いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

コラムに頂いたコメントから技術の勉強のやり方を考えてみる

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▪︎ツッコミに対して応えてみる

 以前書いたコラムで興味深いコメントを頂いた。高校生の想定で感想文を書いた訳だが、参考にしたページが小学生向けだと指摘を頂いた。コメント自体は大して考えずに付けたのだろう。しかし、私にとっては頂いたコメントに貼ってあったリンクが興味深かった。

 頂いたコメントに貼ってあったリンクだが、bingで「読書感想文」を調べてトップにきたものと、「読書感想文 書き方」で調べて二番目にきたものを頂いた。「読書感想文」のリンクは全く意図が読めない。「大人も感想文を書いてみよう。」にでも応募して欲しかったのだろうか。興味を引いたのは二番目の「読書感想文 書き方」のリンクだ。

▪︎ラベルに潜む罠

 頂いた「読書感想文 書き方」のリンクを開いてみると、「元大手予備校講師が教える 目からウロコの 読書感想文の書き方」という文言がある。ページの対象は高校生向けのものといったところだろうか。

 高校生だから高校生向けの情報を見るべきだ。多分そういう主張なのだろう。だが、このページに書かれているのは、良い感想文を書くための、あくまで「コツ」だ。私がリンクとして用いたのは、あくまで書き方の「基準」だ。申し訳ないが頂いたリンクは要件違いだ。指摘としては的を得ていない。

 たかだかコラムに付けるコメントだ。内容に浅はかさは感じるが、コメントを付けた人への批判が目的ではない。ただ、内容から判断せずに、「小学生向け」とか「予備校の講師が書いた」というラベルだけで判断したことが、私にとって一本コラムを書けるくらいのテーマを感じさせた。

▪︎難しい本を読めばスキルは上がるのか

 ここからがこのコラムの本題だが、私たちは難しい専門書を読めば高いスキルが付くと思っていないだろうか。ちなみに、私も以前はそう思っていた。難しい本をたくさん読んで、広く知見を持つことがスキルに繋がると思っていた。

 だが、実際は何か違っていた。難しい本の方が読んだ後の満足度は確かに高い。だが、それに理解度が伴っているとは限らない。満足度は低いかもしれないが、自分が難なく理解できるレベルの本を何度も読む方が確実に理解度は上がる。

 専門書を選ぶ時、「誰が書いたか」とか「対象のシステムがいかに高度なものか」というラベルばかり目がいっていないだろうか。読んでモチベーションが上がるのは素晴らしいが、それが必要な情報とは限らない。

▪︎やっぱり基礎は大事だと思う

 スキルの伸び悩みのようなものを感じた時、私はできるだけ簡単な本に目を通すようにしている。読み直すと意外な発見が多い。例えば、覚え始めの頃は読み飛ばしていたショートカット一覧など、使いこなせば作業速度が飛躍的に上がりそうなことに気付く。基礎として書いてあるが、スキルが付かないと価値が分からない情報が入門書にしか書かれていないことはある。

 自分の蔵書にオライリーの本が並んでる方がカッコイイかもしれない。エンジニアとして相応の立場になって、「わかる!Windows 8.1」なんて本屋で立ち読みしてたらカッコ悪いかもしれない。だが、大事なのは中身だ。

 ちなみに、良くできた入門者向けの本は要点がよく纏まっている。これは、ある程度のスキルを身につけた人でも読む価値はある。どういう説明をすれば相手に伝わるか?このシステムの本質、意図は何か?という観点で読むと違う発見がある。勉強会でライトニング・トークするような人にはダイレクトに役立つ気付きになると思う。

 情報は覚えた数より理解度の深さだと思う。学習成果は何をもって判断するかは、気付きの量だと考えている。これは客観的に見てもなかなか分からないし、何をすれば得られるかも断言できない。ただ、満足度ばかり追い求めていては達成できないのは確かだと思う。

▪︎アンチマサカリ宣言(オマケ)

 このコラムを読んでいる人で、マサカリの飛ばし合いのために専門書を読み漁ってる人はいないだろうか?読んだ本のタイトルを武器にしてはいないだろうか?マサカリを飛ばすことに気を取られると技術の本質を外す。

・・・本質を外すとはどういうことか。マサカリを投げあって殺伐としていたら、肝心のスキルアップが置いてけぼりになるんじゃないか?いかがなものだろう。

Comment(12)

コメント

仲澤@失業者

マサカリってのは論破とかそういうことでしょうかねぇ(違ってたらごめんなさい)。
自分は学生時代にやめちゃいましたね。論破。
それは知人にこう言われたことがきっかけでした。

論破に時間をかけても無駄。
それは、せいぜい相手が弱る程度の効果しかないでしょ。
だけど、もし説得に成功すれば味方や共感者が増えるよね。

やれやれ、どんだけ大人なんだこいつって思いました(とほい目)。

Anubis

> 仲澤 様

>マサカリってのは論破とかそういうことでしょうかねぇ

それも含みます。あと、揚げ足取りや、明らかに実力が下の人に対しての執拗な追及・・・などでしょうか。

マサカリ投げるのはコンプレックスの裏返しです。やるなとは言わないが、今回のように返り討ちにあって、恥ずかしい思いをする覚悟はしておいて欲しい。

> 論破に時間をかけても無駄。

結局ここなんですよね。マサカリ投げる理由の大半が、ちょっとした優越感に浸りたいだけだったりする。もう一捻りすれば、相手も自分も成長できるアドバイスになるのだが、残念な限りです。

このアドバイスをくれた知人の方、素晴らしいと思います。

Anubis

--私のコラムにマサカリを投げたい方へ--

以前から警告しておりますが、誹謗中傷は歓迎です。
同じくマサカリを投げて頂くのも拒みません。

だが、覚悟はしておいてください。

もし、それでもマサカリ投げて張り合いたいと思うなら、
文面は最低2時間は考えて書いてください。
コメント欄に頂いても問題ありませんが、コメント欄に長文を書かれても困るので、
私の独断で消すことがあります。
できれば、コラムという形でアップして頂ければ助かります。

コラムの審査に落ちるような反論であれば、
そもそも対等に語り合うステージにすら立てていないということです。

いつでも挑戦は受けます。

受験戦争の経験

このコラムで書かれているようなことは、大学受験やお受験を経験した人はみんな感じていることだろうから、殊更に主張するべき内容かどうかわからないが、筆者が否定しがちな、学歴エリートやお受験経験者は大方、こういう内容は同意だし、受験を通して身をもって経験している。

高学歴である必要はないが、大学受験や中学お受験を通して、筆者がたどり着いた境地に中学生や高校生の段階でたどり着けるという意味では、学歴による評価やふるい落とし、選別も悪とは言い切れないだろう。

この筆者のコラムを読んで新しい発見をしたことは一度もないが、皆が経験済みの境地を筆者が一歩一歩歩んでいく様を自分と重ね合わせて再体験するコラムなのかもしれない。

Anubis

>受験戦争の経験 さん

悪いが今回のコラムで受験の事は書いていない。話が全然噛み合っていません。

>この筆者のコラムを読んで新しい発見をしたことは一度もないが、

コラムの内容関係無しに、想像だけで話題が完結しています。
確かに、私のコラムを読んでも学ぶことは無いと思う。

はっきり言って、失礼なコメントです。

利益が無いと思うなら、二度と私のコラムを読まなくても結構です。
コメントも自粛して頂くと助かります。

次郎・太郎

この作者のコラムを読んでいて感じたこと素直に書いてよいですか。
基本方針としてルサンチマン的などろどろしたものと、筆者生まれつきのひょうきんなギャグや笑いなど清濁入りまじった個性的なコラムだと思います。

論理展開が特に「高学歴だから優秀だとは限らない」「難しい本を読んだからといって理解しているとは限らない」「技術が優れているからといって優れたSEとは限らない」というような主張が長く長く一貫してぶれずに書かれています。

ですが、実際には、技術も優秀で学歴も高くセンスもよくプレゼンも営業もできてスポーツも得意でお金持ちと言ったパーフェクトな人もいます。

難しい本を筆者が理解できないとしても、実際、そのむつかしい本を書いたり、書かずとも大方理解してしまっている人も現実にはいます。

人には優劣もあり、技術力には圧倒的な差があり、努力できる人と努力から逃げ回っている人がいること、そういう差異や格差があることを認めてしまってはいかがでしょうか。

日本やアメリカは競争を促すことで豊かな社会を作ってきました。これを「格差が拡大している」「平等な社会を!」と主張するとおかしなことになってきます。ご注意を・・。

最後にこの作者のコラムはユーモアがたっぷりで、くすくすと笑いながら楽しませてもらっています。

まき

的は射るもの、当を得るもの

επιστημη

「的を得る」は間違いではないらしいですよ。

ksiroi

マサカリの飛ばしあいは別にいいと思うんだよね。ツボさえ抑えていれば。
弱いものは打たれる、でもその傷が明日の自分を強くしてくれると思えば良いねんな。

問題は、傷だけ作って放置するアホ技術者のなんと多いことか。
辻斬りじゃねーんだぞ、と。おそらく師のいうマサカリ野郎はこっちじゃなかろか?
読書感想文マサカリはまさに辻斬りじゃないかしらw

マサカリ飛ばしてアフターケアを完璧にするための努力が「難しい本を読む」なら
まだ許せるかなー。

Anubis

> 次郎・太郎 さん
指摘が的確でどう返そうか迷っていたところです。
正直に言うと、納得させられたのでグゥの音も出ないんですよね。

これは正に論破された。恐れ入った。

ただ、本当に論破されるとキチンと納得が伴う。
勝負で言えば私の完敗だが、私なりに得られたものは多い。


> ksiroi さん

> おそらく師のいうマサカリ野郎はこっちじゃなかろか?

正にその通りです。

私の中でのマサカリは「単なる間違いの指摘」です。
これに終始して解決策を提示できない技術者のなんと多いことか・・・。

否定だけで相手を納得させるのはなかなか難しいし、手段が乱暴になり易い。
どうすればいいのか?いついては、別のコラムで書いてみたいと思います。

まき

>> 「的を得る」は間違いではないらしいですよ。

せめて"三省堂国語辞典第7版"で採録された、ぐらいの裏はとってほしいと思います。
(元々の誤用説の最右翼が三省堂であった訳ですが)

正鵠を得る、が正しくて、的を得る、はそこからの転用、との立場に立っています。(なお、正鵠は射ても得ても意味は通じます)

Anubis

> まき さん

>せめて"三省堂国語辞典第7版"で採録された、ぐらいの裏はとってほしいと思います。

裏を取ってる暇があるなら、誰かのポイ捨てした空き缶を拾ってゴミ箱に捨てましょう。
誰も得をしないことに費やすエネルギーが無駄です。

http://biff1902.way-nifty.com/biff/2014/05/post-8ee7.html

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