第3話 尊敬できる上司はいますか?
2009/07/17 19:25:00
エンジニアの人は割と新しい物が好きな人が多いと思います。わたしもそうです。いろんなものを買っては奥さんから毎回説教されています。
最近はiPhone3GSを買いました。それも発売日に会社を休んで(あぁ、ゴメンなさい)、iPhoneアプリにちょっと興味があってちょこちょこ作ってます。基本的にMacでしかできないので最近家ではMacを触ることが多くなってます。
わたしのことを少し紹介してきましたが、今回が一応最後です。最後は印象に残った客先の上司の事を書こうと思います。
20代の中盤にさしかかろうとする時に、わたしは2回目の転職をしました。ちょうどフリーから起業するひとつ前の時です。会社はメーカーやメーカー子会社に技術者を派遣するありふれたところでした。
わたしはある大手メーカーの子会社に派遣される予定で、そこへ面接に行きました。面接には、人事担当者と受け入れ先部署の上司であるY課長が担当していました。もともとVC++で3カ月程度の案件と事前に聞いていて、会社にも「VC++の経験があります」ということで入社していました。でも、これは実はウソ。そもそも仕事でWindowsソフトなんか組んだことはなく、趣味でちょっと触ったぐらいでした(当時はVC++4から5へ移行していた時)それでも、ちょっと間違ったポジティブシンキングで「何とかなるだろう」と思っていました。
で、以下面接の様子。カッコ内はわたしの心のつぶやきです。
Y課長 「VC++の経験ある?」
わたし 「大丈夫です(触った経験はありますから)」
Y課長 「ふーん……MFCは大丈夫?」(編集部注:Microsoft Foundation Classのこと。Visual C++のクラスライブラリ)
わたし 「知ってますが、使ったことはないです(MFC? なんじゃそりゃ)」
Y課長 「MFCも使わずにどうやってVC++使ったの?」
わたし 「いや……WindowsAPIでコツコツやってました(うまくごまかせたか?)」
Y課長 「ふーん(疑いの眼差し)わかった」
わたし 「……(何とか切り抜けたか)」
Y課長 「今度の案件はサーバーとクライアントでソケット通信するんだけど大丈夫?」
わたし 「ソケット……通信、ですか?(思い切り電球のソケットを思い出す)」
Y課長 「そう。ローカルネットワークでTCP/IP」
わたし 「仕事ではないですが、個人的に試したことはあります(TCP/IPってなんだっけ?)」
Y課長「わかった(疑いの眼差しは変わらず)」
結局3カ月間ということで契約してもらえました。実際、設計はある程度終わっていて納品までちょうど3カ月でした。
こんな感じで入ったので、入る前と入って半月ぐらいはもう頭をフル回転させて勉強しました。その甲斐あってか、1カ月過ぎた頃には分からなかったことはすべて理解できました。
Y課長は部下の使い方が非常にうまい人でした(若いのに会社の中では結構やり手で、部長職以上はメーカーの天下りの人ばかりだったが、この数年後には初めて生え抜きの部長になりました)
まず、部下とは思い切りため口で話します。こっちがため口でもお構いなし。上からでなくて友達目線で話します。さすがに客先前では違いますが、何か用事があると「ねえねえ、これやって欲しいんだけどさぁ」と寄ってきます。時々怒ることもありますが、怒る時も非常に理詰めで感情的に怒ることはありませんでした。
あと、部下の性格とスキルをかなり正確に把握していました。特に設計とプログラム、マネージメントはきっちり分け、得意分野に注力できるように配置していました。性格的にめげやすい人には励ましつつ、裏で他の人にサポートさせたり、わたしのように負けず嫌いには何か相談しても「やっぱり無理だよね」って言って、逆に自分からやるように仕向けたりしました。とにかく、押しつけることはしない人でした。
接するといい加減な雰囲気のする人でしたが、一度だけ2人きりになった時、悩みを漏らしたことがありました。それだけ周りに気を使っているんだと言うことは実感しました。
ちなみに最初に書いた3カ月の案件は何とか予定通り納品できました。その後からY課長の態度が軟化してきて、いろいろな仕事を割り当ててきました。基本的にメーカーの100%子会社なのでグループ単位でお客さん(親会社の部署)も決まっていましたが、わたしのグループだけはどのカテゴリにも当てはまらない仕事を請ける「社内何でも屋」になっていました。以前のコラムにいろいろやった仕事を書きましたが、多種多様になったのはここでの経歴が大きいです。
わたしだけが協力会社の社員でしたが、待遇は良かったです。使うパソコンも希望通りのものを購入してくれましたし、資料の本もそれなりに買ってもらえました。
Y課長はわたしに対して、とにかく若い子にいろいろ経験させてフォローするように言ってきました。全体の底上げを常に考えていたようです。そういう意味ではY課長の目論見? 通りにわたしは動いていたような気がします。
Y課長はSEやPGと言った区別はしていませんでした。むしろ設計からコーディング、デバッグ、テストまでやらせていました。ですからそこでは担当者という言葉はあってもSEやPGという言葉はなかったです(今は知りませんが)もっとも、無理矢理分けるほど1つ1つが大きいプロジェクトではなかったからかも知れません。
数年在籍しましたが、自分の所属した会社を退職した時にこのメーカー子会社も引き上げました。ただフリーから起業した後も何度か仕事をもらいました。その後、社内コンプライアンスが変わったらしく、仕事はもらえなくなりました。
わたしにとって理想の上司とはこのY課長でした。今でも見習うべきところはたくさんあって、自分の中では仕事における手本のような人です。そう思える人や職場にいたことは多分、エンジニアとしては幸せなことなのかもしれません。
次回から、コラムのタイトルにある「ソフトウェア開発に幸せな未来はあるのか」の本題に入ろうと思います。

にゃん太郎
