書いてきたコラムがいよいよ数えきれなくなったので、振り返ってみた

2013/05/23 7:13:34

■私がコラムを書き始めた理由

 コラムを書き始めた理由。それは、死んだ親父が技術系のライターをやっていたからだ。親父は仕事熱心で、あまり家に帰ってくることはなかった。幼かった私にあまり構ってくれなかったことを、当時は疎ましく思っていた。と同時に、仕事をやり終えた時に見せるさわやかな笑顔に、淡いあこがれも抱いていた。

 そんなある日、親父は嬉々として家に帰ってきた。

「これはすごい!日本のIT業界を変えるくらいの大発見かもしれない!!」

親父は興奮していた。そして、仕事部屋に何日も籠り続けた。そして親父は書き上げた。日本のITを変える。とやらの原稿を。

 その翌日だった。親父が車にはねられて命を落としたのだ。別に感傷に浸りたくてこれを書いたのではない。父が車にはねられた現場から、原稿が消えていたのだ。今となっては何が書かれていたのか分からない。そして、誰が原稿を持ち去ったのかも分からない。

 私がコラムを書いているのは、そんな親父の意志を継いでという訳ではない。持ち去られた原稿に何が書いてあったのか。今となっては興味も無い。しかし、ただ一つ気にかかることがある。父が命を落とした現場に残された一枚のメモだ。親父が最後の命の燈火が消える前に書いた一言。

「Ping 打て」

その意味を知りたくて、今、私はコラムを書いているのかもしれない…。

■なんて理由でコラムを書いている訳じゃない

 私がコラムを書き始めたのは、ただなんとなくだ。別に訴えたいことがあった訳でもない。ちなみに現在、親父は元気だ。定年過ぎてから急に活き活きしだしやがって…。会社勤めの時には見せたことの無いような笑顔を見せるようになった。

 そんな親父は、某有名企業で物書きをやっていた。一応、文を書く習慣を付けようか。くらいのノリで初めて、よりうまい文章を書くには。そんな練習くらいのノリでコラムを書き続けている。今思えば、親父の影響をモロに受けただけかもしれない。

■コラムが書けるかは思いの強さではない

 私がコラムを書いていて思うことがある。思いの強い人ほど、書き続けることは難しいと思うのだ。訴えたい事を書くことを優先すると、一つのコラムにあれこれと詰め込む傾向が強くなる。当然、詰め込みすぎると内容がまとまらなくなり、完成度が落ちるのだ。

 そんな経験を繰り返すと、何かが疲弊していく。そして、ネタが浮かばなくなるのだ。自分の文章力と相談して、確実に伝わる言葉を選んでいく。内容も大事だが、正確に伝える努力をする方が大事だと思う。完成度の高いコラムを書くと、内容がつまらないものでも次へのモチベーションが保ちやすくなる。そして、技術も上がっていくのだ。

■これは成果物も同じかもしれない

 この、小さな完成を積み重ねることは、意外と軽視されてはいないだろうか。一つのシステムを構築するにしてもそうだ。最初は、誰にでもできるレベルのシステムを構築して、しっかりと動きを確認していく。確実に理解した段階で、次のステップに移っていく。いきなりすごいことをやろうとしても、空回りしてうまくいかないものだ。

 初めは思うようにうまくいかない。うまくなるのに時間がかかる。これはコラムも技術も一緒だ。初めから成果物に照準がいくと、続けるのがしんどくなりやすい。確実に成果が出ることの方が、確率的に少ないからだ。最初から、うまくいくはずの無いものに挑むのだ。もっと肩の力を抜いて向き合っていくと、意外とうまくいくんじゃないかと思うのだ。

 世の中、歪んだポジティブ思考があふれている。冒頭に書いた、ドラマティックな理由なんて無くてもいい。自分のできることを淡々とやっていれば、自分にふさわしい成果なら簡単に得られるはずだ。学生時代、国語の成績はずっと赤点スレスレだった。そんな私でも三年近くもコラムを書き続けられたのだ。振り返ると、意外な成果が残っていた。

※なんか早朝目が覚めたので、ノリで一本書いてみた。これがホントの"朝飯前"というやつか。

インフラエンジニアが正しく「好き」と伝えるための認証突破法

2013/04/22 11:59:00

「エイっと告ろう!インフラエンジニア告発選手権」

 先日公開された記事、エンジニアが正しく「好き」と伝えるための実装法を読んで、浮かんだ一言だ。エンジニアが正しく好きを伝える重要性を認識したので、インフラエンジニア版で書いてみることにした。

■君の心へ通じろ!俺の魂のPing!!

 まず基本中の基本だ。ネットワーク越しにパケットが通るように、相手に言葉が通じなくては話にならない。ネットワークでもトラブルが起きた時、初期設定の時、必ず最低限のパケットの疎通を確認するはずだ。

 もし、君の言葉が相手に届かないなら。ネットワークでIPアドレスや結線を確認するように、一つ一つ、ポイントを絞って確認していこう。的確にポイントを押さえていけば、必ず君の言葉は相手に通じるはずだ。

■君のhostファイルはheartファイル!そこに俺の名はあるか!!

 そしてもう一つ重要なこと。お互いに名前で呼び合えることだ。言葉が通じても、IPアドレスに名前を割り振って、初めて人がそのサーバをホスト名で認識できる。同じように、お互いが名前で呼び合えなければ、そこには機械的な会話しか成り立たない。

 お互いのハートに名前を記しておくことは重要だ。DNSを介さなければ通信できないようでは、二人きりでは言葉が通じない。お互いのホスト名をhostファイルに記したサーバ同士なら、DNSが落ちてもホスト名で通信できる。同じように、ハードにお互いの名前を刻んだ者でなければ、二人だけの言葉を交わすことはできないのだ。

■秘めたる想いはSSH!繋がれ、そして応えろ!!

 パスワードに"I love you"なんて、安易な言葉は使わない。同じように、愛する者に安易な気持ちは通じない。セキュリティーの甘いパスワードが破られるように、安易な気持ちも破られてしまうだろう。

 平文で気持ちを伝えるのも大事だ。しかし、それはTelnetで愛を囁くようなものだ。暗号化のような"君だけ感"がどうしても欠けてしまうのだ。セキュリティーに気を配るように、相手への言葉には繊細な注意を払おう。

 その気遣いが通じ、認証が通った時、君のコマンドに相手は出力という答えを必ず返してくれるだろう。

■そんな恋に走るエンジニアにささげる SEの格言・迷言・ことわざ集

【女心とLDAP】

■原典:

 女心と秋の空

■意味:

 LDAPとは、ディレクトリサービスへ接続するためのプロトコルです。女心には常に多数の男性の名前や情報が登録されている。想いが通るのは一人とは限らない。思いが通じたとしても、最高の人として通じるとは限らないという例え。

■解説:

 君の想いが通じたからと言って、それが全てではない。ディレクトリ上に名前が登録されている男性であれば、キーワードさえ伝えればたやすく想いは通じてしまうのだ。

 君を受け入れてくれたとしても、君が唯一というわけではない。テレビの俳優がボソッとつぶやいたキーワードだけで、婦女子たちがキャーキャー色めきだっているのを見れば分かるはずだ

●用例:

Pou_1 しょう子さん……俺……その……。

Pou_1  いつ言うの? 今でしょ!

Pou_1  ……ここで一句。 「あきらめろ 女心と LDAP」

Pou_1 いや、そうじゃなくてトイレ行きたいんだけど……。

Pou_1 いつ行くの? 今でしょ! 

P.S.

 いろいろなところからネタを拝借させていただきました。拝借させていただいた方々、ありがとうございました。

改めて説く精神論

2013/04/10 22:26:23

■エンジニアは精神論が嫌いだ

 現代人は精神論に対して無知過ぎるのかもしれない。ビジネスともなれば、精神論云々より合理性が問われる。仕組み的な部分で合理性を追求するのが、エンジニアの仕事です。実際にエンジニアと話すと、やれ仕組みが云々、効率が云々という話が中心になります。

 エンジニアの間で精神論といえば、「気合でコードを書けば納期に間に合う!」とか、「根性で頑張れば品質が上がる!」といった、そういうイメージが強いような気がします。なので、精神論が嫌われることに納得はいきます。

■精神論の根拠

 「気合でコードを書けば納期に間に合う!」とか、「根性で頑張れば品質が上がる!」というのは、本当に間違いだろうか。私は、前提条件が揃えば真実だと思います。ただし、これを語る者が、どれだけ気合というものを思索しただろうか。どれだけ根性というものを思索しただろうか。これについてはどうでしょうか。

 一般的に、現代人は精神についてはほとんど考えることはありません。理論を問えば大学生レベルの答えが返ってくるが、精神を問えば幼稚園レベルの答えしか返ってきません。大概、思考のソースは漫画や映画である事が多いです。普段から精神なんて考えないので、どうしても強いインパクトを感じたものを基準にかんがえてしまいます。

 身の回りで、精神についてきちんと整理された情報ソースがどれだけあるでしょうか。ただ感情的なものや、根拠に乏しいものがほとんどです。情報ソースが貧弱で思索がなされていないとなれば、当然レベルは低いです。巷で聞く精神論の大半が、論にすらなっていないのが実情です。

■考える方向性を変える

 根性や気合という言葉が嫌いな人に一つ問いたいことがあります。もし、自然と気合が入る情況になったら、根性が湧き出るような状況になったら、仕事の結果に結びつくでしょうか。私は結びつくと思います。

 本当の精神論というのは理論的です。物理的、論理的な条件が揃ったら、他に差が出る要素は精神的なものしかありません。物理的、論理的な条件をすっ飛ばして精神論を語るから、話がおかしくなります。OSのインストールもできない人が、クラスタリングを語るようなものです。

■意識的に考えてみよう

 きっとこのコラムを読んでる人で、精神が無い人はいないでしょう。人がいる限り、必ずそこに精神という対象が存在します。メールしかしない人だとしても、相手は人間です。例外にはなりません。生きていく以上、どうしても精神や感情と関わっていかなくてはなりません。どうしても関わっていかなくてはならないのであれば、感情に任せて乱暴に考えるより、理論立てて整理していく方が賢いです。

 エンジニアリングとは違う概念が多いので、最初はしっくりこないかもしれません。しかし、本当に結果を出そうと思えば、避けては通れないものだと考えています。結果を出すためには、状況や理論など様々な条件をそろえていく必要があります。その条件に、必ず一つは精神的なものが含まれているはずです。そこをクリアするためには、精神論が必須になります。

 追求してみると、思っているのとずいぶん違ったものだったりもします。たまには精神論を追求してみてはどうでしょうか。

縄で縛る。

2013/04/05 11:59:00

■Ahfさんのコラムをよんで共感した。

 Ahfさんの書かれたコラム、仕事なんかしなくていいじゃないが非常に良かった。私自身、仕事が嫌いだ。会議中はまじめな顔をしているが、心では鼻をほじってほげーっとしてる。そもそも、最近、仕事ほど信用できないものは無いと思っている。ただし、この話をしだすと長くなるのでまたの機会に。

 このコラムに共感された方は多いのではないかと思う。昭和の頃は仕事でイケイケなノリだっが、最近のネットを見ると、仕事に疲れている人も多い。また、会社と社員とのトラブルが話題に上がることも増えた。そんな世相を反映したコラムだったと思う。

■で、なぜ縄か。

 私は、仕事とは縄だと考える。社会というリスクに満ちたフィールドで生きていくための、命綱だ。そして、その身にしっかりと結び付けておく必要がある。仕事がある以上、ある程度の収入は保障される。そして、業務に身をゆだねていく必要がある。

 そして、業務時間のことを拘束時間という。そう。私たちは拘束されているのだ。この拘束が厳しければ、縄で縛られているような苦痛を感じるはずだ。ごくまれに、それを快感と感じる人もいるが、そういう人は、俗に”変態”と呼ばれる。業務に拘束されて喜ぶ人は、ワーカーホリック(仕事中毒者)と呼ばれる。これも常識的に考えれば変態、というより迷惑だ。

 仕事と縄。そういうところが似ていると思った。自分たちをリスクから守ってくれる反面、拘束が厳しければ、動けなくなって逆にリスクが高まる。そのバランス感覚が大事だ。

■Ahfさんは縛られていたのだろう。

 Ahfさんのコラムを読んで感じたのが、すごく縛られてるという雰囲気だ。キュウキュウと音がするくらいにきつく縛られている情況が、リアルに思い浮かぶ。きっと、そんな状況に一石を投じたくて書いたコラムなのだろう。そんなところに共感できた。

 拘束も時間だけでなく、精神的なものにも及ぶ。Ahfさんは、エンジニアライフに自分の意見を発信するような積極的な方だ。こういう行動力や積極性のある人ほど、仕事における拘束を苦痛に感じると思う。拘束が積極性や自由な発想を圧迫するからだ。

■さぁ、解き放て

 ただし、解き放つのは欲望ではない。本当の自分とか、そんな胡散臭いものでもない。ただほっとけばたれ流れてくるだけのものだ。解き放つのはそんなものでいい。AhfさんのコラムでGoogeの事例が挙げられているが、これを日本の企業でやったらどうなるだろうか。きっと、「疲れたー」とか「眠い」、「ダルイ」など、最初はそんなのしか出ないだろう。

 最初は出てくる汚いもの。それはリハビリみたいなものだ。「だりー」、「眠い」、「疲れたー」が無限に出る訳でもない。誰かがそんな状況を退屈に感じて、何かをやろうと言い出すはずだ。それがGoogleの狙いなのかもしれない。

 いまの経営者に、こういうものの見方をする余裕があるだろうか。仕事の拘束がキツイというのは、経営層のエゴの強さの表れだ。エゴが強いと、自分だけが正しいと思い込んでしまう。社員をどこか信用できなかったり、認められなくなってしまう。

 業務の拘束を緩めるのは、社員に対する投資のようなものだ。その投資が活きるような環境を作れる会社が、今後勝ち残っていくのかもしれない。

Always New.

2013/03/11 11:59:00

■新しいということ

 新しいということにどのようなイメージをお持ちでしょうか。IT関連で仕事をしていると、新しいものを生み出す、イコール、労力を費やして突き進む。みたいに思ってしまう。新しい技術を覚えるというのに、すごくしんどさを思い浮かべる人もいるかもしれません。

 私の個人的な見解ですが、新しいというと、発展や変化をイメージする人が多いと思います。新技術と聞くと、それだけでインパクトがあります。また、新しい情報を追求することで、時代の流れについていけているような快感を得ることもできます。

■ただ新しい。それだけ。

 しかし、新しいといってもそれが良いとは限りません。今使っているPCが古くなってリプレイスした時、以前使用していた高性能なソフトが使用できなくなっていたらどうでしょうか。バージョンアップしたソフトで、お気に入りだった機能が削除されていたらどうでしょうか。こんなケースで発展をイメージされる人はいないと思います。

 新しい。それは一つの変化でしかない。それ以上、それ以下でもありません。また、変化といっても、新しさによる変化だけではありません。物は古くなれば、劣化るすこともあります。また、状況が変われば、相対的に変化してしまうこともあります。新しさは、一つの変化です。それだけです。

■そして僕たちは常に新しい

 つまり、新しいということは特別ではないのだと言いたいのです。人は新陳代謝をします。常に古い細胞を捨て、新しい細胞を生み出しています。ただ生きているだけでも、新しい情報を覚えて、古い情報を忘れていきます。

 また、自分がいくら変わらずにいようとしても、周りは動き続けます。同じスタイルを貫くにも、変化を敏感に感じ、適応していかなくてはいけません。変わらずにいること。それは、同じ状態を更新していくということです。何も無いところに、昨日と同じ状態を書き込んでいる。そういうことだと考えています。

 そこに存在することは、全てが新しい。こんなことを言うと、詩人の綴った曖昧な表現のように聞こえるかもしれない。概念が通じずに、「はぁ?」と言う人もいるかもしれない。ただ、そんなことは横に置いておけばいい。そう思うだけで、新しさを自然に感じることができるようになる。そして、目新しさに流されず、正しい判断ができるのではないかと思う。

■常に新しい。常に生まれ変われる。

 つまり、別に特別な理由はなくても昨日の自分と今日の自分は違ってます。明日の自分も新しくありたいと思わなくても、新しいのではないかと思います。ただ、どう新しいか。それが問題です。そこに昨日と同じものを更新するか、違うものを更新するか。それだけで、次の自分が変わっていきます。

 次に何を更新するか。例えば、今までと違うことを勉強してみたり、普段話さない人と話してみたり。方向を少し変えているだけで、常に今までと違う考え方が積み重なっていく。意思を持って方向を定めていけば、違う自分になっていく。大げさに言えば生まれ変われるのです。

 新しい、とか変わる、と言うと、「ガッコン!」と音がするような、センセーショナルなものを言う人が多いです。特にビジネスの世界では、そういうものこそ変化だと言う。ただ、そういうイメージだけが先行すると、大げさに考えすぎてしまう。自分をうまく変えていきにくくなります。

 きっかけは大きくなくても、いろいろなものを変えることができます。センセーショナルでなくても、望む形になれればそれでいい。生まれ変わろうとする人だけが生まれ変われることができるのだから。

童話-人魚姫に学ぶキャリアプランと、リア充への警告

2012/12/24 19:00:00

--あらすじ--

 人魚の王の6人の娘たちの内、末の姫は15歳の誕生日に昇っていった海の上で、船の上にいる美しい人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から溺死寸前の王子を救い出した人魚姫は、王子に恋心を抱く。その後偶然浜を通りがかった娘が王子を見つけて介抱した為、人魚姫は出る幕が無くなってしまう。人魚は人間の前に姿を現してはいけない決まりなのだ。だが彼女はどうしても自分が王子を救った事を伝えたかった。

 人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時に、「もし王子が他の娘と結婚するような事になれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じる事になるとも・・・。王子と一緒に御殿で暮らせるようになった人魚姫であったが、声を失った人魚姫は王子を救った出来事を話す事が出来ず、王子は人魚姫が命の恩人である事に気付かない。

 そのうちに事実は捻じ曲がり、王子は偶然浜を通りかかった娘を命の恩人と勘違いしてしまう。

 やがて王子と娘との結婚が決まり、悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れるという魔女の伝言を伝える。愛する王子を殺す事の出来ない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていった。しかし、王子や他の人々は人魚姫が空気の精となって天国へ昇っていった事は誰一人も気付く事はなかった。

--By Wikipedia

■人魚というキャリア

 人魚姫の物語は度々キャリアプランを語る上でのたとえ話で引用される(私限定)。まず、人魚姫には王の娘という確固たるキャリアがあった。それを捨てて人間という道を選ぶ。これは、確固たる技術を習得したエンジニアが、ほかの分野へ転身することに例えられる。

 どうだろう。転身するのは必ずリスクと伴う。それが魔女の警告だ。そして、人間の足と引き換えに声を失う。どうだろう。転身した時に、スキルというのは一旦清算されてしまう。そして、声を上げることができなくなるのだ。

 この人魚姫という物語は、キャリアの転身を計ったエンジニアとダブるところが多々ある。しかし、結局は目的を達成できずにバッドエンドだ。これでは教訓というより警告だ。この物語をハッピーエンドで終わらせるにはどうすればいいのだろうか。

■悲劇をハッピーエンドに捻じ曲げるパワー

 そんな悲劇の物語を覆す力がある。そう、ディズニーという力だ。人魚姫の悲劇の物語も、ディズニーの魔力にかかればハッピーエンドの大活劇に早変わりだ。そう、答えを物語の中だけに求めてはだめなのだ。味方は必ず外にいる。

 実際どうだろう、スキルが通じない世界でものを言うもの。それは外圧だ。たとえば社長の息子とか、親戚、親会社からの出向など立場を使ったもの。その他、権力により捻じ曲げることができる。これは確実である。

 ただし、このコラムを読んでいる諸君にそれを良しとする輩はいないだろう。では、ディズニーのようなねじ曲がった力を使わずに物語を変えるにはどうすればいいのだろうか。簡単だ。ここに私がいる。

■もし私が人魚姫だったら

 もしかして人魚姫は、魔女に薬の納期をせかしたのかもしれない。早く王子さまに会いたくて、王の権限をちらつかせることで納期を前倒しさせたのかもしれない。もしそうだとしたら、巷にあふれているデスマ案件と同じ構図ではないか。

 現に渡された薬は副作用てんこ盛りの粗悪品だ。その上、姉たちが魔女に髪という追加料金を払って欠陥を補おうをしている。まさに火のついた現場そのものではないか。まず、このずさんなやり取りをきちんと整理すべきだ。

 私が人魚姫なら、魔女にきちんと薬を検証させる。そして、副作用が無い状態まで薬の完成度を高めてから地上に出る。しかし、それだけでは終わらない。いくら恋する王子様とはいえど、結婚するにはメリットがあった方がいい。

 魔法とは言っているが、きっと沈んだムー大陸か何かの超古代のテクノロージーを受け継いでいるのだろう。高度なバイオ・テクノロジーだ。この技術をもって王子に交渉を持ちかける。

 もし私が悪人なら、そのテクノロジーで兵士を改造して、隣国を征服する。もし私が善人なら、戦争で腕や足を失った兵士を元通りの体に癒す。人魚の足を人間の足に作り替える程のテクノロジーだ。このくらいのことは簡単にできるだろう。

 王子と結婚できるだけでなく、いや、王子なんてもうどうでもよくなる。世界が手中に入るのだ。ただの結婚を超えたハッピーエンドだと思わないか?

■そして最大の戒め

 しかし、この人魚姫の物語で一番重要な戒め。それは、異性にうつつを抜かしすとキャリアを棒に振るということだ。

 実際に、そのキャリアを崩すものは、仕事の中にだけある訳じゃない。異性に心奪われると、たちまち思考なんて吹き飛んでしまう。「仕事と私、どっちが大事なの!!」と迫られて、理論的に説明して納得させられる人がどれだけいるだろう。実際は、それを言ってる当人の一番大事なものがお金だったりすることもあるのだが・・・。

 恋焦がれた時、人は知性を棒に振る。どうだろう。雪の舞うクリスマス(24日現在、博多にてコラムを執筆中に雪を観測)に肩を寄せ合う恋人たち。君たちは知性と引き換えにときめきを謳歌している。そのことを忘れてはいけない。

 クリスマスを一人さみしく過ごしている君。それはリスクを背負い込んでいないということだ。君の身は羽のように軽い。君の理性がさみしさを乗り越えた時、クリスマスに交わすストロベリー・トークなんかより、ずっと素晴らしい境地にいたれるはずだ。

 クリスマスというものはお金がかかるのだよ。それがリア充のはらむ最大のリスクなのだ。

ヒャッハァーー!! クリスマスだぜ、おまいらーーーー!!!

■音速のサンタクロォォォッス!!

 おまいら、不思議に思わないか?サンタのソリって、トナカイが浮いてるのか?ソリが浮いてるのか?どっちなんだ。もしトナカイが浮いているなら、ソリは下にぶら下がっているんじゃないか。もしソリが浮いてるなら、凧揚げみたいな感じでトナカイが引っ張る形になる。

 そこで私は一つの仮説を立てた。あれは、トナカイがかなりの高速で空中移動しているんだ。サンタが太っている理由。あれは冬以外に働かずにバカンスしてるからじゃぁぁないっ!日々、音速のトナカイが引きずるソリに振り落とされないよう、鍛え上げられた筋肉なのだっ!そして音速の衝撃に耐えるための肉の鎧なのだぁぁっ!

■紅蓮に染まるサンタクロース

 そしてお前たち、サンタクロースの真実を知っているだろうか。だって、都合がよすぎないか?ただで世界中の子供たちにプレゼント配りまくるんだぜ。しかもわざわざ、真夜中に煙突から侵入するという告知までしておいて、一般家屋に浸入までやってのける。まるで怪人二十面相ではないか。考えてもみろ。不自然じゃないか?普通にAmazonで発注すれば一発、確実に届くんだぜ。

 そう、実はサンタには血塗られた伝説があるんだ・・・・。

 昔、サンタクロース一家は平和に過ごしていた。そんなある日のクリスマス、サンタクロース一家は、秘密結社のエージェントに惨殺された。そこで一人生き残った幼きサンタクロースは、復讐を誓ったのだ。

 サンタクロースが世界の子供たちにプレゼントを配る理由。それは、己の力を秘密結社に無言で誇示するためだ。おまえが一家を惨殺した手口と同じやり方で、どこの家にでも侵入できるんだと。そして、サンタの服が赤いのは、今まで始末してきた秘密結社のエージェントの返り血だったのだ。

 秘密結社が滅びるまで、サンタはプレゼントを配り続ける。世界に本当の幸せが訪れるまで、もう一つの顔で戦い続けているんだ・・・。

■だからウルトラマンは紅と白なんだ

 エージェントの返り血で染めた紅は、いかなる悪にも屈しない、正義を突き通す燃えるような心の象徴だ。その髭と赤い衣装に縁取りされた白は、雪のように白い、潔白な己の心の象徴だ。その魂を全身で受け止めて、継ぐものがいる。

 そう、ウルトラマンだ。

 サンタクロースは、己の復讐を、子供たちに夢を与えながら実現した。そもそも、トナカイが音速近くで飛ぶとかありえなくないか?それを可能にしたのがウルトラマン(異星人)だ。トナカイを生体改造することでそれを可能にした。トナカイの鼻が赤い本当の理由は、一般のトナカイに混ざっても、どれが生体改造したトナカイかを見分けるためだ。

 サンタクロースの復讐劇に力を貸し、一部始終を見ていたウルトラマン(異星人)は、その真摯さに衝撃を受けた。そして自らも戦う事を誓い、赤と白のフォームをとることになったのだ。ウルトラマンの戦っている怪獣。実は秘密結社が生体改造した動物の成れはてだったり、結託した悪の宇宙人だたのだ!

■なぜエンジニアライフにこんな事を書くのか

 己をエンジニアと語るなら、このくらいの想像力を発揮してみてはどうだろう。想像力。それは何かを生み出す源だ。想像から発想へ、そして実際の形を持った物へ実現していく。アホな発想と君は笑うかもしれない。しかし、そのアホな発想を、Appleは自社のプロダクトで形にした。日本人は、焼け野原に近代都市をぶっ立てた。

 子供たちに与えるべき夢とはかくあるべきだ。想像力をはぐくむべきものだ。サンタを信じる信じないではない。その先の何かに繋がっていくかどうかだ。サンタという人物は存在しない。しかし、その暖かい心は、誰かの中に確実に存在する。人物は存在しないが、心は存在する。サンタは本当にいるんだ、というのもあながちウソでは無いとも言える。

 子供たちに楽しいひと時を与えるのもいい。しかし、夢や想像力は与えているだろうか。私はそれを問いたい。何十年後の未来、時代を担うエンジニアたちに、たくましい夢や想像力があることをクリスマスの夜に願う。

重ねたグレー・カード

2012/12/10 7:45:10

■あえて選ぶ傍観者という立場

 どんな頭の回転が速い人でも、この世の中全ての事を把握することはできない。視野を広げたいだけ広げてしまうと、熟考している間に状況が変ってしまう。知的好奇心は、広げすぎると実質無知と変わらない。

 一時期、ありとあらゆるものを考察していたような時期があった。テーマを選ばずに考えることの限界が見えた時、私は一旦考えるのを止めた。まず、これと思うものを熟考しようと思った。そうすると、関心はあるがあえて深くは掘り下げないテーマ。というのがいくつか出てきた。これを私はグレー・カードと呼んでいる。

■メディアに関する法律

 一応、私は音楽をやっている。なのでメディアに関しては関心が深い。しかし、法律には全くうとい。人の作り出しただけの論法ということで、あまり美学を感じない。もちろん私がそう思うだけだ。もし、私が大学で法律を学んでいたら、全く反対のことを言っていたかもしれない。

 最近、著作権保護法が改正された。メディアという関心事に、私の無関心な法律という考え方が干渉してきた。ネットから著作物を不正にダウンロードすると刑罰の対象になるとかなんやら。また、児童ポルノ云々で漫画やアニメが規制されるやら。

 私が思うのことを判り易く画像で示すならこういうことだ。

Hmic1

メディアという名の芸術に、法律というモザイクが干渉するとこうなる。語るほどの熟考をしていないので、直感的に表現してみた。

■某小説で見たマネージャ論

 以前エンジニアライフでで定期的に連載されていた小説。私は純粋に小説として楽しんでいました。ふとコメント欄をみると、マネージャとはどうあるべきか?みたいな論争が盛り上がっていた。私にとっては、マネージャ論はグレー・カードだ。持論はあるが、押し通したいというほどの情熱は無い。

 ただし、巷に溢れているプロジェクトマネージャという存在を見ていると、確かに論争したくなる気持ちがよく分る。まぁ、マネージャに限らず、企業のトップに行くほど不可解な行動が多くなる。ただ、こういうものを追求しても苛立ちしか起きないのは目に見えている。

 苛立つような事を考えるより、目の前の課題について熟考したほうが進展的だ。だからあえて熟考しない。それが私のスタンスだ。

■重ね合わせて見えるもの

 こういう、グレー・カードは他にも沢山ある。しかし、これらを重ね合わせてみると、ぼんやりと見えてくるものがある。先ほど上げた例でいくなら、法律という手の届かないもの、マネージャという自分と縁の遠い存在、先人の作り上げた観念の集大成・・・。

 何となくキーワードを辿って整理してみると、うっすらと結論が出る。”安直”とか”頭の固いお偉いさん”とかそういうものだ。どうも、これが私の気がかりになるものなようだ。確かに、こういうテーマでコラムを書くことがよくある。

 グレーな部分を寄せ集めてみると、自分が何を考えているか何となく分析できたりする。世の中のグレー名部分を集めて分析してみると、もしかしたら真実が見えるかもしれない。

ふんデョリャぁぁぁーーーヴぉラッハァアうぁぇぇ!!

2012/09/05 8:00:00

■デリャタぁあーーがっあぁ!

  ぶろぉあぁ! ぶろぉぁあぁーーー!ばっふ、んぎゅおれっぁ、ぶらっはぁーー! んがぁーーー! んぐぉぉぉぉ!んびらばぁぁ………。(ここで手加減なしでおもいっきりドアを蹴飛ばしたい衝動がこみあげる)んぐぉらぁぁ!! んでぃっしょーーー! (悶絶の末、頭を抱えこみたくなる)んぐらぁぁーー! んぐらぁぁーーー! んぐらぁぁーーーー!

 ……このように、人間の感情はある一定のラインを超えると、言葉としての原型すら失ってしまう。そういえば最近、言葉を忘れるくらいの激情に流されたことはあるだろうか?そんな激情に駆られた時を振り返って思うのは、全てが言葉や理論で表せるものばかりではない。ということだ。

■意外と理解できないです

 さて、冒頭に書いた内容を理解できた人はどれだけいるだろうか?きっと誰も理解できないと思う。これは、自分が激情に駆られた時の頭の中で出た言葉……いや、音か? データか? 波長か? を文に表してみたものだ。

 なんかあったんか? までは理解できた人はいると思うが、全く意味不明なんじゃなかろうか。最近思うのは、人の感情とは、冒頭に書いた内容のように、ただ表すだけでは伝えたいものは伝わらない。ということだ。きっと、どんなに親しい間柄だとしても、信頼し合っていたとしても、こんな表現の仕方では言いたいことは伝わらないだろう。

■それでも人を動かす根本は感情

 しかし、これが自分の考えた提案や指示、そういうものだったらどうだろう。たまに、そういう重要な事柄でも、感情に任せて伝ようとする人はいる。本当に伝わるような言い方だろうか。自分の立場に甘んじて言葉をブン投げていないだろうか。自分の正当性を過信して思考を放棄してはいないだろうか。まず、振り返ってみよう。

 よく、理論的であれば伝わると思っている人がいるが、どうだろう。私はそれだけでは足りない気がする。例えば、思いやりだとか、ユーモアだったり、表現方法、話す時の表情…。と、いろいろなものが思い浮かぶ。具体的に何というのは状況や人によって変わると思う。しかし、共通して言えるのは、感情へのアプローチは必須ということだ。

■伝えるための技術

 感情へのアプローチだが、これは相手に対してだけではない。自分に対しても必要だ。これは非常に大変なことだ。感情へのアプローチとは、例えば、怒ってる相手をなだめるとか、ネガティブになってる相手を肯定的にするとか、そういうアプローチだ。

 自分が怒ってる時、自分で怒りを鎮められるだろうか。自分がネガティブになっている時、自分で肯定的に覆せるだろうか。これは難しい。中でも難しいのが、相手への否定的な感情を覆すアプローチだ。どうだろう。かなり難しいんじゃないだろうか。ちょっとやそっと、本を読んだくらいでは到底叶わない。何らかの訓練は必須だと思う。

 感情は理論よりも、もっと根本的なところに存在している。私はそう思っている。何か伝えたいなら、まず、感情からどうにかすべきだろう。紙に書いたパズルを解くように簡単にはいかない。ただ、感情というパズルを的確に解いていければ、伝えるべきことは的確に伝わっていくだろう。

 感情とは紙に書いたパズル、というより、神の書いたパズルなのかもしれない。

Windowsの行き着く先

2012/08/26 9:41:53

■もう Windows 8 か

 最近、Windowsのリリースを見てて思う事がある。なんか、目指す方向を間違えてはいないだろうか。リリースされる度に機能が増えていく。でも、性能と使い勝手は向上してるのか疑問に思う。新しいリリースの度にいろいろな売り文句が飛び交うが、どうも実質がついてきていない感じがする。

 Windows98からWindows2000に乗り換えた時は、性能が上がった感じがあったのを覚えている。Windows XPからWindows 7に乗り換えた時には、ほとんど何も変わっていない感じがした。私がWindows 7 に乗り換えた理由は、最新式を使っている優越感に浸りたかったからだ。

■サイズが大きさという盲点

 最近のWindowsはインストールするだけで10GB近くを消費する。ソフトをインストールしていくと、20GB近くにもなる。これをLinuxでやると、ソフトを全部インストールしても8GB以下で収まる。実はこの容量の差が大きな違いを生む。

 まず、システムのバックアップを取ったとする。システムが8GB程度で収まれば、DVDメディア一枚にバックアップのデータが収まる。この一枚に収まるということが重要だ。一枚のメディアにデータが収まれば、汎用性の高いDVDへの書き込みという手段で安易にデータが保存できる。

 8GBを超えると、メディアが二枚になったり、バックアップのデータを二つに分ける作業が必要になり、片方を無くす、ファイルの結合がうまくいかない、等のトラブルが起きることがある。システムのバックアップデータが8GBに収まるというのは、数値に現れないメンテナンス性を高める一つの基準になる。

 Windowsのインストールサイズはどんどん増えていく。バックアップにかかる時間もそれに伴い増える。バックアップから復元するのにも時間がかかる。これは意外と大きな問題だ。

■むしろ充実させて欲しいもの

 Windowsは新しい機能を追加するより要らない機能を省いて欲しい。Windowsの機能や構造は他のOSに比べると複雑だと思う。クリーンインストールした後にいろいろと設定をしないと、おせっかいなメッセージが大量にポップアップする。そういうおせっかいよりも、個人的にはコマンドプロンプトの使い勝手を改善して欲しい。

 新機能を追加するより、要らない機能を省いた安く買えるエディションを出して欲しかったりする。VB6等の下位互換性が無い代わりに安かったり、旧バージョンの無償化版など出てくれたら面白いと思う(商売的な理由で絶対に出ないとは思うが)。また、標準機能が弱いようにも思える。CDの作成にしても、別途ソフトを導入しないと使えたものではない。

 Windowsの場合、機能を追加するより省く方がイノベーションを生み出すことができそうな気がする。必要な機能は追加のパッケージで対応して、Windows自体は最低限の機能でまとめめて欲しい。使わないようなおせっかい機能は、省いた方が初心者にもリソースにも優しい。

■イノベーションに翻弄されてないだろうか

 新しい事をするのがイノベーションではない。正確に言えば、新しい事をするだけではイノベーションは生み出せない。例えばiPhoneにしてもMac Book Airにしても、よく見ると地道な部分がよく見直されている。目玉機能を活かす為に細かい工夫が多く凝らしてある。

 ちなみに、Windowsにそんなイノベーションが無かったかといえばそうでもない。Windows 7で可能になったvhdブートという機能がある。PCやサーバを管理する人しか価値の分らない機能だが、非常に画期的だった。Windowsがどんどん変なものになっていっているかというと、そうでもない部分もきちんとある。

 今のWindowsは下位互換性と機能追加で、過剰武装な平成ガンダム状態だ。そういえば数年前、Windows 7のカーネルが数十メガくらいになるという噂を聞いたことがあった。結局はガセネタだったが、聞いた時は期待に胸が膨らんだ。単なるインパクトではなく、目に見えない中身が進化していって欲しいものだ。

 これからソフトウェアと言うものはどう進化していくのだろうか。今後の動向に注意を向けたい。

@IT Special 注目企業
@IT Special ラーニング

エンジニアライフ 最新の投稿コラム

@IT自分戦略研究所 新着記事

コラムニスト プロフィール

Anubis
色々な仕事を渡り歩き、今はヘルプデスクをやっている。
いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

2013年5月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

バックナンバー

月間バックナンバー

検索

Powered by TypePad
- PR -
@IT Special 注目企業
インデックス

イベントカレンダー

アクセスランキング

もっと見る

@IT Special ラーニング