キャリア20年超。ずっとプログラマで生き延びている女のコラム。

その境界線の上に立ち

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 今回のコラムのタイトルは、あの大震災の前日に見た某アニメのサブタイトルから拝借しました。原発が大変なことになっている、というニュースを観た時、なぜだかこのサブタイトルが頭の中に浮かび上がりました(アニメの内容とはまったく関係ないんですけど)。

 わたしは原子力発電について深い知識を持ち合わせていませんが、日本の電力供給量のかなりの部分を原発が担っていることとか、発電所を再稼働させるにしろ廃棄するにしろ、かなりな時間と予算を要することぐらいは知っています。原子力発電所のボロボロになった建物の映像を見て、「東京電力の管轄地域は長期間にわたっての電力不足との戦いに突入した」と、思いました。

 その時に思い出したのは「実は世の中というものは、コストさえ見合えばいかようにも変わってしまうんだよ」という言葉でした(←誰にきいたのかは忘れました)。それが本当ならば、電力がコスト高になってしまった今、それを埋め合わせるために何かが動きだすはずです。

 そして、ふいに思ったんです。

 否応なしにわたしたちは「ボーダーライン」の上に立たされてしまっていて、次に足を下ろす「国」を選ぶことを強要されているんじゃないか、と。

 そんなのただの思い過ごしで、あと1年もすれば、この国も以前と変わりない姿で動いているのかもしれません。でも、変わらないでいられる未来を、わたしは想像することができません。今、たくさんの人の気持ちが大きく揺らいでしまっています。この揺らぎが何も動かさずに済むはずがないと感じるのです。それでも何も変わらなかったら、この国の人たちは今までと同じ「国」に足を下ろすことを選んだ、ということなんでしょう。

 そして、変わるにせよ変わらないにせよ、今、うずくまっている人、立ち上がろうとしている人、すでに新しい道を模索しはじめている人のために、ITエンジニアはなにかができるはずです。

 「電気がなければただの箱」なコンピュータですけど、今まで10000のエネルギーを必要としたものを1にすることも可能で、そういったアイデアやコードは、停電の中でも生み出すことができるんですから。

 今はまだわたしになにができるか分かりませんし、正直なところそれを考える気分になれないでいます。けれど、自分になにかができるとしたら、それはプログラマとしてのわたしなんだと思っています。

Comment(1)

コメント

真っ赤なレモン

各自が、自分の能力を有効に活かして他人のお役に立てることを目指せ。
他人のお役に立つということは、感謝されること、収入を得られることに反映される。
つまり、ほとんどの人にとっては、現在従事している仕事が、お役立ちなのだ。
従事する仕事の、プロであれ。
困っている人を直接助けることはできないかもしれない。
しかし、プロの仕事は、回り回って困っている人への助けにつながる。
何もできないと感じるのなら、本業で働いて得た金を寄付せよ。
それが、一番効率的な支援なのだ。

・・・こういう感覚が、西日本には欠如しているように見える。

西日本の人々の心構えと、西日本の人々からの支援が薄すぎる。
当事者意識が無いように見える。せめて、同胞への支援を考慮してほしいところ。

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