いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

やっぱり根性論だよ。

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■手塚さん、大きいの釣れました!

 手塚さんのコラムを読んだ。いや、根性なんてインパクトのある言葉を使われたら、もう乗るしかないでしょ!根性論については、正しいか正しくないか、個人的にはどうでもいい。熱い言葉を出されたら、もう乗るしかないだろう。テーマに追従する理由はそれだけだ。

 追従するなら、「はいはい、いう通りです。私もそう思います~♪」と慣れあうより、真っ向から逆意見を唱えた方が読んでいる方も面白いだろう。。実際、根性という言葉はどちらかと言えば好きだ。そんなことで、「いや、必要だろ。根性。」というスタンスでコラムを書いていこうと思う。

■そんなことで、まず根性という言葉を調べてみた。

 根性、根性というが、そもそも根性って何だろう。グーグル先生に聞いてみた。ヒットした内容を並べてみて、ほぼ同じ(というか、ほぼ丸写し)なので、言葉の意味としてはこうなのだと思う。

デジタル大辞泉の解説
こん‐じょう〔‐ジヤウ〕【根性】

1 その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有の性質。「根性の腐った奴」「島国根性」「やじ馬根性」
2 物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力。「根性のある人」「見上げた根性の持ち主」

goo辞書

こん‐じょう〔‐ジヤウ〕【根性】
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1 その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有の性質。「―の腐った奴」「島国―」「やじ馬―」
2 物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力。「―のある人」「見上げた―の持ち主」

なんか、言葉の意味でいうと、一般的な根性論とかみ合わないような気がする。そんな私のもやもやを、Wikipediaさんが吹っ飛ばしてくれた。

--根性論-- By Wikipedia

根性論(こんじょうろん)とは、苦難に屈しない精神=根性があれば、どんな問題でも解決できる・またはどんな目標にも到達できるとする精神論の一つ。
人間の限界を引き上げるものとする考え方の一方、近年では、軍国主義の精神論に近い人間の尊厳を軽んじる思想として厳しく批判されるなど、その賛否は大きく分かれる。
なお「根性」とは、本来は仏教用語の機根に由来する言葉である。現在の根性は「異常なまでの努力」といった意味で使われる場合が多いが、本来は「その人間が持って生まれた性質」であり、より深くは衆生が仏の教えを受け入れられる能力や器の浅深のことと言われる。これが現在のような意味合いに変化(誤用)されるようになったのは、東京オリンピック(1964年)の女子バレーボール日本代表チーム(いわゆる『東洋の魔女』)に特訓を課し、金メダルに導いた指導者大松博文の発言がきっかけと言われている。

・・・

これが現在のような意味合いに変化(誤用)されるようになったのは」

変化(誤用)されるようになったのは

それは根性という本来の意味とかみ合わなくて当然だ。自分なりにスッキリした。手塚さんが根性論は要らないと思うのにも、別の角度から納得がいく。

■本来の意味で考えると、根性論というのは必要じゃないだろうか

 辞書に載っている意味、「その人の本来的に持っている性質。」、「物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力」であれば、エンジニアに限らず、何かを成し遂げるには必要な要素だと思う。そして、それを説く根性論とは追及することに利益がありそうだ。

 つまり、巷で言われる根性論の根性は、本来の意味での根性ではない。単に無茶をさせるための方便でしかない。確かに、そういう人の言い分など聞いたところで得られるものはない。そんな本来の意味とちがう根性を説いた根性論など明らかに要らない。

 バカに追従して無茶をしても、つられてバカになるだけだ。利益があるとすれば、自分の過ちに気づいて方向転換をした時だろう。頑張る理由を説明できないから、根性論というのを使うのだろう。理由なき頑張りに成果は望めない。なので、根性論で無茶を強いられるようであれば、距離をとるのが得策だろう。

 一般的な根性論でいけば、怠惰にはなりにくい。だが、理論性が致命的に欠けるので、物凄い勢いで無知になる。エンジニアとしては致命的だ。勤勉なバカほどたちの悪いものはない。エンジニアで根性論を説く人がいたら、間違いなく自分と回りを無知で覆いつくし、プロジェクトを大炎上にいざなうことだろう。

■根性の無い人にプログラムなんて書けません

 まぁ、そんなことで、「根性でプログラム書け」なんて、まともなエンジニアの前でボヤいたらフルボッコにされるのは間違いない。だが、本来の意味での根性で考えたらどうだろう。特に二番目の意味、「物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力。」は、プログラムを書き上げるのに必須だと思う。

 また、一番目の意味「その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有の性質。」というのも、プログラムを書く上で。把握しているとすごく役に立つと思う。こういうものを見抜く能力があれば、自分の得意分野を見出したり、問題を迅速に見抜くのに役立ちそうだ。

 こういう、本来の意味での根性を説く根性論であれば、非常に役に立つものにならないだろうか。理論という土台の上で、たくましい精神、気力をどう培っていくかという理論だ。ただ、一般的には根性論とは言われない別のものと認識されると思うが。

 とはいっても、一般的な根性論に含まれる、努力やつらいことに耐えるという要素であれば、確かに事を成すには必要な要素だ。こういうものには私も熱くなれる。ただし、根性という言葉を使ってやらせるただの無茶には萎える。根性論を聞いたら、どちらを説いているのか見抜くようにしよう。そうすれば、一般的な根性論でも利益を得られるのではないだろうか。

Comment(2)

コメント

天狗の高下駄

>変化(誤用)されるようになったのは
>根性論を聞いたら、どちらを説いているのか見抜くようにしよう。

先週そのコラムを読んで以来モヤモヤとしていたものがスッと胸落ちしました。

本記事自体いつもの多分にネタ的なソレだとは思いますが、それでもこの2点
(言葉の意味の変質と自分自身の責任で考え判断すること)は根性論だけにとど
まらず、仕事上で円滑にコミュニケーションを取ろうとする場合、重要な要素
ですからねぇ。

(言葉の変質を恣意的に解釈すると揚げ足とったり取られたりと言うことも起き
ますし)

elcaminoreal255

その昔、プログラミング経験ゼロの一般人に速攻でスクリプトを書いてた時、当然タイプミスとかあって一発で動かないわけですが、その様子を見た一般人、「プログラミングって根性だね」。まぁ人工知能ならきっと一発で書いてくれるんでしょうけどね。

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