いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

十年先でも通用する技術より十年前でも通用する技術

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■最新技術の価値

 技術を学ぶ時に気をつけておきたいのが技術の時価だ。最新という鮮度で、輝いて見えてしまうことがある。それを身につければ、自分がすごく最先端を走っているように見えてしまうのだ。

 最先端を走ることと優れていることはイコールではない。持っている情報の新旧と、持っている情報に対しての理解の深さは別々に考えよう。これができないと根拠のない憶測に振り回されることになる。

 「新」と頭に付くと、何かが改善されたとかワンランク上がったと勝手に解釈しやすい。実際は、条件の分岐が一つ増えるだけだ。最適な方法は、全体を見て判断する方が間違いが少ない。

 自分が勉強した技術を振り返ってみよう。着手した技術と動機をリストアップしてみよう。何となく自分の傾向が見えてくると思う。目移りしやすいタイプか、堅実に一つの事を追求するタイプか、実は話題を追求していただけだったのか。客観的に判断できると思う。

■最新技術にキャッチアップできる人とできない人

 最新技術に素早くキャッチアップして自分のモノにしているような人って、やはり凄いと思う。しかし、彼らをよく見ると、知能が群を抜いて高いとか変態的な特殊能力がある訳でもない。ちょっと優秀な普通の人だ。

 そういう人たちをよく見ると、動き方に一定の規則がある。自分の手元にある技術と、最新の技術の差分をとって要不要を判断しているのだ。必要な部分だけ勉強するのだから手間もかからない。要不要の判断をつける際に必ず理由を考える。なので、手早く堅実に最新技術にキャッチアップできるのだ。

 最新技術に素早くキャッチアップできる人は、技術を評価できる基準が固まっているのだ。その評価基準は何かといえば、本人が元から持っている技術だ。ただ、技術というとそれぞれの解釈が広がりやすい。もっと絞れば、技術に対する理解の深さと経験の積み重ねだ。

 キャッチアップできない人は、一から全部を学ぼうとする。学習量が絶対的に違ってくるので、到底無理な話だ。そういう人からキャッチアップできる人を見ると、ものすごい勉強量をこなしているように見えてしまう。実際は、差分をチョイチョイ追加してる程度のおまけ程度の労力しか費やしていない。

■十年先でも使える技術とは何だろう

 十年前の十年先で通用する技術が、今の現行で通用する技術だ。逆算して、十年前の十年先でも通用すると言われた技術が十年後、通用しているだろうか。もしそうなら、十年前に身につけたその技術は、十年先でも通用する技術だった証明になる。だが、その技術が十年先でも使える技術と認識していただろうか・・・・。

 云々、普通の人ならこう考える。これに関してははっきりした回答がある。

「そういう考え方だから、十年先でも通用する技術が身に付かないんだ。こんにゃろう。」

十年先でも通用するかどうかは、技術の対象ではなく取り組み方だ。どんな技術を身につけたかのお品書きではなく、自分自身の頭がどれだけ動くかだ。

 十年先で何が通用するかしないかなど、予知能力でもなければ分かるはずが無い。また、十年先に通用しても、今は不要な技術もある。予測に頼るのはただのギャンブルだ。仮に、そんなやり方で先を見通しても、見通し続けることはできない。

 何が十年先でも通用するかではなく、どう十年先でも通用させるかだ。方法は簡単だ。まず、一つの技術を深く理解する。あと、他の技術と対比できるようになればいい。それができれば、流行の変化に流されずに済むし、自分に足りない要素も分析できるようになる。結果、十年先でも通用できるようになる。

■十年先より今を生きろ

 時代の先を読めるというのは、賢さの象徴みたいになっている。だが、よく考えてみよう。先を読める=賢い → 必死に先を読む → 俺、賢い! というマヌケなフローに嵌っていないだろうか?

 先を読むというのは、基本ギャンブルと同じだ。読めたとしても技術が付く訳でもない。時代を先取りして少ない労力で優秀と言われたい。そういう目的なら、そもそもエンジニア向きではない。根拠の乏しい予想に頼って楽を求めるからだ。

 素晴らしいツールが出ようと、画期的な方法が編み出されようと、それを使いこなす下地がなければ役に立たない。今、手元にある技術が全てだ。そして、これからどうなるかではない。これからどうするかだ。

 最新技術には華やかな謳い文句が添えられる。ただ、それを真に受けると本質が見えなくなる。本質が何かと云々考える前に、実質を身につけよう。本質を見抜けば実質が付いてくるのも事実だが、実質がなければ本質が見抜けるはずもない。

 ごちゃごちゃと言ってみたが、答はシンプルだ。まず、手元にある技術を極めよう。話はそれからだ。

Comment(14)

コメント

oka

極める、というと完璧主義に陥り、あまりいい結果にはならないように思います。
何か特化した技術を身に着けて、それだけで食べていけるような状況になるならいいですが。。
現状のWeb系などは新しい技術が出てきすぎて、一つの事を極めようとするのは逆にマイナスになるのではないかと。アルゴリズムとかデザインパターンとか深い部分の話になればべつですが。
華やかな謳い文句といえばrailsでしょうか。確か開発工数を10分の1ぐらいにできると謳っていたはずです。だからと言ってrailsが悪い技術といえばそうではありません。
自分は面白そうだな、という技術が出てきたら遊んでみたくなります。
それでもスキルは確実に積み上げられていくと思いますので、あまり固く考えず、知的好奇心という欲望のまま、突き進んでいくのもありかと。

Anubis

>oka さん
コメントありがとうございます。

まず、極めると完璧主義は結びつかないと考えています。完璧主義といっても、いろいろ種類があると思います。多くの技術に手を出してどれもものにできないような完璧主義もいます。

ただ実感としては、何かを極めた人の方が知的好奇心という欲望のまま、突き進んでいるようです。流行を語るより、自分の趣向を話したがります。そういう人たちを見て思ったことを書いたのが今回のコラムです。

コラムなので言い方が固いですが、こういう考え方もあるんだ。程度に受け取ってもらうといいかと思います。

古典って大切ですよね~

温故知新
習うより慣れよ
好きなものこそ上手なれ
光陰矢の如し
少年老い易く学成り難し
論より証拠

Anubis

>古典って大切ですよね~ さん

申し訳ないが、何が言いたいか全く分からん。

nsh1960

古典云々の個人的解釈…

親しんで通暁するだけではお話にならなくて、そこから導かれる法則を
自力で再発見することによって何かに触れる毎に取捨選択する力を養成
くらいの意味のことを述べようとしたがあたりを浅くすることにとどまった。

大昔、大学受験雑誌で比較的古い流行・新しい流行の問題、それらを俯瞰して
見えてくる傾向などの話を雑誌編者が語っていたことを思い出すです。

Anubis

>nsh1960 さん

古典はいいが、今回のコラムと何の関係があるのだろう。
十年前にかけたのだろうか?

私の解釈は、コメント欄にポエム書かれたなと。
謎かけだったとしても、解いても「ふーん」で終わりそうだ。

ベースとなる教養(IT技術者)

10年前でも10年先でも通用する基礎教養ってなんだろうって考えてみた

◆プログラミング言語
なんでも良いので精通しているプログラミング言語がありフルスクラッチで開発ができる

◆OSと通信
Unixとネットワークの知識。単にコマンドを使えますというレベルではダメ。

◆英語
最新技術が欧米、特にアメリカからでてきていることを考えると、英文をさらっと読みこなせる程度の英語力

これらを若いうちにきっちり身に着けた人は新技術が出てきても対応しやすいはず。

ベースとなる教養(IT技術者)

◆数学・物理
ゲーム開発、物理エンジン、画像処理、音声処理なんかをやるなら高校数学、大学数学も必須

学校のお勉強、受験のお勉強って役に立つんだなと改めて認識した。

Anubis

> ベースとなる教養(IT技術者)さん

言語とOSの知識に関してはそんな感じでしょう。
学問として取り組んでいれば役に立つね。

Anubis

・・・なんか今回のコラム、散文的なコメントが多い。

コメントは、分かりやすい日本語で書いて頂くと助かる。
箇条書きで書いたり、謎解き要素を含ませると、
誤読してぶった切ることもあります。

そういうのは避けたいので、
言いたいことははっきり書いて頂くと助かります。

雄大

最新の技術を仕事で数ヶ月取り組んだため国内ではかなり高いレベルに
いると自負している。

新しい技術だから良いとは思わないが、出てきたものはさらっと理解
して使いこなせる自分ではありたいし、新しいから理解が浅いなんて
こともない。この数ヶ月の仕事の粒度はすさまじかった。

ダラダラとルーティーンワークこなしてたら10年かかっても身につかない
内容を数ヶ月でやる。

ひとりひとりポジションも役割も違うし、会社や客先から要望されて
最新技術を触るわけだし、最新技術を誇っていて何が悪いの?という
印象は受けた。

Anubis

>雄大 さん
誇る理由が "新しい" なのか、"技術自体" なのか。これが重要だと考えます。

雄大さんの場合、"技術自体"を実践して結果を掴んでいます。
今回のコラムは、新しさだけに目がいって本質を見失ってる人への問題提起です。
なので、雄大さんには当てはまりません。

「あぁ、そういう人もいるんだな」程度に読んで頂ければ良いと思います。

Buzzsaw

自分が最新技術をキャッチアップできているかどうかはともかく・・・。

社内の若い子たちから「なぜそんなになんでも出来るんですか?たくさん努力
したんでしょうね」と言われるたびに違和感があったのですが、その違和感の
正体ってまさに「実際は、差分をチョイチョイ追加してる程度」の連続だった
からのように思います。他人にどや顔で言えるレベルの「努力」はした覚えが
ありません。

よって若い子たちには「普通にやってたら今に流れ着いただけ。
良くも悪くも幸か不幸か。努力とか最新技術とか絆とか、いまどきの軽いワードに
流されず、本質をマスターしなさいよ」と気だるいマツコDX口調で諭すように
してます。

非現実性AR

四次元殺法コンビがpopするような斬新すぎる技術は軒並み廃れ、差分で済むようなのが生き残ってきたってのが実際のとこじゃないですかねー。

まさに学習コストの問題ですよ。

10年どころか30年前くらいから「新しくプログラミング言語覚えるならまずCだ」言われてましたが、SQLと設定系言語以外はほぼ全部Cが源流ですので今でも真なりです。

なら今でも全部Cでいいじゃん、なんて言うのがたまにいたりしますが、それは思考停止つうモンです。
そもそも新技術は「前よりこんなに楽ちん!」が売り。楽にならなきゃ価値が無い。

もっとも10分作業が短縮できてお得! つって習得に1ヶ月掛けるような奇特な人はいない訳ですが。

そうやって淘汰されて今の差分技術全盛があるんじゃないでしょうか。

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