言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

血を吐いて一流になるより二流で人生を謳歌しよう

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学校の時から成績で一番を目指す。会社に入っても「仕事ができる人」を求められる。私はそういう環境で育ってきました。落ち着いて振り返ると、自意識過剰だったのかもしれないです。要領よく生きている人は、鬱陶しいと思いつつも自分の居場所を固めて落ち着いているようです。いや、もともと一番とか仕事のできる人と考えていなかったのかもしれません。

どう振る舞うかは別として、自分が素晴らしい何かでありたいと思うのは同じだと思います。ただ、それが成績が一番とか仕事のできる人とか、そういうのに限らないようです。これは、自分が散々仕事を干された挙げ句、仕事を失った時に気付きました。どちらかと言えば、自分の立ち位置の確保が大事と考える人の方が多いようでした。

よく考えてみてほしい。ここに百人いたとして、みんなが一位を目指したとしましょう。一位になれる人は一人です。別に一位でなくても、○○さんはプログラミングに長けている、□□さんは人をまとめるのがうまい。という形で、それぞれの居場所を確保できます。何かに優れる必要はあるけれど、必ずしも突出していなくてもいいのです。

会社組織というのは優れた人を欲しがります。しかし、何ができれば仕事が回るのか正確に認識していないと、際限なく優秀な人を求めます。Excelで書いたドキュメントのつじつまを合わせるだけの仕事に、トップレベルのプログラミングスキルは要りません。そういう仕事であれば、Excelが使えれば仕事ができるはずです。

なんとなく優れた人を目指してしまっていませんか?一流になれれば確かに凄いです。しかし、大概の仕事は二流でも充分回ります。一流になるためにしのぎを削る、そういう生き方もいいでしょう。しかし、多くの人は子供を育てたり、親の面倒を見たり、家族と時間を過ごしたり、仕事以外にもやることがたくさんあります。

自分のやるべきことを淡々とこなせるのであれば、それで充分だと思います。自分の力量を超えて優れる必要はありません。それぞれがもっと人生を謳歌すうることを真剣に考えてもいいのではないでしょうか。

Comment(1)

コメント

熊猫

タイトルと内容に共感します。
一流になるのを目的に、目指し続けるのは、終わりが見えないですもの。
目的と目標をうまく設定できれば、一流未満の行動であっても目的達成はできますし。
ついでに言えば、一人の中にある二流や三流を組み合わせるだけで二流より上になれるし。

ただ、一流と二流の差と、力の抜きどころと自分の枠を知るために、一時だけは、一流になるのを目的に一流を目指すのもいいかなと思ってます。

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