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「はずれ」の仕事を「あたり」の仕事に変えよう!

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 「また はずれた!」


 アナと雪の女王が大好きな小学2年生の次女に、3個セットのチョコエッグをお土産に買って帰った。卵の形のチョコの中にアナと雪の女王のキャラクターのフィギアが入っているものだ。

■アナとエルサが欲しかったのに

 1つめのチョコエッグからはトロール(小さなごっつい妖精)が出てきた。2つめに出てきたのはアナを襲った雪でできた怪獣マシュマロウ。そして3つ目もトロールだった。アナもエルサ(雪の女王)も出てこなかった。次女はがっかり。せめてハンス王子くらい出して欲しかった。

 「アナかエルサを当てなきゃダメじゃないか!」

 「パパが買ってきたんでしょ(怒)!」

 3個セットの1つには人気のアナやエルサを入れるとか、割合を高くするとかいう考慮は無かったようだ。

■「あたり」の割合い

 昔私が初めて作ったプログラムは、ポケットコンピューターでの簡単な野球ゲームだった。乱数の値とバッターの打率に応じて、アウト、ヒット、ホームランなどが出る。

 プログラミングしたゲームで授業中に友達と対戦しては、フィードバックを受けて改良するというスパイラルな開発を繰り返した。打率やエラー率や盗塁成功率などの割合いを調整した。割合いが高すぎても低すぎてもゲームは面白くない。面白くなるちょうどいい割合いというものが存在する。

■「あたり」の仕事と「はずれ」の仕事

 日ごろの仕事でも、「あたり」の仕事「はずれ」の仕事がある。ここでは、簡単に終わる仕事を「あたりの仕事」、困難な仕事を「はずれの仕事」とする。

 はずれの仕事はヤリ甲斐はあるものの、困難に克てるとは限らない。プロジェクトが難航しスケジュールは遅延。深夜残業、徹夜、デスマーチへと進むことも多いだろう。はずれの仕事ばかりが続くと、体力も気力も尽きて仕事が嫌になってしまう。

 かといって簡単にできる「あたり」の仕事ばかりでも、もの足りなさを感じてしまう。手塚規雄氏の説によれば「エンジニアはドM」なので(!)、困難な「はずれ」を恋しがるようになる。

 仕事でも、ゲームでも、人生でも、「あたり」の割合いが自分にとって適度であることが「幸せ」なのではないだろうか。適度な満足感が得られるから。しかし「あたり」の運を天に任せてばかりではいけない。「あたり」が適度になるように、「はずれ」を「あたり」に変えなければ。つまりは困難なものを楽にこなせるようになるように努力していけば、適度なあたりになって幸せになれるに違いない。

 ということで、チョコエッグをまた買いに行くか。(そこかいっ!)

 abekkanでした。

Comment(4)

コメント

仲澤@失業者

「あたり」でも「はずれ」でもない
「びみょ~」な人生です(vv;)。
とはいうものの「れりごぉ~、れりごぉ~」ですね。

でも、なぜか「あれ」っばこう聞こえるんです。
「蟻のままで~」
・・・しくしく。

abekkan

> 仲澤@失業者さん

あたりっぱなしの人生、はずれっぱなしの人生 っていう人も
滅多にいないのではないでしょうか。
みんな びみょ~ですよ(^_^;)

蟻のままで~は、私もここで使いましたよ!
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/abekkan/2014/07/--450d.html

さとまも

はずれの仕事をあたりに変えるのは、ほとんど不可能…というのが持論です^^;
困難=技術的に難易度が高い、ということであれば、乗り越えるモチベーションも産まれようというものですが、現場でいう困難というのはまた別の側面を孕んでいるような気がします(無茶な要件や開発期間、寄せ集めで低スキルのチーム編成etc)。

こういう場合は既に詰んでいると言っても過言ではないかと…。

そういう前提だと、できるだけはずれは引かないようにシックスセンスを研ぎ澄ます…というのが大事かなと思ったりします(でも、はずれは引くことありますが)。

abekkan

> さとまも さん

コメントありがとうございます。

大はずれの仕事をあたりに変えるのはおっしゃるとおりすでに詰んでいて無理っぽいですね。でも小はずれくらいはなんとかしたい。だってあたりの仕事なんて滅多にないですから(^_^;)

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