『シニア予備軍への警鐘』

2011/11/09 18:19:28

 ITエンジニアのシニア世代が、悲惨だ!

 世間一般に、シニア世代とは、何歳だろうか?

 スポーツ界などを、別にすれば60代が普通だろう。

 ITエンジニアの場合は、40代からである。

 その根拠は、仕事のオファーの数にある。40代に入ると、途端に仕事量が少なくなる。

 わたくしが、一番危惧するのは、働き盛りの40~50代に生活の基盤を失ってしまう様な職業に、良き後継者は育たないと云うことです。その傾向は、残念だが現実になっている。

 なぜ、この様な、状況が起こっているのか?

 1つには、イノベーションの「方向」が変わった。

 多様化する社会的ニーズに対抗して、技術的トレンドをスピーディーにキャッチアップし、顧客が求める“以上”のものを“柔軟”に対応できる能力が必要とされる、いま。

仕様書通り、正確に、もの作りをしてきたエンジニアには、「善と悪」が、ひっくり返るくらいの意識のずれが起こってしまったのである。

 2つには、人材情報「欄」にある。

 「技術者名(イニシャル)」、「性別」、「年齢」、「最寄駅」、「スキル」、「区分(SE or プログラマなど)」、「経験年数」、「稼働可能日」、「希望単価」、「所属(社員か否か)」までは、違和感はない。

 しかし、最後にある「備考」に書かれた内容が、実は、スキルや単価以上に、合否の判定を決める。

 その内容は、「39歳まで」とある。この「39歳まで」のあとには、決まって「外国人不可」、「コミュニケーション力があること」とくる。

 なぜ、「39歳まで」なのか?と尋ねると……返ってくる答えは、「現場リーダーが30代で若いので、年上は使いにくい」が、大多数である。

 年下で、使いやすい人だけを使っていたのでは、いつまでたっても、力あるリーダーやマネジャーなど育つはずがない。それが証拠に、マネジャー不足で業界が頭を抱えている。自業自得である!

 もちろん、仕事は、多種多様である。だから、若さが何よりも優先する場合もある。

 しかし、専門的技能を生かして仕事をするエンジニアにとって「なにが、できるのか」、以前に「何歳か」で合否が決まるのは、不本意であり、不愉快である。

 わたくしは、このような「人材情報」を頂いた会社とは、次のよう会話を交わす。

 わたくし:「御社は、スキル以前に、年齢でエンジニアを決めるのですか?」

 相手:「いや、そういうわけでも……」

 わたくし:「若ければいい、などと言う、会社は、技術会社ではなく、人身売買会社ですね!」

 相手:「……」

 失礼だが、嫌味の1つも、言ってやりたくなる。

 少子高齢化問題を引合いに出さずとも、エンジニアの絶対数が減少しつつある、現状から考えて、「39歳まで」などと、事の本質を解決するために、何の根拠にもならない、馬鹿げた条件が、恥ずかしくもなくまかりとおるIT業界に、「技術力」で仕事ができる環境(価値観)を、1日も早く整える必要がある。

 3つには、エンジニア「自身」にある。

 誰しも、年齢を重ねることに抵抗はできないが、見かけで言えば「年より若い」、「年相応」、「年より老けている」など、個人差がでる。特に、若い時より、中高年(シニア)には顕著に表れる。

 この「差」は、先天的なものから、日々の健康管理(食事、スポーツ、生活リズムなど)、人生の生き がいなどが、大きく作用していることは、周知の事実である。

 エンジニアにして言えば、「経験年数の割には、仕事ができる」、「経験年数、相応」、「経験年数のわりには、仕事ができない」と、なるだろう。

 では、この「差」は、なにか?(見かけの例で言えば)

 先天的なもの ⇒ 意志が強い or 弱い、好奇心が強いor 弱い、社交的 or 独善的、楽観的 or 悲観的など。

 日々の健康管理 ⇒ 仕事や技術を好き嫌いではなく、自分にとっての価値・不価値で考える。自分の弱点を日々強化(勉強)する。できるだけ多くの人と出会い、多様な価値
観を知る努力をするなど。

 人生の生きがい ⇒ わが人生において“必ず”実現したいこと。エンジニアとして“必ず”実現したいことなどが具体的にある or 漠然としている。

 この「差」は、見かけと同じで、中高年(シニア)になるほど、顕著になります。

 わたくしのところには、毎日のように、シニア世代のエンジニアから「仕事を探してください」との相談がある。しかし、一番、苦労するのは、「スキルはある」が、「キャリアがない」ことです。

 シニアになると、「スキル(=なにができる)」だけでは、ビジネスチャンスが限られてしまうので、お世話するのに大変時間がかかります。

 シニアは、「キャリア(=なにを、してきたか)」を“売り”にできるかが大事です。

 だが、ITエンジニアの多くが、技術を習得する過程は、「スキル(=言語系)」から始めることが多いため、「スキルの塊」を抱えて、年齢を重ね、「なんでも出来ます(=なにも、できません)」の、落とし「穴」に落ちてしまう。

 この「穴」は、エンジニア生命を失いかねない、危険なものである。

 ここで、これからシニア世代を迎える「シニア予備軍」に警鐘を鳴らしたい。

 さて、「シニア予備軍」は、何歳からか?

 実は、わたくしも悩んだ。

 あるとき、20代の若いエンジニアに「シニア予備軍は、何歳からだと思う?」と聞くと、彼は「自分自身が、将来に危機感を持ったときから、シニア予備軍ではないでしょうか」といった。

 わたしは、「そうだ!」と思いました。(この定義をいただきました!)

 自分自身の将来に危機感を持った、「シニア予備軍」の皆様に警鐘です!

<正社員のシニア予備軍へ>

 ハッキリ申し上げます!会社は、社員の人生まで面倒を見る責任はありません。

 ……あとは、各自、考えてください。

<自立しているシニア予備軍へ>

 ハッキリ申し上げます! ケガも病気も自分持ち、健康と現金が頼りです。

 ……あとは、各自、考えてください。

 すべての、「シニア予備軍」の皆様。

 「できること」と、「いくら貰える」か、だけで仕事を決めないでことです。

 いいですか、自らの進むべき「道(目標)」も決めずに、焼き畑農業的な行動で、自らの可能性まで焼き尽くし、進むべき「道」を、見失ってはいけない。

 わたくしは、皆様が、落とし「穴」に落ちず、進むべき「道」を見失わないために、これから、二つのことを始めます。

 1つは、「シニア人財ビジネス・コーディネーター」です。これは、シニア人財を組織化し、シニアによるシニアのための仕事を、「探す」「創る」事業です。

 シニアになって、仕事に困ったら、いつでも相談して下さい!

 2つは、「シニア&シニア予備軍のためのセミナー」です。

 これは、“シニアだから、できることがある”をテーマに、毎月開催します。

 第1回目は、11月17日(水)19時、スタートします!(http://mcea.jp/archives/4628

 21世紀は、「人が、輝く時代です!」

 それは、人間が生態系の頂点に立つことではありません。

 人が人を大切にし、そして、人と自然環境が共存共栄することです。

 もし、それができなければ、私たちの、将来は悲惨なことになるだろうと、多くの人たちが心で感じています。

 「人が、輝く時代」とは、すなわち、「シニア世代が、輝く時代」でもある。

 カッコいい「シニア人財」を、たくさんつくるゾーォ!(あなたも、その1人になってください!)

以上

『技術立国への復活を改めて問う!』

2011/05/11 10:07:54

 その昔、日本は“技術立国”と称していた。

 確かに、世界をリードする技術力を有していたが、いつの間にか“金融立国”などと言い出している。

 いまの世、金融は大事であるが、日本のように資源が少ない国がグローバルと云われる時代に世界と肩を並べるには、日本固有の技術を磨き上げ、“21世紀型の技術立国”にならなくては、未来が開かないのではなかろうか?

 しかし、IT技術に限らず、世の技術職を嫌う若者が増えていると聞くが、大袈裟ではなく日本の将来が心配である。

 ……この書き出しで、コラムニストをスタートしたのが2009年12月でした。

 この一年半ほど、ITエンジニアへの応援メッセージ的コラムを書いて参りましたが、3月11日に発生致しました東日本を襲った大震災と共に福島原発の問題は、私自身“技術立国への復活”というテーマについて改めて問い直す必要性を強く感じ、この2カ月ほど、いろいろと考えておりました。

 「なぜ、技術立国なる言葉が日本から消えたのか?」

 「なぜ、若き世代が技術職に魅力を失ったのか?」

 「なぜ、国は技術振興にお金を使わないのか?」

 そして、

 「日本が再び、技術立国への復活を果たすには何が必要か?」

 「国を支える優秀なエンジニアが育つためには何が必要か?」

 この度の、大震災や福島原発の被害は「想定外」と関係者から幾度となく聞いたが地球はドロドロに溶けたマグマの上に薄いビニールくらいの地表が覆っているだけで、ところどころでマグマが吹き出ている箇所が地球上にはたくさんある。この現実から考えて、「想定外」という言葉の意味は「現状で考えられる状況や条件を越えてしまった……」と言っているのだとしたら自然界に対する人間の無知か無視かの、どちらかである。

 地球上で起こる自然現象は、すべて「想定内」である。

 その自然現象に対して、個人が、村が、町が、市が、県が、国が、なにを、どこまで考え、具体的な対策、対応が怠りなくできているか、否かではないのか?

 実例を言えば、岩手県宮古市の姉吉地区では、押し寄せる津波は陸地の斜面をさかのぼり遡上高で38.9メートルに達したという。その坂のすぐ上、海抜約60メートルのところに「ここより下に家を建てるな」との先人が刻んだ石碑があり、この教訓が11世帯約30人の集落の建物すべてを守ったそうである。

 同じく、宮城県東松島市の宮戸島には貞観地震(869年)からの先人の言い伝えがある。海抜約10メートルのところに「石碑より低いところは危険」というものだ。その教えのまま地震発生とともに島民約1000名は高台にある小学校に一斉に非難し、犠牲者は数人にとどまったと云う。

 この実例とは裏腹に、壊滅的な被害を受けおびただしい死者を出してしまった村や町とは“なにが”違っていたのか……もっと、もっと、救えた命があったのではないだろうか?

 それを、「想定外」との表現で責任をあやふやにすることが一番危険である。責任は、勿論、個人にもある。増してや、市、県、国には倍する責任があるのが当然である。

 さらに、この度の震災を更に深刻にしているのが福島原発であり事業主の東京電力の企業倫理である。原子力施設をもって事業を行う当事者である彼らが、だれよりも原子力の恐ろしさを熟知しているはずで、“このくらい”の地震・津波を「想定外」としたら空恐ろしい話である

 しかし、事実、空恐ろしいことが、今現在起こっている。

 彼らの「想定外」は、「“費用対効果で”、現状で考えられる状況や条件を越えてしまった……」と言いたいのだろう。それはつまり、「東京電力は、地域住民の生命財産より、一企業の財産を優先し富を成してきた会社です」と言っていることに他ならない。

 私は、この12文字が意味することの“軸”がズレてしまっていることを危惧している。

 このたびの震災で被災された人々が「天災だから仕方がない」と言い切ってしまってはダメだ、と言いたいのである。

 “このくらいの”の地震・津波を、世界有数の地震国日本が「想定外」などと言っているようでは「新生日本」のグランドデザインは無理である。なお、言うまでもないが福島原発の問題などは、人災中の人災であり、東京電力の幹部が「想定外」などの言葉を発するのは言語道断である!

 その中にあって、今回の震災を「想定内」として日々準備を怠らなかった企業があった。皆様もテレビのニュースなどでご覧になったかもしれないが、ご存知、東京ディズニーランドである。「ある日、ゲスト(入場者)が10万名来場中、震度6強の地震が起こったことを想定して年間180回の訓練を行っていた」のである。

 そして、「3月11日、7万名のゲストが来場中、震度5強の地震が襲った」が、まさに「想定内」であった。その時、1万名のスタッフ(9割はアルバイト)は実に沈着冷静にゲストに対してキメ細かい対応を行っていた。この企業の「なによりも、ゲストの安全、安心を“最優先”する」との企業理念が現場の1人1人のスタッフに浸透していたことがゲストの「不安や不満」を「感謝と信頼」に変えた実例である。

 改めて考えたいことは、日本という国は、政治においても、企業においても、教育・文化などにおいても、哀しくなるほどレベルが低くなってしまったような気がする。それが現実ならば、日本人1人1人が人間としてレベルが低くなったということになるのであろう。

 その原因の起点に、いつのまにか私たちにとって、進化、発展、発達、繁栄、多様は、すべてが「人間のため」あると思い込み、本来、人間は自然の一部であり自然なくしては生物の存在はないという自然界の掟を無視してしまった。そして、人間は自らが豊かに生きていくために自然界を自由に操れるものと思い込んだモンスター となった。 このことが、今、私たちが抱えている多くの課題の根底にある。

 「目的のためには手段を選ばず」という言葉があるが、「人の生命・財産を守るため自己の責任において即断即決で行動した」場合と、「自分あるいは特定な人の利益を守るためには方法・手段を考えず行動した」場合と、なにが明確に違うのか?……この違いは、「行動と結果」を精査しない限り判断はつかない。

 違う言い方をすれば、「目的は手段を正当化しない」ということだ。

 例えば、「平和を実現するためには戦争で人を殺すのは仕方がない」などは、正しいだろうか?

 事実、世界中で「平和のために」人殺しを行っている。昔から、1人を殺せば殺人者であるが、何千何万の人々を殺せば英雄となると言われている。

 もし、この度の震災での犠牲者が少人数であれば当該自治体の責任は明確となり集中的な叱責は免れなかったと思うが、不幸にも何万人もの死者・行方不明者を出してしまった責任はどこにあるのか? ……いまの政治家は、責任者の顔ではなく、皆、被害者の顔をしている。情けない!

 今の、日本!

 政治家、企業家、芸術家、教育者、そして、技術者たち……すなわち、多くの専門家たちに、なにかが足りない?

 本コラムのタイトルは「技術立国への復活」であり、コラムの骨子は「技術者の目的意識を諭し、真のプロフェッショナルを育てたい!」である。

 冒頭で申し上げたように、これまでのコラムはエンジニアへの応援メッセージであったが、これからはIT業界に40数年身を置いた1人の先輩が技術をもって次世代を担う皆さまに「これだけは、言っておきたい」「このことは、自らが答えを見つけて頂きたい」ことなどを、本音でお話をさせていただこうと思っている。

『ITエンジニアとして年齢の壁と、どう向き合うか?』

2011/01/20 17:05:00

 どのような職業でも、長年現役で勤めていれば、年齢の壁にぶつかるのは必然である。

 この、「必ずぶち当たる現実」への備えがないとしたら、わが人生は不幸せで終わるということになる。当たり前のことを当たり前にとらえることが大事である。

 年齢を重ねることは、ハンディでも不幸でもない。

 本当の不幸は、何かのせいにして意欲を持って前に進まないことだ。

 あらためて、現実を見てみると、年齢が致命的な原因でリタイアを余儀なくされる職業は、体を酷使するプロスポーツなどが典型的である。しかし、現役の期間は個人差がかなりあるのも事実である。この差は、どこから生まれるのだろうか?

 年齢を重ねるごとに存在感を放つ職業の中に、役者の仕事がある。しかし、役者だって、息の長い人もいれば短い人もいる。この差は、どこにあるのだろうか?

 技術系の職業でも、年齢が大きな壁になる場合と、年齢=経験が生きる場合がある。

 経験がものをいう職人の世界はマニュアルがない。見よう見まねの口伝、体得の世界である。

 この世界は、才能を、努力、努力、努力、努力、努力、努力、努力……で磨くしかないのだ。気が遠くなるほど時間をかけられるのは、「その」技術に関する普遍的な基礎があるからだ。

 わたしたちITエンジニアの職業は、年齢が壁となるのか?

 現実、壁になっている!

 言語レベルいえば、いま市場では「Java」「PHP」のエンジニアがかなり不足している。顧客からの要望は「Javaエンジニア、30歳前後」「PHPエンジニア、40歳まで」など、必ず年齢とセットである。

 下記は先日、知り合いの会社に電話した内容である……。

わたし:「優秀なJavaエンジニアが空いているけれど、仕事ある?」

知人:「ある、ある、すぐ契約させてよ!」

わたし:「大変優秀なので、少し条件を緩和していただきたいことがあるが、いいですか?」

知人:「OK! 契約金のことなら納得する金額を出すよ」

わたし:「いや、金額ではなくて年齢が59歳だけど、いい?」

知人:「えー、59歳は無理だよ!」

わたし:「なにが無理なの?」

知人:「だって、59歳でしょう……」

わたし:「では、技術のレベルは何で決めているの?」

知人:「分かってよ。開発現場は20代、30代のエンジニアが中心でね!」

わたし:「君の会社は、技術を売る会社なの、それとも年齢を売る会社なの?」

知人:「……」

 いつも、このような話をした後には無性に腹が立つが、では「何をどうすればいいのか?」と自問自答する。このコラムを書いた理由も、ここにある。

 別の知人で、Web系アプリの開発会社を経営する人は、「わたしたちが提供するアプリケーションのヘビー・ユーザーは、10~20代なので、開発するエンジニアも若い感性を持った人でなければヒット商品(製品)ができない」と言っていた。一理はあるが、わたしは全面的に賛同しない。

 なぜなら、50~60代で先進的な技術を駆使して新しいビジネスモデルをつくり会社も創設し、果敢なるチャレンジの日々を過ごしている、元気で素敵なエンジニアを、わたしは知っているからである。

 スポーツの世界でも、役者の世界でも、エンジニアの世界でも、年齢の壁を乗り越え、現役でいられる期間が長い人と短い人との“差(違い)”は、なにか?

 このことは、あるとき気付いた。

 いろいろな分野で頂点を極めた人たちの話を聞くと、不思議と相通ずるものがある。

 「これは何か」と考えて分かったことがある。スポーツ選手としての技能、役者としての演じる力、エンジニアとしての技術力は職業人として不可欠であるが、これらのスキルを最高レベルに引き上げる“エネルギー源”を、全業種の一流の人が共通して持っている。

 それは、素直な心である!

 大事なことは、物事をいろいろなことにとらわれずに、あるがままに見る素直な心をいかに育てるかである。ここで厄介なのは、テクニカルスキルを極めるのには素直な心が障害になることである。

 テクニカルスキルを最高レベルにするには、素直な心を“毒”として“薬”と成すのである。

 エンジニアの気質の基部は皆、素直な心である。

 ものづくりの職業人とは、素直な心を待たずしては大成しない仕事である。

 しかし、残念だが多くのエンジニアは素直な心を“毒”にしたままで、自らの心を蝕んでしまっている。

 もし、バットを振ってもボールに当たらない野球選手、せりふを覚えられない役者、動くシステム(プログラム)を作れないITエンジニアがいたとすれば、その道の職業人とはいえない。

 速やかに、素直な心で自らを見つめ直して、自らを新たに生かせる仕事を探究するしかない。そこで決断する勇気を蝕んでいるのは、とらわれの心である。

 年齢についても、心の底で悶々と考え、不安と焦りとやり場のない怒りや恐怖を抱きつつ日々何かを改善することもなくいるとすれば、座して死を待つに等しいことである。

 年齢の壁は、自らの障害ではなく、他人が決めたルールや条件である。

 常に、他人が決めたルールの下で生きているのであれば年齢の壁は生涯つきまとう。オーナー社長は、80歳や90歳であっても現役で仕事をしている。

 長く現役を望むのであれば、他人の決めたルールの下では難しい。

 あらためて、とらわれの心を捨て素直な心で自らのルールで生きるビジネスモデルを、必死に考えてください。答えが出るまで考えることが、ポイントです。

 1つの答えが出たら、「まず行動」して、結果が出たら、その答えを解析して次なる行動を起こす。

 そして、また結果が出たら、その答え解析して次なる行動を起こす……この繰り返しが、エンジニアは意外と苦手だと思う(エンジニアは、あきらめが早い人が多いから)。

 この飽くなき戦い(挑戦)のエネルギーも、素直な心です。

 「こんなことをやっていても、無駄なんじゃないか?」と、ささやく心は、素直な心ではない。

 素直な心は、結果を先読みしない。

 先読みするのは、とらわれの心である。

 素直な心から出た行動は、時には馬鹿に見えるほど愚直な姿でもある。

 馬鹿に見えるほどの行動は、自分のためにするより他人のためにする方が行いやすいことを知っていますか?

 わたしの恩師は、「お金に困らない生き方がしたいのならば、自分のためでなく人のためになる仕事を一生懸命やりなさい。そうすれば、必ずお金が君の後からついてくるよ。しかし、お金を追いかけると逃げ足は速いぞ。だから、昔からお金を“御足”というのだ」と、よく言っていた。

 恩師の教えを、わたしなりに考えて生きてきて、わたしなりに「年齢を重ねるとは何か?」について最後に書きます。

 老いていくことは、置いていくこと。

 人が老いていくことは、人生に何かを置いていくこと。

 何を、わが人生に置いていくのか?

 屍だけ……これでは寂しい。

 では、

 家族や友人のために、何を置いていくか?

 愛情と思い出と少しのお金かなぁ……。

 ITエンジニアのために、何を置いていくか?

 好きな仕事がいつまでもできる社会の仕組みとプロフェッショナルマインドかなぁ……。

 IT業界のために、なにを置いていくか?

 エンジニアが幸せになれる法律の整備とソフトウェア技術の評価基準かなぁ……。

 日本のために、なにを置いていくか?

 技術立国への復活の道筋かなぁ……。

 以上。

『ITエンジニアの性癖と本質について』

2010/12/01 18:45:00

今回は、私の経験と体験から、ITエンジニアの“性癖”と“本質”について、考えを述べたいと思います。

 ある職業に従事する人々を「~らしい」とか「~なのに」と表現することをよく耳にする。例えば、「エンジニアらしい」「営業らしい」「政治家らし い」。また、「エンジニアなのに」「営業なのに」「政治家なのに」などなど、およそ職業と名の付くすべての職業人に、同じような表現が存在するのではないだろうか?(もし、存在しない例があればコメントください)

 このような表現は「当たらずとも遠からず」とも言うが、別な言い方をすれば「そのような傾向性がある」ということでしょう。確かに、そのような性質上の癖はあるが、職業やその人の本質を言い当てているのだろうか? と、私は常々考えています。

 表面的に出てくる性質上の偏り、例えば「思い込みが激しい」とか「価値観が偏りすぎている」などは、その人の性格(遺伝子)や育った環境(親の育 て方も含め)、そして、成人して就業した仕事(職業)の特性などが起因していると思われる。しかし、表面的に出てくる言動などは、その職業に従事するために不可欠な能力的本質から出てくるものであると考えられる。

 本来、誇るべき能力が表面化した“現象だけ”を見て「~らしい」とか「~なのに」との表現(評価)をしてしまうことは、すべての職業人についてプロフェッショナルとして育つ芽を摘んでしまう危うさがある。さらに、憂うべきことは本人自身が「私はそのような人間なのだ」と自らを決めつけてしまうこと である。

 特に、私の体験から、ITエンジニアは下記のような性癖があると考える(私自身も含め)。

(1)単調なことが嫌いだ! ……しかし、変化も好まない。

(2)恥ずかしがり屋だ! ……しかし、得意なことは、いくらでも話す。

(3)あまり人を信じない! ……しかし、人への依存心は高い。

(4)気配りが足りない! ……しかし、相手の気配りにはうるさい。

 この4点の中で、自分自身に当てはまるものはいくつありましたか? 4点にまったく該当しない人はぜひコメントください(新タイプのエンジニアの可能性があります!)。

 余談ですが、(1)~(4)が本当にITエンジニアの特徴的な性癖だとしたら、女性にモテないモデル? みたいな人種ですね(既婚者には失礼!)。ITエンジニアの未婚率が高い一因でしょうか? 未婚率が高い問題は別な機会に書きますので、本論に戻ります。

 では、(1)~(4)を少し分析して、そこから本質を抽出したいと思います。

 まず(1)、なぜ「単調なことが嫌いなのか?」=単調なことは一番システム化しやすい要素である。反面、その対極にある「変化」は、新たなプロセスを加えるエネルギーを必要とする。

 【本質】ものづくりの感性とリスクへの回避は、「便利」と「安定」を求める本能である。

 (2)は、なぜ「恥ずかしがり屋なのか?」=形がないもの(ソフトウェア)の成果を言葉で表現することへの難しさと戸惑いがある。反面、結果(実績)が出たことは、安心していくらでも話せる。

 【本質】言葉での表現力が少ないことは他の手段(技術など)で表現する感性が高くなる。また、結果が示せることは誰しも自信を持って語ることができる。これはエンジニアの「正直さ」と「素直さ」の本質である。

 (3) は、なぜ「あまり人を信じないのか?」=ソフトウェアの開発は“ものづくり”でありながら形がないために他人に理解してもらうことが難しく、褒められることが極端に少ない。そして、自ら積極的に行動することが苦手な傾向性があるため、他人に何か頼まれないと前に進めないので人に依存する。

 【本質】(3)の性癖は、エンジニアの本能の中軸。それは、自分を信じなくては“ものづくり”はできないこと。もし、他人を信じて自らを信じないエ ンジニアがいたら、それはエンジニアではない。しかし、悲しいかな、この“えせエンジニア”が多数いる。その証拠に、エンジニアは他人(顧客)に言われたことを作るのが仕事だと思っている人がいる。もちろん、言われたことを正確に実現できる技術力は、それなりに素晴らしいが、エンジニアの仕事(使命)は決して受け身で働くことではない。

 それは、世の中の変革は、技術の進化と共にあったことを歴史が教えている。

 (4)は、なぜ「気配りが足りないのか?」=気配りができるくらいならエンジニアはやってないよ!(冗談です)実は、まんざら冗談でもなく、(3)の性癖に起因しますが、人への気配りは下手な傾向にある。反面、自らは“大変な”ことを行っているとの自覚(錯覚も含め)があるため、他人の自分に対する接し方が気になる。

 【本質】実現すべきことへの間違いや失敗がないように細かいところまで注意を行き届かせることに専念するため、それ以外のことには集中力が欠ける。反面、ものづくりには「思い上がり(自信)」も必要なため、他人への注文(文句)も多くなる。

 私が、真のプロフェッショナルを探し、育てたいとの思いでセミナーや個人面談を日ごろ行っていて感じることは、多くのエンジニアが「自信を失っている」ことである。

 なぜ、そんなことで自己嫌悪になったり、目標を見失ってしまっているのだろうか? と考えてしまうことが多い。だが、反対に、やたらと自尊心が高く、何事も私にはお見通しであると言わんばかりの上目線の人も意外と多い。しかし、この両極端にある人たちの性癖の淵源は同じである。

 この淵源の本質は、“ものづくり”に携わる人が持っている「繊細さ」と、より良いものを作りたいと思う「責任(使命)感」と、未知への挑戦に対する「不安と情熱」がポジティブに出るかネガティブに出るかの違いである。

 エンジニアという職業の中でも、ソフトウェアという形のないものを作るITエンジニアの本質を世間一般に理解してもらうことは難しいことも多いが、ITエンジニア本人が自らの本質を理解できなければ自らの可能性を閉ざし、自らのビジネスチャンスさえも失ってしまうことになる(現実に失っている)。

 ここで、私からITエンジニアに申し上げたいこと。

 自分自身が、「単調なことが嫌いでも」「恥ずかしがり屋でも」「あまり人を信じなくても」「気配りが足りなくても」、この性癖は、ものづくりという職業人として誇るべき本質の現れである自覚して、間違っても自分は人と違っていることをマイナスにとらえてはいけない。

 あなたは、ITエンジニアとして“十分な資質”を備えていることを示しているわけです。大いに、自信を持ってください!

 いつの時代も、今考えてみれば「変わり者」とか「はみ出し者」と言われ、奇人、変人の扱いをされたような人が時代を作り、時代を変えたのです。

 今の日本、「あなたは、どうして皆と同じことができないのですか?」「あなたは、なぜ人と違うことをするのですか?」と、幼少時代から先脳教育を受けた結果、ますます世界から取り残されています。

 「技術立国への復活」は、日本復活への道でもある!

 ITエンジニアが、新たな技術をもって日本を変え、世界を変える原動力になろう!

 そのために必要なのは、自分の中にある“弱さ”との闘争である。

 できない言い訳をするより、一歩でも前に進む努力を重ねることだ。

『エンジニアにとって、確かなこと、不確かなこと』

2010/10/25 19:00:00

 エンジニアにとって「確かなこと」と「不確かなこと」をテーマに話し合ったことがあります。

 わたしが、集まったエンジニアの皆さんに最初に聞いたことは、

 「エンジニアである以前に、人間(自分)として“確かなこと”と言えるものには、何がありますか?」

 すると、意外に皆さん悩んでしまい、すぐに答えが出てこない(このような質問に慣れていないのか?)。

 でも、少し時間が過ぎ、答えが出始めた。

Aさん:「わたしの年齢は42歳です」

わたし:「証明できますか?」

 Aさんは、「はい」と言って、運転免許証を見せてくれた。

Bさん:「わたしは男です」

わたし:「証明できますか?」

 皆で大笑いして、一件落着!?

C子さん:「わたくしは独身です」

わたし:「証明できます?」

C子さん:「わたくしウソは言いません」

これも皆で大笑いして、一件落着!?

Mさん:「わたしは人嫌いです」

わたし:「なぜですか?」

Mさん:「人と話すのが苦手だからでしょうね」

 Mさんの人嫌いは「人とのコミュニケーションがわずらわしいから」だそうです。

 このような、やりとりがしばらく続いたが、わたしが「いの一番に」出てくるだろうと思った答えが最後の最後まで出てこなかったことに、いささか驚きと疑問を持った。

 わたしが、2番目に聞いたことは、

 「では、反対に自分にとって“不確かなこと”と言えるものには、何がありますか?」

 今度は、前問のときとは反対に、一斉に答えが返ってきた。

 「自分の将来」

 「自分の健康に不安がある」

 「自分がいつまで仕事ができるのか分からない」

 「家族との信頼関係」(多分にジョークが含まれる)

 「明日の晩飯」(同上?)

 「特にない」(自信家か? 楽天家か?……)

 “不確かなこと”の答えは、“確かなこと”の3倍以上もあった。

 うなずけるのは、誰しも先々のことなどそう簡単に分かるはずがないということ。ましてや、全世界を覆うパラダイムシフトの時代ならなおのことである。

 そして、3番目に聞いたことは、

「エンジニアとして“確かなこと”と“不確かなこと”は何ですか?」

Aさん:「確かなことは、エンジニアとしてのこれまでの経験が今後通用しないと思うこと。不確かなことは、このままエンジニアを続けるかどうか」

Fさん:「確かなことは、どんなときでも前向きに頑張れる自分。不確かなことは、営業力」

Oさん:「確かなこと、自分の技術力。不確かなこと、自分の技術力」

Y子さん:「確かなこと、取得した資格(IT系)。不確かなこと、取得した資格が活用できるかどうか」

 今回の話し合いを通じて、設問した“確かなこと”と“不確かなこと”の答えは表裏一体であることが分かった。

 Oさんの答え、「確かなこと=技術力」、そして「不確かなこと=技術力」。

 まさに、この答えが典型であり、禅問答のようである。

 しかし、この答えは大変に含蓄があり、示唆に富んだものである。

 エンジニアとして身に付けた技術力に自信が持てなくては仕事にならないが、反面、技術のトレンドは速く、常にキャッチアップしていくには大変な努力が必要である。結果、将来に向かって自らの技術力に不安を抱くのも理解できる。

 次に、Mさんの「人嫌い=人と話すのが苦手だから」。

 この答えにも、わたしは興味を持った。

 Mさんが人嫌いの理由を「人とのコミュニケーションがわずらわしいから」と言ったが、「なぜ、わずらわしいのか?」をわたしは聞いた。その答えは「人と話をしていて困るのが“想定した答えが返ってこ”ず、話が続かなくなるから」であった。

 普通、人は対話をするとき“おおよその”の答えは想定して話しているだろうが、“想定以外の回答”が来たら対話モードをオフにしてしまうのは……なぜだろうかと考えた。

 エンジニアの性癖である「0」「1」の思考だろうか?

 「イエス」か「ノー」、「好き」か「嫌い」、「ある」か「ない」、「できる」か「できない」、「やる」か「やらない」などなど、エンジニアの会話の基本は「限定質問」型である。

 この「限定質問」は、ものづくりを進める(仕様を決めるなど)には必須である。しかし、一般的な会話する場合は、答えが何通りもある「一般質問」型である。

 エンジニアの会話のベースが「限定質問」型になるのは一種の職業病かもしれない。

 さらに症状が進んで、「限定質問」ではなく「限定詰問」まで進むと“重症”だ。

 わたしが、最初に聞いた「エンジニアである以前に人間(自分)として“確かなこと”と言えるものには、何がありますか?」の答えで「いの一番に」出てくるだろうと思っていた答えは、「人間(自分)は、必ず“死ぬ”ということは確かなことです」という答えである。

 なぜ、こんなに基本的で確かなことがあるのに「誰からも」答えとして出てこなかったのは、なぜか不思議であった。

 皆さんもご存じだろうが、アップルの創業者スティーブ・ジョブズが多くの人々に感銘を与えた米国スタンフォード大学卒業式での祝賀スピーチの3つ目に話したのが、死に関することであった(和訳された内容を一部ご紹介する)。

 『自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これはわたしがこれまで人生を左右する重大な選択を迫られたときには常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。

 なぜなら、ありとあらゆる物事はほとんどすべて……外部からの期待のすべて、己のプライドのすべて、屈辱や挫折に対する恐怖のすべて……こういったものはわれわれが死んだ瞬間にすべて、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これはわたしの知る限り最善の防御策です』

 彼が言った『自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと……』。

 この考えは、大変大事です。

 エンジニアだけの問題でなく現代の多くの人々が「死」は怖いもの、「死」は考えたくないこととして前向きに向き合っていないことが、「生」をぼやかしている。

 経済の低迷も、日本のガラパゴス状態も、技術立国への復活も、それぞれを解決できるのは人間である。その人間が活力を持ってダイナミックに生きる原動力は、“確かなこと”である「死」を正しく意識することである、と言っても過言ではない。

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コラムニスト プロフィール

篠原博
IT自営業者をサポートする首都圏コンピュータ技術者株式会社取締役。セミナー活動や、IT技術者の相談役としても活動する。

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