ビックデータでは未来は開けない

2013/05/05 21:52:38

■何ででかいのか

 ビックデータとは、情報技術分野の用語としては、通常のデータベース管理ツールなどで取り扱う事が困難なほど巨大な大きさのデータの集まりだそうだ。ベンダの戦略や、ビジネスチャンスとか、そんな話でこのキーワードを見ることがある。

 ひねくれたとり方をすると、メンテナンスを怠ったが故に、通常のデータベースや管理ツールで扱いきれなくなったデータとも取れる。最近では、どこの企業でも容量の差こそあれ、整理しきれなくなって肥大化したファイルサーバが蠢いている。定義上からすると、あれもビックデータいいのだろうか?

 また、何も考えずに社内でのファイルのやり取りをメールで行ってると、メールボックスもビックデータに近い形になる。混沌を極めたデスクトップと合わせて、ローカル・ビックデータと私は勝手に呼んでいる。ビジネスチャンスが潜んでそうな雰囲気は醸し出しているが、ビックデータの実情は、はゴミ屋敷に近いのかもしれない。

■アクティブなデータ

 ビックデータと言われるものの大半はアーカイブだろう。常にアクセスされているデータはごく一部で、ほとんどが取り置きや消せなくなったファイルではないだろうか。実際はいろいろなケースがあるからひと括りには語れませんが。

 ビックデータへの有効なアプローチを語るとすれば、手元にあるデータをいかにアクティブにするか。……なんだろうか。ぶっちゃけ、よくわからない。過去データばかり漁ったところで、画期的なビジネスチャンスが生まれるとも思えないからだ。

 過去のデータは、使える形に加工してさっさと削除したいというのが個人的な考えです。バッサリ捨てて、思考の方向性を変える。という方法でも、同じようにビジネスチャンスなんて生み出せると思う。過去のデータを見るか、バッサリ捨てるか。どっちがいい発想が浮かぶかは、ケース・バイ・ケースだ。

■捨てられない。それは、理解が足りないから

 いろいろな会社に仕事で行く事があるが、未だにWindows 98のパッケージが保存されていたり、一度も読まれていないであろう、ソフトウェアのマニュアルが本棚に積まれていたりする。しかし、それが何だか分からないと、捨てるに捨てられないのだ。

 そんな得体のしれない物を管理することが重要とは思えない。買った当時は高くても、今さらWindows 98なんて使わない。使わなくなったソフトのマニュアルはさっさと捨てよう。たまに、間違えて必要なものを捨ててしまうリスクもあるだろう。そんなリスクより、自分の所有するものが何なのかを考えない方が、さらに大きいリスクになる。

 不要か必要かをしっかり見極めるスキルは、ビジネスで必須のはずだ。また、大量のデータを保存する必要があるのなら、整理する手法は必須だ。ここが欠けるから、データが肥大化するのではないだろうか。

■最善策は人がやる

 コンピュータは、人が考えずにぶちまけたデータを整理できるような賢さは無い。条件を決めて振り分けるだけだ。その条件も、人が考えなくてはならない。ぶちまけたデータを、都合よくシステムに押し付けて解決しようとするのは、アプローチが間違っている。

 もし、システムでぶちまけたデータをうまく整理できても、それは何の利益も産まない。使う人が、さらにデータをぶちまけるからだ。ぶちまけたデータの残骸をしっかりと見つめて、自分で整理しよう。自分の行動と結果がよく見えるはずだ。

 人の手で地道に整理するというのは、時間と根気のいる作業だ。しかし、これをやらないと人は考えない。考えない人間がいくらがんばろうと、生産性なんて上がらない。自分たちでぶちまけたデータを、ベンダーに丸投げしても何の解決にもならない。

 時間はかかるし面倒くさいが、地道に自分たちで整理してはどうなんだろうと思う。一見、無益な行動に思えるが、自分の過去を振り返ったり、普段の業務フローを見直す良い機会になると思う。むしろ、そういうところからイノベーションは生まれるのではないだろうか。

そのコード、誇れるに足らず。

2012/12/20 9:30:00

■自分の課題

 ITで仕事をやってる以上、技術革新に否が応でも追いつかないと、仕事ができなくなってしまう。自分の敵は、というより追いつくべき対象は技術だ。そう考える人は多い。

 しかし、本当はそんな血眼になってまで、追いかけなくてもいいものだったりもする。よくいないだろうか?新しい技術覚える前に、きちんと人が読んで分るコード書け!と言いたくなるような新人。新しければ凄い!という変な考え方のプロジェクト・マネージャやお客さん。

 新しい、古いという基準で物を見ていては振り回されるだけだ。その前に、やるべき事という課題があるはずだ。外にある技術を見る前に、目の前にある課題を見よう。クリアするのに必要なものは、新しい技術とは限らない。必要なものが、必要なだけあればいいのだ。

■とりあえず流せ

 自分の書いたコードが素晴らしい。そう思っていられれば気分的には満たされる。しかし、素晴らしいと思っているコードを直そうと思うだろうか。たぶん、次も同じやり方でコードを書くだろう。いつまで経っても同じことを繰り返すだろう。

 このパターン、どこかで見たことが無いだろうか。やたら古いやり方にこだわる人たちがこれに当たる。自分やった仕事、成果物に酔いしれていると、自分たちもそうなってしまう。これが一つの自分に負けた形だと考えている。

 自分に勝つための方法として、残した成果に執着しないという事を提案したい。そうでなければ、自分の書いたコードの欠陥を探す気なんて起きない。自分が素晴らしいと、低いレベルで満足してしまうと、勢いもなくなってしまう。とりあえず、成果はさらっと流そう。

■成果とは出すものではなく繋げるものだ

 なぜ成果を流すのか。それは、成果は繋げていくものだからだ。成果は出した時点で止めてはいけない。出し続けていくものだからだ。これは成功し続けるという意味ではない。失敗でも成功でも、自分の成長につなげていく。この成長が成果だと考える。

 成果物とは、その途中で生み出されるものでしかない。使われ続けたり、メンテナンスされたりと誰かの手を渡り続けていく。脈々と繋がっていくものだ。繋がっていくことを意識できるエンジニアでなければ、より良いものを作り出すことはできない。

 大体の人は、自分が優れていれば優れた成果を出せると考えている。しかし実際は、周りの人も優れていなければ成果は出ない。技術をきちんと共有して、人同士でもつなげていく必要があるということだ。これが成果を出すための条件と言える。

 つまり、成果は出し続ける必要があるということだ。そのためには、人同士でも技術で繋がる必要がある。人が時系列で繋がりあって、初めて成果といのは成り立つ。

■より優れたものを作りだす為に

 つまり、自分の書くコードが優れてるかどうかじゃない。他の人の書いたコードとどうかみ合っているか。それが問題だ。コード自体が云々というより、チーム全体で認識が一致しているか、きちんと納得できているか。ここの方が重要ではないだろうか。コードの内容というより、そのバックボーン的なものだ。

 もちろん、コードが優れていることは大事だ。しかし、そこに固執してはいけない。優劣を競って勝つのではない。勝ち取るべきは、納得と協調だ。それは、コードの優位性と正当性を訴えるだけでは得られない。

 どうだろう。実際に優れているコードを書く人がいても、それを奢る人には誰もついていこうとは思わない。それは、満足した時点でもう発展しないことを、無意識に感じてしまうからじゃないだろうか。本当に成果を望むなら、そのコードに誇る程の価値はない。君が満足している間に、世の中は動いているのだから。

オリジナル

2012/10/31 7:24:12

■コードは作品

 書いている人はそう思うかどうか分らないが、プログラマの書いたコードを作品と呼びたい。優れた建築家の設計した建物が、歴史を経て文化遺産になる。また、芸術的な価値を見出されることがある。工芸品も同じだ。そればただのプロダクトではなくあくまで"作品"として扱われる。

 最近、書店でリファクタいリングの本を読んでいた。コード一つ書くにしても、そこにさまざまな思い入れ、高度な理論や技が練りこまれている。それはもう、ただの文字の羅列ではない。多くの人たちの技が練りこまれた"作品"として扱ってもいいと思えた。

 美術品や建造物、工業製品にいたるまで、それぞれが色々な形で魂が込められているのだ。私はそう思っている。

■デジタルに魂は宿るか

 絵画では必ず原版というのがある。版画であればシリアルナンバー、写真であればネガがある。そこにオリジナルが存在する。ここに作者の手が触れた痕跡が記される。もし作品に魂が宿るとしたら、このオリジナルに宿るだろう。

 しかし、デジタル情報にはオリジナルという価値は存在しない。記憶媒体に記された1と0の信号だけだ。そこから作者の息吹を感じることは難しい。エディタで内容を見ても、ダイレクトに心を揺さぶられることは無い。

 そして、デジタルはデータをコピーしてしまえば、オリジナルと寸分たがわぬものが出来上がってしまう。そこに魂を込めようとしても、底の抜けたバケツに水を注ぎ込むような・・・、そういう感覚を覚える。そういう理由で、コードに込められた魂を感じ取ろうとする人は少ない。

■魂は語り継がれる

 美術品はそこにありて初めて価値がある。しかしそれだけではない。あったという事実だけでも価値はあると思う。例えば、ここに非常に優れた歴史的建造物があったとする。火事で焼けてしまったとしても、そこにあった。という事実があるだけで一つの価値として成り立つ。そして、人の心に残り続ける。

 ソフトウェアのコードも、バージョンアップで前面刷新されたとしても、次のバージョンに受け継がれる技がある。プログラマ達の流した汗や苦悩、そういう痕跡は形を変えて受け継がれていく。機械的な言葉の羅列でも、込められているものは大きい。

 物は消えても受け継がれる事実がある。コードはリニューアルされても受け継がれる技がある。器は消えても、中身は消えない。残るのは言葉と記憶だ。そこに真価は受け継がれ、進化していくのだろう。魂は物に残るだけじゃない。語り継がれることで残るのだ。それはコードに込められた魂も同じなのだろう。

■込められているものを読み取ろう

 コードの価値は何で決まるのだろうか。もちろん、きちんと動くことに最大の価値はある。しかしそれだけではない。コードに込められた哲学と技がある。それがコードに込められる魂だと考える。

 レガシーなコードにも価値はある。古いソースコードを読み直すことで、自分たちの忘れていた哲学や技を再確認できるかもしれない。古い文学作品では、今では通じなくなった価値観や考え方が綴られていることがある。それでいてなお、人々の心を動かし続ける。本当に良いコードには、普遍的に通じる理論や技、哲学が込められているのかもしれない。

 誰かの書いたコード。そこは確実に魂が込められている。それが劣っているものであっても、優れているものであっても変わらない。人の書いたコードを読む機会があれば、尊厳をもって読んでいきたい。

Microsoftさん、僕達の業務増やしてませんか?

2012/10/18 16:59:10

■細かいジャブのような煩わしさ

 実は、Macを使って驚いたことがある。OSの設定って、こんなに楽だったっけ? ということだ。もともとサーバ管理を業務でやってるので操作に詳しいのだが、ほとんど何も考えずに一通りの設定が済んでしまった。

 Windowsの設定をしていると、コントロールパネルとコンピュータの管理の画面からアイコンを探すのが面倒くさい。何十個も並ぶアイコンから、あの機能どこだっけ……。と探す作業。しかも、余計なお節介でカテゴリ分けした画面まで出てくる。デフォルトでカテゴリ分けになっているのがうっとおしい。

 IEにしても、最近のやつはいちいちアドオン云々を聞いてくる。速度を早くするため云々とメッセージが出るが、お前が出てこなければ、問い合わせの電話も減って仕事が早くなる。そう突っ込みたい。

■初心者向け自爆機能

 また、Windowsには初心者向けの自爆機能が満載だ。Windows XPでは、60日のデスクトップのクリーンナップ、Windows 7ではどっかの設定をしないと、リンク切れのショートカットが勝手に消されるというのがあった。

 もともと初心者への親切のために付けた機能が不審な挙動を起し、混乱に陥れる。Windowsにはそいういう風習がある。ここら辺の自爆機能を把握してオフにすること。それがクライアントPCの新規導入時に行う最初の仕事だ。

 ここら辺は、企業ならActive Directoryで楽に解消できる。しかし、個人用のPCでこういう相談を受けるとすごく煩わしい。現状を説明すると、「なんでこんな面倒くさい機能をつけるんだ」と私が突っ込まれる。いや、この機能つけたのMicrosoftさんなんだけど。

■極めつけのライセンス管理

 あれはうっとおしい。叫びたくなるほどうっとおしい。ソフトウェアの会社として、ライセンスの管理が大事なのは分かる。しかし、もう少しやり方は考えて欲しい。ごたごたとコードを管理するのは面倒だ。

 ハードウェアの構成が変わるとアクティベーションが必要になる。って、ハードウェアのメンテナンスで部品入れ替えると、アクティベーションが必要になったりする。しかも、OfficeとWindowsで判断基準が違う。

 もっとも煩わしいのはCALだ。基準を理解するだけで労力を要する。間違えるとマズイので、導入時には慎重に検討しなければならない。システムによって、デバイスCALとユーザごとのCALが混在してしまうと、至極面倒くさい。Microsoftの製品を売る営業さん、大変だろうと思う。

 いっそ、USBキーみたいなの作って欲しい。OfficeもUSBから機動。PC入れ替える時は、USBキー持ってってね!の方がまだマシかもしれない。いっそ、数えられる物で提供してくれ。もう、訳がわからないよ。

■無駄無駄無駄ァーーー!

 何処かしらの吸血鬼さんが叫ぶ気持ちが分かります。細かい無駄も、積み重なれば結構な工数を取る。今まで積み重ねてきた資産の価値と、管理性の悪さを天秤にかけて、まだ資産の価値の方が勝っている状態だ。当分、この均衡は崩れないと思う。

 GUIによる操作性はかなり魅力的だ。しかし、積み重なる無駄にその価値が半減してしまっている。すごく残念だ。ついでに言うなら、サポート業務やPCの導入をやっていると、この無駄がダイレクトにコストの増加につながる。

 もしかしたら、最初のコストはかかるかもしれないが、MacやUbuntu入れた方が最終的にコストが安くつくようになる。そういう逆転現象が起こるかもしれない。無駄を抱えたままでイノベーションは生み出せない。そこは間違いが無さそうだ。

名は体を表す

2012/10/12 0:15:19

■誰だ、スクリプトに"Death-Note.sh"ってつけたのは!

 スクリプトを書く時、気を使うのは分かり易い名前を付けることだ。これは基本だと思う。できれば名前を見るだけで、どういう動きをするか理解できるものが理想だ。

 記載したユーザセッションを記した通りの時刻にKillするスクリプト、その名は"Death-Note.sh"。そのスクリプトに記されたユーザは、指定の時刻でプロセスをKillされて、強制的にログアウトされる。非常にうまい名前の付け方だと思った。ちなみにそのサーバの管理者アカウントは"Yagami"だった。

■サーバの名前エトセトラ

 たまに見かけるのは、サーバのホストネームに歴史上の人物の名前を付ける人たちだ。歴史を知っていれば、的確にサーバの関係が分かることがある。古い順に"nobunaga"、"toyotomi"、"Tokugawa"だったり。あと、歴代天皇の名前をつけるとか。確かに、知ってる人には分かりやすい。

 意外と企業にもあるのが、神々の名前をお借りするケースだ。ジュピターとかプロメテウスとか、ギリシャ神話系はよくあるようです。ちなみに、うちの自宅サーバはエジプト神話の神々の名前で統一されている。

 極めつけには、某人気アニメのキャラクターの名前でサーバ名をつけているのを聞いたことがある。個人用の環境なので好きにしてくれればいい。確かに、管理してて楽しくなるだろうと想像できる。

■最近よく聞くDQNネーム

 ちなみに、私もどっちかといえばDQNネームを頂いた人です。私の名字は平凡なのに、名前は非凡だ。きちんと意味を持って付けている事は親から確認しているが・・・。本当は娘が欲しかったのだろうか。そう勘ぐってしまう。幾度となく、名前だけで女性に間違えられ、苦労もしてきた。

 このDQNネームを付けられると非常に苦労する。これはソースコードも同じだと思う。どうだろう、変数名にアニメキャラの名前付けられたり、徳川の系譜でクラスを作って継承されたら。ネタとしては面白いが、これで大規模な開発をされたらきっとブチ切れると思う。

■名前は重要

 大きなプログラムやシステムを組もうとした時、技術や手法を問われる事が多い。名前の付け方も一つの技術として認識されてもいいような気がする。ただし、その良し悪しを決定する基準は難しい。

 名前と実体を比べると、名前を付けた人がどれだけ実体を見ているのか、何となく分かってしまう事はないだろうか。名前は自己満足のためのものではない。それを見た人に対しての思いやりが必要だ。

 故に、変数やファイル名、関数や機能にしても、名前というのは大事だと思う。仕事をする上で、成果物にはDQNネームを付けないよう気をつけたいものだ。

学生よ、これが勉強だ!

2012/08/29 8:00:00

■何か熱くさせるものがない

 電車の中で学生を見ていて思う。いや、最近の若いものは……とかではない。自分が学生の頃もそうだったと思う。漠然と勉強してる人が多すぎる。日常を面白おかしく過ごすことしか考えていない。

 巷では、やれ何処の学校に行った、偏差値がどうこうとよく聞く。しかし、実際に大学生のキャンパスなんかに行くと、勉強より遊びに夢中な人が多い。青春を謳歌するのを否定はしないが、たるみ過ぎて気が抜ける。受験戦争の反動だろうか。

 もちろん、変な人が目立つというのはあると思う。しかし、そこを差し引いても日本の教育で人は育たない。何も考えずに大学や専門学校に行っても、プライドだけが肥太り、荒ぶるだけの人が野に放たれている。

■あくまで人として

 学校は人を育てるということを考えているのだろうか。ここら辺は、人それぞれ思うことがあると思う。現状を見る限りでは、育てられるような状況ではない。そして、人を育てるという目標は達成できていない。個人的にはそう考えている。

 今の教育に何が抜けているのか。例えば、それは礼儀であったり、困難に直面した時の振る舞い方、あわよくば高い精神性。そういうものを教え、身につけさせないと、本人にも社会にもメリットはない。本人や社会にメリットがなければ、教育自体に価値はない。

 どの教育機関も、本人や社会にメリットうんぬんとスローガンとしては挙げてはいるが、やっているのは教育でなく選別だ。優れている人間を選別しているだけで、人を育てているわけではない。

■学び直せ!

 ありきたりだが、今の教育は間違えている。それが私の結論だ。ただし、何が間違えているのか。そういう話をしたいわけではない。間違えた後にどうするかだ。間違えたなら正しい努力で身につけた力で乗り越えればいい。そして、正しい努力のやりかたを広めていけばそれでいい。

 学ぶことに遅いということはない。社会に出てからでも学び直せばいい。現代の教育では、学ぶことの楽しさを伝えられていない。おいしいものを食べて嬉しい、綺麗な女の子と一緒にいて楽しい、高い服を着て得意になる。そういう楽しさとは次元が違う楽しさを知らない人が多い。

 例えば、誰かの役に立ったり、自分の成長が実感できたり、はっと閃いたり。そういう喜びは、何かしら努力したり、学んだりしなければ得ることが難しい。誰しも独学でそういう喜びを感じる境地に到達できる訳ではない。だから教育が必要なのだ。

■崇高なるマゾヒスト

 学ぶということは時に苦しみを伴う。教える立場といえど、力量が足りなければ精神的にダメージを被ることもある。学ぶ、教えるというどちらにも共通するのは、わざわざ困難の中に突っ込んで行かなくてはいけない。そういう要素がある。

 困難にわざわざぶち当たりに行く。どう見てもただのマゾヒストだ。しかし、困難を乗り越えるというのは、乗り越えた者でしか理解できない快感がある。IT系の業務で、技術的に優れた人を見ていると思う。業務時間外でも、専門書を買いあさったり、勉強会に参加したり。仕事もしんどいうえに、更に頑張ってる。そこまで勉強というのは楽しいものだ。

 最近、うちの会社にも新卒の新人君がいる。ちょろっと本を読んで勉強した気になっている。まだぬるい。学校で何をやってきたんだ。専門書は分かるまで何度も読むものだ。2時間集中して、本に穴が空くくらいの勢いで読め! 何かが一線を越えた時、違う世界が見えてくる。それが勉強の本当の面白さだと思う。

 今の学生、いや、自分たちが学生の頃もだが、そのくらい学ぶことに熱中できただろうか。学生たちはストイックに学ぶことの楽しさを知らない。そんな彼らに伝えたい一言がある。

 「学生よ、これが勉強だ!」

Visual Basicさん、よく分かりません

2012/08/14 21:54:28

 ひでみさんのコラム「Visual Basicさん、ごめんなさい」を読ませていただきまして、なんか呼ばれたような気がした(←多分、気のせい)ので、ピロピロっと書いてみました。

 ちなみに、当方はプログラマというわけではありません。ちょろっとコードを書いたり読んだりする程度の人です。Visual Basic .NETも5.0とか 6.0もほとんどお付き合いがない(ぶっちゃけ、あんまりお付き合いしいようなしたくないような微妙)です。

■ ■ ■ ■

■まだ熱かった頃の勘違い

 Visual Basicに関しては、個人的に何とも言えない思い出がある。IT系の仕事をやりだした頃、とりあえずITに関連することを片っ端から勉強していた。そんなハングリーな時期があった。その時、私はVisual Basicに出会った……というよりすれ違った気がします。

 とりあえず、プログラミングについては、一応CとC++とPHPをかじった。今はほとんど忘れている。駆け出しの新人のころで、社内SEなどやっていたが、なかなかCとかC++をがっつりいじる機会がなかった。そこで弄っていたのがVBAとVBSだ。

 この、VBAやVBSがVisual Basicと同等のものと思っていたのが私の大きな勘違いだった……。

■できると思っていたができなかった

 そんな勘違いから、VBAやVBSが書けてればVisual Basicも難なく書けるだろう。そう思っていた。が、現実はそんなに甘くはなかった。ちょうど、Visual StudioのExpressが無料で使えるようになった頃だったろうか。たかをくくってダウンロードしてみたものの、全く使いこなせなかったのを覚えている。

 厳密に言えば、プログラミングとスクリプトを書く感覚の違いを知らなかったのかもしれない。VBSでスクリプトを書くなら、テキストエディタでピロピロ書いていればそれなりに動くものができる。しかし、Visual Basicをやろうと思ったが、あのVisual Studioの使い方がさっぱり分からなかった。そしてあえなく撃沈した。

 スクリプトを書くことと、プログラミングを書くことの難易度の違いを思い知った。そんな暑い夏の日の思い出がある。

■プログラマになれなかった自分

 別にプログラマになりたかったわけではない。結果として、サーバ系のエンジニアとして落ち着いたので、自分の歩んだ方針に後悔はない。ただし、マイクロソフトに変な逆恨みのような感情を抱くようになった。

 そもそも、Officeに搭載されているVBAが中途半端だ。かろうじてクラスの作成はできるが、継承やポリモーフィズムとか、高度なプログラミングの手法が使えない(もしかしたら私が知らないだけかもしれないが)。大規模なものを組もうとすると、かなりしんどくなってくる。

 それとも、VBAで大規模開発しようという発想がおかしいのだろうか? だったらVisual Basicのフル機能使えるようにしやがれ! とどなり散らしたくなったが、Visual Studio Professionlか以上を使えばOfficeの開発ができるとか。ここらへんが知らない人にとってはややこしい。

■Visual Basicと聞いて思うこと

 Microsoftって、ごちゃごちゃしてるなぁ。Visual Basicと聞いて思い浮かぶのはそれだ。分かる人にとっては簡単なことかもしれない。VBとつくものでもVBSとVBAと2つある。また、VBSと似たようなものにjscriptがあったりする。それでいて、スクリプトとして使う人もいればWebで使う事もあった。それからしばらくして.NETが出て云々と。

 ここら辺が整理できずに駆け出しの頃、いったい何を覚えればいいんだと戸惑ったのを覚えている。たぶん、私と同じように戸惑った人もいるんじゃないかと思う。ただ、VBAとVisual Basicでは似通った部分はある。VBAやVBSが書ければ、Visual Basicを使える資質くらいは備わるんじゃないかと思う。

 たまにAccessで複雑に組まれたVBAを見ると思う。そこまでやるなら、Visual Basic使ってアプリを開発した方がいいんじゃないかと。Accessで大規模なDB作るとVBAの機能な限界を感じる。VBSでスクリプトを作りこむなにしても、いっそプVisual Basicでツール作った方が早くないか? と思ったりすることもある。

 ある程度の複雑さをが増したら、VBAやVBSからVisual Basicに切り替える。そういう流れが成り立つなら、Visual Basicの潜在的な需要は大きいのかもしれない。そんなことで、Visual Basicを覚えようかどうしようか、微妙な気分な今日この頃だったりします。

社会の窓から露骨にポロリ

2012/06/08 11:16:34

■OSという社会的ツール

 電機屋に行けばパソコンは山ほど売っている。最近、Apple製品の売れ行きもなかなか好調だ。しかし、仕事をするとなるとどうだろう。実質、Windows以外の選択肢はほぼない。そう考えると、Windowsとはもう1つの企業の製品というより、社会的な1つの共通ソフトになっている。

 つまり何が言いたいのか。

 正に、社会の窓(Windows)ではないだろうか。

■そんな窓から露骨にポロリ

 窓だって、きちんと開け閉めできなければ、ただの穴だ。最近のWindowsを見てると、何か重要な考え方がポロリと抜けている気がする。

そうだよ。露骨にポロリしてるんだよ。

何が抜けてるかというと、コンピュータとしての考え方に何かポロリと抜けている物がある。

 コンピュータとは計算処理をするための道具だ。確かにすばらしい道具だが、広め方がちょっとずれた気がする。OSとして未熟な部分を残したまま市場に出回りすぎたのではないだろうか。

■MacとWindowsのシェアが入れ替わっていたら

 もし、Macが今のWindowsと同じくらいのシェアだったら。きっと、コンピュータの使い方はかなり変わったと思う。2つのOSを使用して感じたのだが、Macには圧倒的にWindowsに勝っている部分がある。

 それは、Macは機能が整理されているということだ。Macは機能を洗練させて使いやすくしてから追加する。Windowsは複雑なままで整理をしない。設定項目を増やしてごまかす傾向が強い。

 つまり、Macの方が仕組み的に使いやすいということだ。Windowsは仕組み自体が複雑なままなので、いくらインターフェイスを工夫しても使いやすくはならない。WindowsではなくMacの方が広く普及していれば、もっとコンピュータを使いこなせる人は多かったと思う。

■Windowsの最大の失敗

 思うに、Windowsの最大の失敗はシステムではなく社会にアプローチしたという事だ。その結果、シェアを確保する事には成功した。正に社会の窓(Windows)といえる程に普及した。しかし、機能のブラッシュアップには失敗したように思える。

 社会へのアプローチに熱中しすぎたがゆえに、機能のブラッシュアップに失敗した。露骨にポロリと重要な部分が抜けた。社会的に主流なOSであるにかかわらず、基本的なメンテナンス性や操作性はLinuxやMacOSと比べてかなりしんどいレベルだ。

 MacOSもバージョンⅩからBSD Unixベースで作り直し、根本的な改善を図った。そして古い仕組みはあえて継承しなかった。Linuxはもとの作りからして単純だ。無駄のないコンパクトな作りという指針で、システムが構成されている。Windowsはどうだろう。新しい機能はかり追加して、肥大するばかりだ。Windowsでは、MacOSやLinuxで普通に行われる「省く」という考え方がポロリと抜け落ちているように思う。

 社会の窓から露骨なポロリ。意外とみんなは生ぬるく眺めているみたいだ。ポロリした実態をしっかりと認識して、どうにかしたいと思うのは、一部のおせっかいなエンジニアのみだろうか。

もしかして、オラオラですか!?

2012/03/25 9:50:33

■まさか、イカサマしていないよな?

 すごい勢いで仕事をこなしてる人、ありえないやり方で仕事を進める人にこんなことを時々思う。手段は何であれ、とりあえず仕事を進められる人の立場は偉い。口がさけてもそんなことは言えないが、心の中でいつも思うのがこの言葉だ。

 まぁ、思うだけで口には出さないのだが、ホントにイカサマみたいなことをしてるときがある。いや、正確に言えばイカサマじゃない。イカサマは「巧妙にだます手口」といったものだが、だませてさえいない人が多い。せいぜいが「ごまかし」といったところだ。

 最近、仕事場でうまくイカサマできる人が減った。だますことさえできず、ごまかすしかできないというのも、見ていて情けない気分になるものだ。

■やっつけてやるぜ、仕事。 

 仕事ってやっつけるものじゃなくて済ませるものじゃないか? もしくは片付けるもの。どちらにせよ、やっつけるものじゃない。やっつけ仕事とは真剣に行うわけでも、技能を投じるわけでもなく、適当に表向きや形だけ完成させる仕事のやり方及び、そういったやり方で済ませた仕事のことをいうそうだ。

 そもそも、投じるべき技能を身に付けてさえいなかったらどうなる? 真剣に取り組むこともできないし、真剣にやったとしても、表面上しか完成しない。仕事への向き合い方を間違えて技能が空洞化した人は、必然的にやっつけ仕事になるのかもしれない。

■もしかしてオラオラですかーッ!?

 そんなやっつけ仕事の専門家が、ピンチの果てに出す最後のあがきがこの「オラオラ」です。権力と言う名の、自分であって自分でないような、JOJO風に言えばスタンドみたいなもの。そんな変な後ろだて任せに、“義務”やら“プロ”やらわけの分からん理屈を無数の拳のように打ち出す。

 これを食らうとひとたまりもない。本当にリタイアしちゃいそうです。たまに、同僚がリアルに再起不能になったりする。最近、このオラオラを見る機会が増えた。似たような技で、相手の意見ややり方を徹底的に否定する“無駄無駄無駄ァァァ!”とか、なんでもかんでも関係無にGoサインを出す“アリアリアリアリーーー!”というのもあった。こんな上司と組むとしたらアリーヴェデルチ(さよならだ:伊語)と言ってやりたいところだ。

■“オラオラ”の別解釈

 最近じゃ見かけなくなったが、地方では自分のことを「オラ」と言う。道理をすっ飛ばして自分の方法をごり押しする人がやる“オラオラ”だが、もしかしたら田舎者の自己主張だから“オラオラ”なのかもしれない。

 オラオラで仕事を進めるようでは、技術者としては情けない。これでは、甲子園優勝チームに、バットも持ったことがない茶道部か何かが挑戦するようなものだ……みじめ……すぎる……。

 『無理』だと? この仕事は無理なことばかりしてきた仕事だった……無理だとか無駄だとかいった言葉は聞きあきたし、俺たちには関係ねえ。いつも仕事でオラオラが続いて、そんな境地にたどり着いた今日この頃です。

真価を見出す者のみが分かる魅力 ~ITの過疎化とリアル過疎~

2012/01/06 17:10:50

■君は和歌山県新宮市を知っているか

 君は和歌山県新宮市を知っているだろうか。大阪から新宮に向かうと、途中、那智勝浦と綺麗な海岸線が見える。非常に自然豊かで空気の綺麗なところだ。これと言ってすごいものがあるわけではない。

 一見つまらなそうなところだが、住んでみると意外と快適だったりする。それなりに大きなショッピングセンターがあるので、買い物に特に困ることもない。意外と物に囲まれて生活するより快適かもしれない。

■日本の抱える過疎という問題

 そんな和歌山県新宮市だが、住んでみて気づいた事がある。18歳~35歳くらいの人がほとんどいないのだ。東京なんかだと、コンビで大学生くらいの兄ちゃんやねーちゃんがバイトをしている事が多い。しかし、新宮では多分人妻であろうかというような方が中心だ。

 市内を歩いていても、人はいるけどそういう若い人がほとんどいない。小学生や中学生はいるのに、大学生くらいの人がいないのだ。この、過疎というものを肌で感じた。

 こんなにいいところなのに、なんで若い人がいなくなるのだろう。この土地の価値が分からない。自然に親しめる生活の素晴らしさが分からない。それが過疎の本当の問題だと私は思う。

■そしてIT業界を振り返る

 IT業界は、どうも若い人に不人気みたいだ。将来、こういう過疎みたいな問題を抱える事になるのだろうか。ちょっと不安です。何十年この業界で働いていて、気づくとまわりを見ると年寄りばかり。そろそろ50歳にもなるのに、自分が一番若かったりする。そんな事、あったら嫌だ。

 IT業界自体、元々の魅力とやりがいはもっとあるはずだ。そういうのが見出しにくくなってきてるんだろうなぁ。他の業界だって不当な競争やデスマーチみたいなものはいくらでもある。トータルで考えれば、IT業界はけっこう居心地いいいかもしれない。

■過疎の共通点

 IT業界と和歌山県新宮市。この二つの過疎には一つ、共通点があると思う。良さが理解されないということだ。これは、アピールが足りないとかそういうものじゃない。それは、感じ取られるべきもであって訴えるべきものではない。

 誰かが言っていた。花は見られずともそこに咲く。泉は知られずとも水は涌くと。大事な事は良さをアピールすることではない。花なら咲け。泉なら沸け。そして、IT系のエンジニアなら自分の仕事に誇りを持とう。そこに花が咲くなら蝶が来る。泉が涌くなら魚が住む。そこに誇りがあるなら、きっと若く優秀な人がそこに集まるはずだ。

 要求される業務が高度過ぎて、若い世代がついてこれない過疎業界。そうはなって欲しくないものだ。

こんな時代だから、あえてDesktopにLinux

2011/11/08 11:49:40

■デスクトップのOSを比較する

 MacとWindows、Linuxをデスクトップとして使い比べてみた。ここらへんは、人によって意見が分かれるところなので、あくまで個人的な意見として聞いてほしい。

 この3つを比べて、一番使いやすいと感じたのがLinuxだ。GUIの使用感は、ちょうどMacとWindowsを足して、2で割ったような感覚。

 Linuxをデスクトップで使うというと、以前はドライバが見つからなかったり、動かない機器が多いとよく言われていた。ここらへんの事情は、最近はかなり改善された気がする。無線LANなどもきちんと認識してくれます。確かに3Dやゲームなどのハイエンドな機器を使いこなす用途には向かないが、汎用的な構成のPCなら、かなり安定して動いてくれる。

■理由は“Free”だから

 実際に、Windowsに比べてLinuxは安定している。重い処理を実行いても、ハングアップしにくい。GUIが固まっても、CUIに切り替えて操作できる。そういう安定感やCUIが充実しているのも魅力的です。

 しかし、最大の魅力は“Free”であることだ。無料で使えるというのも魅力だが、ここで言う“Free”とは、OSの自由度が高いところだ。自分の気に入ったものはいくらでも追加できるし、要らないものはいくらでも省ける。自分の用途に合ったディストリビューションを選ぶことで、より自分の使い方にあったシステムに特化させられる。

■“Free”という名のもとにリスクはある

 確かに、タダで使えて自分の好きなようにいじれるといのは魅力的だ。しかし反面として、扱うにあたっての難易度は高い。GUIの設定でも、適当に設定すると立ち上がらなくなることもある。

 また、ツール類は充実しているが、Windowsのような大規模な商用ソフトがほとんどない。なので、目的を達するためにはいろいろなツールを組み合わせて使用していく必要がある。なので、使いこなすにも要求される知識やスキルは多い。

 それでいてなお、Linuxをにメリットを見出す理由がある。もともとコンピュータの操作にはある程度の難易度が伴う。そういうものじゃなかろうか。私はそう考えるからである。

■商用では実現できない部分

  Windowsは売るために機能が増えすぎて重い。しかし、肝心な部分で機能が貧弱だったりする。Macは非常にいいのだが、ハードウェアの制約が厳しい。あくまで売るために作られるものなので、高機能な代わりに制約のようなものがある。

 その点、Linuxは自由だ。OSの奥深い部分から自分の好きなように変える事ができる。自分の要らない機能を大胆に省くことができる。確かに、ExcelとWordが動かないのはきつい。しかし、Linuxにはそれを補って余りある選択肢の幅がある。

 仕事で使われるようになるのはまだまだ先かもしれない。個人用途で使用するのであれば、Linuxも十分選択肢に入るレベルにきています。ちょっとローエンド気味なPCに使うには非常にいいと思います。

クラウドの先を創造する者

2011/10/17 11:47:45

■事実上、ほぼ出揃った感がある

 最近では、PCだけでなく、タブレット端末やスマートフォンも使われている。1人で複数台のデバイスを使用するようになったので、クラウドコンピューティングが急速に広まってきた。

 EvernoteやDropboxなどのサービスもかなりメジャーになってきたし、最近では、ウイルスソフトにも取り入れられるような概念(?)にもなったようで、市民権を得てきたのではないだろうか。サービスの内容も充実し、出るべきものはほぼ出揃ったように思う。

■ただ空に雲は流れる

 出揃ったのはいいが、出すぎてる感もある。バリバリのビジネスマンならいざ知らず、普通の生活をしてる人が使うのは、せいぜいメールとWebくらいだ。これ以上サービスの種類がいっぱい出ても、持て余すんじゃないだろうか。

 いろんなサービスがボコボコ増えていくと、結局は何を使えばいいのか分からなくなって使わない。そんな傾向がWebの世界でも見られる。IT業界では熱く語ってはいるが、それ以外の人からみれば、空の雲を眺めてるような他人事として見えてるのかもしれない。

 コンピュータは、普通の人には高度過ぎるレベルで進化を遂げた。ExcelやWordにしても、本来持つ性能を存分に活用できている人はごく僅かだ。コンピュータの進化の速度に、人がついてこれていない。というか、そもそもついてく気がないように見える。

■空の雲を見て、人は飛んだ

 WebとメールとExcelが出た時点で、大半の人は満足しきってしまったのかもしれない。今、ITの進化に必要なのは、そんな満足しきった人たちにサービスをねじ込むことではない。冒険心を持つことだ。

 冒険心とは、挑戦し続ける情熱と考えている。当然、道なき道を行くので困難や危険も伴う。そういうものに対しても前向きでいれる精神的な強さも含まれる。冒険心を持って何度も挑戦し続ける。そんな情熱をベースに、人類はいろいろなものを創造してきたはずだ。

 飛びたいと思う人に冒険心があれば、雲を見て、あのくらい高く飛びたいと思う。そして、人類は飛行機を作り雲より高く飛んだ。ITという世界でもそういうことは起こるはずだ。

■冒険心を掻き立てるためには

 この冒険心だが、追い詰められた人の方が冒険心が起きやすい。冒険心を抱く人は、逆に厳しければ厳しいほど燃える。

 便利なものを提供して、利用者を増やす、という手法で発展する経済活動からは、もう新しい技術や発想は出ないだろうと考えている。クラウドの先にあるもの。それは、困難に立ち向かおうとする人達が悶絶しながら生み出していくんじゃないかと思う。

 最近何かの記事で読んだのだが、原発事故のあった地域の復興事業で、ITを推し進めようという動きがあるようだ。新しい流れを作るのは、ビジネスの達人ではなく、そういう明日を望む人たちではないだろうか。

 復興ではない。それを越えた躍進があることを切に願う。

今、太陽光発電が熱い。(俺の中限定)

2011/05/13 11:16:01

■考えてみたらすごくないか?

 発電機とモーターの構造はほとんど同じだ。結局、発電って運動エネルギーを使って行っているのが大半だ。太陽光発電ってそう考えるとすごいと思う。何にも動かさずに、光を当ててるだけで発電する。そこが画期的だと思う。

 動かすということは、どこかに摩擦が生じて摩耗する。その分、メンテナンスが必要だったり、部品の交換が必要になる。太陽光の発電装置では、そういうメンテナンスがかなり軽減されるのではないかと思う。ひとつの装置としての寿命や扱いやすさは、非常に優秀なんじゃないだろうか。

■エコ? 言いたいのはそこじゃない

  よく、太陽発電はクリーンエネルギー、なんて言われ方をする。大事なことではあるが、もっと別な視点のすごさが太陽発電にはある。

 何がすごいかというと、形がないものからエネルギーを生み出すところだ。化石燃料は、燃やしてその熱でエンジンを回したり、タービンを回して発電する。電池にしても、化学反応で電気を発生させる。しかし、太陽光ってどうだろう。形がない。

 形のないものをエネルギーに変えて物を動かす。ここに、エンジニア的にぐっと動かされるものを感じます。

■あえて言おう。人類の科学力はまだ低い

 一見、近代文明は高度に発達しているように見える。しかし、物を動かす方法は磁石を使ったモーターか、化石燃料を使ったエンジンだ。意外と選択肢は少ない気がする。

 電気を流して伸縮する人工筋肉なんかも、それっぽい物はあるが、とても実用に耐えうる物はまだ無い。コンピュータにしても、電気の代わりに光を使って計算する光コンピュータなんて発想もある。ココ>

 人類は、既存の概念を打ち破るような発想をもっと追究していくべきだ。電気とか、化石燃料だけじゃない。世界には、まだ私たちが知らないような凄いエネルギーが存在しているかもしれない。形のない太陽の光を電気に変える。そんな太陽光発電の発想に、大きな可能性を感じさせてくれます。

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Anubis
色々な仕事を渡り歩き、今はヘルプデスクをやっている。
いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

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