いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

百年後に読みたい本 -- 書評 レッドビーシュリンプの憂鬱 --

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僕たちの知る百年前

 人の寿命をだいたい八十年とすると、百年後には今生きている人はほぼ入れ替わっているだろう。百年前といえば、明治時代の始めくらいだろうか。まだ町は江戸時代の香りが残っていたことだろう。流石に、今、東京に行っても江戸時代の香りなんて全く残っていない。高層ビルがバンバン立ち並び、鉄のレールの上を電気の力で走る車が轟々と走っている。たまにそんな風景が不思議に見えてしまうことがある。

 百年という歳月は色々なものを変える。今世紀、最も変わったのは科学だろう。百年前はみんな田んぼ耕して暮らしてたのだ。パソコンとかプログラミングとか、概念すら存在しなかった。そんな時代の人がもし現代に突然姿を現したらどうなるだろうか。この科学文明ではち切れそうな日本を見てどう思うだろうか。

 人の価値観というのも、年月が経つことで大きく変わる。自分が生きてきた間でも、色々な価値観が大きく変わっていった。最近、やたらクネクネしてて露出度の高い女性キャラに食傷気味で、ふと見た八十年代のアニメにハマっている。当時はそう感じなかったが、あの頃の日本は元気だったと思う。編集者さん、いかがでしょうかね?

 百年後の世界では、きっと私は生きていないだろう。もし顔を知っている人がいるとしたら、自分の孫くらいになるのだろうか。きっとその頃には、私も別の存在として転生して、今とは全く違う価値観で生活していることだろう。もし来世、人間の世界に生まれるとしたら、ぜひ読んでみたい本がある。それが今回の書評に取り上げた、「レッドビーシュリンプの憂鬱」だ。

登場人物たちの根底にあるもの

 「レッドビーシュリンプの憂鬱」は以前、「罪と罰」という題名でエンジニアライフで連載されていた小説だ。もし私が小説を書いたとしたら、さしずめ「平家蟹の逆襲」という題名だろうか。派遣で働いて理不尽な扱いの末、別の現場で大きな成果を上げて元派遣先の人たちと再会するというストーリーだ。もっとも私にはリーベルGさんのような文章は書けないので実現することは無いと思うが。

 話は大きく横道に逸れたが、この小説は現代のエンジニアの理不尽なあるある話をがっちりと捉えている。共感していた方も多かったことだろう。毎週、コメント欄で色々と感想が書き込まれていたのを覚えている。実のところ私も毎週小説が更新されるのが楽しみだったりした。

 ただ、個人的な感想を言わせて頂くと、他の方と全く別のことを考えていた。エンジニアとしてどうこうというより、ベーシック・インカムが導入されれば、こんなギクシャクしないで済むよね。ベーシック・インカムとまで言わなくとも、失業した際の福祉や職業訓練の成熟、教育方針の再検討など、ちょっとした工夫で世の中はぐっと生きやすくなるよね。と、そっち方面に思考がいってた。

 逆ととると、現代というのは非常に生きづらい世の中だ。食料の生産性が格段に上がり、食べるためだけに働かなくて良くなった。食べるためだけでなく、色々な文化的な活動、学問を追求する余裕を人類は手に入れた。・・・はずだが、実際は無益な競争に明け暮れて殺伐としている。まさに当時読んでいた「罪と罰」の背景にあったのは、荒んだ世の中だったと思う。

それでも世界はきっと輝く

 バブルがはじけて以来、日本は暗い話題ばかりだ。世界を見渡しても、社会問題で溢れかえっている。しかし、十年後は考えられないくらい素晴らしい時代になっていると私は思う。近いうちに、天変地異や人災によって社会は崩壊寸前までいき、「これでは本当にヤバイ!」と思った時、価値観の相転移が起きて、状況が嘘のように好転する。多分そんな流れだろう。

 世界というのは、自分たちの想像するより大きな変化の可能性を秘めている。この百年で信じられないほどに科学が発展したように、次の百年で全く別の価値観が生まれ、今とは全く違う世界になっているかもしれない。事実、この百年で大きく変わったのだから、次の百年でも同じような変化が起きてもおかしく無い。もしかしたら、経済やお金に対しての価値観も全く別のものになっているかもしれない。

 そんな大きな変化の後に、思い出したようにこの小説を読んでみたい。その時、自分は何を思うだろうか。もちろん、今生、私がこんな書評を書いているなんてさらさら覚えてもいないだろう。登場人物たちに共感するだろうか。おかしなことをしていると笑うだろうか。それとも、アレンジして別な小説を書くだろうか。

 百年後は言い過ぎかもしれないが、十年後でもふと思い出した時に読み返してみてはどうだろう。この小説が連載されていた頃の私は、自分の境遇に対して必死に抵抗していた時期だった。現在の私は、抵抗の末に成果を勝ち取っている。そういう自分の身の変化があっても、この小説を読んだ時の印象は大きく変化する。

百年後にも残っていて欲しい一冊

 多少大げさな言い方かもしれないが、この「レッドビーシュリンプの憂鬱」という小説は、私たちエンジニアが精一杯今の時代を生きた証かもしれない。多くの人が共感したということは、それだけ多くの人の納得と生き様がそこに描かれている。今の自分たちを後の世に伝える一冊としてふさわしいと思う。

 人間には、自分たちの意思を多くの人に伝えたいという欲望がある。そして、多くの人を知りたいと思う欲望もある。この二つが時代を超えて噛み合った時、自分の体験したことの無い世界を想像することができる。今は失われて、決して体験できない世界を、当時の人たちの言葉で蘇らせることができる。

 この小説を読んで、様々な人が様々な感想を述べている。多分、その答えが出ることはないだろう。しかし、全く別の時代に生きる人たちがこの小説を読んだらどうだろう。いとも簡単に答えを出すかもしれない。現代の科学が様々な謎を解き明かしたように、今、私たちが向き合っている様々な思いに、未来の人たちが明確な答えを見つけてくれるかもしれない。

 「罪と罰」の連載を楽しみに読んでいた方も、改めて読み返してみると、全く違う印象を受けるかもしれない。日本だけでも日々、多くの本が読まれている。そんな中のたった一冊かもしれない。少し大げさな物言いかもしれないが、そこには私たちが共感した歴史が確かに刻まれている。ぜひ、書店で見かけたら手にとって欲しいと思う。

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