九州のベンチャー企業で、システム屋をやっております。「共創」「サービス」「IT」がテーマです。

矛盾はしない、という考え方

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■世の中は、矛盾に満ちあふれている

 システム屋などを生業にしておりますと、世の中の多くの矛盾に出合ってしまいます。

 世の中は矛盾に満ちあふれており、システム屋でなくても矛盾に出合うのは当たり前だ! というおしかりもあるかもしれませんが、まあ、IT関係のコラムのマクラということで勘弁してください。

 例えば……。

○長期な話と短期な話

 このままでは、ウチはジリ貧になってしまう! 新規事業に取り組んでゆかないと!

 しかし今目の前にある仕事でいっぱいいっぱいだし、まずは食わないといけないしなぁ。

○設計と開発

 将来を見越して、こういった作りでこんな機能を作ってほしい。

 そんなこといったって、予算も時間もないのに……。

○業務とシステム

 この業務は、こういった場合やあんな場合、こんな帳票やあんな帳票があります。

 そんな機能、すべて作り込んだらえらいことになるなぁ。

○発注側と受注側

 もう少し安くならない?

 どうしたら開発費を上げられるだろう?

○見たいものと入力

 あんな情報が見たい。こんな情報が見たい

 あれを入力しなければ。これを入力しなければ。

 ……などなど。他にも「効率と人材育成」や「マネージャと技術者」「A部長とB部長」「仕事と家庭」「政治とカネ」などが考えられます。

 最後の方はチト違うかもしれませんが。

■だから、言いなりになる

 AとB、矛盾する状況が起こった場合の一番の対処法は、(自分に対しての)影響度が高くない方をスルーすることです。例えば、お客さまからの要求機能と自分たちの予算が矛盾を起こすような場合、お客さまに断りを入ることは面倒なので、自分たちの予算をスルーします。そしてその際のセリフは必ず「だってお客さまが必要だ、というからしょうがない」。

 ところがシチュエーションが変わり、うるさい上司がいる場合、もしくは予算管理が自分の査定に大きく響く場合は異なります。お客さまにお断りを入れてきっとこう言うでしょう。

 「会社が、どうしても駄目だというもので」

 他に逃避する、という方法もありますが。

■子の矛を以て、子の盾を陥さばいかん

 矛と盾のように、その存在意義からお互い相いれなく両立しない問題は確かにあります。しかし今われわれの目の前にある問題は、果たして本当に両立しないのでしょうか?

 例えば、長期的な話と短期的な話の場合。長期で考える人も、短期で考える人も同じ会社の社員で会社の発展を望んでおります。また現在は将来につながっています。だとしたら、長期的な考えと短期的な考えは本当に矛盾するのでしょうか?

 例えば、発注側と受注側の理論。金銭だけで損得を考えると、支払う側の利益は受け取る側の損失で、受け取る側の利益は支払う側の損失です。しかしながら受注側から受け取った価値、これに対して対価を支払うと考えれば、双方の幸せが両立する方法があるのではないでしょうか?

 いっけん相いれず矛盾する課題は、視点を変えるとまったく矛盾せず、むしろ同じ課題であることが多く見受けられます。

 「A部長とB部長」の意見の対立は、覇権争いとして両雄並び立つ、ことはないのかもしれませんが……。

■「矛盾はしない」という考え方

 ある矛盾する2つの課題が出てきた場合、多くのコンサルタントやSEが安直な方法をとってしまい、自分に対しての影響度が低い方をスルーしてしまったり、どちらか決めてくれ、とお客さまに丸投げしてしまうのは、とても残念なことだと思います。

 たしかに矛盾してしまい、両立しない課題は存在します。しかし安直にそう信じてしまって思考停止に陥るくらいなら、いっそ世の中に矛盾は存在しない、と考えてしまう方がいいのかもしれません。それは言い変えると、真の解決策は必ず見つかる、という信念につながるのです。そしてわれわれの仕事が、「(自分のではなく)お客さまの問題を解決すること」である限り、それは大きな道しるべになると思います。

 本コラムで使っている「矛盾」とは、「解決策が両立しない(だろう)2つの課題」という意味で使っています。論理学などの厳密な定義からすると少し言葉の意味が異なります。

Comment(2)

コメント

超通りすがり

論理学的には「前提を変えて、論理を組みなおす」ってことですね。
公理が変われば、公式も変わる、って表現もできるかも。

山無駄

超通りすがり 様 こんんちは

仰る通り。時間と空間の概念を変えるとニュートン物理学から、相対性理論
になるような(言い過ぎか?)。

言いたいことは、前提にとらわれすぎるな、と。

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