言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

優劣から分担への移行

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スキルが伸びるか伸びないかは、冷酷に言えばその人の生まれ持ったもので決まります。同じものを見せたとしても、それぞれの経験に基づいて違う感じ方をします。人がそれぞれ差異をもって生まれるのであれば、当然、エンジニアに向く人、向かない人の違いは発生します。「頑張れば誰でもできる」というのは事実かもしれませんが、それぞれが実現するための難易度は差異があります。

つまり、同じ努力をしても必ず優劣の差がつきます。そう考えると、「オレは頑張ったから」という理由で高慢になるのはいささか軽薄な考え方かと思います。それで結果を出していたとしても、たまたま運が良かっただけです。運が良かったが故に、努力と目的が一致して結果に結びついただけです。それはそれで素晴らしいことですが、人として優れているということとはちょっと違います。

優劣の差というのは人を比べるのに非常に便利です。しかし、その便利さに翻弄されているのが私たちです。また、これからの時代は少子化が進みます。人を選り好みするような事はできなくなっていくと考えた方がいいでしょう。なので、スキルが伸びないエンジニアをないがしろにしていると、エンジニア不足で世の中が回らない事態になりかねません。

時代はどんどん変わっていきます。それにあわせて常識も変化していきます。実際、経済の発展という観点から、どの企業も事業を大きくしようと考えます。しかし、大きくしただけ維持するためのコストがかかります。事実、就職氷河期の頃から見ると考えられないような人手不足が起きています。

これからの時代は、いかに個人が優れるかよりも、どうすれば他の人ができるようになるかが重視されるようになると思います。そういう方向にシフトしなければ、これだけ多くの仕組みに支えられている世界を支えきれなくなるのではないでしょうか。現在、いろいろな社会問題が山積みですが、流れが個人の成熟から社会的な成熟へと考え方がシフトすれば、案外幸せになるかもしれません。

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