いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

絶望した!何もかも数値化される世の中に絶望した!!

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■そんなものまで数値化するんですか

 そういえば、私達は物心ついた時から点数とかポイントやら、訳の分からない数字に囲まれて生きている。学校行けばテストの点数。ゲームをしたらキャラクターにHPやらMPがポイントとして振られている。

 特に最近のゲームは数字にシビアだ。いろいろなものが細かく数値化され管理されている。例えば、女の子にどれだけ好かれているかを示す”好感度”。絆の強さを示す”信頼度”。お互いの友情の深さを示す"友情ポイント"。そんなものまで数値化するんですか!

■現実の世界まで数値化の進行が止まらない

 過剰な数値化が進むのはゲームの世界だけではない。現実でも、あらゆる事象が数値化されている。なんたら率、なんたら係数、何でもかんでも数字を振りたがる。数字はいろいろな根拠になる。見える化するために非常に有効な手段ではある。

 だが、度が過ぎて数値化しすぎていないだろうか。見える化するのは結構だが、"イケメン度"なんてパラメータを勝手に数値で振られたらどうだろう。私は大丈夫だが、不愉快な思いをする人もいるのではないだろうか。

 将来性に"期待度"なんてパラメータを付けて就職先決められたり、"幸福達成度"なんてパラメータを付けて結婚相手や交際相手を決められたり、"老後耐性"なんてパラメータで老後を決められたり。判断の基準が必要なのはわかるが、何でもかんでもパラメータを振るのは如何なものだろう。

 絶望した!何でもかんでもパラメータ振りたがる世の中に絶望した!!

■だがそれが現実だ

 確かに露骨にパラメータを決めて数値を振るというのは無いにしても、似たような事はよくあると思う。就職にしても、新卒の場合は行っていた大学のランキングがものを言う。中途であれば職歴。実際に何ができるかは、案外と問われないものだ。

 何をするにしても、明確なデータの元で判断して行動するのが確実だ。失敗したとしても、きちんとした説明ができる。また、思考を効率化することも可能だ。どこに何が足りていないかが素早く分かるので、すぐに対応することができる。

 あらゆる事象をパラメータ化して数値を振ることで多くの利益を得る事ができる。心境的には認めたくないが、これが真実だと思う。ゲームで行っている手法が現実に適用されたのか、現実で数値化するのが進行し過ぎてゲームにまで及んだのか。ちょっと興味深い。現実とゲームは意外と近いものなのかもしれない。

■パラメータを超えろ

 このような数値化による判断は、現実的な成功する手段として通用するのだろうか。答えは、「ある程度までは通用する」だ。つまり、成功するための手法の一つでしかないということだ。他に必要なものがある。

 では他に必要なものとは何だろう。それは自分で考えろ。一つのコラムに成功するための決定打を求めるのは非現実だ。データによる判断だけで成功できなかった人が書いたコラムだ。失敗の反省は書けても確実に成功する方法なんて書ける訳ないだろ。こんにゃろう。

 ちょっと考えてみよう。ゲームをしててなぜ楽しいのか。それは、やってる人を必ず裏切ってくれるから楽しいのだ。勝ちたくても負かされる。希望した展開を裏切るからそこに感じる何かがある。パラメータをどう割り振って、どう数値を算出していこうが、どこかで裏切られる。楽しさを感じようと思えば、現実でも同じプロセスをたどる事になる。

 振られたパラメータは裏切られるためにある。裏切りとは、99%の確信と1%の想定外で構成される。無難な未来を望むなら、99%の確信を追求すればいい。だが、数値化による先の見えた未来を否定したいなら、1%の想定外を追求しよう。どちらが正解という訳ではない。この両者がいるから、現実というのは数奇で楽しいのだ。

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