していきましょう、と。

 また、以前より書いておりますとおり、身体だけでなく「心身」をともに鍛えてゆくことが大事だと考えており、この「心」といいますのが身体の「内側」にひそんでいます(たぶん)。そして私たちの行動をつかさどっています。

 今回は「心」について、少し書いてみたいと思います。

 といいましても私は心理学者ではありませんし、うかつに「心」について書くのは非常にキケンな行為です。なぜならば、私がここで「心」について文章化し、視覚化されて自分の意識から「心」の中に入ってくる時点で自分の「心」が揺り動かされてしまい、極端にいえば人生変わってしまうからです(このあたりでかなりヤヤコシい)。

 あくまで、素人考えであることはご了承いただきたく思います。

 身体の「外側」だけを鍛えることについて、否定的に書いてきたように思います。が、仮に、外側を鍛える、あるいはブラッシュアップすることで、例えばモテるようになったり、外見で人に認められるようになったりするケースがあります。

 若いうちは特にそのようなケースが多々あります(笑)。

 つまり、(「外見」を含む)「外側」を鍛えることにより、「心」が快になってゆくということです。自分の自尊心やナルシシズムも満たされ、外部からも評価され、その相乗効果で快になってゆきます。

 これは、「悪くない」と思うのですよね。それで心の安定が保たれるのであれば……。

 でも、外側を鍛えるために内臓を犠牲にすることがほとんどなので、それはいけないことですので「期間限定」であればよいかと思います。

 いつかはやめなければいけません。ムリをせずに自身の「心」を定常的に「快」にする方法を、探してゆかなければなりません。

 特に30代を過ぎたあたりからは、内臓をムリさせずに身体の外側、あるいは「外見」をブラッシュアップしてゆくのがベターです。これは、十分可能なのですがそれぞれの考え方次第なのです。

 例えば、男子であれば逆三角形の肢体、腹筋が割れている、といったような状態は人間の営みという点ではかなりムリがあります。(女性でいえば「プロポーション抜群」とか?)そういう身体をつくり上げるのも、維持するのも、内臓に負担がかかります。

 そして、内臓に負担がかかっている状態では「心」が安定しません。なぜならば、身体の「内側」の状態と「心」の状態は、直結しているからです。

 マッチョな男性/プロポーション抜群の女性が、「とある特定の場所」(想像におまかせします)にいけばモテるとしますと、当たり前ですが、いつもその場所にいきたがるようになります。なぜなら、その場所でのみ「快」が与えられるのですがそれ以外の場所では、相対的に常に不快だからです。一種の依存状態です。

 そういう身体でいなければ自分に自信を持てない、という方もいらっしゃるでしょうし、それは実際、そういう身体が評価されるこの現代社会では、いたし方ないところもあります。

 ところで、逆に、「太っている」という状態も、同じようにムリがあります。太っていることでどれだけ内臓に負担をかけているか、というのは、経験されている方も多いと思います。もともと人間本来の普通の生活をしていれば、太らなかったはずなのです。

 親が太ってるから自分も太ってしまったとか、母親が出された料理を食べていたら太ったとか、そういうのは言い訳にすぎません。

 でも、今の日本では、標準の範囲内の体重でも太っていると自覚していまうことが多い(特に女性)ですね。これはけっこう大きな問題です。

 マッチョな男性/プロポーション抜群の女性は(と、何回も書いていますがあくまでたとえです)、もしそういう体型でなくなってしまったとしても認めてもらえるような場所なり、コミュニティなりを自ら探す必要があるのでしょう。そのためにはまず、外側の「鎧」(あるいは「仮面」?)を外す勇気を持つことからです。その勇気を持つためには内面を磨く必要がありますね。

 太っている人はやせるだけで世の中の評価が高まるので簡単です。すぐに健康的にダイエットしましょう。

 長くなってしまったので、(たぶん)続けます。

健康について第40回 「健康法」論(2) 金、カネ、Money

2012/02/03 11:49:20

 お世話になります。龍澤と申します。

 第36回で、「健康法」のアヤしさについてだいぶ書いたつもりですが、そのときに書ききれなかったところを今回書きたいと思います。

 それは、健康(および健康法)とお金との関係についてです。

 健康法にムダにお金をかけると、効果がなかったときにものすごくストレスになる(イコール、「不健康になる」)ので、注意が必要です。ですが、ある程度のお金は必要です。

 この現代社会で健康を維持するためには、ある程度のお金が必要なのは事実です。ポイントは、お金が「かかる」か「かける」かの違いです。いかに効率的に、健康のためにお金を「かける」か。

 ところで、マスメディアから流れてくる健康関連の情報は、すべて間違っている! と私は断言できます。

 なぜ「私は」という限定があるかといいますと、マスメディアからの情報は「今の私にはまったく必要ない」ということであって、それが私でない別な方には有益であることもありえます(いずれにせよ、その他大勢の人にはまったく無用なのですが)。

 例えば、みのもんたさんが番組で何か食品を紹介すると、その日のスーパーでそれが消える、という話がありますが、その食品が、たまたまその日のとある人の健康状態を鑑みたときに、摂取すべきものである場合もあります。「健康『法』はすべてインチキである」といいたいところなのですが、実際はそのように、ある人にはバッチリ効くこともあるので、断言ができません。

 以前も書きましたが、たまたま「当たった」方は、「効いた!」と狂喜乱舞し、周りに過剰にふれまわるようになり、知らぬ間に宣伝になっているわけです。でも、同じ人であっても別な日だったらまったく効かなかったかもしれない。

 そういうのは精神的な「気分」にも左右されますので、例えばみのもんたさんの大・大ファンであれば、彼が風邪薬の代わりに片栗粉を飲みなさいといえば、バッチリ効く可能性が高いのです。

 スーパーに走ったその他大勢の人たちは、その買った食品を2~3日摂取するのでしょうが健康状態に変化(効果)はまったくないはずです。これが、ムダにお金が「かかる」ということです。まったく無用な行動をとり、まったく無用な散財をしています。

 でも、「みのもんたがいってるから買う~」とかじゃなく、自分が主体的にゲットした情報をもとに、ある程度のお金を「かけて」健康法を実践すると、効果がある可能性が高まります。

 それは、実は当然なのですよね。最初からモチベーションが違うわけですので。また、仮に効果がなかったのだとしてもそれほど後悔はありません。後悔がないのでストレスにもならず、不健康にもなりません。つまり「現状維持」です。

 これが、お金が「かかる」と「かける」の違いです。

◆金、カネ、Money

 お金…お金というのは本当に、本当に悩ましい存在です。

 先ほど、健康を維持するためにある程度のお金が必要となる世の中になった、と書きましたが、それはお金持ちしか健康になれないといっているわけではありません。

 まず、リアル「貧乏」では健康にはなれません。(実際問題、衛生状態を改善できないため)でも、質素な暮らしは健康そのものです。

 お金がないという状態は非常にストレスがたまります(イコール、不健康)。ですが、最下層の貧乏状態は例外として、自身がお金が「ある」か「ない」かの判断基準は100%主観になります。

 もっと、もっと! と求める人にとってはいくら稼いだところで永遠にお金は「ない」のでしょう。健康になるためにはまず、自身はお金が「ある」と思うことから始めなければなりません。

 それは「お金持ち」とは違います。私たち庶民が仰ぎみているお金持ち(と一般的に思われている人たち)のほとんどは「もっと、もっと!」でお金がないと思っていますから、常にお金に追われ、お金に対してストレスを抱いています。それは、不健康状態であるといってよいでしょう。

 普通に働いている方であれば、なにげに、つねに財布の中に数千円~数万円入っていませんか? 現金を保持していなくとも電子マネーにチャージされていませんか? チャージされてなくとも(なんでも買い物できる)クレジットカードを常に持っていませんか?

 ポケットに手を突っ込むと常に小銭が入っていませんか?

 ほら、お金は「ある」じゃないですか! まずそれを認めるところから始めましょうよ、ということです。

 余分なお金を持ち始めるとたちまち不健康になってゆきます。にもかかわらず、誰もが「余分なお金を持ちたい」という願望を持ちながら生きています。

 余分なお金を持ち始めると、多くの人たちは自分が不健康であることを自覚するようになるので、前述したとおり、ムダに健康法に走ります。ジムに通ったりもします。なぜなら、お金が余っているからです。質素な暮らしのうちは「健康法」にまでお金がまわらない。だから健康でいられる。考えてみれば不思議な話ですね。

 まぁ、余分なお金を「アスリート」になるために使う(「健康になる」ではなく「身体を鍛える」)という自覚があるのであれば、よいと思います。それはそれで、趣味の範囲ですので。

 アスリートになる手法も「健康法」と呼ばれているのが、私たちがごっちゃになってしまう原因なのでしょうね。アスリートになってもまったく健康になれないにもかかわらず……。

 本当に大事なことは別にあります。例えば余分なお金を持ち始めると、ムダにお金をかけて有機だの玄米菜食だのにはしる人がいますが、そうではありません。真に健康のことを考えるのであれば、「引き算」です。過剰な健康法はすべてやめる。そして、過剰な生活習慣もすべてやめる。

 もっと具体的にいえば、お腹いっぱい食べるのをやめれば、それでいいのです。

 引き算で健康になってゆく。それは結局のところ「質素な生活」に回帰してゆくということ。この高度資本主義経済社会、そしてこの東京という都会で暮らしてゆく中で「質素な生活」に回帰するというのは実は最高の贅沢なのです。

 ただしそのためには強靭な意志が必要になってきます。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第39回 薬と基礎体力の話(3)基礎体力

2012/01/27 10:23:30

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回も第33回と関連して、「薬と基礎体力」のうちの「基礎体力」の話を書きたいと思います。第33回のおさらいを以下に。

「ちょっとぐらいいいか……」と強い薬に手を出してしまわないように、「強い意志」が必要になってきます。その「強い意志」を形成するために健康になる必要があります。もっと具体的にいいますと、ふだんから「基礎体力」をつけておかなければなりません。

基礎体力をつけるというのは筋肉をつける(「マッチョ」になる)ということではありません。もっと身体の内側の話です。内側といいますのは、「心身」のうちの「心」も含みます。

 例えば、キックボクサーがビール瓶で自分のすねを叩いて、攻撃や防御のときに打たれ強くする、といった練習(?)があります。

 いきなり極端な例を引いてしまいましたが、アスリートが身体を鍛えるというのは大なり小なりこのキックボクサーの考え方に近いと思います。「筋肉の鎧」的な……。私も、中学1年のときに部活で「基礎体!」と称していろいろやらされましたが。

 マッチョになったり、脂肪が減ったり、あるいは走るのが早くなったり、といったようなことはすべて身体の「外側」の話ですね。1つ問題提起としては、「外側が改造されたら果たして、健康的に長生きできるのでしょうか?」ということです。

 「外側」を鍛えることを全否定はしないのですが、例えば外側を鍛えるために極端に肉ばっかり食べたり、体脂肪率を減らすためにダイエットで偏った食生活をしたり、あるいはサプリメントを多量に摂取したり……。

 そういった行動は、普通に考えたら「ちょっとおかしい」ということがわかるはずです。

 身体の「内側」とは具体的にいえば内臓ですね。内臓というのは自分の目には見えないものなので、内臓の異変に関しては「感じる」必要があります。内臓は絶えず自分の意識に対して何らかの「サイン」を出してくれていますので、いろいろな感情のノイズをかきわけ、このサインを最優先に感じなければなりません。ということは前回書いたとおりです。

 内臓をケアするための手段としては、良質な食生活と生活習慣(含む適度の運用、休養)であることは自明です。

 「何となく体調がいいな」と感じるときは、身体の内側が良い方向に循環しているサインです。

 体調が良いときは立ち止まって、何がその要因であるかを認識し、続けるようにしましょう。必ず、体調が好転している要因があるはずです。

 健康体でいるためには、身体の内側を良好な状態にキープしておく必要があります。内側が健康であれば肌つやもよくなりますし、「外側」に反映されてゆきます。ですので、上述したように外側のみケアするのはほとんど無意味です。

 「無意味」というのは「健康」という観点では、ということです。いわゆる「マッチョになる」や、女性がお肌をケアしたりするのは、健康増進というよりは「ファッション」に属する活動です。

♯スポーツもファッションの一部です

 ただ、「ファッション」に気を遣うのであれば、一見遠回りのようにみえますが身体の「内側」を良好な状態にキープするのが実はいちばんの近道なのかもしれません。

 「内側」が健康な人間はけっこう外見は普通で、中肉中背だったりします。

♯太ってはいません

 そういう人は長生きします。という意味でも人生の勝者になりえる可能性が高まります。

 これも当たり前のことなのですが、死ぬときに人生において満足感を得るためには、実はその直前で良い思い出をつくっておく必要があります。「終わり良ければすべてよし」です。つまり老年期をどう充実させて過ごすかを、本気で考えてゆかなければなりません。

 その土台として、老年期にあっちがいたい、こっちがいたいとやっていては思うように活躍できないのです。

 人生のピークが早いのは、それはそれで素晴らしいことなのですが、人生の後半戦との落差があまりに激しいと「ムカシはよかったじいさん」になってしまいます。ムカシはよかったじいさんはムカシはよかったといいながら亡くなってゆきますのでこれは幸せとはいえないように思います。

 さて、我々が健康を意識しなければならないもっとも大きな理由というのは、いざというときに病気と闘うためなのではないかと、考えています。

 具体的には、たとえば毎年やってくる風邪菌やインフルエンザと対峙し、あるときは追い払い、またあるときは取り込んで、菌と「もつれあいながら」治してゆく。

 それだけではなく、毎日毎日我々は外で家で「菌」と触れ合っています。

 それらを拒絶し、追い払うだけが「闘う」ではありません。病気を取り込んで懐柔して、「もうこないでね、とやんわりと追い払う」のも作戦です。(政治や外交と似ていますね)

 そういう高度なことを、健康な身体であればできます。というか勝手にやってくれます。非常にありがたいことに我々人間が生来備えている「機能」なわけです。

 不健康であればそのような機能が不全に陥ります。平常時より薬等を使わずに「自力」で治すクセをつけておかないと、ガンなどの巨大な敵がやってきたときにあっという間に呑み込まれてしまいます。

 そして「巨大な敵」は人生において必ず、数回襲来します。そのときのための日常の備え。

 これが「基礎体力」です。

 最後に余談です。

 健康で長生きするためには、敵をつくらないことも大事です。ところで、マッチョな人たちというのは実は敵が多いことをご存じでしょうか? なぜならば、マッチョになると自分の外側に自信がついて、周りを威嚇して歩くようになるのです(自分でも気付かないうちに)。

 口調も自然とそうなります。というか、マッチョな人たちというのはそういう人生(敵が多い)を自ら希求しているようなものですので、いたし方ありません。

 健康をキープするためには、外見は「普通」がいちばんよいのです。普通であれば敵をつくりません。それは動物(人間も動物の一種です)の知恵ですね。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第38回 鈍感力

2012/01/20 11:47:27

 お世話になります。龍澤と申します。

 第33回で以下のようなことを書きました。今回はこの続きについて書きます。

 人間には不快と感じる外部からの刺激がたくさんあり、「痛み」はその最たるものかと思いますが、たとえば同じ小さい蚊に刺されたときに、「痛み」と受け取る方と「痒み」と受け取る方がいます。心身ともに健康な方は、蚊に刺されたぐらいでは「痛い」とは認知しません。

 「痛み」閾値が上がってゆけば、日常での薬に手を伸ばしたくなる誘惑も追い払うことができます。

 要は「鈍感力」ということです。読んではおりませんが、以前そのような本が話題になったと記憶しています。

 私が考える「鈍感力」について申し上げます。健康になると鈍感になりますね。いろいろ気にしなくなります。大らかになります。結果、人生において不機嫌な時間が減ります。そうするとますます健康になってゆき、らせん状のポジティブなループに入ってゆきます。

 この「健康について」で何回も使っている「逆に」の理論でいえば、「逆に」いろいろな点でくよくよと気にしないようにしたり、あえて大らかにふるまうようにすれば、健康になれるということです。

 健康維持のためにいろいろなスケジュールを立ててしまったり、いろいろなノルマを自分に課したりしますが、それが続かなくなってくるととても気になります。ストレスがたまったり自己嫌悪に陥ったりします。これでは、健康維持のために始めたはずが、始める前よりも不健康になってしまいます。

 いつもみけんに皺を寄せてストイックにセルフコントロールし、グラム単位で自分の体重を気にしながら健康そうな体型をキープしている方よりも、毎日大らかに、細かいことを気にせず笑顔で生きていけるぽっちゃり型の方(失礼!)のほうが、よっぽど健康なのではないかと思います。

 ただし、すべての事象に対して鈍感になってはいけません。本来鈍感でよかったところにばかりやけに敏感になってきたのが現代人であり、それは正すべきではあるのですが、問題なのは、そのせいで本来研ぎ澄ましておかなければいけない感情が非常に鈍感になってきているということです。

 具体的には、最優先で敏感になるべきなのは自分の内側からの声です。たとえば、「体調が悪い」といったサインや、もっとピンポイントな、身体の各臓器からのかすかな痛みの信号などです。

 そして、感情……私は「違和感アンテナ」と呼んでいますが、世の中の出来事に対して「何か違うんじゃないか?」という「内側」からの声。ビジネスマンは仕事優先で(それは悪いことではないけれど)、これらの内側からのサインや「声」を押し殺してしまうことが非常に多いのです。

 その「声」は最初は聞こえているはずなのですが、無視を決め込んでいると、「内側」は「あー、コイツにはサインを送ってもムダなんだ」と判断してだんまりになります。多くの現代人はこの状況にあります。

 そして、サインがこなくなると夢見が悪くなります。なぜなら、「内側」は、直接的なサインを送ることをあきらめて、夢という手段でそれを伝えようとするからです。ですので、ネガティブな夢が続いたときは一度、立ち止まって考えてみたほうがよいでしょう。

 逆に、本来は鈍感でよかったはずのところ。例えば、自分はこうである、こういう人間である、という考えがきっかりと決まってしまっている人がいますね。

 そういう場合に、何か本来の自分(今の自分が考えている「自分」という定義)がすべきでない行動をしてしまった、とか、そういうときに自分を許せない。あるいは、他人から自分について指摘をされたときに、受け流せない。その他人を許せない。

 異常に敏感に反応しますね。自分が定義した自分(という「殻」)を守るために。

 自分自身のもっともコアなところは守るべきなのかもしれませんが、そうでないところはほとんど受け流していいのです。他人の評価などほとんど気にしなくともよいですし、自分の行動規範についてもそれほど厳しくなくともよいのです。

 徒然なるままに。

 余談ですが、自分に対してそのような「決め」をつくりたがる人ほど「転向」も素早かったりします。ブログが流行り始めたときはいずれ皆ネタがなくなる、オレはやらないといい、いつの間にかブログを立ち上げて熱心に毎日書き込みをしてはmixiは意味がわからないという。mixiにのめりこんだ頃はTwitterを「つぶやいて何になるのか?」といい、Twitterで1000人フォローする頃にはFacebookってイケてないよね、と……そういう人のことです。

 決めをつくっては、守れなくなったら言い訳を考えつつ壊し、次のステップでまた守れない決めをつくって言い訳しながら壊し……の繰り返し。こういう人は心身ともに健康にはなりえません。

 もうひとつの本来鈍感でよかったところの例えは、ありがちですが、胃がしくしく痛いのに内側からの声を無視して飲んでしまうとか、そういう「欲求最優先」の状態です。ひとりよがりな、自分個人の欲求に対して異常に敏感で、最優先でかなえてあげようとしてしまう。

 自分の意識上の欲求、欲望というのはかなり優先度を下げてもよいのです。まずは、それを口にするのをやめてみましょう。

 おぼえておいて損はないと思うのですが、自分の表面上の欲求欲望は自分を不健康に向かわせます。それがなぜかはわかりません。でも、自分の欲求欲望を最優先にする人は長生きしませんし、常に周りとのトラブルを抱えていますし、結果的に幸せにはみえないものです。

 これはけっこう難しい話です。自分の欲求欲望をセーブして生きるのが美徳である、といっているわけではないのです。でもこの連載では「健康」を軸にお話ししていますので、健康的に長生きしたいのであれば自分の欲望をセーブして生きるほうがよいですよ、とは申しておきます。違う言い方をすると、欲望が身体の内側からロコツに発せられないようなライフスタイルにチェンジすべきでしょう。

 でもそれは、難易度が非常に高いです。この現代社会の情報の洪水の中で生きていると、人間の欲望を(ストレスなく)内側に押しこめながら生きていくというのは非常に難しいのかもしれません。

 欲望重視で生きてもよいと思うのです。それこそが悔いのない人生であると確信できるのであればストレスはたまらないと思いますので……結果的に人生において争いごとが絶えなかったり、病気がちだったり持病を抱えてしまったりするかもしれませんが、うまくいけば太く短い人生を送れたということで人生、大団円になるかもしれません。ただしそのような人生は、ある種大きな「賭け」ともいえましょう。

 相変わらず、書き始めたときに想定していた結論とまったく違う方向にいってしまいましたが……1つうまいオチがみつかりました。

  • 「欲望に鈍感になることこそ『鈍感力』」

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第36回 「健康法」論

2012/01/05 14:44:23

 お世話になります。龍澤と申します。

 第32回で「健康法」というものについて書きましたが、私的には少し言及が足りなかったと思っていますので、補足します。

 皆さまごぞんじのとおり、「健康法」はものによっては非常にグレーで、あやしいものです。なぜならば、とある健康法を広めようとする動機は、ほとんどが金もうけだからです。「皆を健康にしてあげたい」という純粋な動機からくるものではありません(健康に関する、星の数ほどある書籍も、出版の目的はほぼすべてが同様です)。

 ダイエットであれば、体重が減ったりウエストが細くなったりと効果がわかりやすいですが、「健康になる」とは、いってみれば何も起こらないことです。たとえば定性的に「すがすがしい」とか「気分が良い!」とかそういう効果がすぐに出てくるのであれば、それもあやしい。恐ろしいリバウンドがあるかもしれません。

 健康法は、効果がある人とまったくない人がいて、それでクレームが起こったりしますが、人それぞれ育ってきた環境も体格も食習慣も生活習慣もまったく違うわけですから、効果がある人とない人がいるのが正しいのです。たまに劇的に効果が出る人がいるために、この人たちがたちまちエヴァンジェリストに豹変し、宗教的になってゆくのがタチが悪いんですよね。

 あやしい健康ビジネスで暴利をむさぼっている方々はそのへんをよくわかっているので、そこをうまく突いてきます。世の中には間違った健康法が跋扈しています。多くは間違ったものだと思うのですが、「効果がある人とない人がいますので」とやられてしまったら言い返せない。

 彼らのクレームに対するマニュアルはカンペキですので、こちらはカネを払ってまったく効果がなくても結局、泣き寝入りになります。

 それでも、間違った健康法により、現状維持ならまだしも、多くの人はより不健康になっていっているので、これを看過することはできません(たとえばわかりやすい例を挙げれば、自分の身の丈にあわない過剰なジョギング習慣により膝を傷めるとか、そういうことです)。

 世の中のほとんどの健康法とは実は、長期的には身体を悪くします。なのですが、身体が悪くなって取り返しのつかなくなる頃には、何が原因かわからなくなっています。

 昨今の、放射能汚染の身体への影響の議論と似ていますよね。20年後に、今の福島の子供たちに悪影響が出たのだとしても、誰も逮捕することはできません。

 ただ幸いなことに、世の中のほとんどの健康法を長く試す人はあまりいない(だから、間違った健康法で身体を悪くする人は少ない)という……。

 そもそもこの現代社会では、ぼーっと生きているだけでデフォルトで不健康になってゆきますので……。それに追い打ちをかけるように、間違った健康法により身体をもっと悪くしてしまったらたまりませんよね。自分の身体とはいえ、知りませんでしたでは済まないことです。

 身体が悪くなる原因は、生活習慣に問題があるわけですが(先天性の問題であれば子供のころにもう発症しているはずです)、自分の生活習慣に問題があると自覚している人はほとんどいません。でもそれは、世の中の「流れ」なので仕方がありません。ふつうにビジネスマンとして生きていれば食生活は偏りますし、睡眠不足にもなりますし、不規則な生活になります。そしてその傾向は、かつての牧歌的な昭和のサラリーマンの時代と比べて拍車がかかっています。

 実際、それほど派手な生活をするわけでもなく、めちゃくちゃな食生活なわけでもなく、ふつーに暮らしている人がガンになったりします。

 じゃあどうしたらいいんだよ! という話になるのですが、まずは、意識して自分の体調を良いほう、良いほうへ向けていかなければなりません。受け身ではなく、自分なりのオリジナルな健康法を積極的に見つけてゆくというスタンスが必要です。

♯このスタンスこそが自分の「健康法」であるといえます

 ですが、健康健康! と目くじらを立てるとそれはそれでストレスがたまりますので、どんどん「間違った健康法」になってゆきます。そこが難しいところで、健康のためには「朗らかさ」はMUSTですからその基本線は常に忘れないようにしましょう。自分から笑顔が消えたなあと感じたらそれが要注意のサインです。

 長くなってきましたのでいったん切りますが、今回の結論としては、やはり必要なのは我々の「メディア・リテラシー」なのですね。

 何回も書いていますが、バナナだけ食べていれば痩せられるとか、そういった、ふつうに考えればゼッタイに間違っているような健康法でさえメディアの巧妙な「洗脳」により多くの人間が手を出してしまいます。

 とにかく、集団になびかないこと。自分の頭で考えること。結論はとても陳腐で使いふるされた言い方なのですが、結局これしかないのです。

 読んでいただき、ありがとうございました。

健康について第35回 薬と基礎体力の話(2)

2011/12/22 10:56:54

 お世話になります。龍澤と申します。

 「第33回 薬と基礎体力の話」の続きになります。

 私は、田舎の子にしては相当ひどいアトピーだったと、両親や近所のおばちゃん、祖母、親戚など、複数の人から聞かされました。なんとなく、自分でもおぼえています。

 何をおぼえているかといえば、母親がお風呂上がりに、僕の身体に軟膏を塗ったくっている情景です。

 それが、かなり有名なステロイドの軟膏でした。僕の子供時代はまさに「ステロイド漬け」でした。

 そういう時代だったのです。母親は幼い私のために総合病院をいくつもまわって(今でいう「セカンドオピニオン」)もっとも「効果的な」治療法を見つけてきました。それが、ステロイドだったわけです。当時はまだ、「画期的な新薬」という扱いで、ステロイドに対するネガティブなイメージは少なかったのでしょう。

 薬は、「効けば効くほどよい」という時代でした(日本の高度成長期は、薬も「イケイケ」だったのでしょうか?)。

 私の母親にはまったく非はないのです。聞いた話ですが、乳飲み子の私は、いつもかゆくて泣いてばかりいた、と。それが、ある日母が持ち帰ってきた軟膏を私がぼりぼりとかいているところに塗ったら、ぴたっと泣き止んだ。私も母親も、おかげでぐっすり眠れるようになったそうです(時は過ぎ、話はだいぶオーバーになっているのでしょうけど)。

 となれば、もうこれは魔法の薬でしょう! そして、「麻薬」でもあります。母親は当然、毎日寝る前に魔法の薬を患部に塗ってから寝るようになります。それで我々母子は、少しでも幸せになれた(安眠を手に入れた)のですから……。

 おそらく、いくらなんでも毎日毎日はステロイドを塗らなかったとは思います。でも事実として、私は幼少の時期でアトピーが完治することはありませんでした。その原因として継続的なステロイドの使用は、もっとも疑われるところです。

 ところが、中学校に上がるぐらいから反抗期に突入しまして……。反抗期の男子にとって、風呂上がりに母親に裸になって薬を塗ってもらう、なんていうことは死ぬほどハズカシイことです。ですのでだんだんと嫌がるようになり、おそらく、母親に「あとは勝手にしなさい! かゆいときに勝手に塗りなさい」と薬を渡されたのだと思いますが、反抗期の子がこまめにやるわけもなく。

 中学、高校の頃はずっと乾燥肌で、慢性的に、通奏低音のように体中がかゆい時代でした。でも部活もやってましたし、トモダチと遊んだり、なんだかんだとそれなりに青春を謳歌していたので皮膚科に通うこともなく……結果的には反抗期に突入した時期から自らステロイドから脱皮したわけです。軟膏を塗るのをサボったおかげで。

 うーんこんなに自分の昔話を引っ張るつもりはなかったのですが…今回も強引にまとめると、「何か別なことに熱中していれば、薬依存からは脱却できます」ということですね。

 「薬と基礎体力」のうちの「基礎体力」について後日、もう少し書きたいと思っています。読んでいただきありがとうございました。

健康について第34回 いつも体調が悪そうな人たち

2011/12/16 10:35:26

 お世話になります。龍澤と申します。

 職場においていつも体調悪そうだったり、年に半分はマスクしてるような方が必ずいますが、そういう方に対して(正直なところ)もはや同情はなく……。

 自分は体調が悪いですから、と何らかの手段で外に宣言している人というのはつまりは、「自分は今生産性が低いです」といってるようなものです。その人は、その日はベストな体調でないため100%は働けません、と。

 それは、たまにはしょうがないこともあろうかとは思いますが、昔と職場環境が変わったなあと思うのは、そういう状況が慢性的な方が増えているということです(これじゃあ、そりゃニッポンも長い不況から抜け出せないよな、と……)。

 それは「給料泥棒」ではないのですか? というのが(サラリーマンでない)私からの提言です。反論はあろうかと思いますが「泥棒」という言葉がキツいのであれば、査定において減給の基準にしてもよいのではないか、とは思っています。

 前の日二日酔いで午前中はぐだぐだ……というときはおおよそ周りは寛容で、「しょうがねえなあ(笑」で済みますし、1日体調不良で休んだ次の日に死にそうな顔で出勤してきて「やんなきゃいけない仕事があるんで(無理を押して!)きました」と一言いえばヒーローのような扱いを受けるでしょう(結局死にそうな顔で出勤したところで、その日は仕事にはならないのですが……)。

 それもたまにはよいでしょうが、それが頻繁にあるとするならば、例えば同期の人は「なんであいつと同じ給料なんだよ!」ということになりますよね、自然と。

 給与体系が歩合中心で、かつその人がものすごい特異な能力をもっていて、その会社のエースなのであればまあ許せますが、日本のサラリーマン社会においては、結果を出していても組織の足並みは乱れそうです(「あれでは示しがつかん!」と居酒屋で怒ってる上司がいますね、よく)。

 ところで……(ここまで書いたことに対して「ちゃぶ台返し」をします……)

 職場で常に体調悪そうな人のうちの多くは、もしかしたら、「無意識的に」、自分の給与や待遇、およびそれに比例したモチベーションにあわせて仕事をセーブ(サボタージュ)しているのではなかろうか? と考えるようにもなりました。

 もしそうなのだとしたら、潜在意識にコントロールされてしまっているわけなので、(コントロール可能な)自分の意志ではないということになります。その場合、必ずしも「体調管理ができていない! 社会人だろ!」と個々人を責めることはできないのではないかと思うようになりました。

 問題の所在は、必ずしも個々人にあるのではなく、個々人の集合体としての「組織」が何かしらの「病」を抱え込んでいるということなのかもしれません。

 「自分は(基本的に)100%の体調で仕事をしません」と自らレッテルを貼っている不健康要員をたくさん抱えてしまっている組織が実在するとするならば……(というか、実在するのですが)なぜゆえにそうなってしまったのか? ということはおおいに気になるところではあります。

 ですが、組織が健康(健全)に機能するためにはどうしたらよいのか? というテーマは、基本的に個人で動いてきた私には太刀打ちできない問題なので、いろいろな文献等にゆずることとします。おそらく、給料を上げたり組織改革をすれば解決する、といったような簡単な問題ではないのでしょう。

 個々人の話に戻して。

 そういう方々(「慢性的に自分は体調悪いですから、と何らかの手段で外に宣言している人」)というのは、もれなくセットで不機嫌のオーラをまとっていますから仕事も頼みづらいですよね。

 そして、特定のグループ以外の人間に心を開こうとはしません。「特定のグループ」といいますのは要は「類友」ですね。

 そういう人たちのもとにはキビしい仕事も行かない(思惑どおりに?)のかもしれませんが、あわせて運もやってこないのは自明です。

 でも、そういう人たちは「なんで自分らに運が向いてこないの?」と本気で思っている。それが私には不思議ではあるのですが……。

 話を強引にまとめると、そういう人たちがそういう状況から脱するための有効なソリューションが、「健康」をキーワードに生活習慣を見つめ直し、改善してゆくことなのです。

 私が、健康について意識をし始めたのは極めて個人的な問題が発端でした。にもかかわらず、このような駄文を書いて外部に発信している理由は(以前CNETブログでも、健康については集中的に書きました。ほぼ黙殺されましたが……)、自分が健康について考えるようになってはじめて、IT業界の現場において生産性の低い人間が増殖していることに気付き(主に健康面の理由で)、「この業界ホントに大丈夫なのか?」と本気で危惧をおぼえはじめたからです。

 自分がどっぷり「不健康サークル」に入っているときには、まったく気付きませんでした。私が棲息しているこの業界自体が、21世紀もとうに10年をすぎ、すでに花形の産業でもなく、これから斜陽となり地盤沈下してゆくのだとしたら、家族を食わしてゆくためにもそれを内側から食い止めなければならないと思っています。

 そのあたりのことについてはいつかまとめて書きたいと思います。

 今回も読んでいただきありがとうございました。

健康について第33回 薬と基礎体力の話

2011/12/09 10:44:03

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回まで、集中的に「薬」について書いてきて、いったん終わろうかと思いましたがまだ考えることがありましたので、引き続き書いてみたいと思います(私的に、まだ書ききっていなかったのかな、と……)。

 薬という存在をどんなときに欲するか? といえば、「痛み、あるいは苦しい症状を和らげる」(どころか、あわよくば「ぴたっと」治まってほしい)ときです。

 いってみれば「伝家の宝刀」なわけですから、ふだん抜いてはいけません(ということを、言い方を変えながらも書いてきています)。

 ということは、これは私の考え方ですが、ふだんのちょっとした痛みは「我慢」しなければなりません(いざというときに薬でぴたっと痛みを抑えるためにも)。

 痛みや苦しみを急ぎで和らげなければならない「いざというとき」は、2つあります。「我慢できないぐらい痛かったり苦しかったりする」場合と、「大事な用件があるとき」です。そして「仕事中」というのは当然、「いざというとき」に該当すると思っています。

 いざというときは伝家の宝刀(薬)を抜けばよいという安心感を得るために、その薬は100%効く必要があります。ので、服用するのは自然強い薬になりますね。それは、慢性化しなければOKです。

 我慢できるのに、そして、「いざというとき」でもないのに、「ちょっとぐらいいいか……」と強い薬に手を出してしまわないように、「強い意志」が必要になってきます。その「強い意志」を形成するために健康になる必要があります。もっと具体的にいいますと、ふだんから「基礎体力」をつけておかなければなりません。

 基礎体力をつけるというのは筋肉をつける(「マッチョ」になる)ということではありません。もっと身体の内側の話です。内側といいますのは、「心身」のうちの「心」も含みます。

 まず、基礎体力があれば、自分の「不快閾値」が上がります。人間には不快と感じる外部からの刺激がたくさんあり、「痛み」はその最たるものかと思いますが、たとえば同じ小さい蚊に刺されたときに、「痛み」と受け取る方と「痒み」と受け取る方がいます。心身ともに健康な方は、蚊に刺されたぐらいでは「痛い」とは認知しません。

 ただし、痛み閾値が上がりすぎるのは、人間の生存に関わる大問題になってくるので注意が必要ではあるのですが、一般人が身体を鍛えたところでそこまで解脱することはできませんので、それほど気にすることはないでしょう。

 SEが「心頭滅却すれば火もまた涼し」の域にまで到達する必要はまったくないのです。

 薬の話に戻りますと、「痛み」閾値が上がってゆけば、日常での薬に手を伸ばしたくなる誘惑も追い払うことができます。

 痛み閾値を上げる、つまり、心身ともに健康になるためにはどうしたらよいか? という議論は今回はしません。今までずっと書いてきたとおり、その方法は自分で見つけるものであり、一概に「こうしたら健康になる」という「パッケージ・ソリューション」はないと思っています。(なのですが、この連載の最終章ではこの点についての結論=共通解を導き出して、皆さんと共有したいとは常に考えており、この連載の目的はそこにあります)

 1ついえるのは、ふだんからできるかぎり「薬」という存在から離れる努力をしていて、そのおかげでいざというときの投薬がてきめんに効果のある方というのは、一応健康といってよいのでしょう。いざというときに頼るモノがある、という安心感が健康にさらに拍車をかけます。

 「薬」というケミカルな化学物質とはそのような適度な距離を保った良い付き合いをしたいものですね(タバコや酒などの嗜好品と同様に……)。

 本日も読んでいただきありがとうございました。

健康について第32回 効果が「ない」のではない

2011/12/02 11:21:07

 お世話になります。龍澤と申します。

 星の数ほどある健康法のうち、主にダイエット法の失敗のコメントでよく聞かれるのが、「いろんなダイエットをためしてみたけど、どれも自分にあわなかった」と、いうものです。

 まず、こういうコメントをする方というのは、続けていません。「ためしてみた」というのはホントに、数回なのでしょう。数回で「自分にあわない」と決め付けるのが、おかしい。

 「あわない」という根拠は、「期待していた効果がでない」ということですね。1カ月すら続けられずに「効果がでない」と断じられるのですから、巷のダイエット法もかわいそうだと思います。

 何も効果が出ないまま1カ月続けるのは確かに、はりあいがなくて大変かもしれませんがもともとダイエットというのは地道なものです。しかも、自分の理想体重になったとしても、一生、節制を続けなければならないのです。

 アヤしい薬を飲み続けなさい、とか、ずっとバナナだけを食べなさい、いったような類の極端なダイエット法や健康法は論外ですが、たとえば医学的に(本当に)推奨されているような健康法であれば、継続的に実践すると、まずは身体から悪いものを追いだそうとするので、いろいろな症状が出ます。

 たとえば食事療法を始めたときに、最初に熱が出たりしますが、これは身体が変わろうとしているサインなのですが、ここで止めてしまう方がほとんどですね。「身体がおかしくなった」といって。

 健康法を実践しているのに熱が出たりするわけですから健康法に裏切られた気分にはなるかもしれません。それに、不安にもなります。

 健康法なりダイエットなりを実践しようとしている人はそもそも乗り気でないことがほとんどで、嫌々、仕方なくやっています。ですので、常にやめる理由を探しています。「1週間(も)続けてるのに、ぜんぜんやせない!」とか「健康法をやっているのに発熱した!自分の身体には合わないんだ」とか、まんまと辞める言い訳を見つけてしまうわけです。

 常にやめる言い訳を探しているのであればどのような健康法を選んだところで結果は同じ、ということですね。

 また、健康法なりダイエットなりというのは、それなりにお金をかけてしまいますので(たとえばジョギングやウオーキングを始める際にまずウエアを新調したりとか)どうしても「こちとら客だぞ」という気分になってしまうんですよね。「ン千円(あるいはン万円!)も出したのに。。」と、お金に見合う効果を期待してしまいますし、効果はすぐあらわれてほしいと思うのが人情というものです。

 苦しいことに、お金を出す不思議。。なんだか医者に通って「(わざわざ)病気になりにゆく」のに似ています。

 自分の習慣を根本から変えようとするわけですから、苦しいですよね。そして、「今までの自分は怠惰だった」ということを認めざるをえないわけですから、過去の自分を否定するのもとても苦しい。

 効果をすぐに出したいのであれば確かに「アヤしい薬」のほうがよいのかもしれませんが……1つ確実にいえることがあります。

 健康法やダイエット法において、即効果を期待するのであれば強力な「薬」(たとえばやせるための強烈な下剤であるとか、極端に食欲をなくさせる薬とか)を服用すれば実現できるのかもしれません。実際、そのような効果がある(と噂になっている)薬が市販されているのだとしたら、それは何かしらの劇薬を、オブラートに包んで新しい製品として販売しているだけだと思います。

 であれば、健康のために「劇薬」を服用するという行為自体が矛盾していることは明白です。あまりにあたりまえのことですが、劇薬を飲めば人間は不健康になります。

 そういう行為は一切やめましょう。そんなことをするぐらいだったら(同じくお金をかけるのであれば)とにかく楽しいと思えること、やりたいと思っていたことをやりましょう。たまには、大酒を飲んだりおいしいものをたらふく食べたり、買いたいと思っていた服なりギアなりをぱーっと買ってしまったり……(1日ぐらいだったら会社をズル休みしてもいいじゃないですか!)

 そのほうがまだ、いや、かなりマシだということです。かたや「劇薬」を飲んで身体を痛めつけながら健康な気分だけをゲットして自己満足に浸るよりは、ぱーっとやりたいことにカネを使って、とにかく(一時的にでもいいので)楽しい気分になりましょう。

 カネをつかって飲んだり食べたり、散財したりすることは決して健康的ではありませんが、薬を飲んで不健康になるより100倍マシだということです。

 今回も読んでいただきありがとうございました。

健康について第31回 ゲーム感覚で健康になる!(医療制度との距離感その6)

2011/11/25 10:59:09

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回まで、「薬」という存在にフォーカスして書いてきました。今回で医療制度との関わり方について、いったんまとめをしたいと思います。

 「エンジニア」と呼ばれる人種は、医療制度なしには成り立たない職業であるという厳然たる事実がまずあります。私たちは身体を酷使しているがゆえに、定期的にメディカルチェックを受けなければなりません。

 システムエンジニアリング(およびそれに付帯するいろいろな仕事)というのは極めて現代的な仕事であり、ということは、現代医療の継続的な支援がなければ健康を維持できないということです。

 つまり、私たちは「働けば働くほど(何もケアしなければ)不健康になってゆく」ということです。座り仕事であるがゆえに「身体を酷使している」という意識を持っていない方が多く、対外的にも激務であると見られていないのも問題です。

 そして、システムエンジニアリングが英語圏から入ってきた仕事だからなのかわかりませんが、システムエンジニアの食生活もどんどんアメリカナイズされてゆく傾向にあり……(要はジャンクフード好きということです)これも不健康に拍車をかけます。

 エンジニアでも、会社に属している方は強制的に健康診断を受けるのでまだよいのですが、フリーで仕事をしているエンジニアの中には、定期的なメディカルチェックを行なっていない方が多いようです。時間がない、というのが大きな理由なのでしょうが、とにかく取り返しのつかないことになる前に、メディカルチェックは必ず定期的に受診しましょう。

 メディカルチェックをそもそも受けないというのは大きな問題なのですが、チェックを受けているにもかかわらず、その結果をまったく活用できていない人が多いというのは、もっと大きな問題なのかもしれません。以下に簡単に分類してみましょう。

  • 結果をまったく気にしないケース。

二次検診を受けるように書かれてあっても受けない。生活習慣の改善について具体的に書かれていても、まったくやらない。

  • 結果をみて必要以上にくよくよする。

良くない結果を得ると「自分は病気持ちなんだ」とネガティブ思考に支配される。でもなぜか、1と同様に生活習慣の改善には着手しない。(致命的でない範囲で持病を持っておけばいろいろと言い訳が効くから?)

  • 結果が良好だからといってますます悪い生活習慣に走る。

特に若い人に多いパターン。数値的に良くない結果(例えば「要再検査」とか)になるまで止まれない。という意味では、検査結果の正常な数値に満足していない(病気なりたがり)ともいえる。こういう人はとことんまでいって「要入院」になるまでそのままのことが多い。(そして改心を誓ったときにはもう遅く…)

 健康診断の結果を「活用する」とはどういうことか? 例えばどこか局所的に悪い値が出ている場合はどうすればよいのか?

 それは、簡単にいえば、結果に対する医師の指導に一応従いつつも、自分なりに検索して調べる(もちろん、調べた結果として自分が納得する対処方法を実践する)ということです。つまり、前回書きましたが自分なりの「セカンド・オピニオン」を医師の指導の対抗軸として必ず立てておく、ということです。医師のいうことをうのみにしない。そしてもちろん、自分が調べたことも独りよがりに盲目に信じないこと。(ここで私たちの「メディア・リテラシー」が問われます!)

 1つわかりやすい例をあげれば、例えば医者は頑なに投薬治療を勧める場合でも、それに対して表面的には従いつつも、家では自然療法を実践し続ける、といったことです。医者ははっきりいって柔軟性はありませんので、「私は自分の信念があるので自然療法でいきます」と宣言したところで、「こいつアタマおかしい」と思われるだけです。医者はゼッタイに自分が正しいと信じているわけですから。自分なりの対処はこっそりやってもいっこうに構いません。

 この例で非常に重要なことは、お互いにアプローチが「ケミカル」か「ナチュラル」かだけで、実は優劣はないのです。「ナチュラル」を志向するタイプの方々も、柔軟性のない医者と同様に、自分のやりかたを頑なに正しいと信じこみ、それ以外のソリューションを下に見ることが多々あります。「ナチュラル」だからといって身体に負担が少ないだけで病気がちっとも治らないことだってあります。

 医者というのは実は膨大なマニュアルの中から症例にあわせてひとつのソリューションを提示しているだけです。その医者が、オープンな心持ちを持っていなければ、ソリューションは自分の経験や研究の範囲内に限定されます。それが、非常に怖いのです。医療の世界では、私たち素人がゼッタイにタッチできない、きわめてたくさんの研究とソリューションがストックされているにもかかわらず、そこに目を向けない医者がたくさんいるのです。

 視野が狭い医者の判断や処方というのは、はっきりいってGoogleに劣ります。これは、断言できます。ですから、患者側の人たちには徹底的に自分の症状について検索すること、そして、自分の直感で「これ」と思った対処方法について実践することをお勧めします。(後悔のないように)

 ただし、自らが調べて自らが実践するのだとしても、それはそれでインターネットという膨大な情報の中から自分に都合のよい「マニュアル」をひっこぬいてきているだけです。という意味では、医者の指示もgoogleも五十歩百歩ではあるのです。それは、常に頭の片隅にいれておいた方がよいです。この連載の最初の方に書いたと思うのですがとにかく人間の身体というのは皆違いますので、100%自分に合致する症例などないと思った方がよいです。

 自分の身体への対処方法は、自分で見つけてゆくものです。

 真の健康という意味では、実は定期的な健康診断の結果(数値)に囚われてはいけません。数値はあくまで目安でしかないのです。

 ですが、ITの業界の人はとにかく数値が好きなので…逆に定期的に自分の診断結果を完全に定量的に把握すべきだと思っています。

 つまりゲーム感覚で、数値と遊ぶ感じがよいと思うのです。どこかで悪い数値が出ているのであれば、それを楽しみながら、自分なりの健康法を実践しながら正常値に近づけてゆくのがよいですね。

 例えるなら、受験勉強と同じなんですよね。偏差値を上げるためにゲーム感覚で勉強に熱中してゆくあの感じ。(ただ、どこかで冷めてる)

 健康になるのもそれと同じで、よいのです。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第30回 薬と書いてヤクと読む(?)その2 (医療制度との距離感その5)

2011/11/18 13:25:23

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回は、どんな薬であろうと、薬を常用してはならないのではないか、といったようなことを書きました(たとえ医者が勧めたとしても、です)。

 例えば……。

 私は仕事中に頭痛になったら、市販の頭痛薬を飲みます。頭痛がなおったらもう飲みません。これがごく普通の行動です。薬を飲むこと自体が悪だとは言っていません。

 休日はなるべく薬を飲みたくないのですが、家族で出かけるときに朝から頭がどんよりしている、といったようなときは頭痛薬を携行し、いざというときは飲みます。せっかくお出かけなのにイヤな思い出にしたくないですからね。

 たとえば「頭痛がくるのが怖いので常に先手を打って頭痛薬を飲んでおく」というのは、私が考える「異常状態」に足を踏み入れつつあると思います。

 頭痛であれなんであれ、市販の薬を飲んでも治らないとなれば異常状態であるといえます。そういう場合は病院にいくのが普通です。そして結局は医師が指定した別な薬を飲むことになります。その薬が効かなければまた別な薬...これを繰り返してゆけばいつかはその症状は治まるかもしれませんが必ず副作用が「潜伏」します(副作用は、すぐに発症しないのがコワいのです放射線被曝のように……)。

 でもそれは、ある程度が仕方がないことです。病気になってしまったならば、薬でもなんでもガンガン飲んで、徹底的に病気を治して、治ったらぱたっと投薬はやめましょうよ、ということです。

 私が申し上げたいのはそれだけなんです。いつまでもいつまでも、医者が「念のためしばらく薬を飲んでおいてください」と言われてもうのみにしないこと。

 ぱたっと投薬をやめれば、確かにまた発症するかもしれません。そしたら、それは自分の生活習慣が悪いということなのです。覚悟を決めて自分の生活習慣にメスをいれるしか、ないのですよ。

 痛みというのは警告です。死ぬほど痛いときは、身体の細胞たちが全身全霊をかけて本人に何かしらの警告をしているのです。

 今現在、薬を飲み続けている人はどうすればよいのか? といえば、すぐにセカンドオピニオンをとりにいきましょう。市販の薬がやめられない、という方はすぐに「ファーストオピニオン」を病院にとりにいきましょう。とにかく、考え方をチェンジしてみましょう。

 今はとてもいい世の中になりました。昔は別の病院に鞍替えするのはけっこう勇気がいったのです(特に、私が生まれ育った田舎のような、閉鎖的な社会では)。

 そういうことがおおっぴらにできるようになりましたし、今はなんといってもインターネットで自分の症状を検索できます。いくらでも自分で状況をカイゼンできるのです。セカンドオピニオンをとりにゆくのが面倒臭いという方は、まずはネットで、自分の症状と飲んでいる薬をキーワードに検索してみましょう。いろんな方の症例がわかりますし、その症例に対してポジティブに取り組んでいる方のブログなどを参考にしましょう。

 別に医者にかからなくとも、実はけっこう、病気というのは生活習慣のカイゼンで治せちゃったりするものなのです。

 自分で調べるときに要注意なのは、「自分は病気に違いない」という前提で検索しないこと。誰もがみんな、「自分はもしかしたら病気なのでは……」という状態に、酔っ払ってしまっているのです。「絶対に症状をなおしてバラ色の人生に……」とか、そういう考え方で、ポジティブに調べること。

 医療にかかるのも同じです。自分が病気であるに違いない、という酔った状態で受診するのではなく、「完全に治すにはどうすればよいか」という大前提で医者を利用することです。

 つまり、努力の方向性を、薬を断つ方向、ひいては医療そのものと「おさらば」する方向へ切り替えないといけないのです。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第29回 薬と書いてヤクと読む(?)(医療制度との距離感その4)

2011/11/10 10:35:07

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回、「病院に薬だけもらいにいく、ということをしている方が、特にお年寄りに多いです。本当は、やめたほうがいいのだろうと思います」と書き出して、そこからどんどん話が脱線してしまいました。(それはそれで、よかったのですが)今回は脱線せず、もう少し話をふくらませてゆきたいと思います。

 若い人であれば、「病院に薬だけもらいにいく」はゼッタイにやめたほうがよいですし(そんな方は少ないのかもしれませんが)、薬局で買ったものも含め、薬を常用するのはやめるべきです(ただしサプリメントについては、玉石混交なので態度を保留しておきます)。

 若い人だけでなく、私の同世代(いわゆる「アラフォー」?)はもちろん、おおよそ「『お年寄り』と呼ばれない世代」の方々は皆、やめたほうがよいです。

 「お年寄り」未満の世代で、現在ふつうに働いている人たちが継続的に同じ薬を飲んでいること自体が異常だといえます。

 誤解のないように補足しておきますが、今現在、働けないぐらいの重病であるという診断をくだされている方や、過去にかなりの重病にかかり、現在も完治しておらず投薬で様子見をしているような場合は別です。

 病院は保険がきくから、結果的に薬局で買うより薬が安くなるので、わざわざ病院に行く、っていう人が多いんですよね。医者の診断のもと処方箋を出してもらえるから安心だし、と。しかも安いとくればもうやめられませんよね(だから病院の待ち時間が長いのですね)。

 ここまで読んでいただいて、病院でもらった(医者が正式に処方した)薬を継続的に飲み続けるのが何が悪いのか? なぜ悪いのか?とお考えの方がいらっしゃると思います(もちろん、薬局で買った薬も含め、ですが)。

 簡単に申し上げると、なぜ悪いのかといえば、医者が処方しようが、合法だろうが非合法だろうが薬というのは「ドラッグ」に違いなく、「常用」は「中毒」と同じことだからです。

 患者に薬の常用を強く勧める医者を信用してはいけません(「常用」とはおおよそ1カ月以上と考えてください)。

本筋から外れますが、「抗がん剤」も薬の常用の「聖域」ではありません。がんが発見されて即「抗がん剤で治してゆきましょう」と言い出す医者がいたら、すぐさま別な病院を訪ねるべきです。これは私見ですし、これ以上詳しくは述べませんが、皆様もぜひアタマの片隅にいれておいていただきたいと思います。

 薬の常用を強く勧める「薬屋さん」は、仕方ないです。彼らは医者と違って商売人であり、それで商売しているのですから。薬屋さんの言うことは話半分に聞いておきましょう。

 問題だと思うのは、わかっていて常用している方が多いことですね。

 私の上の世代で、昼休み後に給湯室とかでばらばらっと複数の薬を広げて、水で一気に流しこんでいる方がいまだにいるのですが……あれは昔のテレビドラマの影響なのでしょうかね(たまに「ふっ」とため息をついてみたり)。

 そんな不健康な自分に酔っているだけだと思いますが、「別に長生きなんかしたくないし」とかふだん言ってる方に限って、そういう事態に陥ったらそういう方ほど生に強く固執するものです。

 つまり、「長生きなんかしたくない」といっている人ほど、長生きを望んでいる(にも関わらず不健康な自分に酔っている)という不思議。

 ……ちょっと長くなってしまったので、次回に続けます。読んでいただきありがとうございました。

 

健康について第28回 医者とSEは似ている その2(医療制度との距離感その3)

2011/11/04 10:29:27

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回は「医療制度との距離感」の3回目になります。

 私の母が今も続けていますが、病院に薬だけもらいにいく、ということをしている方が、特にお年寄りに多いです。

 本当は、やめたほうがいいのだろうと思います。

 病院のほうも、「薬だけ」というのは(本当は)受け付けていないので毎回医師の診断を受けてください、というのがタテマエとしてあるようなのですが、実際のところ「1時間待ち、3分診療」では……。

 お医者さんも、サービス精神がないのですよね。1時間待った患者に対して「どうですか? お変わりないですか?」「変わりないようでしたら同じ薬を出しておきます(以上!)」だけですからね。患者(客)が「薬だけ出してくれればいい」と考えるのも当然かと。

 まぁお年寄りならば、仕方がないのかもしれません。薬が心の拠り所となっていて、薬のおかげで苦痛が和らぎ、幸せに生活できているのであれば。

 少しだけでもいいから毎回お医者さんとお話はすべきだとは思うんですよね。カウンセリングの意味合いで、会話することで楽になることも多々ありますし。

 医者(専門家)の見解とは、医療費を払う対価として当然私たちが受けるべきサービスの1つなのです。その権利をこちらから放棄してはいけません。そして、見解を「引き出す」のも実はテクニックなのです。

 重要なのは、診断の結果を聞くだけという受け身の姿勢ではなく、こちらから会話をしてみることです。こちらが受け身だと、医者側は意識的にルーティンを継続しようとするので、こちらから話題を投げかけてみてルーティンを壊してゆきましょう。

 ただの世間話でもかまいません。たとえばお医者さんのひととなりをそれとなく聞いてみるとか……。「お医者さんになって何年ぐらいなんですか?」「ここの病院の前はどちらにいらしたのですか?」「内科の先生になろうと思ったのはなぜですか?」などなど……。

 最初は「ちっ、後ろに患者がたくさん待ってるのに、こんな世間話につきあってらんないよ」という態度を明確にしてくる方もいらっしゃいますが、とにかく続けることです。医者のほうが心を開いてくれれば、もっともっと有用な話をしてくれるようになります。

 前回書きましたが、お医者さんも私たちと同類なのです。同類ということは(はっきりいって)「コミュニケーションに難あり」ということです。彼らは最初から彼らなりのバリアを張っているので(それは彼ら自身も気付いていないのでしょう)まず私たちのほうから心を開いて、コミュニケーションを求めることが肝要です。

 正直なところ、ホンネをいえば、なんで患者である(つまり、お金を払っている)私たちがそこまでしてあげなきゃいけないのか……と思ったりもしますが、そのへんは、医療費に対して最大の費用対効果を出すためのテクニックということで、割り切る必要があります。

 もっと根本の話をすれば、医者というのは自費診療の患者に対しては最大のサービスをしますが私たちのような保険診療の患者に対してはそれなりのサービスしかする気がありません。自費診療に切り替えた場合、医療費が3倍以上かかりますので、どれだけきめ細やかなサービスを受けられたとしても、コストパフォーマンスは上がってゆきません。やはり、保険診療の中で最大限のサービスを「引き出す」ほうが得策なのです。

 そのへんの駆け引きもビジネスマンとまったく同じですよね。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第26回 医療制度との距離感(1)

2011/10/19 9:27:21

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回より、何回かに分けて、私たちと「医療」との関わり方について、書いてみたいと思います。

 健康を語る上で医療との関わり方というのは避けて通れない話題ですからね。

◆私のスタンス

 初めに書いておかなければならないと思うのですが、私は今の「医療制度」あるいは「病院」そのものに対して若干、批判的です。そういう人間が書く文章だということで、あらかじめご了承いただければと思います(お医者さんや看護師さんの個々人はみな、いい方ばかりなのですが)。

 簡単に私のオピニオンを書いておくと、「日本の医療制度というものは薬品業界をもうけさせるためだけに存在している」(だから、抜本的改革が必要)ということです。抜本的改革のためには、私たちがまず、「医療制度依存症」から脱却し、上手に医者を「利用する」立場にならなければなりません。

 それは、(言葉でいうのは簡単ですが)「必要なときに必要なだけの医療を享受する」ということです。そしてもっと理想をいえば、医療制度を利用して、今よりもっと健康になれればなお良し、です。現代社会においては、多くの人たちは、医療制度を利用して自分の心身を「現状維持」するのが精一杯で、それどころか、医療制度により自分を「改悪」しているケースがほとんどです。

◆医療を受けるのは「メリハリ」

 私たちが、必要なときに必要なだけの医療を享受するようになるためには、基本的に健康体でなければなりません。そして、あたりまえのことですが、健康体でいるうちはふつう医者にかかりませんし、薬も飲みません。何かしら、身体に変調をきたしたときにまず薬を飲み、次に医者にかかり、アドバイスを受けたり専門の薬を処方してもらったり、あるいは外科的措置を講じてもらったり、等々いろいろな「ソリューション」はありますが、いずれにせよ、身体の異常が正常になった時点でクローズとなります(なるはずです)。

 人間ですから、健康でない状態が起こるのは当然です。ですので、大事なのは「メリハリ」なのですね。健康体のときは思い切って人生を謳歌し(仕事もプライベートも)、健康でないときは医者や薬局を上手に、最大限に利用して元の自分の良好な状態に戻す、と。また、健康を害したときはいい機会なので思い切って休み、治ったときには休養十分、リフレッシュして以前よりもパワーアップしているのがベストです。

 ただ……この連載でずっと書き連ねていますとおり、IT業界にはさまざまな問題があり、周りの人間を「不健康」に引きずり降ろそうという空気が蔓延しています。そうなってしまうと、健康/不健康の「メリハリ」自体が消滅してしまいます。このような状態からはなるべく早く脱しなければなりません。ということでこの連載ではこのような状態にならない/あるいは、何とか抜け出す手法についてあれこれと駄文を書き連ねてきました。

◆書いていきたいこと

 今回は序章ということでこのへんでまとめることといたしますが、この業界の問題点の1つとして、私たちが医療との「距離感」をうまく保てていないというのがあると思っています(必要以上にずぶずぶな関係になるか、あるいは多忙を理由に完全に医療と接点をもたないか)ですので、そのあたりについて今後何回か書いていきたいと思います。

 次回以降の予告も兼ねて最後に以下を記しておくことといたします。

  • 医者の言うことを鵜呑みにしてはいけない。
  • 同じ薬を常用してはいけない。
  • 健康診断は上手に利用する。

 結局、こういうことです。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第25回 働けなくなったらジ・エンド

2011/10/13 10:48:54

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回は実践編を離れ、「そもそも論」のところを。

◆働けなくなったらジ・エンド

 例えば、企業に勤めているエンジニアの皆さんは、長期の入院を余儀なくされたら、その間の毎月の収入はどうなるのでしょうか。

 8割ぐらいは保証されるのか、それとも5割なのか、あるいはゼロなのか、そのあたりは会社によって違うのかもしれませんが、入退院を繰り返すような病気になった場合、中小のSIerなどはもうその人材を抱えていられないのではないかと思います。あるいは、閑職にまわされて、華々しい活躍はもうできないのではないでしょうか。

 そして、私のようなフリーの人間は、一度そうなってしまったらもう「終了~」でしょう。いつでも恐怖感を持っています。 

◆それは突然やってくる

 ある日突然重病人になる確率は、この現代社会においては、実はけっこう高いです。日本人の平均寿命はどうなってゆくのかわかりませんが、私たちの世代は今の時代のお年寄りよりは、長生きできないような予感があります。

 そして、この業界のワークスタイル、および諸々の業界特性により、私たちは一般のサラリーマンよりもさらに、身体を壊したり、重病人になる確率が高いと確信しています。(イヤな確信ですが)

 だからまずは、この業界オリエンテッドなライフ・スタイル/ワークスタイルからまず脱却して、「一般的なサラリーマン程度」の健康をゲットしましょう、まずはそこからです、ということをこの連載で書いてきました。

 ただし! この業界の人たちは幸いなことに「酒」というドラッグに対ししてこだわりが薄い方が多い。これは、相当な救いですね。おそらく、私たちはストレス発散のチャネルをたくさん持っていて、酒はひとつの選択肢にすぎないということなのだろうと思います。みなさん、酒だけは深入りしないようにしましょう! (酒は、適量をたしなめば「百薬の長」であるとともに、当然強い副作用もあるドラッグです)

◆昔も今も、そしてこれからもディスプレイとにらめっこ

 私たち世代は壮大な実験台といっても過言ではありません。私たちは身心の成長期に家庭用ゲーム機が爆発的に普及し、それにどっぷりはまって家にこもって遊ぶことが多くなりました。その最初の世代なのです。

 ちょっと補足すると、確かにどの時代であっても、家にこもらずに外で元気に遊びまわるタイプの子はたくさんいます。でも、この業界に入ってくる人間は子供の頃に家にこもって遊んでいたタイプのほうが、多いのです。(それが「業界特性」です)

 それからずーっと、大人になっても「ディスプレイ」に慣れ親しんできました。まず、私たちの世代が特殊なのは、「大人になってもゲームを手放さなかった」ということです。

 一方では大人ゲームに親しみ、さらに、もう一方ではパーソナルコンピュータの爆発的普及の波に乗り、PCの画面とにらめっこ、ということになりました。私たちの上の世代はテレビだけでしたが。

 で、結局今でも、私たちは基本的に仕事でもプライベートでもPCとにらめっこです。さらにスマートフォンまで登場してきました。それらが、これから身体にどのような影響を及ぼしてゆくのか、まだ誰もわからないのです。ですが、健康という観点で「良くはない」だろうというのは、直感的にはわかっています。今からでも遅くはないと思うので、少しでも「にらめっこ」の時間を減らすべきです。

◆スキルを磨く前に

 エンジニアとしてのスキルアップやら、コミュニケーションスキルうんぬんやら、そんなことよりもまず、健康になること。そして、健康的な生活を送ること。これをまず、第1に考えなければいけないと思っています。

 なぜなら、スキルをいくら磨いても、業界から退場を宣告されたらもうおしまいだからです。

 と、いうことを考えるようになったのは、30代後半からです。徹夜ができなくなったり、年齢が下の同業の人たちの活躍をみて「もうかなわないかも……」という寂しい気持ちになったり、そこに至るまでにはいろいろな葛藤があったように思います。

 いちばん大きかったのは、やはり子供が学校に上がったことでしょうか。とりあえずは子供が大学を卒業するまでは学費を稼がなければ……というのが現実問題として自分に重くのしかかってきました。

 逆にいえば、30代の中盤ぐらいまではもう目一杯、寝る間も惜しんで働いて、寝ずに不健康な遊びをして、やりたいことをやって、人生を謳歌すべきだと思います。

◆定年まで

 ある程度大手の、名の通ったSIerの方々とお話ししていると、おおよそ安定志向で、「定年まで勤め上げる」のを前提に働いていらっしゃる方がほとんどです。

 それが実現できたら、素晴らしいことだと思うんですよね。でも、この業界の仕事(激務)によりだんだんと身心ともに「すり減ってくる」のは間違いないわけで、たとえ企業側が「定年までどうぞ、お勤めください」という気持ちであっても、自身が60歳(あるいは65歳?)までの企業戦士レースに自ら 「不健康」を理由に脱落してしまってはまったく意味がないと思うのです。

 ちょっと考え方を変えてみますが、仮にその「激務」が、この業界で働く企業戦士たちを「ふるい落とす」ための策略だったとして……。

 それでも、安定志向であれば、その会社にしがみついていかなければならないのです。私は、その「しがみつく」努力というのはものすごく尊いものだと思うのです。(私も含め)家族を抱えていらっしゃる方々は、そのときの気分で「仕事や~めた」なんて、ゼッタイにできないわけですから(すでに退路は断たれているといってよい)。

 皆さまがよくご存じのとおり、IT業界は、一線で活躍したければ激務を余儀なくされますし(そして、一線で活躍しなければ経験値が上がってゆかない&出世もできない)、それはイコール不健康を余儀なくされるということです。

 でもそこで、できる限り自分を守ってほしい、と思います。不健康な生活を余儀なくされるからといって不健康なままで過ごしていたら、若くして倒れてしまいます。(言い方が悪いかもしれませんが)企業の言いなりになるばかりでなく、面従腹背の精神で、裏では健康をキープするための努力をしていただきたいのです。

 激務が続いても「オレはぜんぜん平気です 自己管理・健康管理ができる人間ですから」と、すまし顔で企業の上層部にアピールできる人材になりましょう。私は、そういう方が増えることを心から願っています。そして、そういう方々が企業の上層部に上がっていけるのだと思いますし、この業界ひいては日本のIT産業そのものを変革していけるに違いないと思っています。

 今回も読んでいただきありがとうございました。

健康について第24回【実践編】朝起きれないのには理由がある

2011/10/03 10:19:32

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回は、午後に眠くならない手法について健康とからめて書いてみました。今回も引き続き【実践編】です。

◆すがすがしい目覚め

 さて、私たちが「健康!」を感じられるのは、「すがすがしい目覚め」を感じられたときではないでしょうか? 実際、経験した方は分かると思うのですが、朝の目覚めが良いときは案外、そのままのノリで夕方まで突っ走れるものです。プラスイメージで業務に突入すると、日勤帯で何かネガティブな出来事が発生しても、なんとな~く「余裕の対応」ができてしまいます。

 この連載の基本的な考え方の1つでもあるのですが、たまに良い状態に遭遇したときに、それを「つかまえる」。

 「あれ? 今日はなんだかすがすがしい!」と思える瞬間があったら、ちょっと立ち止まって、「なぜだろう?」とその原因を深堀りしてゆくことです。そして、偶然発生した良き状態を、毎日発生させるように仕向けてゆくことこそが、この連載のタイトルそのもの――「IT業界を生き抜く健康生活」だと考えております。

 一度掘ってもなかなかわからないものですが、「立ち止まって、考える」ことを習慣化してゆけば必ずつかむことができます。

 すがすがしい目覚めを感じるためには、あたりまえのことですが、良質でかつ適度な長さの睡眠をとることです。そして、すがすがしい目覚めによりその日の仕事の生産性向上が保証されるのであれば、貪欲に「すがすがしい目覚め」をとりにゆこうではありませんか。

 まず、朝の目覚めがサイアクなときのその原因を考え、それを取り除いてゆくというアプローチが、いちばんわかりやすいと思います。

◆睡眠不足

 ……あまりに分かりやすすぎますが(笑)、確かに睡眠時間が短いから目覚めが悪い、というのは否定しません。

 でも私たちは、ある程度の睡眠不足はもうあきらめるのが肝要です。毎日毎日「ああ今日は○時間しか眠れなかった」と後悔しながら朝の時間を過ごすのは、「ゆるやかな自殺行為」といっても過言ではありません。

 大事なのは、自分のデフォルトの睡眠時間を決めてそれを身体に慣れさすこと。そして、眠りに入る時刻を一定にすることです。少ない睡眠時間でもかまわないので、身体にリズムをつくること。

 どうしても私たちは、仕事の始業時間にあわせた生活を送ってしまうことになります。そこから逆算して、家を出る時間、起きる時間を決めて目覚ましをかけるわけですが、そうせざるをえないのであればもう一歩進んで、「寝る時間にもアラームをかける」までやってしまいましょう。そのアラームがなったらもう、寝に入ってしまう。

 「仕事が終わる時間が不規則で眠る時間を決められない」という声が聞こえてきそうですが、残念ながら、その仕事のスタイルを自ら変えてゆくしかないのです。自分のために。

 仕事というのはおそらく、ほっとけば永遠に終りません。だからこそ、(闘ってでも)仕事を一定の時間に「終える」努力をしなければなりません。

 ところで、ご参考までに、一般的に言われている「休日前でも、ふだんの寝る時刻よりも1時間以上遅く夜更かしをしない」そして「休日でも、ふだんの起床時刻より1時間以上寝坊しない」というのは、自分の生活リズムを1週間で崩してしまわないためにも、大事ですね。できる限り実践したいものです。

 休日は、ふつうに起きて、1時間~1時間半昼寝をする(ちょっと長めに)習慣をつけるのがよいと思います。また、毎日コーヒーを飲む習慣のある方は、休日にコーヒーをやめてみると、てきめんに昼眠くなりますので試してみていただければと思います。

◆飲み過ぎ、二日酔い。

これも分かりやすすぎるので、省略します。いずれ、私なりの「酒に呑まれない方法」を書いてみたいものです。

◆不安をなくす 【本題】

 目覚めが悪いときというのは、単に睡眠時間が短いからというよりも、何か不安を抱えていることがほとんどです。不安というのは、つまりは仕事やプライベートにおける「トラブル」そのものです。

 プライベートについては言及しませんが(笑)、仕事上のトラブルというのはやはり人間関係とか。。プロジェクトで遅れが生じていて、その原因はわかっているのだけれど原因の根っこが深すぎて頭を抱えているとか……。

 まず、この問題についてはふたつの解決方法があります。ひとつめは、「1日1日をやりきって帰宅すること」です。諸問題を翌日以降に先送りにしてしまうから、家に帰ってもいろいろとネガティブな思いが渦巻いてしまい、結果的によく眠れずに目覚めも悪くなる。目覚めが悪いからその日も気分もサイアクで、仕事の生産性もイマイチ。。と、完全なる悪循環にハマってゆきます。

 悩みを継続的に抱えてしまうようなトラブルというのは、劇的に、そして自分の力だけで解決できるはずがありません。だからこそ、その日にやれることをやりきることが大事なのである、ともいえるのです。

 私個人の話ですが、何度も苦い経験をしているのでわかるのですが、とあるトラブルを抱えているときに、自分がその日にやらなければならないことというのは、実はうすうす知っているのです。それを、やらない。やらずに先送りするから、「火事」がますます拡がってゆく。拡がってゆくのはわかっていても、やらない(やれない)。

 それは、「苦手な人と調整すること」なのです。これを後回しにしてしまう。

 2つ例をあげましょう。1つは、顧客担当者等の重要なステイクホルダに、誠意を込めつつきっちり「報告」をすること。これを怠ることが多いです(「聞かれてないから……」と)。なぜ怠るかといえば、どこかで「もともとオレのせいじゃないのになんでオレが」という考え方があるからです。こういう考え方は捨てましょう。

 もう1つは、生産性が低くて(はっきりいえば、あまり働かない)手を焼いているメンバーに対して、具体的なタスク指示をすることです。かみくだいて、説明をしてあげる必要があるのに、「なんでこのオレがいい大人相手に、こんな小学生相手みたいな指示をしなければならないのか」という思いがあるから、やらない。あるいは、いろいろと反論されるのがイヤだからメールで漠然とした指示だけで済ませようとする。

 大事なのは、今この状況であなたの力が必要なのだ、と「お願い」をすること。誠意を見せること。

 メールではゼッタイにダメなのです(メールのみのやりとりでは火種がますます大きくなります)。最低でも電話、可能であれば(物理的に近いのであれば)面と向かって、誠意を見せなければなりません。

 トラブルの渦中においては、誠意を持ってフェイスtoフェイスで「報告をすること」、および「指示(お願い)をすること」(あるいは両方)、1日の終りに必ずこのふたつは済ませて、帰宅しましょう。ステイクホルダやメンバーからフィードバックを受け(時にはそれは耳が痛いことも多々あります)、それを真摯に受け止めて翌日以降の自身のタスクに落としこみ、そしてそれを継続してゆくことにより、事態は100%好転してゆきます。

 チームやプロジェクトがトラブルを抱えている渦中で、自分が常に「汗をかいて」いる(のを周りにみせてゆく)のは、大前提です。自分をコントロールすることは、ある程度はできますが、いつもおざなりになるのは「誠意」でもって他人を動かすことです。月並みな言い方ですが、まず自分が変わると、周りも変わってゆく、というのは真実です。

◆寝てしまおう。

 不安をなくすための解決方法その2は、今書いた「1日1日をやりきって帰宅すること」が前提なのですが、結局のところ「寝てしまう!」ということですね。

 その日やるべきことをやって帰宅すればだいぶ気分は楽になっているはずですから、あれこれ考えずに寝てしまう。つまり、「睡眠中の自分」にソリューションを任せてしまうということです。(第18回 「24時間働けません」参照のこと)

 起きている間の自分が一生懸命、逃げずにやるべきことをやっていれば「睡眠中の自分」は必ずうまく引き継いでくれます。

◆まとめ

 つまり、「すがすがしく起きる方法」というのは「その日やるべきことをやって、寝る」に集約されるのです。こうやって書いてしまうと、あまりに当たり前のことですが。。

やるべきことをやっていれば「睡眠中の自分」が、翌朝の自分に「すがすがしい目覚め」をプレゼントしてくれます。

 最後に……間違っても酒で解決しようと思わないことです。ドカ食いもやめましょう。また、仕事でトラブルを抱えているからといって、「寝てしまわない」(つまり徹夜)というのはサイアクの手法ではないかと思います。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第22回 仲間が増えることにより健康になる

2011/08/01 16:25:15

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回は、自分のバイオリズム、健康状態が上向きのときは、「これって俺の仕事じゃないよね」と感じる仕事、誰も拾わない「ボール」を拾ってみてはどうでしょうか、という話を書きました。ただしその作業には若干の「孤独」がともないます。

 でも、悲観することはありません。マジメに仕事してさえいれば、放置プレイの嵐の中で「いつも引き受けてくれてありがとう」「今度は私がやります」と、別の局面で引き受けてくる人材が、必ず現れます。信じて続けていれば、現れる確率は100%です。ただし、その人材がいつ現れるのかはわかりませんが……(1ヶ月後かもしれないし、5年後かもしれません)。

 それが…「仲間」です。

 すでに、ハードルは上げられているのです。ビジネスマンとしての意識・リテラシの高い方だけが選別され、ふさわしい仲間ができます。うれしいことにその「仲間」は、あなたのことを「ビジネスマンとしての意識、リテラシが高い」人間であると、認めてくれているのです。喜ばしいことではありませんか。

 そういう方は同じ現場にいるとは限らないのです。社内の別な部署だったり、取引先だったり、下請けだったり、お客さんだったり… 別なところから突然、ぽっとあらわれてくることがあります。

 良い仕事というのは、誰が見ているかわからないものです(もちろん、悪い仕事も!)。

 コンディション良好でモチベーションも高い状態を続けているときに、突然出現した人に対し「この人、もしかして仲間かも?」と感じることが、あるのですね。その直感を大事にし、その人から目を離さないようにしましょう。

 仕事上でずーっと薄い付き合いを続けていた人であっても、こちらのコンディションや精神状態が変わることにより「あれ? 実は仲間?」と突然印象が変わることもあるのです。自分がイヤイヤ仕事をしているときと、ノリノリで仕事をしているときでは、他人の仕事ぶりはまったく違って見えますし、ノリノリのときはいわゆる「デキる人」の仕事ぶりに目がゆくようになります。それはなぜかといいますと、ノリノリのときは瞬間的に「デキる人」のステージに上がっているからなんですよね。

 また、その人(運命の人?)に、さりげなく自分の「出現」をアピールしておく必要があります。なぜならば、その人にとっては「現状のあなた」は必要ないのですから、あなたという存在の出現がメリットになると思わせなければなりません。

 アピールといっても何か特別なことをする必要はありません。ただただ、前回から書いている「引き受けモード」を実践し続けていればよいだけです。「仲間になってください!」などと告白する必要もないのです。

 仲間…あえてこの青臭い言葉を使っているわけですが。

 仲間を0人(つまり、孤独な状態)から1人に増やすのにはかなりの産みの苦しみを伴いますが、こちらが努力を続ければ、一人目の仲間は100%できます。ところが、1人から2名以上に増やすのは簡単ではありません。かかる「労力」は大したことはないのですが、ここからは「運」に左右されるのです。

 なぜかといえばやはりそれぞれの環境というものがあるわけでしで……。いわゆる「リテラシー」の低い現場ですと当然、仲間にめぐりあう確率が低くなります。ですので、とにかく現場の内部でタコツボにならずに、たとえば外部の打ち合わせ、飲み会、セミナー等どんどん外へ打って出る意識を持つことをおすすめします。そして、行動を継続しながらじっくり待ちましょう。

 仲間が1人から複数名になる場合の、自分に及ぼす「相乗効果」、「パワー」というのは相当なものです。そのパワーが共振して、目には見えない「磁場」を形成し、仲間はどんどん集まってきます。そこから先は、もう加速度がついていますから人を集めるのは難しくはありません。

 パワーが共振すれば、自分もますます健康になっていきますし、相手にも良い影響を与えて、相手も健康になります。

 でも、0人から1人へ増やす「産みの苦しみ」を通過しなければ、複数人の仲間をつくることはできないのです。

 最後に……ここで申し上げている「仲間」といいますのは、決して、上司や部下の愚痴を言い合うような関係の人間ではありません(そういう「仲良しグループ」はすぐにできますけどね)。

 自分が「ぐいっと」ひとつ上のステージに引き上がったときに、上のステージにすでにいる「仲間」を力強くつかまえること。その、すでにいる仲間も、あなたが「ぐいっと」引き上がってくるときの勢い、パワーを感じ、「仲間」だと思う。彼らは、あなたがたまたま上のステージに上がったのだとしても、まだ実力不足なのだとしても、そこからずっと落ちないように支えてくれる。なぜならば、それこそが「仲間」だからです。

 最後は抽象的な物言いになってしまいましたが、そういうことなんです。

 2回に分けるほど長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

健康について第21回 引き受ける。

2011/07/21 17:11:26

 お世話になります。龍澤と申します。

 私は、自分が忙しいときに突発的な作業の依頼が来ても、なるべく無下には断らないようにしています(結局断わることは、ありますが……)。

 その理由は、別に自分がお人好しだとか親切だとか言いたいのではなくて、その習慣を続けることで、とある局面では誰かが自分にとってイヤな仕事(ボール)を拾ってくれる可能性が高まるということを、経験上知っているからです。つまり、ビジネスにおいてそういう姿勢でいる方が事を有利に進めることができる(可能性が高い)ので、やっています。

 可能性は高まるのですが、皆さんよぉくご存じの通り、この業界においては自分が何かをしてあげても、別の、自分が困った局面で作業を引き受けてくれるような人材は多くありません。そういった「引き受ける」人材が多かったらそもそもこの業界特有のストレスはたまりません。

 いったん引き受ける姿勢を見せるとナメられ、どんどんつけこまれるのがこの業界の常です。「あいつ、お願いすればいろいろやってくれるらしいぜ」と「丸投げ」の憂き目に遭い、結果的にその現場でツブされることもあります。

でも、それでも! この業界において少しだけでも、こちらがまず「引き受ける」姿勢を見せてみましょう! というのが今回のお話です。

 「健康」の面から考えますと、こちらが寛大に「引き受ける」モードに入るには、健康な状態でないとダメですね。

 不健康な状態、ダウナーな状態でいろいろ引き受けてはなりません。ヘタをすると致命傷になりかねません。そのへんの「塩梅」は、私たちがこの業界で生き残ってゆくために重要なスキルです。

 自分自身のバイオリズムが上昇傾向にある(すなわち、健康的になってきている)という自覚があるときに、いつもなら「それは●●さんの仕事かと思いますが!」と無下に断る、あるいはたらいまわしするところを、『いいですよ!』と引き受けてみる。上昇傾向にあるときは自然と生産性も高くキープできているはずで、仕事はどんどんこなせるわけですから周りの仕事も自然に引き受けていくことができます。

 前回も書きましたが、自分の状態を常に客観的に観察しておくのは大事です。

 ところが、「引き受け」モードに突入すると、周りは敏感にそれを感じ、放置プレイに入ります。そして、一部の心無い人たちは「すわ、カモがネギしょってやってきた!」と丸投げモードに入ろうとします。ここから、「冷戦」状態が始まるわけです……(こういう状態は俗に「ぎすぎすしている」と称されます)

 こっちは、誰も拾わないがためにそこかしこに落ちている「ボール」(すきまの仕事)を主体的に拾って、バリバリと仕事をしているのに、『持っているボールをわざと落とす』ヤツがいる。「あ、球拾いするヤツがあらわれた!ラッキー」と……「ごめんごめーん、手がすべっちゃって」なーんて、ゼッタイそんなわけないのに。

 そういう人に個別に聞いてみると、「実は(ボールをたくさん抱えていて)重くてさ……」と、「わざと」ボールを落とした理由を正直に吐露します。でもそれは、「ふざけんな」って思いませんか? 僕は思います。誰もが皆現場では「重いボール」を持っているに違いなく、みんな辛いんですよ。球ひろいがあらわれたからって自分の責任範囲のボールをうかつに落としてよいものでしょうか?

 そして、重く感じるのはその人の鍛錬不足、あるいは工夫の不足にすぎないのです。

 まぁ「ふざけんな」と内心思いつつも、そこでふんばってみましょう! 「こいつ、ボールわざと落としやがったな」とうっすら分かっても、寛大なる精神で軽めのものは拾ってあげる。(ただし重めのものはきっちり「できません」と断る)「わざと落としませんでした?」と詰問などしないことです。現場の雰囲気が悪くなるだけでなく、状況が自分に不利になるだけですからね。

 先ほど書いたように、こういったやりとりは健康な状態でないとできません。健康でないときに、相手がわざと落としたボールを拾ってあげることは、不可能なのです。

 ……すみません、ボールのたとえが長くなりすぎました。

 ふんばってみるといっても、精神論でただ頑張るというわけではないのです。コンディションが良好であってもあくまで自分のキャパを超えないように注意すること。引き受け過ぎることによって、コンディションを崩してしまっては本末転倒です。(ただし、自分のキャパが量れないうちは少なくとも一回は失敗します。失敗することも大事かもしれません)

 周りは放置プレイ状態で、あなたの動向を注意深く見守っているだけですから期待はせずに、とにかく自分の仕事に集中すること。放置されれば逆に周りを気にせず集中できます。特に気をつけるべきは、仕事は絶対に深夜までやらないこと。深夜までかかって、本来の自分のタスクではない他人の仕事をこなしていると、すぐに嫌になってダウナーになってしまいます。

 そして、この業界の「放課後文化」に決してなじんではなりません。夜にだらだら残業によってしか、自分の存在意義を示せない人たちの巣窟なのですから。そういう人たちが発する言葉を浴びているだけでこちらの生産性が下がり、バイオリズムも低下してゆきますので、できるだけ離れることです。

 ……長くなったのでいったん切って、次回は続きを書きます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第20回 自分の「スイッチ」

2011/07/14 16:53:32

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回は、「スイッチ」について、書いてみたいと思います。

 私は、自分の「スイッチ」について強く自覚する必要があると思っています。

 例えば、私にとってはレギュラーコーヒーがスイッチを入れてくれる存在のようです。朝や、休憩時間にくっと飲むと仕事のスイッチが、入りますね。

 つまり、「自分はコーヒー『さえ飲めば』スイッチを入れることができる」と、自分に刷り込んでおく必要があります。同じツールでもスイッチが入るときと入らないときがある、ではちょっと困るのです。

 私はまだ未完成な人間ですので…眠気が覚めないときや、精神統一できないときはレギュラーコーヒーの助けを借ります。本来、「健康」という観点でもっと上のレベルを目指すのなら、嗜好品に依存して仕事のスイッチを入れるのは良いこととは言えません。

 「ここに行けば、スイッチが入る」という経験はないでしょうか?

 トイレの場所にこだわりがある方、いますよね。わざわざ何階の南トイレのいちばん奥、という具合に決めている人。

 名前を忘れましたがとある著名な方で、表参道のロイヤルホストでなければアイデアが沸かない! あそこじゃなければダメだ! という方がいます。それは「ジンクス」あるいは「験担ぎ」という言葉がふさわしいのかもしれませんね。

 いずれにせよ、スイッチが入る「場所」を持つ、というのもアリだと思います。

 そして、もう1つ重要なのは、自分を「トップギア」に入れる何かです。スイッチを入れるだけでは、足りないのです。

 トップギアに入る、というのはそれは仕事が「ばりばりはかどる」ということですね。トップギアに入れる「儀式」は、何でも良いのです。

 しかし、スイッチが入った状態であっても、トップギアに入るときと入らないときがあります。簡単に言えば、体調が悪ければどう頑張っても自身はトップギアには入れません。

 嗜好品の助けを借りれば「スイッチ」を入れるのは簡単です。問題はそこから先なのです。嗜好品の助けを借りても、自分をトップギアに入れることは容易ではないのです。

 ではどうするか? 常に、毎営業日自分をトップギアに入れるためにはどうしたらよいのでしょうか?

 これは、私自身も毎日できているわけではないのですが、「どうしたらよいか?」というのはおおよそ分かっています。書くのは簡単なのですが…。

 まず、常に自分を客観的にみるクセを付けるのです。それができたら、次に「あ、オレって今イケてない?」(ばりばり仕事している、という意味で)という瞬間を「つかまえる」。そういう瞬間は誰にでも必ずあるはずです。

 ビジネス・シーンで、自分がイケてると感じられるのは(瞬間的であっても)トップギアに入っているときです。

 その瞬間をつかまえたら、ちょっとだけ、立ち止まりましょう。そして、自分がなぜそういう状態になったか、少しずつ過去をさかのぼってゆくのです。自身がトップギアに入ったトリガとなった何かが、あったはずです。

 「もしかしてアレがよかったのかな…」と、「何か」(要因)の目星を付けることができたら、あとはそれを自分の意志で意識的に(自由自在に)トリガを引く方法を考えればよいのです。

 ハズレでもよいのです。いつかそれを見付ければよいだけの話ですから。まずは、自分を客観的にみるクセをつけるところから、はじめましょう。

 トップギアに入るということは、言い方を変えれば「引き上がる」ということです。自分が一瞬でも「引き上が」った要因を突き詰めれば、あとはそれをコントロールする手段を考えればよいだけの話で。常に自分が「引き上が」った状態でいられるよう、継続すればよいのです。

 継続することが難しそうと感じても、あきらめないで、継続するにはどうすればよいのだろうか? ということを、また考える。

 とにかく、考え続けることは大切です。試行錯誤や葛藤の末に、意識的に自分を「仕事をばりばりこなせる状態」までもっていくことができたならば、その時点でもうわれわれ は「健康」そのものなのです。そこまでいったらかなりハイレベルです。

 今日は抽象論に終始してしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。「スイッチ」は人によって異なりますので、ちょっとだけ考えていただければ幸いです。

健康について第19回 元気ハツラツなヒトはウザいのか?

2011/07/07 10:59:00

 お世話になります。龍澤と申します。

 IT業界において、常に元気はつらつとしている人間はカンゼンに浮きますよね。

 なぜなら、業界体質が「はつらつとしていない」からです。朝の元気な挨拶すらも「なんか意味あんの?」と否定されてしまうような。皆が皆だまって自席に座り、おもむろにPCを開いて1日が始まる。

 皆さん元気がないのがデフォルトですし、声をかければなんだか常に「ハスにかまえて」いる様子。自席ではいつも姿勢悪くPCに向かい、実際画面上では何をしているのかも分からず、会議でも他人と目を合わせようとしません。

 このような業界体質が強い現場では、元気はつらつな人材は、存在自体が異質なわけですから、共存できずにパージされることが多いわけです。たとえ新入社員の頃は元気はつらつであっても、やがて業界体質に見事に染まってゆきます。

 

 この体質が、私たち個々が健康的生活にシフトしてゆけない、大きな阻害要因となっています。

 だからといって私たちは、個々がこの悪しき業界体質にドン・キホーテよろしく立ち向かう必要は、まったくないのです。個々が少しずつ変わってゆけばそれでよいのです(気楽に考えましょう!)。

 

 ただ……結局トップ層でこの業界を牛耳っているのは、エンジニア・タイプよりも「元気はつらつ」な人材が多いような気がするのですが……そう思いませんか?(私はそう思います)

 そういう人はいったい、この業界のどこからやってきたのでしょう? 上に立つ、あるいは上に行きそうなヒトというのは出世の過程で業界体質に染まらないのでしょうか。この業界ではそういった「上にいきそう」な逸材に対して嫉妬に近い念を抱くヒトが、かなり多いのですが……。

 ネガティブな業界体質にツブされない強靭な精神力をもっているからこそ、トップに君臨しているのかもしれませんね(あるいは、他業界からヘッドハンティングで転職してきたのだろうか?)。

 いずれにせよ、ぼそぼそとしゃべるような、人と議論するときに目を合わせないような人材は、たとえそういう人材に対して寛容であるIT業界であっても、歳を取るほどに必要とされなくなってくるのは間違いないところです。

 

 前置きが長くなりましたが、私が申し上げたいことは、この「元気はつらつ」な方になりましょうよ、ということです。ひいていえば「少数派の方へ入っていきましょうよ」と。

 「元気はつらつ」はまさに、健康そのものです。

 ただし、この業界においてやみくもに元気はつらつにしているだけではパージされますので、本業の方のスキルの蓄積が必要です。「こいつ、けっこうやるかも……」と、ハスに構えている人々に思わせなければなりません。そういうヒトたちは、表立ってはゼッタイに他人を褒めませんが、内心で他人を認めたときは言動にすぐあらわれます。彼らが自分から話し掛けてくれるようになれば、認められたということです。

 

 本音をいえば……そもそもデフォルトで元気のないヒトたちに囲まれている状況こそ、なんとかしたいです。常に元気はつらつな人たちに囲まれ、まわりからパワーをいただいて日々過ごしたい。自分だけが若干浮いている状況というのは、長く続けば少しずつ疲弊してきます。

 でも、この確固たる業界体質の中で、周りを批判しても仕方がないのだな、というのは数年前やっと気付きました(ちょっと遅すぎたかもしれません)。まず自分が変わらなければやっぱダメなんだな、という真実に、まず腹落ちしたのです。この業界においては特に……。

 やっと僕も、この業界の中で、業界体質に染まらずとも角も立たず、「なかなか面白いヤツ」と、周りと共存できてきているようになってきました(と、思っています)。ただしここに至るまではだいぶ長かったように思います。そしてこれからも長い道のりはつづく、と……。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第17回 3億円あったら…(あっても…)

2011/06/23 17:17:00

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回は、「健康」とは直接関係のないことから始めます。居酒屋でのネタ等にしていただければ幸いです。

 お金にまつわる願いが必ず叶うとしたら何をお願いしますか? ただし金額的には「3億円」が上限。

 まず、「3億円が上限」ということであれば、ほとんどの人は上限いっぱいをゲットしにいきますよね。それは、当然です。さて、そのゲットの方法ですが。。

 「3億円あったらどうしますか?」という問いではないのが、ミソです。3億円分の「何か」を、「何らかの手段」であなたはゲットできます。さてどうしますか? ということです。(もっとも効率のよい方法はなんだろう?と。。)

 キャッシュで一括はさすがに怖いですよね。ですが、多くの方は一括で振り込んでもらって高利回りの運用に回すのではないでしょうか。そうすれば利息が300万/年ぐらいはいってきます。田舎に引っ込んで、何でも金で解決する物質的生活から足を洗い、利息から足が出ないように質素に暮らせば、もうあくせく働かなくともよいのです! 

 ただし、今の生活から足を洗い、田舎でほとんどお金を使わない生活へシフトするには、今よりも強靭な意志が必要になりますが…いずれにせよ25万/月の不労収入があれば、「足りない分を働いて補えばよい」という考え方にチェンジできるので、かなり安心できそうです。

 利息で生活していれば安心料としての元金(3億)も、ほとんど減らないはずです。元本保証しないリスキーな運用に手を出し、元本割れしたとしても、基本的に質素に暮らしていれば実はそんなに痛くはない。逆に、周到に計算して、死ぬまでに元本も消えてなくなるように設計したほうがよいかもしれませんね。親族同士のつまらぬいざこざが起きないように。

 3億円を運用するのが怖い人は、たとえば「毎年1千万ずつ(月づき83万ぐらい?)、30年振り込まれるように」とか、毎月60万でボーナス時は何万とか。。分割払いを考えると思います。

 現実にはこのような回答は無数にあります。資産運用は分散投資が基本ですし、ポートフォリオ指南について、それこそ無数に本が出ています。3億もあれば、専門家にコンサルを頼めば有効な分散投資を指南してくれることでしょう。

 ですが、今回は資産運用の話をしたいのでは全然なく。。

 私の解(提案)は、3億あったらほとんどを、「70歳まで自分がバリバリ働ける基盤をつくる」のに投資します。

 そして残りは自分の身体への投資に充てます。70歳までバリバリ働ける肉体および精神を、周到に構築していかなければなりません。ある程度の金をかけなければできない身体の改造というのは、あります。

 飲み屋とかでよく話しませんか?「年末ジャンボ当たったらすぐ会社やめてやるぞコノヤロー!」とか。。ほとんどのサラリーマンのベクトルは「大金が手に入ったら、仕事をやめて悠々自適で暮らす」という方向なのですね。

 あるいは、基本的に不労所得で暮らし、働きたいときにふらっとバイト感覚で働く、辞めたいときに辞める、みたいな…。

 そうではなくて、大金が手に入ったら(入ったからこそ)やりたい仕事を死ぬ気でやりましょう! と私は申し上げたいのです。ほとんどの方が、3億円が確実に手に入るとわかったら、今の会社(仕事)を辞める決意を固めるでしょう。それは、わかります。

 でもそれは少しだけ悲しいことだと思いませんか? なぜならばそれは、「世の中のほとんどの人はやりたくない仕事をしている」ということを証明してしまっているわけですから。

 辞めるのはまぁいいとして、それならば億単位で金をかけて、自分がやりたい仕事をやれる会社を興しましょう! そしてそのビジネスを数十年続けられる下地を、3億円という予算の中でつくっていきましょう。有能な今の部下なり、取引先の方なりをスカウトするもよし。

 会社を興すのは簡単ですが、会社を経営してゆく道筋をたてるというのはとても難しい。けれど、ある程度は金でなんとかなるはずなのです。

 今現在、「やりたい仕事なんかない」「とにかく今やりたいのは、今の仕事をやめること。のんびりすること」と本気で考えてしまっている方がいらっしゃるとすれば。。

 もちろん、その気持ちもわかるのですが。

 それならばまず、仕事でなくともよいので自分の一生を賭けられること(趣味でも可)を探しましょう。ある程度の持ち金があれば、数年はそのことに没頭できます。その間に、次のステップを考えるのもよいでしょう。

 とにかくはっきりしていることは、「のんびり」してしまうと即座に人生にハリがなくなり、不健康になるに違いない、ということです。

 現在、タイムリーな話題として、3億円が自分のものになったらまず会社を辞めてボランティアをする、という考え方もあるでしょうね。でも私は、なんとなく、賛同しかねます。その「なんとなく」の理由は、ふれないでおきます。でも、期間限定ならばよいと思います。

 (自分のために)ボランティアを、というのは誰しも考えることかもしれませんが、ある程度まとまった金が手に入ったら即座に「寄付する」という発想には、凡人はなかなか到達できません。もちろん、私もそうです。

 私は、ビジネスで利益を出せるようになったら初めて利益から寄付をする、という方向で考えたいですね。皆様はどう考えますか?

読んでいただきありがとうございました。

健康について第15回 「不健康な自分」に酔うのはやめにしよう

2011/06/06 18:36:08

 お世話になります。龍澤と申します。

 今回は健康について、実践的なことではなく概念的なことを書きます。この連載を始めてからしばらくは概念的なことを書いていました。それに戻る感じです。

 このコラムの主目的は、「健康的な食生活を送る」「健康的なライフ・スタイルを確立する」「健康的な生活習慣を継続する」など、そういった「手段」のHowToをお伝えすることにはありません。面倒なことを考えずに、ただ「健康になる」ためにどうしたらよいかということを考えたいと思っています。

 前者と後者はまったく違います。何度も書いてきたように、「『健康になる』にはどうすればよいか?」と考えても、人間はそれぞれ育った環境や現在置かれているポジションなど、さまざまな点で違いがあります。そして、個々人の「健康になる」というイメージやゴールも違います。当然マニュアルはありません。しかし前者の「手段」を実践するためのマニュアルなら、世の中にあふれています。

 そのようなマニュアルを読むのは悪いことではありません。数冊は読んでおいたほうがよいでしょう。一般的な健康法は絶対に知っておかなければなりません。

 先に挙げた「健康になるための手段」を実践することで、「健康になる」ということにつながるのが理想ではあるのですが、なかなかそうはいきません。それは1つの正攻法、王道ではあります。しかし、面倒なことは考えずに、各自が「健康になる」ための「ショートカット」とも言うべき方法はあるはずなのです。

 そのショートカットのうちもっとも有効なのは、「思いこみ」です。一般的観点で不健康な生活を送っていても、自分は健康である! と100%思い込むことができれば、それは(かなり「おめでたい」状態ではありますが)健康な状態であるといえるでしょう。

 実際は100%思い込むなんて無理です。せいぜい自分は「健康な方だ」と思うのが精一杯でしょう。でも、それで十分なのです。この業界の方々によく見られる、「自分は不健康な人間であると思いこみ、不健康である自分に酔っている」という状態に陥らなければそれでよいのです。

 まずは、不健康な(生活を送っている)自分に酔うことなく、「同世代のやつらと比べても、自分ってけっこう健康的だよな…イケてるよな…」と思い込める要素、自分の長所なり、意識せずとも続けられている良い習慣なりをピックアップしてゆくクセをつけましょう(それが1つもない、ということはありえません)。

 特に「健康」というキーワードを意識する必要はありません。自分の長所を列挙できさえすればよいのです。長所が見あたらないというときは(本当はそんなことはないのですが)すぐに、無理やり善いことをしてください。「善いこと」はなんでもよいのです。今すぐ家族の肩をもんでください。それが照れくさいのであれば家の前のゴミをひろってください。家族が快適に使えるよう、トイレ掃除をしてください。

 これだけで「自分の長所」一丁あがりです(簡単なことです)。

 そこからが自分が「健康になる」ためのショートカットを見つける旅の始まりです。つまり、山に登ろうとして海に向かって歩いている自分を、山の方向に向かわせるところから着手しなければならないということです。

 ここまで読んでいただいて「別に自分、健康になんかならなくてもいいし」と思われた方もいるかもしれません。「オレは海に向かって歩いてるんだよ、山なんか登りたくねーんだよ!」ということですね。

 ですがこの連載は、「エンジニアは健康になるのがMUSTである」という基本スタンスで書いています。(これも、繰り返しになってしまうのですけれども)

 なぜ我々は健康にならなければならないか? 仕事の生産性を上げるためです。我々は仕事の生産性を上げる義務があり、不健康では仕事の生産性は上がらないのです。不健康なりに仕事の成果を上げてきたという自負をお持ちの方は、健康になることによりもっと上のステージに上がりましょう。もっと高いレベルの仕事をしましょう。

 ところで...「一日一善」を1週間続けることができたら、おおよそ健康になっているのではないでしょうか? 私はそう思います。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第14回【実践編】 身体をいたわる~その2 「ジイさん」も。

2011/05/31 11:31:06

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回は、脳ではなく身体からのサインを逃さないようにしましょう、特に、「ベン意」はもっともわかりやすい身体からのサインなので従ってあげることで身体との信頼関係を築きましょう、ということを書いたつもりです。

 さて、「ショウさん」(「ベンさん」との対比で点このように呼びますけども)について前回あまり書けませんでしたが、 ショウさんの「サイン」にももちろん従うべきです。ショウさんのサインを無視し続けると一般的にいえば膀胱炎になりますし、ためこんで我慢していいことなどひとつもありません。

 また、ショウさんのサインを感じたら席を立ってトイレに向かうのはもちろんのこと、そのついでにストレッチをしたりちょっと歩いてみたりと、軽い休憩の時間に充てるとベストでしょう。

 ところで、この一連の「ベンさん」の話つながりで、いくつか大事なことを記しておきます。

 まず、カミングアウトしていない人がほとんどなのでしょうが、この業界の多くの人は「ジイさん」とお付き合いしているはずです。私ももちろんそうですし、仲良くさせてもらっています。私たちは基本、座り仕事なのでジイさんと付き合わなければいけないのはある意味、宿命であって別に恥ずかしいことではありません。

 (ここまで書けば「ジイさん」とは何か、おわかりになりますよね)

 ジイさんがいったん出現すると、この業界から足を洗わない限りはおそらくひっこむことはないと思いますが、ジイさんもいろいろなサインを出してくれます。ジイさんのサインに耳を(心を? あるいは目を?)傾けて、仲良くしましょう。私の場合、不規則な生活が続いたり、食生活が乱れたり、強烈なストレスを感じたりすると、まずジイさんが何かしらのサインを出してくれるので、助かっています。


 次に、ほとんど世の中の人たちは知らないらしいのですが、「ベンさん」はクサいのがデフォルトではないのです。健康的な生活ができている人の場合、ベンさんは「本人が不快と感じない香り」を発します。(それは、他人にとってはどうかはわかりません)

 つまり、ベンさんがクサいときは、何かしら「胃腸が良くない」というサインなのです。とはいえ、もはや数十年にわたり、ベンさんのニオイサインに対して無視し続けてきた方がほとんどかもしれませんが。

 ベンさんの香りをコントロールするのは、大変重要な健康法です。そして、当然のことながらこれに対処するマニュアルはありません。しかし、トライする価値はありますのでやってみていただければと思います(今からでも遅くありません)。これからもニオイのサインを無視し続けると高い確率で「持病持ち」になってしまいます。その「持病」は、軽い場合も重い場合もあります。

 1つ言えることとして――前回書いた「信頼関係」ですね――ベンさんとの信頼関係を築くことができればベンさんのクサさはなくなってきます(ホントですよ)。肉を食べるとベンさんがクサくなるというのは一般的によく言われることですが、100%そうかといえば、そんなことはありません。やはり、食生活含めた全般的なライフ・スタイルの問題なのです。それぞれの身体条件にあった、無理のない(そして怠惰でもない)生活を送っているかどうかが、ベンさんのニオイでわかってしまうようです。

 最後に。自身が便秘にならないように気をつけたり、宿便を持たないようにすることは大事ですが、自分が住む家、自分の職場の机、ロッカーなども「便秘になったり宿便を持たない」ようにすることがとても大事です。簡単に言ってしまえば、「こまめに整理整頓して、ゴミをためない」ということですね。

 これは、不思議な相乗効果があります。自分が健康的な「ベンさん」が出るようになるとなぜか整理整頓をこまめにやるようになるケースと、逆に、「まず自分の周りの整理整頓を徹底することによりベン通がよくなるケース」、どちらもありえます。どちらからのアプローチでもかまいませんので、これもやってみていただければと存じます。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第13回【実践編】 身体をいたわる~「ベンさん」の話

2011/05/24 14:53:48

 お世話になります。龍澤と申します。

 私たちエンジニアは、身体をいたわる、ということに対してほとんど無頓着でした。

 前回、脳を休めるべき(我々は頭脳労働者なので!)ということを書きました。それはもちろんそうなのですが、身体のほうもいたわらなければなりません。

 身体をいたわる、その姿勢こそが健康法なのです(私たちは残念ながら、それすらやってない……)。そして、自分の身体のいたわり方は千差万別です。たとえば、「いたわる」とは、ただ休ませるということではなく、活発に身体を動かしたり負荷をかけたりすることが結果的に「いたわり」になることもあります。

 ふたつ、確実に言えることがあります。ひとつは、この業界の人たちはとかくジャンクフードを好む傾向にありますが、(しかも深夜に食べる)それは脳が望んでいる(脳を甘やかしている)だけであって、身体をいたわってはいません。脳が発信する欲求にあまりに忠実に従って食物を摂取していると、見事に身体は壊れます(このトピックについては大事なので、いずれ集中して書きます)。

 もうひとつ、これが本日のメインのトピックでかつ、ほとんど私のオリジナルだと思いますが、「『催し』たらすぐにトイレにいきましょう!」ということです。

 なぜならば、「催す」というのは脳ではなく身体から発する重要なサインだからです。身体からのサインに即座に従う姿勢をみせること。「ああ、この人は自分の言うことを聞いてくれるんだ」 と身体を安心させること。身体の信頼を得ること。これが、大事です。

 「ベンさん」(ソフトに、そう呼ぶことにします ……何を指しているかわかりますよね?)は「出してくれ!」というサインを1回か2回、強烈に発します。(みなさんご存知のとおり!)そのときに、ベンさんのいうとおりに「出してあげる」こと。健康法的にはこれは最優先事項になります。

 最初は、我々がベンさんに試されることになります。例えば、ベンさんのサインは電車の中だったり、重要な会議中だったり、しますね(えてしてそんなものです)。そういう時でも、できるかぎり要求に応える姿勢を見せる。それが複数回続くと、ベンさんとの信頼関係ができ、もう試されることはなく、ふつうにトイレにいける状態のときに「サイン」がでるようになります(ホントですよ)。

 この状態まで持ってゆきましょう。多くの方々はベンさんに試されているときに「出してあげる」ことをせず、こっちの都合で無理やり引っ込めてしまうので、身体との信頼関係が築けていません。

 そうするとどうなるか? 一般的にいえば便秘になりやすくなったり、宿便がたまったりします。もっとざっくりいうと病気になりやすい身体になったり、実際病気になってしまったりします。

 これらは、我々が生産性高く仕事をしてゆく上で最優先で回避しなければならない事項です。

 とにかく、便秘や宿便について軽視している方が多いので、まずは「ベンさん」のサインを意識していただきたいと思います。身体からのサインのうち「ベンさん」のサインがいちばんわかりやすいので。

 トイレ環境が劣悪な現場はやめたほうがよいです。トイレそのものの質ではなく、(会議中などをのぞき)うかつにトイレにも立てないような、軍隊的な監視がなされている現場ということです。それは、「基本的人権」は人間としての「尊厳」にも関わってきます。

 もう少し続けます。読んでいただきありがとうございました。

健康について第12回 リアルな通勤健康法(2) 「飛び出す」感じをつかめ

2011/05/17 11:32:19

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回、電車通勤で実践できる健康法について具体的に書いてみました。ぜひ継続して実践いただければと存じます。さて今回は、前回の最後に書いたことを補足します。

 前回は「抜ける」ことが大事だと書きました。満員電車から降りた瞬間に「抜け」て、集団に飲み込まれずに飛び出すこと。

 実は、早足で歩いたり走ったりといったフィジカルな(そして、ごく一般的な)健康法よりも、この「飛び出す」感覚の方がリアル健康法として重要視しています。

 まず、フィジカルコンディションをいくら整えたところで、ネガティブな気持ちのままならばリアル健康にはなれないのは自明です。前回書いたように、朝のお作法(通勤)をルーティン化することにより毎朝毎朝集団から「飛び出す」ことを続けてみて、この飛び出す「感じ」を自分の中で「つかむ」ことができれば生活が少しずつ変わってきます。すくなくともポジティブにはなれます。

 いえ、ポジティブになれるというよりは「少なくともネガティブにはなりえません」といった方が正しいかもしれません。

 ここでちょっと、ごくごく当たり前のことを書きます。

 朝の通勤電車には何百人何千人、あるいは何万人というビジネスマンが乗っているわけですが、もし全員で短距離走をしたら、あなたも私も、絶対に一番にはなれないでしょう。朝の満員電車に乗っているビジネスマンの中には、体育会系陸上部だった方とか、全国大会に出たとか、そういう猛者もいらっしゃるかもしれません。

 ところが、です。元陸上部だろうが日本記録保持者であろうが、皆が歩いているという前提であれば走って抜き去ることができるのです。つまり、朝の通勤時間帯、という限定されたシチュエーションであれば私でもあなたでも一番になれるのです。私が申し上げたいのは、単純に、「100%(一番に)なれるもんならなっときましょうよ」ということです。

 と、いうことを書くと、「……で?」「それがなんか意味あんの?」といったような反論が予想されます。意味は、あると信じて(実際あるので)とにかくまずやってみていただきたいと思うのですが、実はその、(素直に)まずやってみる、というところからしてリアル健康になるための訓練の1つなのです。

 意味(あるいは、自分にとってのメリット)をいちいち確認し、納得しないと前に進まないタイプの人に健康な人は少ないのではないかと私はにらんでおります(ただしまだ、論証はできていません)。


 どんなグループであろうが、どのようなカテゴリであろうが、どんなルール下であろうが、一番になるのは、精神衛生的に非常に良い効果をもたらします(簡単にいえば、「良質な自信が形成される」ということです)。

 私たちは、ふだんからあまりにも集団に飲まれてしまっていて、この「一番になる」(あるいは、「大多数」という集団を飛び出して少数で先頭集団を形成する) という経験が非常に少なくなっています(大人になればなるほど)。

 だからこそ、自分、特に脳に対してそういう経験をさせてあげなければならない。脳というのは実は (おそらく)シチュエーションをよくわかっていないので、「一番になる」という結果だけを経験させてあげればそれでよいのです。

 例えば、なんとかマラソン大会とか陸上大会で一番でテープを切るのも、フットサル大会でゴールを量産してヒーローになるのも、ライブハウスで満員 のオーディエンスにキャーキャーいわれるのも、どれも「飛び出す」感じの実経験であり、とても気持ちの良いものなのでしょうが、今の私たちには、実現させるにはとても難しい。かといって、現在私たちが属するこの業界で、仕事の面で1つ頭抜けて飛び出して脚光を浴びたり、時代の寵児になるのはもっと難しいかもしれません。私たちの業界はほんの一握りの才能と、商売のうまい人たちによって牛耳られていますので……。

 ですので、「自分が一番になる」シチュエーションを、つくるのです。自分が絶対有利のシチュエーションをつくってそこでトップになる(他人に迷惑がかかったり、顰蹙をかったり恨みをかったりするようなシチュエーションでないことが前提)。一番になり続けて集団から「飛び出す」意識づけをしていきます。

 私が1つの例としてここで提示したのが、「朝の通勤時間」というシチュエーションでした。自動改札をゴールと決めて、電車からぱっと飛び出して一番で「ゴール」してみる。自動改札をくぐる瞬間には、自分がどこかの陸上競技場において満員の観衆の前で一番でゴールテープを切っているような情景をイメージしてみる(誰も私やあなたのことを見てはいませんが、朝は「観衆」だけはやたらにいますから……)。

 これなら、できるのです。実際に何百人あるいは千人単位の集団の中で「飛び出す」ことを実践できています。(2~3人の中で一番になる体験を積み重ねていくのも、悪くはないのですが、そこにずっととどまってしまったらあまり意味がないかもしれません)。

 通勤電車では99%以上の人が、競争などする気はさらさらありません。超混みの電車にもまれて身心ともに疲れている状況で、競争する気など起きないでしょう。という状況下で、自分だけが勝手に競争している気になって、電車から降りてダッシュで自動改札を駆け抜ける……。

 はたからみれば、その光景も、誰も競争する気のない状況で自分だけやる気満々という状況も、ちょっと滑稽かもしれません。でもいいのです。周りに迷惑さえかけなければ。

 「誰も競争する気のない状況」を見つけるクセをつけておくと、ビジネスでも役立ちます。ニッチ産業というのはそういうところから生まれてくるわけですし、そういう状況を目ざとく見つけることのできる人(プラス、強い実践力を持つ人)が一儲けできるのです。

 自分が、いろいろな集団に属する中で、そこでナンバーワンになれないからといってすねてしまって、自分は「『オンリーワン』だから!」と競争から降りてしまうのは、とてもよくない逃避です

 肝要なのは自分が一番になるシチュエーションを自ら創造する姿勢です。朝の通勤時間は1つの、私が勝手に提示した例にすぎません。電車でなくとも、渋谷のスクランブル交差点で青になった瞬間に「飛び出す」でもよいのです。

 前回も書きましたが、こういうことを馬鹿にせず、ぜひやってみていただければと思います。自分が一番になったり「飛び出す」イメージを完全につかむことができれば、現実生活ではいつの間にか社長になっているかもしれません。世の中そんなものです。

 今日はだいぶ真面目に書いてしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

健康について第11回【実践編】 リアルな通勤健康法~GW明けからやってみてください

2011/05/11 12:36:15

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回まで「モニタ、ディスプレイOFF。」というお題で書いてきましたが、しばらく小休止して、別のトピックを書きます。今回書くことはかなり具体的ですので、GW明けからぜひ実践してみていただければと思います。即効性はありませんが(というよりも、即効性のある健康法というのは逆に怖いですよね)かなり早い段階からじんわりと効果が出てきます。とてもおすすめです。

 さて、今回は「電車通勤をしている方」限定のトピックです。電車通勤(ラッシュ時の)というのはその距離が長ければ長いほど憂鬱なものです。多くの現場では、朝から多くのメンバーがすでに通勤で疲れています。これでは組織としての仕事の生産性も上がりませんよね。今回紹介する健康法で、その憂鬱な通勤ラッシュがバラ色に……なるはずはありませんが、少しでも精神的に楽になっていただければと思います。「なぜ(効果があるのか)」を考える前に実践していただきたいですね(カンタンですので!)。

 多くの方々は、ほぼ同じ時間帯に、同じ経路で、職場に向かいます。ということは、毎日毎日同じ経路を同じ時間帯に通勤するわけですから、マンネリになってきますよね。ポイントの1つはそこです。

  • マンネリを極めて、毎日毎日ほぼ同じ行動を取るように意識する

 機械的反射的に身体が動くぐらい、同じ行動をしてみましょう(雨の日も風の日も関係なく、同じです)。それができれば「毎日毎日同じ行動をとる」ことによる人間が感じるストレスからはだいぶ解放されます。たとえば、「朝歯を磨く」とか「夜風呂に入る」ぐらいまでルーティン化できればベストです。

 次に、そのマンネリ行動を少しずつ、極限まで効率化してゆきます。家から駅までは最短コースを通り、自動改札では同じゲートを通り、なるべく短い距離でホームまで到達します。ホームでやることはひとつ。乗る電車が到着駅(あるいは乗り換え駅)に到着した際に、降りた目の前にエスカレータ(あるいは階段)がある車両に、あらかじめ陣取っておくことです。それは何号車の何番目のドアなのか、はあらかじめ調べておく必要がありますね。

 また、何番目のドアなのかがわかっても、そこで、右側のドアから降りるか左側なのか、というのも大きなポイントになってきます。なぜならば、満員電車において降りる(開く)ドアの真逆側にいるともう大変(出るのにひと苦労)です。それも必ず調べておきましょう。最終的に(到着駅のひとつ前に)そのベスポジの場所に陣取れるよう調整しましょう。

 こういうこと(通勤経路の効率化)をバカにせず、「ゲーム化」して楽しむことが大事です。

 もっとも効率的な通勤コースが定まったならば、次にすることはスピードアップです。もちろん、スピードアップと効率化を並行して進めてもかまいません。最短コースをとるという行為自体がスピードアップであることはもちろんなのですが、さらにそれを突き詰めてゆきます。毎日、時計のストップウォッチ機能で自宅を出てからオフィスに到着するまでの時間を計測しておけば、より「ゲーム化」がはかれると思います。

 通勤時間の短縮化が実現できれば、当然、その時間を別なことに使えるということですから、自身のライフ・スタイルの品質アップにもつながってゆきますね。

 スピードアップのための施策は2つあります。1つは、家から駅までと、駅からオフィスまでをできる限り早足で歩くこと。多くの方々はビジネスシューズでしょうから、走れとは申しません。ですが、「意識した早足」である必要はあります。早足で歩くことが健康によいというのは自明ですね。

 もうひとつは……(また例によってフリが長かったのですが、ここが今回の大きなポイントです)さきほど、電車が到着駅(あるいは乗り換え駅)に到着した際に、降りた目の前にエスカレータ(あるいは階段)がある車両にあらかじめ陣取っておく、ということを書きましたが、なぜそれが必要かというと、降りた瞬間に「抜ける」ためなのです。電車から降りた瞬間にもたもたしていますと、特にターミナル駅では一瞬で人混みに飲み込まれてしまいます。飲み込まれてしまったらもうそれで5分ぐらいロスします。なので、まず「抜ける」こと。電車から降りた瞬間だけ全力ダッシュして「抜け」て、エスカレータ(あるいは階段)を駆け上がります。すでにトップあるいは「トップ集団」で「抜け」ているのであれば、エスカレータや階段を上り切る必要はありません。要は集団に飲み込まれてしまい、身動きがとれなくなっていなければそれでいいのです。

 ラッシュアワーで、車内でもみくちゃになるのは致し方ありません。それはあきらめなければならない。でも、電車から出た瞬間にはもう「抜け」ること。全力で。飲み込まれたらおしまいです。

 実際問題、瞬発力も必要とされますし、階段やエレベータを駆け上るわけですから、いい運動にはなりますよね。さらに通勤時間も短縮されるわけですから一石二鳥です。

 ……本当は一石二鳥どころではなく三、四鳥の効果があるのですが、それについてはまたいずれ書きます。とりあえずは通勤時間(家からオフィスまで)の経路と時間の効率化についてぜひやってみていただければと思います。

  • (ポイントその2)集団に飲み込まれることなく「抜け」ること。そしてそれをしばらく続けること。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第10回【実践編】 モニタ、ディスプレイOFF。(その3)テレビについて

2011/04/25 12:11:39

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回は、テレビのことについて書くと予告させていただいておりました。

 プライベートで[画面](「モニタ、ディスプレイ画面の類の一切」)から離れることにより、頭脳労働者である私たちは脳と目を守る(自衛する)ことができる(ので、できる限りやりましょう)という話を書いてきたのですが、その「一切」にテレビは入るのかどうか。

 結論としては、私の中ではテレビは「一切」には入ってきていません。ので、プライベートでは息抜きにテレビをみるのはかまわないと思っています。

 PCやスマートフォン、ゲームはNGでテレビはOK、と……。

 前者と後者の違いは何か? それは依存度の違い。中毒性の強弱の問題です。

 テレビという存在は我々にとっては依存症、中毒になる可能性は低いのではないかという結論に達しました。

 なぜなら、私たちが子供時分より堪能してきた、PCやゲームで実現されてきたヴァーチャル・ワールドは、はっきりいってテレビより面白いのですね。テレビを受け身でぼけーっと見ているよりも。

 だからといってテレビを見なくなるというわけではありませんでした。この業界に棲息している私たちは、他の業界の方々と比べると、テレビとそれ以外の「棲み分け」を無意識的に、そして上手にやれているのではないか、と思います。

 テレビは、完全に息抜きで、ぼーっと見るもの。それ以外は、じっくり楽しむもの。

 ということは、当然後者のほうが画面をじーっと根を詰めて見るわけですから目も疲れます。画面を通じて積極的に飛び込んでくる情報は脳を疲れさせます(脳にとっては「心地いい」疲れではありません)。

 ぼーっとテレビを見ているだけであれば、私たちの脳を刺激するほどでもないですし(まぁ今回の震災関連のニュース、被災地からの映像等については完全に例外です)、それほど目も疲れません。

 中毒性という観点でも前者(テレビ以外)のほうが要注意なのです。もちろん、かつてテレビ中毒な方はたくさんいましたし今もいます。ですが、テレビ以外の[画面]に積極的に慣れ親しみ、ヴァーチャルに沈溺してきた私たちが、テレビ「ごとき」に沈溺(依存)してゆくことはほとんどないのではないでしょうか。

 #テレビそのものには依存しなくともテレビの向こう側のたとえば「アイドル」のような存在にはカンタンに依存してゆくのが私たちの弱点ではあるのですが……。

 「テレビ」という存在について、私は以前よりずーーっと、考えてきました。

 「テレビ」とはいったい何なのか? という問い。

 そのときのいったんの結論としてはテレビというのは「怪物」であると。テレビというのは、バックにいるテレビ局(マスメディア)および電通をはじめとした広告業界もひっくるめて怪物的な、巨大な存在である(あった)ということに疑いの余地はないと思います。

 かつてテレビに勢いがあった頃、私は実家を出ており学生で、テレビ中毒で、テレビ以外の[画面]に親しむ環境がありませんでした。テレビしか選択肢がなかったがためにテレビ中毒にしかなりえないという当然の帰結。その後ワープロ「書院」とマッキントッシュ(+14.4モデム!)を購入してからは急激にテレビ離れをしていったことをおぼえています。

 もっと具体的にいえば(今思い出したのですが)TVチューナ付のマックを買ったのです。(あの頃、流行ってたんでしょうね……)当時MEM16MBのHDDは256MBぐらいでしょうから当然、長時間録画などできるはずもなく……(そしてディスクの半分以上はデフォルトでシステムが使っているはず) 「アプリケーションとしてのテレビ」を、あまり利用していなかった記憶があります。

 ブラウザやメーラーや「テレビ」などなど(「シムシティ」「東風荘」などのゲームも!)がアプリケーションとして並列に入っている箱(PC)。今となれば象徴的ですね。私たちはどれも平等に、どれも贔屓することなく、好きなアプリケーションを選ぶことができた。テレビは決して「聖域」ではなかったのです。

 

 今は、多くの皆さんが気付いてしまっているとおり、テレビという存在はかつてほどの勢いがありません。端的にいえば「つまんない」ということです。

 私個人でいえば死ぬまでテレビ中毒になることはないでしょうし、今ではテレビに依存することなく「良いお付き合い」をさせていただいております。

 もちろんご存知のとおり、テレビを窓際に追い込んだのは私たちが仕事でも密接に関わっているネット系のニューメディアです。私たちはある種のリテラシーが発達しているので、テレビより断然面白い、そして便利な、将来性のありそうなメディアに対しては情報をキャッチアップして取り入れるのが非常に早いですし、そのメディアが加速度をつけて発達してゆくのを「焚きつける」役目も担ってきたという自負もあります。

 ただ、私たちのプライドとして、いつまでもいつまでも、昔も今もこれからも「ちょっと感度が高い」だけのエンドユーザーに甘んじるのもどうかと……思うんですよね。

 確かに、楽しいんですけどね、それはそれで。

 せっかく私たちは「この手」に技術を持っているのですから、その技術でもって新しいメディアを「つくっていくぞ」といった気概をずっと持ち続けたいものです。

 そして、そういう野望を持てないのであれば過去の一切のしがらみも、感度高き「アンテナ」もすべて捨て、『ネット世捨て人』になるべきだと思っています(今書き続けている「モニタ、ディスプレイOFF。」というトピックも、ひいてはこの連載の意味も、ここにつながってきます)。

 創る側のクリエイティブに参画してゆくか、それがかなわないのであればいっそのこと離れるか、両極端のほうがいいと思うのです。これからの時代は。

 簡潔にいえば、私たちはますますリアルワールドで勝負していく比重を高めていきましょう、ということです。リアルを捨ててヴァーチャルに沈溺してゆくのではなく、その逆です。「ネット」というヴァーチャルのしがらみを絶ち切ってそっちを捨て、リアルのほうに戻ってゆくプロセスを新たにたどってゆく必要があります。

 そのためには周到な準備が必要であり、「健康になる」というのはかなり重要なファクターになってきます。

 読んでいただきありがとうございました。

健康について第9回【実践編】 モニター、ディスプレイOFF。(その2)

2011/04/19 11:00:25

 お世話になります。龍澤と申します。

 前回より、プライベートではできうるかぎりモニター、ディスプレイの類から離れましょう、というトピックで書き始めました。同じ話題でしばらく続けます。

 前回は主に、[画面](「モニター、ディスプレイ画面の類の一切」)から離れることにより脳を休める必要がある(我々は頭脳労働者ですので)ということを強調したつもりです。

 脳の次に大事なのは「目」です。なるべく[画面]から目を離す時間を長くとることにより、目の疲れも取れるというのは自明です。

 重要なのは、私たちは特に、自分の「目」をケアする意識を、強く持たなければならないということです。私たちにとっては、「目は命」といっても過言ではないと思います。

 IT業界では、私含め近視の方はたくさんいらっしゃいますが、近視ならばまだしも弱視になってきたらもはやシステムエンジニアリング業務はできないのではないでしょうか。

 特に私の世代とその上の世代(いわゆる「アラフォー」?)は、会社に入社後若い時期に、職場にPC(「端末」ではなく)が導入され始め、あっという間に1人1台、1人1メールアカウントの時代に移行しました。

 私たちは、かなり若い時期から、そして現在まで、どっぷりと目を酷使し続けているという事実があります。

 仕事でPCが普及してきた頃はすでに(ほぼ)プライベートでPCを持っていました。(もちろんゲームも)そして、子供の頃からアーケードゲーム、TVゲームに慣れ親しんできていますしもちろんテレビっ子でもありました。リビングだけでなく、自分の部屋にテレビがあった人も多いと思います。

 世の中が豊かになり、そういう環境を与えられた初めての世代である、といっていいと思います。

 そして、もはや忘れてしまったかもしれませんが、昔は[画面]の粒度が非常に粗かった。昔のブラウン管、モニタ、ディスプレイは見続けていると(今より)疲れました。エミュレータ端末などを凝視して作業に集中していると、なんだかアタマが痛くなってくることがよくありましたね。我々世代で、かつこの業界においては他業界と比較し近視率は相当高いはずです。

 こんな私たち(世代)は、これからどうなってゆくのかわかりません。前人未到の時代に入ってきていると感じています。極端なことをいえば、私たちはこのままずーっと同じ生活を続けていったら、ある日突然目が悲鳴をあげて、ブラックアウトしてしまうかもしれません。まるで時限装置が発動するかのように……これからどうなるのかは誰にもわからないのです。

 脳もすでに、若干ヤラれ気味かもしれません。脳というのは使えば使うほど活性化するというのは証明されていますが、「使う」というのは考えることであって[画面]を見ることではありません。

 目を酷使しすぎて目が見えなくなる、という最悪の状況を想定したときに、やれることは、少しでも[画面]から離れて脳と目を休める習慣をつけるという自衛策を取るしかないのです。世の中はどんどん「ネット化」してすべてが[画面]を通じてやりとりされるような時代にシフトしていますが、おそらくそれを推進しているのは私たちの業界です。にも関わらず、私たちが内部から、少しでもこのトレンドに抗っていかなければならないというのは皮肉ですね。

 

 ところで、ちょっと話は違いますが、糖尿病が進行すると目が見えなくなってくると聞きます。目の問題だけでなく、糖尿病は私たちにとって避けなければならない病気であるといえるでしょう。

 これは、一般的な話ですので、糖尿病予防や進行防止についてはいろいろなサイトを確認していただければと思います。結局のところ、糖尿病の予防、進行防止でやらなければならないことはごく一般的な健康法であり、私たちIT業界の人間であってもそうでなくても基本的に注意しておかなければならないことです。

 慢性的な運動不足と偏食のあわせ技は、続けているとホントにヤバいと思います……。

 次回はテレビ(という存在)について書く予定です。読んでいただきありがとうございます。

健康について第8回【実践編】 モニター、ディスプレイOFF。

2011/04/12 11:34:16

 お世話になります。龍澤と申します。

 前々回は、この機に便乗して「しーんとした時間」をつくりましょう、ということを書きました。

 前回は、これもこの機に便乗してですが、無意識的に(手が勝手に動く感じで)節電の行為ができるようになれば、「My民度」が上がって健康的になってゆく(ので、おすすめです)ということを書きました。

 今回からは、この流れでいよいよ本丸攻めになります。震災があってもなくともいずれ「実践編」で書こうと思っていた重要なトピックです(何回かにわけて書いてゆきます)。

 

 結論から簡単に申し上げると、私たちはプライベートの時間はできうる限り、PC関係の機器から離れるべきであるということです。

 これが、私たちが即実践できる健康法です。即効性はありませんが、後で必ず効きます。私たちが長くこの業界で仕事をするために、必ず続けていかなければならない日課であると確信しています。

 PCだけでなく、モニタ、ディスプレイ画面の類の一切を、プライベートでは視界から外しましょう。もちろんゲーム、スマートフォン(ケータイ)も含みます。

 ※この後は、「モニター、ディスプレイ画面の類の一切」を「[画面]」と記します。

 私は、100%ではありませんがこれを実践しています。この「健康法」(?)を始めてから、私を取り巻く状況が、劇的ではありませんが徐々に好転していきました。

 大変、おすすめです。


 この健康法については徐々に始めてゆけばよいと思います。

 肝要なのは、依存症から脱却することです。私たちの多くは[画面]をのぞくことに対して中毒になりかかっています。まずはそれを自覚し、その後はうまく離れてゆくことです。ご存知のように我々にとって[画面]というのは非常に重要な「商売道具」の一部なわけですが、商売道具であろうとなかろうと、例外なくモノに依存してはなりません。

 どのような種類の嗜好品であれ、モノであれキカイであれ、何かしらの対象に依存症、中毒になっている状態は「健康」という観点では好ましくありません。

 また、私たちが認識しなければならないのは、我々の業界の人間にとっては商売道具であっても他の業界の方々にとってはそうではないということ。

 私たちは、プライベートではなるべく、仕事のことを考えないようにするために[画面]から離れなければなりませんが、他業界の方はプライベートを充実させるために[画面]を楽しんでよいのです。

 なぜ、私たちと他業界の方々とで違うのか? なぜ私たちは純粋にエンドユーザの立場で[画面]を楽しんではいけないのか?

 という疑問については、あえて直接的な説明はせずに、この連載で少しずつ少しずつ表現してゆければと思っています。

 いずれにせよ依存しないというのは大前提です。我々だろうが純粋なエンドユーザであろうが、[画面]への依存症の気(け)があるのであれば自助努力で治していかなければなりません。ただし間違いなく、前者(私たち)のほうが[画面]に対する依存症の気が強いと思います。

 私たちは仕事で、[画面]を通して自分を表現しています。勤務時間中は全力でそれに向かい、仕事が終わったらぱたっとそこから離れる。オン/オフの切り替えが必要です。

 本業が終わっても、休むことなくすぐさま別な[画面](「遊び」の)へ移行してしまうと、自身はプライベートへ移行したつもりでも脳は仕事モードのままになってしまいます。たとえば、休憩時間に即座にPCから個人携帯のメールチェックに入る方、いますね。あれは、本人は楽しいかもしれませんが脳が休憩に入れないのです。

 いわずもがな、私たちは頭脳労働者であるという自覚を持つべきだと思いますし、自覚があればまず自分の脳を休ませることを最優先にすべきだと思います。

 という事実をふまえて考え方を変えてみれば、私たちがプライベートで(あるいは息抜きで)やっていると思いこんでいる[画面]を通じた行為 ― メールチェック、Twitter、Facebook、mixi、ブログ投稿、ネットのニュースチェック、ケータイメール等々すべては、私たち(この業界に棲息する人間)は「仕事」と認識して位置づけるべし、ということになると思います。

 私の場合はいわゆる「サラリーマン」の方々とは異なり、お客様先常駐業務と自宅で行う作業、事務処理の二足の草鞋を履いています。だらっとしていると四六時中仕事のことを考えてしまい、また、PCに向かうと常に仕事のことが頭に浮かんでしまい、頭が休まらないので、強制的にオフの時間を捻出する必要がありました。

 前々回に少し触れましたが、四六時中仕事のことを考えている状況では良質なアウトプットは絶対に創出できない、ということを私が腹落ちしたのは、まだここ数年です。それまでは、四六時中仕事のことを考えている自分に酔っていたように思います。

 私の場合は、職場(常駐の現場)を離れた瞬間からオフ、というわけにはいかず、休日(世間一般の)にもやらなければいけないことはあるのですが、なるべく朝に「ぎゅっと」凝縮して、オンオフの区別を明確につけるようにはしています。(ところでこのような「投稿」は私にとっては完全に仕事の扱いです)もちろん私たちの悲しい性で、トラブル等に起因して急な作業、仕事が入ってくることはありますが。。そういうときに即座にオン状態に移行し、生産性高く仕事するためにも、完全なオフ状態を捻出するのは大事かと思います。

 このトピックについては何回かに分けて書くつもりですので、本日はここで切ります。読んでいただきありがとうございました。

健康について第2回 「ドライブ感」。

2011/03/01 12:00:00

 お世話になります。龍澤と申します。前回のポイントは以下でした。

  1. なぜわれわれが健康である必要があるか
    ⇒健康な生活を送っている方が仕事の生産性が上がるから
  2. われわれが健康でなければならない理由はすべて「仕事のため」である

 1.は自明ですが2.は意見が分かれるところかもしれません。それはいったん脇において、話を進めます。

 さて、仕事の生産性が上がるとどうなるか?

 といえば、良い面はたくさんありますが、まず自身で悪い気はしないですよね。仕事がはかどり、どんどん片付いていきますし。

 仕事をしていて爽快感、あるいは「ドライブ感」のようなものを感じることができます。これは、「快」に分類されるといってよいと思います。

 瞬間的にそういう状態になるのも、もちろん悪くはないのですが、できれば健康な状態を持続するようにして、継続的に自分が生産性の高い状態にしておいた方が、よいですよね。 

しばらくそのような状態をキープできていると、徐々にスイッチが入ったような状態に自身が移行してゆくことが分かります(人によってはある日突然突然スイッチが入るように感じられることもありますし、個人差はありますが)。

 ステージが変わるんですね。

 前回、そもそも働いているときに「体調が良い」という状態を経験したことがない方が多いようだ、と書きました。ということは当然、この「スイッチが入ったような状態」を経験することもないということになります。

 それが、もったいない! と、思うのです。

 皆様には、一度はこの状態を経験してほしいと思っています。

 ……いや、瞬間的には、あるかもしれないですね。「火事場の馬鹿力」の応用で……。

 例えば、徹夜明けに突然スイッチが入ることがあります。でも、それは瞬間的なものですし、その時期を過ぎると間違いなく体調に異変をきたして、しばらく使いものにならない状態が続きます。

 よって、ある程度のスパンでもし生産性を測定できるとするならば、その人の生産性は同じか、下がっているはずです。

 「健康」という意味では徹夜はまったくおすすめできません。

 徹夜明けのときと類似したドライブ感、あるいは「ランナーズ・ハイ感」を、そのような不健康な状態ではなく日常でつくりだすべき、というのが私の考えです。

 そして、(重要:これが、この連載の前半部分の結論になってしまうのですが、先に書いちゃいます)仕事でこのようなドライブ感を意識的にコントロールすることで、相乗効果で健康になってゆくのです。

 最初のとっかかりとして、その時々に世の中ではやっている健康法を試す、でもなんでもよいのですが、「とりあえず、体が健康になる努力をしてみる」。これは、やらなければなりません。第一歩を踏み出す必要があります。

 体が健康になってゆけば(その方向性が間違っていなければ)心の方が「すがすがしいなあ」と感じられる状態になります。

 そこまで到達したら、そのすがすがしさが持続できるような努力をします(そのやり方は、残念ながら万人共通のマニュアルはなく、人によって異なります)。

 すがすがしいと、自然と仕事がはかどります。ドライブがかかります。ドライブがかかると、精神が高いレベルで安定し、不安などがいったん消え去ります。

 そうするとその精神の安定が身体の方へ好影響を及ぼしていきます。

 つまり、まとめると、われわれこのギョーカイに棲息する人間は、「仕事しながら健康になる」のです。

 われわれがとるべき手段としてはこれがベストです。

 ……次回以降は、今回いったん結論を先に書いてしまいましたので、それを補足してゆきます。

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