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健康について第38回 鈍感力

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 お世話になります。龍澤と申します。

 第33回で以下のようなことを書きました。今回はこの続きについて書きます。

 人間には不快と感じる外部からの刺激がたくさんあり、「痛み」はその最たるものかと思いますが、たとえば同じ小さい蚊に刺されたときに、「痛み」と受け取る方と「痒み」と受け取る方がいます。心身ともに健康な方は、蚊に刺されたぐらいでは「痛い」とは認知しません。

 「痛み」閾値が上がってゆけば、日常での薬に手を伸ばしたくなる誘惑も追い払うことができます。

 要は「鈍感力」ということです。読んではおりませんが、以前そのような本が話題になったと記憶しています。

 私が考える「鈍感力」について申し上げます。健康になると鈍感になりますね。いろいろ気にしなくなります。大らかになります。結果、人生において不機嫌な時間が減ります。そうするとますます健康になってゆき、らせん状のポジティブなループに入ってゆきます。

 この「健康について」で何回も使っている「逆に」の理論でいえば、「逆に」いろいろな点でくよくよと気にしないようにしたり、あえて大らかにふるまうようにすれば、健康になれるということです。

 健康維持のためにいろいろなスケジュールを立ててしまったり、いろいろなノルマを自分に課したりしますが、それが続かなくなってくるととても気になります。ストレスがたまったり自己嫌悪に陥ったりします。これでは、健康維持のために始めたはずが、始める前よりも不健康になってしまいます。

 いつもみけんに皺を寄せてストイックにセルフコントロールし、グラム単位で自分の体重を気にしながら健康そうな体型をキープしている方よりも、毎日大らかに、細かいことを気にせず笑顔で生きていけるぽっちゃり型の方(失礼!)のほうが、よっぽど健康なのではないかと思います。

 ただし、すべての事象に対して鈍感になってはいけません。本来鈍感でよかったところにばかりやけに敏感になってきたのが現代人であり、それは正すべきではあるのですが、問題なのは、そのせいで本来研ぎ澄ましておかなければいけない感情が非常に鈍感になってきているということです。

 具体的には、最優先で敏感になるべきなのは自分の内側からの声です。たとえば、「体調が悪い」といったサインや、もっとピンポイントな、身体の各臓器からのかすかな痛みの信号などです。

 そして、感情……私は「違和感アンテナ」と呼んでいますが、世の中の出来事に対して「何か違うんじゃないか?」という「内側」からの声。ビジネスマンは仕事優先で(それは悪いことではないけれど)、これらの内側からのサインや「声」を押し殺してしまうことが非常に多いのです。

 その「声」は最初は聞こえているはずなのですが、無視を決め込んでいると、「内側」は「あー、コイツにはサインを送ってもムダなんだ」と判断してだんまりになります。多くの現代人はこの状況にあります。

 そして、サインがこなくなると夢見が悪くなります。なぜなら、「内側」は、直接的なサインを送ることをあきらめて、夢という手段でそれを伝えようとするからです。ですので、ネガティブな夢が続いたときは一度、立ち止まって考えてみたほうがよいでしょう。

 逆に、本来は鈍感でよかったはずのところ。例えば、自分はこうである、こういう人間である、という考えがきっかりと決まってしまっている人がいますね。

 そういう場合に、何か本来の自分(今の自分が考えている「自分」という定義)がすべきでない行動をしてしまった、とか、そういうときに自分を許せない。あるいは、他人から自分について指摘をされたときに、受け流せない。その他人を許せない。

 異常に敏感に反応しますね。自分が定義した自分(という「殻」)を守るために。

 自分自身のもっともコアなところは守るべきなのかもしれませんが、そうでないところはほとんど受け流していいのです。他人の評価などほとんど気にしなくともよいですし、自分の行動規範についてもそれほど厳しくなくともよいのです。

 徒然なるままに。

 余談ですが、自分に対してそのような「決め」をつくりたがる人ほど「転向」も素早かったりします。ブログが流行り始めたときはいずれ皆ネタがなくなる、オレはやらないといい、いつの間にかブログを立ち上げて熱心に毎日書き込みをしてはmixiは意味がわからないという。mixiにのめりこんだ頃はTwitterを「つぶやいて何になるのか?」といい、Twitterで1000人フォローする頃にはFacebookってイケてないよね、と……そういう人のことです。

 決めをつくっては、守れなくなったら言い訳を考えつつ壊し、次のステップでまた守れない決めをつくって言い訳しながら壊し……の繰り返し。こういう人は心身ともに健康にはなりえません。

 もうひとつの本来鈍感でよかったところの例えは、ありがちですが、胃がしくしく痛いのに内側からの声を無視して飲んでしまうとか、そういう「欲求最優先」の状態です。ひとりよがりな、自分個人の欲求に対して異常に敏感で、最優先でかなえてあげようとしてしまう。

 自分の意識上の欲求、欲望というのはかなり優先度を下げてもよいのです。まずは、それを口にするのをやめてみましょう。

 おぼえておいて損はないと思うのですが、自分の表面上の欲求欲望は自分を不健康に向かわせます。それがなぜかはわかりません。でも、自分の欲求欲望を最優先にする人は長生きしませんし、常に周りとのトラブルを抱えていますし、結果的に幸せにはみえないものです。

 これはけっこう難しい話です。自分の欲求欲望をセーブして生きるのが美徳である、といっているわけではないのです。でもこの連載では「健康」を軸にお話ししていますので、健康的に長生きしたいのであれば自分の欲望をセーブして生きるほうがよいですよ、とは申しておきます。違う言い方をすると、欲望が身体の内側からロコツに発せられないようなライフスタイルにチェンジすべきでしょう。

 でもそれは、難易度が非常に高いです。この現代社会の情報の洪水の中で生きていると、人間の欲望を(ストレスなく)内側に押しこめながら生きていくというのは非常に難しいのかもしれません。

 欲望重視で生きてもよいと思うのです。それこそが悔いのない人生であると確信できるのであればストレスはたまらないと思いますので……結果的に人生において争いごとが絶えなかったり、病気がちだったり持病を抱えてしまったりするかもしれませんが、うまくいけば太く短い人生を送れたということで人生、大団円になるかもしれません。ただしそのような人生は、ある種大きな「賭け」ともいえましょう。

 相変わらず、書き始めたときに想定していた結論とまったく違う方向にいってしまいましたが……1つうまいオチがみつかりました。

  • 「欲望に鈍感になることこそ『鈍感力』」

 読んでいただきありがとうございました。

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