いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

キチンとやろうとするほどハマってないか?

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心意気だけでは何も変わらない

マネージメントをやる人は、とにかくキチンとやらせることが大好きだ。このことを凄く疑問に思う。物事にはメリハリが大事というが、この手の人はハリっぱなしだ。つまりのところ、メリハリが大事と言いつつ実現できていない。結果だけ見ると、何も考えずに力んだだけになってしまう。

大半の経営者やマネージャは勘違いをしているが、ポリシーを叫んで鼓舞するのがマネージメントではない。実行する条件を整えるのが役割だ。こういう人は、マネージャとしての条件を備えていないので、マネージャとはカウントしない。実質、マネージメントができる人材というのは、かなり少数だろう。

子供の頃を思い出して欲しい。親が「勉強しなさい!」と騒ぎ立てて勉強したためしがあるだろうか。大抵、「勉強しなさい!」と言うほど意欲が削がれて勉強したくなくなったのではないだろうか。あれと同じことをやっているのだ。結果はだいたい想像がつくと思う。

ドラマやらアニメだと、心意気だけでガシガシ結果が出る。正にあのノリをそのまま実行に移している。生身の人間がやると、あっという間にエネルギー切れを起こしてしまう。成功してる人はちゃんと考えて行動している。人間の精神にしても体力にしても、有限であることを知っている。

キチンとやろうとするほど現実と食い違う

キチンとやるとは何なのだろうか。人によって何をもって「キチンと」なのかは定義が色々あるだろう。ただ、大半の人に通じるところで行けば、正しい意見でみんなを納得させて結果を出すといったところだろうか。正しいとか、納得させると言うのがキーワードになる。

ただ、実際のところ人というのは正しければ納得するのではない。自分の都合が良ければ納得するのだ。間違えた意見でも、聞く人の耳に甘く響けば納得する。また、正しい意見を言うと、逆に反発されることもある。人の思考の基準は、正しさでなく欲望だ。

人を納得させるには労力がかかる。結果を出すにも労力がかかる。結果を出せる方法がみんなの納得のいく方法とは限らない。これら三つを関係付けて考えると、単に結果を出すより、キチンとやるというのは格段に難易度が高いことが分かるだろう。

納得させる対象が自分だったとしても同じだ。自分の納得のいく方法が結果の出る方法だとは限らない。結果を出そうと思えば、大なり小なり自分の思い描くものと違う現実にぶつかる。キチンとやろうという気持ちが強いほど、自分の思いと現実の違いに苦労することになる。

自分の思いと現実のギャップ

適切な目標と適切な方法を取れば、誰にでも相応の結果を出すことはできる。ただし、身の丈に合わない目標を立てると、結果を得るための難易度は格段に高くなる。現代人というのは、やたらと身の丈に合わない目標ばかり打ち立てる。軋轢が増えて当然だ。

そもそも、普通にやってもできない事の上に、崇高な目標やら理想を上積みしてできるはずもなかろう。自分から負荷をかけて、「頑張ったけどできなかったよ。でも、こんな凄い目標に向かって頑張ってるんだよ、凄いでしょ!」とでも言いたいのだろうか。

計画や目標についても、基本的にはスクラップ・アンド・ビルドの繰り返しが必要だ。何をバカな事を言っているんだと思われるかもしれないが、現実では条件が絶えず変わる。そんなに緻密な計画を立てても、条件は外的な要因で変わる。どんなにキチンとやろうとしても、外的な要因で変化する条件はコントロールしきれない。

突然のメンバー欠落や仕様変更、人災天災など、自分たちでコントロールできない要因なんていくらでもある。条件が合わなくなったら計画の強行より、条件のすり合わせではないだろうか。実際のところ、計画に固執して強行する人より、こまめに条件を見直して調整する人の方がトラブルは少ない。

義務の鼓舞では変われない

失敗プロジェクトでよく見るのが、最初の段階の段取りはしっかりしているが、後で総崩れになるパターンだ。これ、どこかで見たことがあるなぁと思ったら、夏休みの宿題のパターンだ。夏休みの最終週になって慌ててバタバタとやる様が、プロジェクト終盤で炎上する様に酷似している。

一見共通点がなさそうだが、失敗する夏休みの宿題と失敗するプロジェクトには確実に一致する点がある。義務だけを鼓舞して計画を進めさせようとするところだ。親に言われた「勉強しなさい」とマネージャに言われた「進捗」が、何かダブって聞こえてしまう。義務の催促なので、立場的な動きとしては的確だ。しかし、それ以上の意味は無い。

過剰に義務を鼓舞すると、「きちんとやらなければ」という意識だけが育って手段が育たない。これに尽きると思う。個人にしても組織にしても、意識づけで盛り上がりすぎて、実行する段階で力尽きているように思う。意識を高く保つというのは、想像するよりエネルギーを消耗するものだ。ましてや現実とのギャップが大きければ、消耗するエネルギーも多くなる。

今、何が必要かと言えば、義務を鼓舞して意識を高くするよりも、手段の見直しではないだろうか。チームなら対話、個人ならスキルチェックといったとこだろうか。意識を高める前に、手元に実行できる手段がどれだけあるか把握しよう。あくまで、思考の起点はそこからだ。意識の高さだけで何とかなるのは、漫画や小説の中だけだ。

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