言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

人材やスキルより世の中で不足しているもの

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今、世の中は人材不足やらであえいでいる。よく、給料を払えば解決するような話を聞くが、そもそも給料を払う元が無い。世間一般で騒がれていることを鵜呑みにしたとしても、問題解決の決定打にはなりそうにないです。私の見る限り、何かが不足しているというより、飽和しているといった方が妥当だと思います。

会社に行って360度みまわすと、ゴミのようなお偉いさんがふんぞり返っています。簡単な話で、ああいう人が色々なものを過剰に消費して会社を食い潰しています。例えば、ろくに仕事ができないのに多額の給料を会社から摂取しています。また、自分の判断ミスを人の残業でカバーします。社員の時間も食い潰しています。あと、無駄に決定権を占有しています。

これらを解放して適切に分配すれば、優秀な人に払う給料も確保できると思います。給料を上げても、適切な権限を割り振らなければ結果は出せません。無駄な残業で疲弊していても結果は出せません。世の中に不足しているものはありません。強欲な人がふんぞり返っていろいろなものを圧迫しているだけです。

話を戻して、世の中に何が足りないかという観点に戻ります。人が強欲になるのも、何かが足りていないから強欲になるのでしょう。ただ、このコラムを読んでいる人に、強欲さについて普段から考えるような哲学的な人は少ないことでしょう。何を言っても納得してもらえる自信はないです。

タイトルに対しての答えを出すとすれば、世の中に足りていないのは「余裕」だと思います。仕事以外のこと、例えば学問でもそうだし、自分自身のこと、家族のことでもいいです。自分の精神活動に対する関心が無いから、思考が停止して社畜に墜ちるのかもしれません。精神活動とは、自分が自分であるためのセーフティーネットです。もっと大切に考えられてもいいかと思います。

Comment(2)

コメント

匿名

内容にはすごく共感できたのですが、以下の一文が引っかかりました。どういう意味で捉えればよいのでしょう?
>このコラムを読んでいる人に、強欲さについて普段から考えるような哲学的な人は少ないことでしょう。

Horus

> 匿名さん
これは、特に何の裏もなくそのまま書いた言葉です。自分たちが強欲だと自覚した上で、自分の問題として考えた事があるかという意味です。


そういう考え方を人に話すと、「哲学的だ」のような反応が返ってくることが多いです。普通に話して通じたことがほとんど無かったので、このような表現で書きました。

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