いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

その給料は君に見合っているか

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給与イコールその人の価値ではない

私たちはお金を持っている人を偉いと勘違いしやすい。お金の力というのは凄いと思う。いろいろな物を買うことができるというのもあるが、人の思考を歪める力も凄い。お金をたくさん持っていると、変に気が大きくなったり、自分の価値を過大評価しやすくなる。また、周りの人も影響を受けて、変に持ち上げたり、妬んだりする。

人の価値といってもいろいろな基準がある。人間性みたいなものだったり、スキル、実績、希少価値、身体的特徴など、先天的なものから後天的なものまで多岐にわたる。また、それぞれが相乗効果を生んで価値が高まることもあれば、陳腐化して極端に価値が下がることもある。人の価値が数値化できたとしても、固定化は無理だろう。

仮に給与をその人の価値だとしても、給与すら上下する。しかも、本人の能力とは関係なく社会的な要因に左右されやすい。その人自体の能力を判断する基準としては、不適切であると言わざるを得ない。能力が必ずしもお金に換算されるとは限らない。能力の高さと年収の高さが合致するのは、あくまでエンジニアの希望でしかない。行きすぎれば正常な判断を鈍らせる。

人の優劣を明確化して、優だけを取っていれば自分の思い通りにいく。さしずめそんな考えなので、自分の優劣が気になるのだろう。そんな価値観の出所を突き詰めると給料の額になるんじゃないだろうか。実際のところ給与の額は運に左右される要素が大きい。給与が高いことに喜ぶのはいいが、故に優れていると勘違いすると、自分の状態を冷静に見ることができなくなる。

スキル イコール 年収という幻想

ここら辺を語らせたらコメント欄がもりあがるだろうな。だが議論する気は全く無い。各個人が己の希望をぶちまけるだけで、全く無価値だからだ。多くの人が高い給与が欲しい訳だ。それぞれが自分の有利な条件を提示して給与を払う人と無関係の人にぶつけてどうなる。給与云々で意見があるなら、給与を出してる人に直接話しやがれ。その度胸が無いなら黙ろう。

私の判断基準としては、「スキルが高くても年収が低い人がいる」という事実と、「スキルが低くても年収が高い人がいる」という二つの事実をもって「スキル イコール 年収」という理屈が成り立たないと判断している。それだけだ。私は無理に年収を上げる気はあまりない。なので、ここら辺のデータを細かく整理して分析する気は無い。やりたい人は勝手にやってくれ。

そもそも年収が欲しいなら技術というのはアプローチが違う。ビジネスは奪い合いだ。単に稼ぎたいなら、ガンガン相手を蹴落として頂点を目指そう。その代わり、必ず一定の割合で負けるので、蹴落とされたら諦めろ。むしろ必要なのは技術より新鮮な情報や時代を読むセンスだ。稼ぎたいなら、技術を身につけるより、技術を持っている人を使えるようになろう。

本来なら高い技術が有効に活かされることで、世の中がより良く発展する。そのリターンとして収入が上がる。だが現代では、このような流れが完全に破壊されている。ルール無用のビジネスという名の殴り合いだ。理想と現実のギャップが大きい状態だ。稼ぎたいなら、技術とか自分の価値とか生ぬるいことを語らずに、ためらわず他人を殴れるようになろう。不本意と思うが、実際に稼いでいるのはこういう人間だ。

年収の壁

エンジニアがスキルと金を結びつけるようになったら気をつけて欲しい。低い年収から普通の年収にアップする手段であれば、スキル イコール 年収はある程度成り立つ。しかし、普通の年収から高い年収になると全く別の話になる。必要になる要素が、個人のスキルではなく、どうやって金を生み出すかの戦略になる。スキルと戦略は別物だということは認識しておくべきだ。

これは実際に稼いでいる人を観察していて感じたことだが、稼げる戦略を立てる人が求めているのは、高いスキルではなく換金できるスキルだ。稼げない人に限って、高いスキル イコール 換金できるスキル と結びつけたがる傾向が強い。稼ぎたいなら、何のスキルが金になるかという情報と、手元のスキルに固執しないフットワークの軽さを身につけた方がいい。

その大変さを知っているので、私はお金を稼ぐことをあまり追求したくない。自分の願望と年収を結びつけているような考えでは甘すぎる。稼ぐ人の視点は、自分が云々ではなく勝つことに集中している。求めているのはスキルではなく金の成る木だ。ぶっちゃけると、その本気さに私はドン引きした。本当に稼ぐ人の思考や行動は、おおよそ常人には真似ができない。

経験則から言うと、年収の高い人は激辛な人か激甘な人に二分される。人並み突き抜けて戦略に優れた人か、よほど運の良かった人だ。もしくはずるい人。いずれにせよ、単にスキルを高めるだけで至れる境地ではない。普通の年収から高い年収へ至るには、よほどの運、高い戦略性という壁を超える必要がある。あと必要になるのは、ある種の冷酷さだろうか。優しい人には酷だと思う。

年収ファンタジー

世の中に出回っている年収アップの話は、大半が願望主体のファンタジーだ。こうなったらいいな、こうありたいなという心に響くポイントをくすぐってくる。実際に稼いでいる人は、こういうきれい事を実践しない。マシーンのように戦略を淡々と実行している。稼いだらこうなるという話も同様にファンタジーだ。稼いでいても、汚部屋で物に埋もれるような生活をしてる人は多い。

給料が自分に見合っているかどうかではなく、貰った給料を上手く運用する方が賢い。給料が自分にふさわしいかどうかを熟考したところで、あまり冷静に判断できない。こういうものは、むしろ他人の方が客観的に判断できる。満足のいく結果は得られるか分らないが、今後の自分の動き方を決める上では役に立つと思う。冷静な判断がでいる他人は大事にしよう。

なんでもかんでもお金に結びつけて考えると、金じゃない部分で抜けや漏れが出てくる。家庭の話を持ち出すのも何だが、うちの父親はかなり高給だった。しかし、稼いでいることにかまけて、オカンをほったらかしにしてたので、家庭内は殺伐としてた。おかげさまで私はプライスレスな損益を受けた。まぁ、ゴタゴタと・・・。今は収拾がついたが、いろいろ苦労が多かった。

結論としては、給料が自分に見合ってるかどうかより、生活が見合ってるかどうかを見直そう。生活は給料を含めた全部だ。給与が少々低くても、やりくり上手な素敵な嫁さんに支えられて幸福を満喫できたら、其奴は勝ち組だ。嫁さんいなくても、やりたい事を満喫して満足できれば其奴は勝ち組だ(オレ)。年収のような、人と比べて優れる方法は限られる。だが、自分が満足を得る方法はいくらでもある。

Comment(6)

コメント

こぐぱんだ

> 本来なら高い技術が有効に活かされることで、世の中がより良く発展する。そのリターンとして収入が上がる。

そうあってほしいと心から願います。そうじゃないから、先日の記事にもあったように、とかく不要なサービス、モノが増え続けるのです。
IT事業に限らずどの業界でもそうですが、いかに消費者を騙して金を稼ぐか、そのことばかり考えられているように感じます。
政治不信と同じくらい皆「ビジネス不信」になってもおかしくないはずなのですが…。
日本人って騙されて踊らされることに快感でも覚えてるんでしょうかね。
記事のまとめに通じますが、「幸せとは何か」をとことん追求して生きていけるような社会になることを望みます。

元気次第

朝の通勤バスで読ませて貰いました。
今日は「勝ち組」気分で行けそうです。

匿名

コメントしてませんがいつも楽しみに読ませてもらってます。
記事に「いいね」ボタンあったらいいのに・・・。

母より

言い訳はいいから早く結婚しなさい。

Anubis

> 母へ


人の心配より人生エンジョイして幸せになりやがれ、こんにゃろう。

匿名

>こぐぱんだ さん

コメントの承認が遅れてしまいました。すみません。

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