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ABC理論でメンタルヘルスケア

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 こんにちは。もう6月ですね。湿度が上がってきて梅雨っていう感じになってきたようです。先日、野球観戦に行こうと思った日の試合が雨天中止になってしまいました。残念です。

■ABC理論のA・B・Cとは

 さて今回も予告どおりに、前回の続きから書いていこうと思います。

 自分の感情を把握し、コントロールして、相手とアサーティブなコミュニケーションをする、というのが前回の話です。その感情のコントロール法として、論理療法(認知行動療法)で言われているのがABC理論(ABCDE理論)です(前回の予告でABC法と書きましたが、法ではなくて理論と言った方が正しいようです。すみません)。

ABCの「A」「B」「C」は、ある単語の頭文字を取ったものです。

  • A:Activating event(起こっている出来事)
  • B:Belief(信念)
  • C:Consequence(結果)

 ある出来事(A)に対して、こういう結果(C)が発生している。それは、その出来事に対する信念(B)を持っているからである、という考え方です。

 例えば、電車の中で子供が走り回って遊んでいる、その光景にイライラしてしまった、とします。「電車の中で子供が走り回って遊んでいる」という出来事(A)に、「イライラしてしまった」という結果(C)が発生したということです。なぜイライラするかというと、理由の1つとして「電車内(公共の場)では騒ぐべきではない」という考え方、信念(B)があるからです。

■イラショナル・ビリーフ

 イライラする、不安になる、落ち込むなどのような感情が出るのは、間違った信念(B)を持っているから、と考えます。その間違った信念のことを「イラショナル・ビリーフ」と呼びます。

 イラショナル・ビリーフは、自分の中で勝手に作った「ねばならない(must)」「べきだ(should)」で成り立っています。

3つの間違ったmust

  • 自分は○○でなければならない
  • あなた(彼、彼女)は○○でなければならない
  • 世の中は○○でなければならない

3つの間違ったshould

  • 自分は○○であるべきだ
  • あなた(彼、彼女)は○○であるべきだ
  • 世の中は○○であるべきだ

 先程の例で挙げた「電車内では静かにするべきだ」というような、自分をイライラさせてしまう「ねばならない」「べきだ」という信念や考え方を変えようというのが、ABC理論の考え方です。

■ABCDE理論のD・Eとは

 ABC理論は、ABCDE理論とも呼ばれます。ABC理論による信念の変え方に関して、頭文字がDとEの単語が関わるからです。

  • D:Dispute(論ばく、反論)
  • E:Effect(効果、新しい結果)

 先程の電車の例を再度挙げます。「電車内で子供が騒いでいる」出来事(A)に対して、イライラしてしまう結果(C)を生みました。その理由を自分の中で分析してみます。すると「電車内では静かにするべきだ」というイラショナル・ビリーフ(B)を見つけました。そのイラショナル・ビリーフに反論(D)します。

 「いけない、『すべき』と思ってしまった」

 「『すべき』と思うからイライラするんだ」

 「耐えられないほどのうるささでもないし」

 「それに子供は騒ぐくらい元気な方がかわいいからなあ」

というように、「静かにするべきだ」というような考え方から、「静かにするにこしたことはない」「子供は元気な方がいい」というようにポジティブに受け入れるように考え方を反論(D)します。その結果、イライラしていた気持ちが治まるという新しい結果(E)が生まれます。

 今回は、自分が感情コントロールを学びたいきっかけになった、イライラしやすい気持ちを変えるという観点で一例を挙げながら書かせていただきましたが、不安な気持ちや落ち込んだ気持ちにも有効です。特に「もう耐えられない!」と思ってしまったときに実践すると良いと思います。耐えられないとまで思っていた気持ちが、「耐えられないほどではない」というように安らいでいくと思います。

☆★☆

 今回まで、自分の感情をコントロールすることを中心とした話題を書いていきました。相手に対して効果的なコミュニケーション方法については、自分でも上手に実践できている自負がありませんが、次回、その方法論をひとつ紹介して、連続更新シリーズとしてはひとまず終了とさせていただきたいと思います(新たに何かを学んだら、またこの場で書きたいと思います)。

 次回予告 「ストロークの法則でメンタルヘルスケア」

Comment(5)

コメント

第3バイオリン

あずKさん

ABC理論のことはこのコラムで初めて知りましたが、似たようなことを実践していました。
去年心療内科に通院するようになって、気分がふさいだときに
「なぜ気分がふさぐのか?」「なぜそう思うのか?」なぜ、なぜ・・・と
自分の気持ちに対して「なぜ」を投げかけていました。

得体のしれない感情に対し、その原因が何なのかがわかれば
少なくとも「得体のしれない」という状況だけは解決すると思ったからです。

今はもう通院していませんが、嫌な気分になったときに自分自身に「なぜ」を
ぶつける習慣は今も健在です。
ときどき禅問答みたいになって正直疲れるときもあるんですけどね(苦笑)。

あずK

第3バイオリンさん>
コメントありがとうございます。

「得体のしれない感情」というの、よくわかります。
忙しい日が続いていた時の休日に
「何かやることあるよなあ、こうやって寝ていていいのか?」なんていう
漠然とした不安とか、よく感じてました。休んでいていいのに^^;

第3バイオリンさんの行っていた「なぜ」を問いかけるのって、
実は心にとって、とても良いことをしていたのだと思います。
それは、ABC理論よりマインドフルネスの方が近いかもしれません。
自分の中の間違った考えに反論するのがABC理論で、
考えが間違っていても反論せずに受け入れるのがマインドフルネスなので。

> ときどき禅問答みたいになって正直疲れるときもあるんですけどね(苦笑)。

そういうときは、瞑想とか他のことに集中して
深く考えていたことを忘れるようにすると良いのではないでしょうか。
まあ自分も、実践できてないときは、いつまでもよくわからない不安に苛まれてましたが^^;

友ぞう

こんにちは、あずKさん

今回もためになるお話でした。
「~すべきだ」「~しなければならない」という感情はよくわかります。
そういう考えを始めたらもうとまらなくなってしまい
自分を追い込んでしまうんですよね。

ふと心を落ち着けて何故イライラするのかを考えることができれば
心静かに過ごせますよね。
自分の考えからはずれることは受け入れられなかったりするのですが、
そもそもその考え自体が偏っていておかしいということに気づかなければならないのですね。

ゆみ♪

子供がうるさいと思う事に限って言えば、
慣れというのもあると思います。

少子化が進んで、自分の家や近所で子供が遊んだり
喧嘩したりする機会に遭遇する事って、都心は特に殆どないですよね?

小さいころから周囲でそんな光景を目にしていれば「あたりまえ」で済む事が、
目にしなくなったから大人の規則に子供を必要以上に押し込めてしまうんじゃないでしょうか?

だからと言って野放しが良いという訳じゃないですけど。

あずK

コメントありがとうございます。

友ぞうさん>

> 今回もためになるお話でした。

ありがとうございます。

「○○すべきだ」という、その意見が一般常識的であるか外れているかに関わらず、
強度にそれを感じているとイライラしたりしてしまうんですよね。
その考えから抜けられないとスパイラルで更に悪い方へ自分を持っていってしまいますし。
昔の自分は、自分の中で勝手に自分を追い込んで、スパイラルに嵌ってしまい、
その結果、風船が破裂したかのように癇癪を起こすような人でした…。

> 自分の考えからはずれることは受け入れられなかったりするのですが、
> そもそもその考え自体が偏っていておかしいということに気づかなければならないのですね。

どうしても「考えを変えることは無理!」ということは有ると思います。
第3バイオリンさんへのレスでも書かせて頂きましたが、
間違った考えをどうにかして改めようとするのが認知行動療法ですが、
改められなくても、自分の考えを冷静に考えてみようとするだけでも
マインドフルネスの観点で言えば、メンタルケアになると思います。
なので、「この自分の考えは絶対おかしいんだから!」と無理に変えようとしなくても
良いのではないかと個人的には考えています。
こう書いたら、認知行動療法を行っている方々に怒られるかもしれませんが^^;


ゆみ♪さん>

そうですね。確かに、子供の大声に我慢できるか否かの要素のひとつに、
自分の住む(育った)環境は有ると思います。
慣れていれば、どうってことはないでしょうし、
慣れていなければ、「何だよあの子は」と思ってしまうでしょうし。

イライラしてしまった理由を自分に問いかけて、
大人の規則に子供を「必要以上に」押し込めてしまっている自分に気づいたら、
その規則(信念)に反論した方がいいと思います。

ただ、一般論としての「子供が電車内で騒いでもいいじゃないか」という意見は持ってないです。
(それを例に挙げたのは、以前の自分がそうだったから、なだけでして。)
注意できるようでしたら注意すべきなのでしょうが…。

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