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ときにはフレッシュマンの価値基準に戻ってみよう

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 「こいつ、考えが甘いな」

 このところ、就職前のコラムニストのコラムがいくつか書かれている。考えが甘いと思ってしまうこともある。でも価値基準が染まっていないところはいいと思う。

■組織の価値基準

 人は自分で価値判断をしているつもりでも、実は周りの価値判断に染まっていることが多い。そしてその判断は必ず正しいわけではない。大きな組織になると、本来の目的から外れた価値基準ができていることがある。社会や顧客のためになることよりも、社内のルールを守ることが重視されたり。

 私は昔、客先で障害対応にてんやわんやしているときに、上司から「(形式だけのつまらない)会議があるから戻って来い」と言われた。私は思わず

 「事件は会議室で起きているんじゃない! 現場で起きてるんだ! バカ野郎」

 と上司を怒鳴りつけた。心の中で(^_^;)。

 「踊る大捜査線」などの警察もののドラマでは、警察組織の中ではキャリアであることに価値があり、現場で働く所轄の価値は低く見られている(実際にどうかは知りません。あくまでドラマの中の話です)。組織の中の価値基準は一般人の価値基準とかけ離れている。だからこそ、「事件は会議室で起きているんじゃない! 現場で起きてるんだ!」と言った青島は、一般視聴者の価値基準と一致しているから受け入れられるのだろう。

■三人の石切り工

 P.F.ドラッカーの著書などに、よく石切り工の話が出てくる。

 石を切っている3人の男に何をしているか聞くと、A「暮らしを立てている」、B「最高の石切りの仕事をしている」、C「教会を建てている」と答えた。Cの男は目的意識を持って仕事をしており、マネージャになれる人材だ。プロジェクトの目的を意識して行動するという価値基準がよいとされている。マネジメント的には。

■全員が同じ価値基準を持つべきか?

 会社でも何年かキャリアを積むと、Cのような人材になるべきだとされる。それが価値基準になっている。でもそれはあくまで組織の経営者側が創り上げた都合のいい価値基準だ。経営者にとっては、みんなが「教会を建てるぞー」と目的意識を一つにすると管理がしやすい。だから都合のいい価値基準を創りあげる。

 けれどもそれってちょっと危険だ。社内のみんなが同じ価値基準だと、外では通用しない閉じた集団になってしまう。金稼ぎのみに徹するAのような人や、「プログラマなんかで終わりたい」と思っているBのような職人もいたっていいだろう。ダイバーシティってやつだ。「罪と罰」の五十嵐さんもオッドマン仮説が大事だと言っていた。違う価値基準を持った人もいた方が新しい考えも生まれ、長い目で見ればよい集団になっていく。会社の価値基準にどっぷりと浸かってしまっている人は、ときにはフレッシュマンの価値基準を思い出してみるのもいいだろう。

 というのが理想論。でも実際はメンバーに価値基準が違う変なヤツがいると疲れるんだよなあ。

 abekkanでした。

Comment(2)

コメント

nagi

「踊る大捜査線」の「事件は~」は

【同じ事件(問題)】を実際発生している場所(現場)を無視して
会議での内容をお偉いさんが優先してたからあの発言になったのであって、

>客先で障害対応にてんやわんやしているときに、
 上司から「(形式だけのつまらない)会議があるから戻って来い」

の会議が【客先で障害対応】の打ち合わせでないのであれば、
「踊る大捜査線」と繋げるのはちょっと難しいんじゃないかなぁとふと思ったり。


ただ…気持ちはわかります。

abekkan

>nagi さん

コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、「事件は~」のセリフの真意はちょっと違いますね。

「踊る大捜査線」を挙げたのはキャリアと所轄の価値基準の話をしたかったからです。「事件は~」の部分はあとから付け足したので、ご勘弁(^_^;)

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