いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

キャリアプランって何なんだか

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キャリアプランという考え方は古くないだろうか

 エンジニアライフにキャリアプランをテーマにしたコラムを書いている人もいる。そういう方々に真っ向から対峙する形になるのだろうか。私はキャリアプランという考え方が嫌いだ。

 中学、高校と良い成績を取り、良い大学へ行く。良い企業に就職して、出世して、安定した家庭を築く。定年後は仕事で貯めたお金で悠々と過ごして安らかな最後を迎える・・・。だいたい普通の人が描くライフプランはこんなところだろう。

 このライフプランの内の、仕事に関わる部分がキャリアプランだ。よく考え欲しい。単に生きていくためだけにキャリアプランを考えなければならない世の中って、詰んでいないか?本来であれば、キャリアプランなんて成し遂げたい事のある一部の人間だけが考えれば十分じゃないだろうか。

 普通の人の考えるキャリアプランというのは、必ず「良い大学へ行く」とか「良い企業に行く」とか、競争に勝つことを前提に立てられる。失敗したケースの対策が抜け過ぎてる。そんな百戦錬磨の負け知らずのプランを立てる時点で、計画を立てるセンスが無い。

理論的というだけでは競争に勝てない

 現代の日本人は、つくづく戦うセンスが無いと思う。大学受験にしても、何かやりたい事がある訳でも無いのに、ランク付けをして有名校を狙う人が多い。大きい企業に行くと、「キャリア」と称して無益な政治争いを繰り広げる。お前ら、何気に戦うの大好きだろ。その割に、センスの欠片も見当たらない。

 時代のニーズを追いかけるのもいいが、情報という形になった時点で既に遅い。最近、しきりに人工知能のニーズが高まっているような雰囲気だが、そういう情報が出た時点で人工知能の勉強をしたのでは遅すぎる。スキルを身につけた時点で、同じスキルを持った人は掃いて捨てるほど溢れていることだろう。

 プランの考え方というのは、自分たちの考える「理論的」では通用しない。誰かを超える事を前提としているのに、誰もが考える理論を持ち出すのはナンセンスではないだろうか。僅差をめぐる泥沼の奪い合いに疲弊することになる。「理論的」は思うほど万能ではない。

 競争する以上、一定の確率で負ける。勝ったとしても、膨大なエネルギーを消費する。競争に奔走すると、本質を見失い易い。本質を見失った人が高度なプランを立てても、競争が激化するだけだ。実質、単に暴走しているのと変わりがなくなる。

これからの時代はキャリアポリシー

 キャリアプランというのは、キャリアに対する計画だ。定石としては、世の中の傾向を分析したデータを元に計画を立てていくことになるだろう。ここで一つ考えて欲しい。普通の人が普通に情報を集めたら、だいたい似たような情報が集まり、似たような考え方に至る。こういう状況で競争をすると、みんなが同じ方向を目指すので、競争が激化する傾向が強くなる。

 つまり、普通の人でいるなら激化した競争に巻き込まれてしんどい思いをするということだ。なので、普通の人ではなく、やりたいことがはっきりした人になる必要がある。そこで、キャリアプランを立てる前に、どういう仕事がしたいか、何を成し遂げたいか、そういう自分自身のアイデンティティーを確立しておこう。コレを勝手に「キャリアポリシー」と呼ばせてもらう。

 そもそも、自分が何をしたいかぼんやりしているのにプランを立てるは、ナンセンスだとは思わないだろうか?プラン立てる前に目的はっきりしろよ。みんなが大好きな表現を使うなら、キャリアポリシーとは人生の要件定義だ。要件定義ができていないシステムを受注して炎上しているのを、腐るほど見てきているだろうに。

 キャリアプランとかぼやく前に、まず自分のキャリアポリシーを持とう。キャリアプランというのは世の中の条件が変われ立てなおさなければならない。キャリアポリシーは自由だ。変えたければ変えればいい。貫きたければ貫こう。大事なのは、自分の意志だ。これが固まらない人に成果は出せない。

際限無しな欲望に成功は無い

 いろいろと横文字を並べて難しい事を行ってみたが、要はプランばっかり練ってないで、自分の実力の底上げをしようということだ。そのために必要なのが、「自分が何をしたいか」や「自分がどうありたいか」という、ポリシーだ。これが無いとモチベーションが生じずに動けない。

 キャリアプラン云々聞いていて、「お前、本当にそれしたいのかよ」とイラつくことがある。ちやほやされたいなら、仕事で困難な目標掲げるより、気遣いできるようになろう。楽な暮らしがしたいなら、田舎暮らしでもしよう。あれもこれもと際限なく求めても仕方なかろう。だから難易度が際限なく跳ね上がって「こんなはずじゃなかった」になるのだ。

 自分の本当に欲しいものを明確にしたら、取捨選択が必要になる。これをするためには、キャリアポリシーが必要だ。得たいものをリストアップして、現実と照らし合わせる。その上でないと、キャリアプランなぞ何の役に立たないだろう。そもそも、取捨選択のできない人は、欲望に翻弄されて納得の得られる結果に辿りつけない。

 それでもキャリアプランと言いたい方は、信頼できるキャリアコンサルにでも相談しよう。客観的な視点と質の高い情報がなければプランの質も確保できないだろう。ただし、どんなに優秀なキャリアコンサルでも、クライアントの実力不足は補えない。キャリアプランも大事だが、自分自身のポリシーに基づいて努力を継続すること。これが王道ではないだろうか。

Comment(2)

コメント

非現実性AR

LongLongTimeAgo,遙かなる昭和の昔に「自分探し」なるバズワードがありましてな。

やりたいことなんてもんは自分でもよくわからない、元からそんなもんは存在しないんじゃないの等と思わなくもなかった当時でありますが。

と言いますか仕事分野でやりたいことがある人なんてどんくらいいるんですかね?

人生の半分くらいは仕事で占められるんですから、そりゃやりたいことやってドーパミンどばーな方がハッピーではありましょうが。

ただ、人生プランの絶対条件にそれが入ってる風潮は如何なものかと。

もっとおおっぴらに「仕事なんざ生活費稼ぐもの以上でも以下でもねえよ」が認められてもいいと思います。割りとマジで。

user-key.

今、ニートが増えているのも、キャリアポリシーが無いからじゃないか?
と思ってしまった。
偏差値だけで学校を決め、得意不得意は関係なしってどんな罰ゲームだよと。
やりたいことを仕事に出来なくても、不得意でないものを仕事に出来る様にすべきと思った。
ふと、不味いものを食べると体調を崩しやすいので避けたいけが、
とんでもなく美味しいものを毎日食べるのは無理かもしれないが、不味くないのを少しづつ、美味しくして行けば良いんじゃないか?と。

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