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健康について第30回 薬と書いてヤクと読む(?)その2 (医療制度との距離感その5)

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 お世話になります。龍澤と申します。

 前回は、どんな薬であろうと、薬を常用してはならないのではないか、といったようなことを書きました(たとえ医者が勧めたとしても、です)。

 例えば……。

 私は仕事中に頭痛になったら、市販の頭痛薬を飲みます。頭痛がなおったらもう飲みません。これがごく普通の行動です。薬を飲むこと自体が悪だとは言っていません。

 休日はなるべく薬を飲みたくないのですが、家族で出かけるときに朝から頭がどんよりしている、といったようなときは頭痛薬を携行し、いざというときは飲みます。せっかくお出かけなのにイヤな思い出にしたくないですからね。

 たとえば「頭痛がくるのが怖いので常に先手を打って頭痛薬を飲んでおく」というのは、私が考える「異常状態」に足を踏み入れつつあると思います。

 頭痛であれなんであれ、市販の薬を飲んでも治らないとなれば異常状態であるといえます。そういう場合は病院にいくのが普通です。そして結局は医師が指定した別な薬を飲むことになります。その薬が効かなければまた別な薬...これを繰り返してゆけばいつかはその症状は治まるかもしれませんが必ず副作用が「潜伏」します(副作用は、すぐに発症しないのがコワいのです放射線被曝のように……)。

 でもそれは、ある程度が仕方がないことです。病気になってしまったならば、薬でもなんでもガンガン飲んで、徹底的に病気を治して、治ったらぱたっと投薬はやめましょうよ、ということです。

 私が申し上げたいのはそれだけなんです。いつまでもいつまでも、医者が「念のためしばらく薬を飲んでおいてください」と言われてもうのみにしないこと。

 ぱたっと投薬をやめれば、確かにまた発症するかもしれません。そしたら、それは自分の生活習慣が悪いということなのです。覚悟を決めて自分の生活習慣にメスをいれるしか、ないのですよ。

 痛みというのは警告です。死ぬほど痛いときは、身体の細胞たちが全身全霊をかけて本人に何かしらの警告をしているのです。

 今現在、薬を飲み続けている人はどうすればよいのか? といえば、すぐにセカンドオピニオンをとりにいきましょう。市販の薬がやめられない、という方はすぐに「ファーストオピニオン」を病院にとりにいきましょう。とにかく、考え方をチェンジしてみましょう。

 今はとてもいい世の中になりました。昔は別の病院に鞍替えするのはけっこう勇気がいったのです(特に、私が生まれ育った田舎のような、閉鎖的な社会では)。

 そういうことがおおっぴらにできるようになりましたし、今はなんといってもインターネットで自分の症状を検索できます。いくらでも自分で状況をカイゼンできるのです。セカンドオピニオンをとりにゆくのが面倒臭いという方は、まずはネットで、自分の症状と飲んでいる薬をキーワードに検索してみましょう。いろんな方の症例がわかりますし、その症例に対してポジティブに取り組んでいる方のブログなどを参考にしましょう。

 別に医者にかからなくとも、実はけっこう、病気というのは生活習慣のカイゼンで治せちゃったりするものなのです。

 自分で調べるときに要注意なのは、「自分は病気に違いない」という前提で検索しないこと。誰もがみんな、「自分はもしかしたら病気なのでは……」という状態に、酔っ払ってしまっているのです。「絶対に症状をなおしてバラ色の人生に……」とか、そういう考え方で、ポジティブに調べること。

 医療にかかるのも同じです。自分が病気であるに違いない、という酔った状態で受診するのではなく、「完全に治すにはどうすればよいか」という大前提で医者を利用することです。

 つまり、努力の方向性を、薬を断つ方向、ひいては医療そのものと「おさらば」する方向へ切り替えないといけないのです。

 読んでいただきありがとうございました。

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